天保の改革

昨日の弊ブログに書きました芳町花街もそうでしたが、今日まで続いている江戸文化には「天保の改革」に関係するものが少なくありません。

歌舞伎、寄席、遊郭を弾圧した改革として知られています。

が、「天保の改革」の目的って、娯楽の弾圧だったんですか、ね?

もちろん、違います。

「天保の改革」の目的は経済改革でした。

そもそもの原因は飢饉。

1833年(天保4年)から1839年にかけて、東北地方の中心に「天保の大飢饉」が発生し、数十万人とも言われる、多くの餓死者が出ました。百姓一揆や打ちこわしも頻発しました。

税収も減り、幕府や諸藩の財政も悪化しました。そこを何とかするのが目的でしたが、結果から申しますと、失敗。

薩摩など西方の大名の被害は相対的に小さかったので、力の逆転が起きて、幕府の威信が低下するのは避けられませんでした。ザンネン。

そんな改革の中で、一番残念だったのは、旗本の無利子年賦返済令でした。

旗本などの幕臣の借金をすべて無利子にして、元金の返済も伸ばすというもの。

生活に苦しむ旗本を救う目的で出されたものですが、旗本に貸していた札差が貸し渋りをするようになり、かえって旗本たちの生活が悪化してしまいました。

現代のコロナ禍でも、多くの中小企業が借金をしており、その返済はまだ始まったばかりですが、上手く対応しないと、天保のような貸し渋りが起きかねません。

お上の皆様には、宜しきまつりごとをお願いしたいものです。

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。 弊ブログは2010年3月1日に連載スタートし、本日は4.288本目の投稿でした。

Filed under: ぼやき部屋 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)