原体験
拙著『浅草はなぜ日本一の繁華街なのか』の件を、「北海道新聞」の文化面に載せていただきました。
記事の寸法がタテ・ヨコ24センチと随分大きい扱いでした。ありがとうございました。
今回の本は、浅草の戦後70年をテーマにした本です。主に昭和9年~18年に生まれた先輩方と対談して、焼け野原だった浅草がどのようにして今日の姿に成ったか分かるように努めました。
そこに私自身の50年間は含めなかった次第ですが、この記事のご取材では編集委員の橘井潤さんと、その間の浅草について話しました。
思い起こしますと、私の原体験は1970年代のドン底時代の浅草です。
当時興隆しつつあったテレビジョンは、公園六区の興行街から、お笑いのスター達を次々に引き抜きました。映画館も次々に廃業して、興行街は廃墟さながらでした。歩いているのはホームレスみたいな人ばかり。
一方隅田川は汚染が酷くて夏場は異臭を放っていました。子供でも、自分の街に問題があることがハッキリと分かりました。
やがてオイルショックを経て、昭和のバブル経済。
銀座や六本木と違って浅草に良いことはあまりありませんでした。だってイケてるデイスコとか浅草に無かったですからね。
この時代も、マイナスなことが多かったように思います。銀行が浅草の会社に過剰融資をしたからです。甘い誘いに乗って、経営を大きく狂わせてしまった会社さんが在って、とても残念に感じられました。
そんな状況がわりと最近まで続いていました。
で、状況が好転したのは、
つくばエクスプレスの開業(2005年)
スカイツリーの開業(2012年)
そしてアベノミクスによってもたらされた、最近の円安インバウンド景気です。
ですので、良い感じなのは、ごくごく最近ということです。
今は景気良さげに見える浅草ですが、酷かった時代のことは忘れたくないものです。
追伸、
拙著が発売になりました。どうぞ、よろしくお願い申し上げます。
題名:『浅草はなぜ日本一の繁華街なのか』
浅草の九人の旦那衆と私が、九軒のバーで語り合った対談集でして、「浅草ならではの商人論」を目指しています。
四六判240頁
価格:本体1600円+税
978-4-7949-6920-0 C0095
2016年2月25日発売
株式会社晶文社 刊行
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