閑散期

8日の火曜日は、店の大掃除でした。

大掃除と言えば年末になさる方が多いかと思いますが、「ちんや」は年末は繁忙期ですから、そこは避けて閑散期に行います。必然的に暑い時季になってしまいます。

今年はコロナで、ずーっと閑散期でしたから、涼しい時にやれば良かったと思いますが、緊急事態中に、

今大掃除してしまえ!

とは思いつきませんでしたねえ。

というわけで、今年も暑い大掃除。

私は例年通りトイレ掃除を担当しました。

お疲れ様でした。

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台東館

最近毎週土曜日にBSテレビで「寅さんシリーズ」をやっているので視ていましたら、懐かしい浅草の場面がありました。寅さんが浅草六区の一角でテキ屋の営業をする場面なのですが、その前に浅草全体を俯瞰する映像が流れました。

その回はシリーズ第23作「翔んでる寅次郎」。

「マドンナ」が桃井かおりさん、恋敵が布施明さんで、1979年の作品なのですが、俯瞰の場面で浅草寺の向こうに産業貿易センターが大きく写っていました。

おや、産業貿易センターって、79年にもう出来ていたんだっけ?

と思って調べようとして、ネットで面白い記事をみつけました。

東京都立産業貿易センター台東館の公式ページに、「浅草と共に歩んで半世紀」と題して台東館の設立ヒストリーが連載されているのです。「秘話をまじえて」連載するとか。

8月19日にその①が公開されていますが、

「戦国の覇者、徳川家康が江戸幕府を開くはるか以前から、武蔵の国の浅草は、浅草台地(微高台)に築かれた浅草寺を中心に賑わいを見せていたようです。」

「浅草寺は『浅草寺縁起』等にみえる伝承によると628年の推古天皇36年に、2人の漁師の網にかかった聖観音像を地元の名士、土師中知(はじの なかとも)が自宅で本尊として祀ったのが始まりといわれています。この聖観音像は、2寸(約6㎝)にも満たない白黄色の像であるといわれていて、実物は、歴代ご住職も見たことがない秘仏中の秘仏。今も本堂の奥の厨子の中で神秘のベールに包まれて安置されています。すべての願いを叶えてくださるお寺として多くの参拝客を集め、現在では国内外から例年約3,000万人が訪れています。」

そ、そこまで遡らなくても・・・

①に「秘話」は無いような・・・

次回掲載は9月10日の予定で、「台東館の建設前の様子をお伝えします」と書いてありますので、楽しみにしましょう。

あ、「秘話」は未だでも開館した年は分かりました。

1969年に「東京都立産業会館台東館」という名称で開館、当時は日本最大の展示会場だったそうです。

私は1965年生まれで今年55歳ですが、同世代だったのですね。老朽化が心配です(笑)

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松茸なべ

残暑の最中に台風が来る、というのが、この時季の定番になるのでしょうか。

そんな中でも秋は来ていたようで。マツタケの産地として知られる上田市の料理店ではマツタケ料理の提供が始まったようです。信越放送によりますと、

「上田市古安曽の「二幸園」はきょうからマツタケ料理を始めました。メニューは、4つのコース料理かフルコースから選ぶことができ、マツタケと相性が良い鶏肉を使ったすき焼き風の「松茸なべ」や「松茸姿焼き」を味わえます。」

しかし、ガックリ来たのは、この記事に一般ユーザーから付けられたコメントです。

「みんなで松茸食べながら、ワイワイとコロナ感染かい?」

このコメントに「そう思う」が2票、「そう思わない」が10票で、そう思わない人が多いのは救いですが、いまだに鍋弾圧のムードはあるようです。

何度も申しますが、仮にマツタケにウイルスが付着していたとしても、鍋の熱で殺菌しますから、鍋は非常に安全です。普通の料理を食べながらワイワイやった場合よりリスクは低いくらいだと思いますよ。

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福澤諭吉のすすめ

『家庭画報』10月号が「福澤諭吉のすすめ」という特集を組んでいます。

雷門「三定」の女将さんが塾員なのですが、

私の知り合いが編集しているの! 住吉君も読んで!

