フィクションドキュメンタリー

日本堤消防署さんの研修会で、

フィクションドキュメンタリー「荒川氾濫」

を視ました。

東京都北区のJR鉄道橋付近で堤防が決壊した場合と、東京都足立区の鉄道橋付近で堤防が決壊した場合を想定・作成された動画です。映画感覚の動画でした。

その設定では、浅草雷門は決壊から6時間で1メートル程度浸水すると放映されていました。

東京駅や銀座もやがて水没、東京の地下鉄は全部止まるという想定でした。

浅草は、実は1910年(明治43年)に水害に遭ったことがあります。

「明治43年の関東大水害」と言われるもので、死者769人・行方不明78人・家屋全壊2.121戸、家屋流出2.796戸にも上る大参事だったそうです。

これ以降浅草は水害に遭っていませんが、水害に遭わなくなったのは、1910年の大水害に危機感を覚えた当時の政府が荒川の流路掘削を決意したからです。

江戸時代、荒川と隅田川はつながっていて、水運の大動脈でした。荒川が隅田川へ流れこんでいるのですから、水量が多く、物資の輸送には便利でしたが、ひとたび水害が起きると惨事になったのです。

1910年の惨事を受けて、政府は「荒川放水路」を掘削することを決定します。1913年(大正2年)から1930年(昭和5年)まで、17年がかりの難工事の結果、荒川の水はかなり東方・現在の江東区・江戸川区の境へと流れることになりました。

この新しく太い流路が、やがて荒川の本流と認定され、江戸時代には荒川の本流であった現在の「隅田川」つまり岩淵水門より下流の部分が「隅田川」と呼ばれるようになったのでありました。

以来浅草は水害に遭っておりません。が、それから110年を経て、地球は温暖化し、放水路を掘削した今の荒川でも危なくなってきた、というのが、今回の研修です。

水害ばかりは、逃げるしかないですねえ。

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。 弊ブログは2010年3月1日に連載スタートし、本日は4.286本目の投稿でした。