10年目

3.11から10年を迎えました。

コロナ下で迎えるとは予想もしなかった状況です。

昨年のこの時期、既にコロナは入口という状況でしたが、「ちんや」では福島県産の「しゃくなげ牛」を食べるイベントを開催しました。どんどん感染状況が悪くなる中で、「しゃくなげ牛」は意外と売れた記憶があります。

そして、感染状況は良くならずに一年が経ちました。

今年はイベントを開催し辛い状況ですが、どこかで福島の肉を使おうと、毎年の三社様(浅草神社)への奉納の肉は「しゃくなげ牛」を使いました。

神様に奉納した後、肉の一部を下げ戻していただいて、スタッフに分けて食べました。

神徳が東北にも及ぶと良いと思います。

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。
弊ブログは2010年3月1日に連載スタートし、本日は4.030本目の投稿でした。

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3.10と3.11

2011年以降は3.11が有名になり、3.10はやや影が薄くなりましたが、3月10日は東京や浅草にとっては、忘れてはいけない日です。

「東京大空襲」により10万人以上の犠牲者が出たのが1945年の、この日でした。

戦前の浅草区は人口が密集していた為、東京の中でも特に多くの犠牲が出ました。戦後に浅草区と下谷区が合併してできた「台東区」の現在の人口が21万人ほどであるのに対して、合併する前の浅草区だけで27万人いたそうで、その区域の大半が焼けましたから、実に悲惨なことでした。

私は2016年に出した対談本『浅草はなぜ日本一の繁華街なのか』の中で、浅草の9人の旦那衆と対談しましたが、その内のお三方が大空襲の経験者でした。戦前からの浅草の住民で、身内に死者が一人もいないという家はかなり少ないだろうと思います。

戦後の浅草は、そこからスタートし、1970年代の衰退も乗り越えて今日があります。

3.10と3.11、考えることの多い二日間です。

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二重マスク

始めてみました、「二重マスク」を。

ちゃんとした不織布マスクをしっかり装着すれば相当程度の感染抑止効果があり、二重にしたところで、そこから劇的に改善するわけではないのは存じております。

それでもやってみるのは、勿論気分の問題です。

今回を「最後の緊急事態」にするために何か出来ることがあれば何でもやってみよう!という話しです。

マスクを手に入れたのは、浅草2丁目の「ふじ屋」さん。オリジナル柄を染めた、手ぬぐいの専門店です。オリジナルの浅草らしい柄が色々あります。種類が多くて迷うくらいです。

コロナが始まってからはマスクも作っておられましたが、生地は手ぬぐいと同じ生地ですから、単独だと充分な感染抑止効果はないです。そういうものと理解した上でつけて下さいという売り方をなさっています。

しかし、不織布と二重にするなら、感染抑止も柄も両方ゲットできますね。

皆さんも、始めてみませんか、「二重マスク」を。

どうせ、政府のやることだって、エビデンスは今市なんだから。

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エスカレーター

緊急事態中ではありますが、全国初の「エスカレーター歩かない」条例案が埼玉県議会に提出されたそうです。

可決の見込みだそうですが、県民に条例が定着して行くのか、注目されるところです。

そして今日は「エスカレーターの日」だそうで、その由来は、

1914年(大正3年)の3月8日、上野の博覧会会場に日本初のエスカレーターが設置されたことに因んでいます。

この時開催されたのは「東京大正博覧会」。

東京府が主催して、東京の技術や面白いものを見せるもの。後に盛んになる地方博の走りのようなものと言えます。

明治から大正にかけての博覧会は、ほとんどと言って良いくらい上野で開催されていました。彰義隊の戦いで上野の山が焼けて、広い空き地が出来た結果ですね。

大正博では真面目な展示もある一方で「美人島旅行館」では美人コンテストをやっていたり、「南洋館」では後進国の国民の習俗を見世物にしたりと、現代だったら問題になりそうな展示もしていたようです。

で、エスカレーターは、上野側の入口と第二会場である池之端までを結ぶものでした。長さ約240m。高さが10m近くある部分もあり、怖がる人もいたとか。

皆さま、エスカレーターは歩くと危険なので、止まりましょう。

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男の生き様

雑誌「MEN’S Precious」2021年春号

「悦楽の牛肉」のコーナーに載せていただきました。

紹介して下さった米澤文雄さん、ありがとうございました。

米澤さんは、台東区出身で在住。あの有名な「Jean-Georges」で、日本人初のスーシェフになった人です。今は青山でNY先端料理の「THE BURN」の料理長をしておられます。

「THE BURN」はステーキが有名ですから、そういう方に推していただくのは嬉しいことです。

それにしても「MEN’S Precious」という御本、

「男の生き様は、行動や持ち物に表れます」「時代や流行に左右されず、生き方に軸を持つ紳士の行動学や持つべき名品の数々をご紹介」ということで、これでもか!という位に名品=モノが載っています。車、時計、シャツ、靴、そして男のコスメも。

うーん、男もコスメする時代か。

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文春マルシェ

「文春マルシェ」さんのご厚意により「浅草ロースト」の通販を開始しました。どうぞ、ご利用下さいませ。

「文春マルシェ」は言うまでもなく、飛ぶ鳥を落とす勢いの「文春」さんの公式通販ですが、一味違う味と物語性のある商品ばかりを集めて、昨年秋にスタートしたばかりです。

「文春マルシェ」の責任者をしている柏原さんは、10年前の震災直後に、冷え込んだ飲食店を救済しよう!という運動を企画して下さり、その時以来の御縁です。

今回の通販サイトでも、コロナで困っている飲食店に通販商材を作らせて、採用している例がたくさんあって大変在り難いことだと思っています。

「文春」さんには「文春オンライン」というサイトもありますが、2017年に私が「適サシ肉宣言」した時は、当時立ち上がったばかりだった、その「文春オンライン」で紹介して下さいました。その後「文春オンライン」で極めつけ(?)の動画や音声が公開されていることは、皆さんご存じの通りです。