と言うので、私も拝読しました。

・福澤先生の生涯の概説

・先生所縁の地を訪ねる旅

・各界著名人が、自分が大切にしている先生の言葉を挙げるコーナー

などが載っていました。

言葉は「独立自尊」を筆頭に「一身独立して一国独立す」「気品の泉源智徳の模範たれ」などあらためて読んでも素晴らしい教えが多いと思うと同時に、自分が全くそうなっていないことに呆れるばかりです。

私が好きなのは、先生の毒舌なんですよね。

「赤穂不義士論」(明治7年)はつとに有名ですが、

弊ブログの8月19日号でも紹介しました通り、先生は肉食を擁護するあまり、他の食べ物について毒舌を吐いています。

「日本橋の蒲鉾は溺死人を喰ひし鱶の肉にて製したるなり」

「春の青菜香しといえども、一昨日かけし小便は深く其葉に浸込たらん」

「先祖伝來の糠味噌樽へ螂蛆うじと一処にかきまぜたる茄子大根の新漬は如何」(明治3年)

今回『家庭画報』だけに、先生が『女大学』(貝原益軒)を批判した『女大学評論』も採り上げられていますが、その論法は、

『女大学』が「七去」と指弾する「子なき女」「淫乱な女」「嫉妬深き女」の「女」を「男」に入れ替えたらどうなるだろう。女だけが責められるのはおかしいじゃないか。

悪人はむしろ男に多く「男大学」を書いた方が良いくらいだ。ここも毒舌系ですねえ。

私が、この特集を編集するとしたら、

「福翁毒舌ベストテン」ですかねえ。「先祖伝来の糠味噌」は是非そこに入れたいです(笑)

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二百十日

毎年9月1日は「防災の日」です。

その理由は、関東大震災が1923年9月1日に起きたことに加えて、この日が「二百十日」だからです。

立春から数えて210日目の「二百十日」は台風が多い日もしくは風の強い日と信じられてきました。

そして今年、最大風速が80メートルになるとかいう台風10号が九州・沖縄方面に来ています。

進んでいる海面温度が高いので、勢力が強いのだそうな。

実は私は2018年9月4日に、たまたま大阪にいて、台風21号を経験しました。東京に帰る予定の日でしたが、新幹線が動かず、新大阪近辺のホテルは全て満室でホテル難民になりました。知人に連絡して転がりこもうかとまで思いましたが、もし被害に遭っていたらと思うと電話できません。

そこで梅田まで移動したら、高級なホテルのスイートルームが空いていると言います。泣く泣く泊まったことを鮮明に記憶しています。

その晩はやることがないので、テレビを視つづけていましたが、タンカーが関西国際空港の連絡橋に激突した様子は、本当に衝撃的でした。今年の10号は、あの台風より風が強いと言うから想像を超えています。

今後毎年海面温度は高いでしょうから、この時期は毎年強力な台風が来るのかもしれません。困ったことです。

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誤嚥

猛暑の最中、83歳の加山雄三さんが救急搬送・入院されたと聞きました。最初の頃は誤嚥で重篤ではないような報道でしたが、後から軽い脳出血が確認されたとかで大変心配です。

会話も出来て、命に別状はないようですが。

加山さんは、すき焼きに関係の深い方です。

・映画「若大将」シリーズ(1961年~)では、加山さんは老舗のすきやき屋「田能久」の一人息子で、京南大学水泳部のエースという設定だった。

・1966年にビートルズが来日した際には、宿泊先のホテルを訪ねて、すき焼きを会食した。

特にビートルズの件は、インタビューなどで繰り返し語って下さったので、ありがたいと思っておりました。

ご回復を祈念致します。

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餃子文化

B級グルメを起爆剤にした「町興し」「村興し」に私はまったく関心を持ってきませんでした。だから餃子の消費額一位の座を巡って、宇都宮市と浜松市が激しく争っていると聞いても無関心でした。

そして、その二市をおさえて宮崎市が最近(2020年上半期)トップに立ったと聞いても、当然の無関心のはず、が、

事情を聞いたら、そうも言えませんでした。

コロナ下で宇都宮市・浜松市の消費額が落ち、宮崎市が大きく額を伸ばしたので、順位が変わったのですが、宮崎が伸びた理由は、餃子を家で食べているから、でした。

宇都宮市・浜松市では餃子を食べるために外食しますが、宮崎では「丸岡」さんという販売店で買って、自分の家で焼いて食べるのです。その「丸岡」さんが業績を大きく伸ばしたことが宮崎市を押し上げました。

