浅草六区芸能伝~第10幕
月刊『浅草』に東洋興業会長・松倉久幸さんの「浅草六区芸能伝」が連載されていて、おもしろいです。
松倉さんは、2016年に刊行された拙著『浅草はなぜ日本一の繁華街なのか』の中で私が対談させていただいた、浅草の九人の旦那衆の一人ですが、その松倉さんの連載が、このところ『浅草』の巻頭に連載されているのです。
さて今月の「第10幕」は、
ビートたけしさんの師匠
「最後の浅草芸人」
「まぼろしの芸人」
深見千三郎(ふかみ ・せんざぶろう、1923-1983)の件です。
テレビにまったく出演することがなかったため、浅草六区以外ではその存在が知られておらず、「まぼろし」と言わています。私にとっても実は「まぼろし」でして、その芸に接していないことは痛恨と申すほかありません。舞台の映像記録も、ほとんど無いようです。
よって千三郎のことを知るには、松倉さんの口伝を伺うか、『浅草最終出口―浅草芸人・深見千三郎伝』(伊藤精介、晶文社、1992年)を読むか、たけしさんの本を読むか、になります。
伝わっているのは、
お笑いだけでなく、ギター、タップダンスなど多芸多才だったこと。
アドリブや時事ネタ、下ネタが毒舌で、冴えわたっていたこと。
観客との丁々発止のやりとりも面白かったこと。です。
もう一つ、千三郎が浅草で知られているのは、芸人たちの「師匠」だったこと、特にたけしさんの師匠だったことです。
「馬鹿野郎この野郎」が口ぐせで猛烈な悪口の人だったのに、風貌はどこか気品があったそうです。
芸人としての生き様やファッションには独自の美意識を持っており、弟子に口を酸っぱくして、
「芸人は良い服を着ろ。腹は減っていても見えないが、着ている服は見える。特に足元を見られるというように、靴には気を遣え。」と指導していたとか。
多くの若手芸人に慕われ、千三郎が舞台に立つ時、客席には多くの若手が観に来ていたそうです。
このように人望があったため、1971年からはフランス座の座長となり、また企画や営業成績にも責任を負う立場となりましたが、この時期は悪いことに、浅草興行街の最悪の時代に当たっていました。ストレスが死期を早めたかもしれません。
1983年に自分の寝タバコが原因で亡くなった時、マスコミは「笑いの師匠孤独な焼死」と大々的に報道。千三郎の名前がメデイア大きくで報道されたのは、この時が最初で最後だったと伝えられています。
連載はまだ続くようで楽しみです。
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追伸⓵
「料理の鉄人」などで有名な市島晃生さんのプロデュースにより、
【J-WAVE 「OTOMESHI」】という、「ド深夜の飯テロ実験番組」に出演させていただきました。
2日放送が第一回で、第二回が9日深夜でした。
「その時間は寝ていて聞けなかった」という方は、放送終了後にネットから聴けますので、こちら(↓)を開けて、「タイムフリーで聴く」をクリックして下さいませ。
https://www.j-wave.co.jp/original/otomeshi/
追伸⓶
東京商工会議所が主催する、第16回「勇気ある経営大賞」において、株式会社ちんやが「奨励賞」を受賞させていただきました。
受賞理由は、
「格付や等級ではなくすき焼きにあった肉の提供に向けた挑戦(適サシ宣言)」でした。
権威ある賞を弊社が受賞できましたのは、ひとえに皆様のご愛顧の賜物とあつく御礼申し上げます。
追伸⓷
今夏8月4日より「ちんや」ビル地下1階の「ちんや亭」が、
「肉の食べくらべレストラン」として再スタートしました。
今回すべての肉メニューに「ちょい食べサイズ」(ハーフサイズのこと)をご用意することに致しました。
くわしくは、弊ブログの8月4日号をご覧くださいませ。
本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて3.150日連続更新を達成しました。
すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。