すき焼きを現代に活かす~商いは、楽しく・古風に・斬新に⑧
「浅草法人会」さんの主催で講演会をさせていただきました。
演題は「すき焼きを現代に活かす~商いは、楽しく・古風に・斬新に」でした。
おかげ様にて募集定員を超えて満員になり、実に恐縮なことでした。
このページでも公開して参りますので、ご笑覧下さい。長いので14回に分けて公開しています。
なお内容は、「法人会」さんが相手ですから、経営者の方向きにアレンジしてございます。
<以下本文>
私が「ちんや」の六代目を継ぎましたのは2001年8月です。
2001年と言えば、元々景気の悪かった時です。ひどい閉塞感の中から「唯一の希望の星」として小泉首相が登場し、ワン・フレーズ政治を展開して、大変な人気を集めましたことは、皆さんの記憶にまだ新しいかと思います。
その景気の悪い所へ加えて、2001年9月BSE問題が起きました。日本で初めてBSEにかかった牛が発見されたのです。
これは重大な事態でしたが、それは私が社長に成った、翌月のことです。
事態は、「そういう牛が発見された」というだけで終わりませんで、底無しの状態へ進んでいきました。
問題の在った牛の「流通をストップさせた」と発表しながら、実際には肉骨粉にしてしまったということが発覚したからです。また、それ以前にも、BSEが日本に入って来る危険性を指摘する声があったのに、農水省がその意見を退けていた、というのも非常にマズい点でした。
こうして病気そのものの怖さも勿論在りましたが、これを機会に、プラスして行政不信・業者不信という、恐ろしい感情が一般消費者の間で爆発してしまいました。
人間の生き・死にに関わる事態なのに、無責任な態度をとる人がいたのは最悪な話しでした。そして、腹立たしいことに、そのトバッチリは、無責任な当人ではなくてですね、その食品を商う人間・商売人が一手に引き受けることになります。
こうしてBSE問題は、その後もたびたび繰り返される食品事件の典型的な経過を辿って行きました。
そんな話しが連日テレビなどのメデイアで報道されましたので、2001年10月、11月の売り上げは一気に前年比50%台まで落ちました。ヒドいことでした。それでもマシな方だったことは、後から同業者から聞きました。
そんな状態が続きまして、売り上げが復旧するには、結局3年間以上かかりました。
小泉首相の在任中には、経済が少し活性化した時期もありましたね。ホリエモンこと堀江貴文さんが世間を賑わしていた頃の話しですが、その頃肉の業界は、まだBSE問題からの復調途上で、とても良い業績などあげることは出来ませんでした。
そして、その後「少し上向いたかな」と思ったら、今度はリーマン・ショック。また、どん底行きです。そして、そのリーマン・ショックからなんとかまた上向いて来たかな、と思ったら、その次は大震災です。
食品の世界では、その間にも鶏インフルエンザ問題もありました。すき焼き屋は卵を使うから関係あるんです。宮崎の口蹄疫もありました。
次から次へ、実に色んなことがありました。
こうした事態を受けて、「食の安全」を確保するため、新しい制度が導入されました。牛の個体識別番号が導入され、その番号を表示することが義務化されましたのも、この時期です。で、私たちは、その対応に追われまくりました。
そういう対応に追われている間も、業績は大変悪いわけですから、さきほど申しました通り、マイナス志向の経営を推進しないといけません。経費削減、合理化の類いは一通り、メニューをこなした記憶があります。
とにかく、この十数年間は大変な日々でした。
そんな日々が続いておりましたが・・・
<この話しは長いので14回に分けて公開しています。続きは明日の弊ブログにて。>
追伸①
「ぴあMOOK 旨い肉 2014 首都圏版」
~感涙必須の旨い肉200軒 に「レストランちんや亭」の、ハンバーグとサイコロステーキを載せていただきました。
ご購入は、こちらです。
追伸②
「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。
この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。
その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。
現在の笑顔数は353人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。
皆様も、是非御参加下さい!
本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.223日連続更新を達成しました。
毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした