肉の情報ポータルサイト「肉メディア」で私の連載が続いております件は、11/23の弊ブログに書きました。題して、
「大人のすき焼き教科書」。
シリーズ第1回が11/10に、第二回が11/24にUPされ、第三回は本日12/10にUPされます。
今日ここでは第二回の分を転載致します。第三回をお読みになりたい方は、お手数ですが「肉メディア」を開けてご覧下さい。
<以下「大人のすき焼き教科書」②>
さてさて、「牛鍋」が再逆転されて「すき焼き」に戻るのですが、この再逆転劇には、東・西のすき焼きのやり方の違いが関わってきます。
関東は「ももんじや」の系譜を継いて割り下を使うスタイルが一般的で、名前は「牛鍋」。
関西では鋤焼きの系譜を継いで、割り下を使わないスタイルが一般的で、名前は「すき焼き」でした。
このように分かれた理由は、これも推測ですが、関西人が日常的に牛を使役していて身近に牛がいたのに対し、関東人は主に馬を使役していて、あまり身近に牛がいなかったことと関わっていると想像します。
関東人は御一新の後牛鍋屋に転進した、かつての「ももんじや」で牛鍋を食すことが多かったと思われます。
しかし、その関東は1923年(大正12年)関東大震災で大打撃を受け、特に多くの飲食店が廃業を余儀なくされたと伝えられており、そしてそのチャンスに関西から関東の進出したすき焼き店が、関東から「牛鍋」という名前を駆逐したと伝えられています。
牛に関しては何と言っても、関西が本場です。天皇陛下も牛車で曳かれて移動していたくらいですからね。その本場の店がチャンスを捉えて進出して来たのですから関東サイドは防戦に必死だったことと思います。
で、結局関東のすき焼き業界では、
(1)従来型の牛鍋を「すき焼き」と名前だけ言い換えただけの店と、
(2)関西風の調理法を採り入れた上で、「すき焼き」と名乗るようになった店、そして
(3)関西起源の店
が雑居する状態に成って今日に至っています。
(2)の中には関西勢を意識するあまりメニューの名前を「牛鍋」から「高等すき焼き」に変えた店が在った位です。発音がgyu-nabeでは、高級感が出せないからでしょう(その後廃業してしまいました)。
すき焼き業界の流れをザックリ言うと、この様に成ります。
すき焼きの東西の件って、頻繁に世間の話題になるようですが、あまり正確に理解されていないのは、このように単純でない経過を辿ったからだと私は推測しています。
是非、識者からのご批判をお待ちしております。
次に、
すき焼きの卵って、いつから誰が付けるようにしたんですか? どうして付いているんですか?
これは、すき焼き界第一級の謎だと思います。
卵を付けた「元祖」は分かっていません。
両国の「ももんじや」さんで猪鍋を頼むと卵は付いて来ませんし、浅草の「駒形どぜう」さんでも「どぜう飯田屋」さんでも鍋に卵は付きませんから、江戸時代の鍋には卵は付いていなかったのだろうと思われます。
明治時代のある日、牛鍋に卵が付いたのです。しかしそのことをハッキリさせるような文献には行き当たりません。謎は深まるばかり。
文献的なことが分からないので、少し違う角度から見てみましょう。
そもそも卵は何の為にあるのでしょう。卵が付いている目的は、
・温度を下げるため
・味をマイルドにするため
ですが、温度を下げるだけなら他の物でもよいわけで、やはりすき焼きの甘辛い味をマイルドにするのが目的と思われます。
次に栄養面も考えてみましょう。
栄養面では肉に卵を合わせる必要性は無いと言えます。卵のアミノ酸スコアは100点で、卵を食べれば、それだけで必須アミノ酸を全て摂取できますが、実は牛肉も100点でして、肉だけ食べても必須アミノ酸を全て摂取できます。
100点に100点を加える意味は無いですね。
しかしです、私が思いまするに、この意味が無いところに意味が在るような気がします。つまりこれは贅沢行為なんです。
明治時代、牛肉は貴重でしたが、卵も貴重でした。その貴重なものをダブルで食べることに人々は興奮したのではないでしょうか。
しかも卵に肉を浸せば温度を下げることが出来て、味もマイルドに成って、良いこと尽くめです。
文明を開化させ、産業を殖え興そうとしていた当時の人々にパワーを付けるための料理には、その位の勢いが欲しかったのでは・・・と考えたりします。
江戸の鍋料理には卵が付かなかったのに、明治の鍋料理に卵が付きました。
付けたのは、どこかの特定の個人というよりは、時代の気運だったのではないか、私はそう考えることにしています。<終わり>
本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.112連続更新を達成しました。