つまりは外食・内食の比率の変化だったのですね。トホホです。

「ちんや」でも似たことは起こりました。いつもなら座敷に上がって下さる方が、売店で肉を買われたり、通販で買われたり。

外食忌避がまだまだ続くと思われますが、宇都宮・浜松は外食から販売へのシフトを進めるのでしょうか。そうなったら、餃子外食文化の観点でますますトホホです。

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防災の日

例によって「浅草」といれてリアルタイム検索していたら、「防災の日」に関東大震災に関するツイートがちらほら見つかりました。

世間の話題は、コロナや総裁選ばかりかと思いきや昔のことに関心を寄せている人もいるのだなあと思いました。

浅草では9月1日は「十二階」が大破した日として記憶されています。

浅草2丁目にあった、通称「十二階」、正式には「凌雲閣(りょううんかく)」は当時最高の展望塔でした。今のスカイツリーのような観光名所ですね。それが地震で大破しました。

この時浅草寺は焼けなかったので、「十二階」の方が記憶に残ったのでした。(浅草寺が焼けたのは太平洋戦争の空襲です)

「十二階」が出来たのは、明治時代の東京でコレラが蔓延していたからです。

コレラを抑えるには、欧米の都市のように上下水道を整備しなければ・・・と考えた政府が衛生工学の技師として招聘したイギリス人のバルトンが「十二階」も設計したのです。

だからバルトンにとっては「十二階」の件は余技で、経歴を調べても「十二階」の件はわずかにしか触れられていないのですが、浅草の人達はバルトンと言えば「十二階」と記憶しています。

さらに申せば、バルトンを招聘した内務省の官僚・永井久一郎は、浅草放浪で有名だった作家・永井荷風の父です。ますます御縁があるので、バルトン=「十二階」=浅草と言いたいところですが、あくまでバルトンは水道をひくのが本業でした。

昨今のコロナ問題でも、何か「十二階」のような副産物がうまれたら面白いですね。

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移御

コロナ禍で5月から10月17日、18日に延期になっていた三社祭(浅草神社例大祭)の開催方法が決まったようです。

まず大勢の人で神輿を担ぎまわることは、当然できませんので、町会の神輿を含めて、それは中止です。

17日(土曜)は例大祭式典と新型コロナウィルス鎮静祈願祭

つまり17日は神輿は町へ出ません。

18日(日曜)に本社の神輿三基の内「一之宮」一基を御用車に載せて氏子各町を「移御」させます。大勢の人で神輿を担ぎまわることを、これまで「渡御」と言ってきましたが、今年は車による「移御」のみになります。

伝統的には浅草にも神輿を船に載せて運ぶ行事があり、それを「船渡御(ふなとぎょ)」と言ってきたのですが、乗り物が車だと渡御ではなくなるのか、神道の言葉のニュアンスは私には不勉強で良く分かりません。

例年渡御ルートの詳細が公表されていて、それを見れば誰でも今どこに神輿があるか知ることが出来ましたが、それをやれば観光客が「密」になってしまいますから、今年は無し。関係者のみで行うそうです。

そもそも神輿が町へ出る趣旨は、氏神様(=三社様)に氏子の町々の様子をご覧いただくということですが、車による「移御」でもその趣旨にかなうということのようです。

詳しくは浅草神社のサイトをごらん下さい。

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カップル

夜仕事が終わった後、軽くウオーキングをすることにしています。

コロナと猛暑で日中は出歩きませんから、体が完全になまっています。そこを解消しようというのと、もう一つはマスクを外して活動したいのです。

昼間ずーっとマスクをつけていると、息苦しく、肺活量も小さくなりそうなので、夜に人のいない所=隅田公園などを歩き回っています。水の近くに降りると少し涼しいですしね。

ここで困るのは、デートしている若いカップルです。

マスクをつけてないです。

それは、まあ、当然と言えば当然で、ラブラブなわけですから、

この人のウイルスなら貰っても良い!!

くらいに盛り上がっていますから、マスクはしません。

テレビやネットで若者がマスクをしないことを批判している人が多いですが、自分が若くてカノジョができたと想像してみて下さい。マスクは取ると思いますよ。

と、いうわけで、夜の公園にはマスクをしていないカップルが多いので、こちらも結局マスクをして出かけるようになってしまいました。

とほほ。

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