大阪における福澤諭吉の足跡

「大阪における福澤諭吉の足跡」という地図を手に入れました。同期生が「慶應大阪シティキャンパス」に赴任していて、そこで製作されたものです。
その地図を使って私が真っ先に探しましたのは、牛鍋店でした(笑い)
福沢先生は安政2年(1855年)から緒方洪庵の「適塾」で学びますが、その頃牛鍋屋に通っていたと『福翁自伝』に書いてあります。
幕末の大阪には牛鍋屋が2軒。内1軒は「ゴロツキと緒方の書生ばかりが得意の定客」の店だったとも。
ゴロツキばかりと言うのですから、その場所は所謂「悪所」です。現代大阪にも飛田とか風俗街が在りますから、私は根拠もなく、そちらの方面に牛鍋店はあったのだろうと想像しておりましたが、いただいた地図を見たら、さにあらず。
牛鍋店は北浜の証券取引所のすぐ近くにあったのです。今ではもちろん金融街です。ビックリですね。
北浜には18世紀半ばから金相場会所や俵物会所があって、大阪の経済の中心、いや、日本経済の中心だったわけですが、そのすぐ傍に遊郭があったとは意外ですね。
ゴロツキが働いていた蟹島遊郭は牛鍋店の場所から1ブロック東にあったようですが、明治後半から寂れて1911年に消滅したとか。一方「適塾」は牛鍋店から地下鉄の駅一つ西の淀屋橋にありました。
この地図のおかげで長年気になっていた、牛鍋屋の場所が分かりました。
その場所は国際観光日本レストラン協会の関西支部長で日頃お世話になっている日本料理店「花外楼」さんのすぐ近所でもあります。
今度「花外楼」さんを訪ねる時は牛鍋店跡地も必ず訪ねようと思います。

追伸⓵
このところ連日忘年会のご予約を頂戴し、在り難く思っております。
ご検討中の方は、早めにお決め下さいませ。

追伸⓶
今夏8月4日より「ちんや」ビル地下1階の「ちんや亭」が、
「肉の食べくらべレストラン」として再スタートしました。
今回すべての肉メニューに「ちょい食べサイズ」(ハーフサイズのこと)をご用意することに致しました。
くわしくは、弊ブログの8月4日号をご覧くださいませ。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて3.191日連続更新を達成しました。
すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

Filed under: すき焼きフル・トーク — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (3)