当然ながら「オンライン」には「マルシェ」へのバナーが張られていますので、今後は是非、女優さん、女子アナ、IT社長、アスリートなどにドシドシ不倫していただき→「文春オンライン」アクセス上昇→「文春マルシェ」に流入→「浅草ロースト」が売れると展開して行くことを祈念致します。

あ、肝心の「浅草ロースト」のことを書き忘れました。

「浅草ロースト」は、すき焼き風味のローストビーフです。弊社が昨年開発しました。

適度なサシの塊肉に割下風味の下味をつけ、低温調理で火入れしました。味付けは日本人の舌にぴったり。日本酒にもワインにも合うと思います。

部位はサーロインをモモの2種類。量はそれぞれ600gと300gがあります。

電話注文・浅草の店舗で引き渡しも可能です。通販の場合は冷凍でお届けしますが、店舗渡しの場合は冷蔵でお渡しします。

どうぞ、ふるってご注文下さいませ。

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火の用心

この時期は風が強い季節です。

最近、東急東横線が近隣建物の倒壊で不通になるという事故がありました。

先月の足利市の山火事も強風による飛び火が原因ですね。

強風と乾燥で火事の季節でもあります。気をつけないといけませんね。

江戸時代の江戸では、267年間で1798回と繰り返し火事が起きましたが、その中でも最大と言われる「明暦の大火」が起きたのも、この季節です。

この大火では江戸城も焼け、城下の半分以上が焼け、数万人の死者が出るという被害が出ました。

それほどの大火であったので、江戸の都市計画に大きな影響を与えました。

その一つが「広小路」です。道路を大幅に拡張して、火が道の反対側に飛び火しないようにしました。銀座線の「上野広小路」の駅名の由来は、これです。

その広い道路は普段は空き地ですから、屋台や見世物が出て賑わいました。

「ちんや」の前の、今は「雷門通り」と呼ばれている通りも、元は広小路で、「浅草広小路」と言われていました。「ちんや」が持っている、大正初期の「帝都名所浅草広小路雷門通」という写真には「浅草広小路」の文字が入っていて、この頃はまだそう呼んでいたようです。

「浅草広小路」には、昭和の戦前は屋台も出ていたと聞きます。

寿司も蕎麦も天麩羅も、元々は屋台の料理ですから、火事と「広小路」は、江戸の食にとっても重要な意味を持っていました。

その記憶を忘れないようにしたいものです。

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断らない女

「官僚接待」「接待をともなう飲食店」と

「接待」という言葉を聞くことが多い昨今ですが、この二つのケースで言葉の使い方が同じでないことに気づいておられましたか?

「官僚接待」の場合は

企業が契約を獲得するために相手先企業担当者や、許認可の権限を握る公務員に対し、飲食やゴルフなどのサービスなどを提供して相手側の歓心を買うことを言います。

料理屋での食事はこれです。

一方「接待をともなう飲食店」の場合は、

「歓楽的雰囲気を醸し出す方法により客をもてなすこと」でして、何がそれに該当するかは風俗営業法に定義されています。

・談笑・お酌等「特定少数の客の近くにはべり、継続して、談笑の相手となったり、酒等の飲食物を提供したりする行為」。

キャバクラやホストがこれですね。

・歌唱等「特定少数の客の近くにはべり、その客に対し歌うことを勧奨し、若しくはその客の歌に手拍子をとり、拍手をし、若しくはほめはやす行為又は客と一緒に歌う行為」

スナックがこれです。

・遊戯等「客とともに、遊戯、ゲーム、競技等を行う行為」

視聴者の皆様は、どちらのことを言っているか、吟味しつつご覧くださいませ。

それにしても「断らない女」「7万4千円の女」って昭和っぽくて、私なんかには懐かしいですが、そんなこと言ったら怒られてしまうんでしょうねえ。

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ドッグの日

毎年この時期人間ドックに行っています。

クリニックは日野原記念クリニック。

あの有名な日野原重明先生が設立したクリニックで、先生の生前は「ライフ・プランニング・ センター」と言っていましたが、先生の没後「日野原記念」になりました。たしかに、その方が分かり易いです。

去年のこの時期に既に受診者の「入り」は寂しかったですが、一年後の今回は感染対策もバッチリ、普通に受診者が来ていて、コロナが日常化したように感じました。

あ、肝心の結果ですが、お蔭様にて今年も全てクリアさせていただきました。感謝です。

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リモート参拝

今年のお参りは「リモート参拝」でした。

例年この時期に店のスタッフ全員と、浅草神社(「三社さま」)にお参りし、商売繁盛を祈願しますが、今年は私独り。

参拝者は一人ですが、祭典はいつも通り行っていただき、その様子をZOOMで店に中継しました。不思議の経験でした。

お肉の奉納はいつも通り。一部を下げ戻していただき、スタッフと分けて食べるのも例年通りです。

思えば、昨年のこの時期、既にコロナは始まっていて、皆全員マスク着用で参拝しました。

本殿に昇る時は、神前ですから、マスクは外した方が良いと思ったら、

着用のままでお願いします!!

玉串奉奠の時だけ外してお参りさせていただきました。

あれから、もう一年。

ワクチン接種が始まりましたから、最悪の所は抜けつつあるのでしょうか。

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。
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