ジャップ食堂

さてパールハーバーの日です。

今年の始めに『海を渡ったスキヤキ  アメリカを虜にした和食』(グレン・サリバン著)を、弊ブログに書いたのを思い出しました。書いたのは1月10日。まだコロナの気配は感じられませんでした。

1月10日に書いた時は、太平洋戦争中のマンハッタンの和食レストランについて、

「そうした店も移民排斥法、そして太平洋戦争で壊滅的ダメージを受けます」とだけ書きましたが、実はパールハーバーの後一年くらい続いていた店があったことも、この本には書かれていました。

それをレポートしたのは、マンハッタンの新聞記者で戦前から和食店に通っていたチャールズ・ドリスコールです。

「君、知らないのか、マンハッタンのジャップ食堂、まるで何もなかったのようなツラがまえで営業しているんだよ」

「嘘に決まっているさ。パールハーバーの夜に警察が全部閉店させたって新聞に書いてあったぜ」

「お前さんは、相変わらず世間知らずだね。証拠を見せてやろう。すき焼きを食べに行こう。僕のおごりだ」

→われわれは六番街のジャップ食堂「ダルマ」の階段をがたがた登り入店した。

「ダルマ」ですき焼きを食べながら僕は思索にふけった。この猿面のペテン師たちは僕たちアメリカ人についてどう思っているのだろうか。日本人の心は全く読み取れないものだ。(1942年5月7日)

この戦争は勿論アメリカの勝利に終わり、戦後日本に駐留したアメリカ人の間ですき焼きブームが起こりますが、そのベースには、こうした戦前からの「ジャップ食堂」があったのですね。

忘れたくない歴史です。

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。
弊ブログは2010年3月1日に連載スタートし本日は3.937本目の投稿でした。日頃のご愛読に心より御礼申し上げます。

今後は3.939本を目指して頑張って参ります(笑)

Filed under: すき焼きフル・トーク,憧れの明治時代 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)