未完の螺旋

映像インスタレーション展「大洲大作 未完の螺旋」を拝見しました。
この企画は、今年の「台東区芸術文化支援制度」の支援企画で、私も台東区アートアドバイザーとしてお手伝いしています。
さて、この展示の場所は京成電鉄の旧「博物館動物園」駅舎です。
上野公園の地下に駅があり、1933年から1997年まで使われていましたが、老朽化や乗降客数減少のため廃止されました。
営業休止から20年経ちますので、若い方は、そういう駅があったことをご存じないかもしれません。公園を散歩したことがある方は、芸大の手前で急に国会議事堂の天辺に似た建物に遭遇し、それが使われていないことに違和感を覚えたことと思いますが、あれが博物館動物園駅の入り口です
その旧駅舎を使えるように、この地域のアート拠点をイベントでつなぐ仕事をしている、有志の団体「art-Link 上野―谷中」さんが、京成さんに交渉して、今回の展示に漕ぎつけました。
で、その展示内容ですが、太平洋戦争中の1945年に、この駅が軍事目的で接収された時の記憶を反映したものです。駅が地下にあったために空襲から逃れられるだろうと、使われたそうです。
映像作家の大洲(おおず)さんは、これまでも、土地の忘れられた記憶を再現する作品を創作してきた方ですがが、京成線の軍事利用の件は、私も知らず、勉強になりました。
また、最初押上始発で開業していた京成電鉄が上野へ乗り入れるまでの紆余曲折の歴史は、今回の展示には直接関係ないですが、調べてみるとやたらと面白いものでした。いったんは浅草へ入ろうしてなかなか許可を獲れず、有力者を買収しようとして露見、失敗。上野から筑波方面へ進む予定だった他社線を会社ごと買収、自社の上野駅にしたということのようです。
話しは戻りますが、展示は18日まで。ただし広くはない空間なので、入場制限があります。詳しくは「art-Link 上野―谷中」さんにお問い合わせください。

追伸
地下1階「ちんや亭」にて、肉の食べくらべキャンペーン「めざせ13冠 ちょい食べGO!」を実施しています。是非ご参加下さい。
私自身は月曜と金曜に1点ずつ参加しておりまして、既にハンバーグ、ロールビーフ、サイコロステーキを食しました。3冠を達成(笑)したので、「ちょい食べマグネット」を貰いました。

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牛車

え、ええー?!
「天皇は牛車に乗ることはなかった」んですか!
ずっと乗っていたと信じていたのに。それを天皇陛下に否定されるなんて、信じられないです。
「天皇は牛車に乗ることはなかった」と言った天皇とは、今上(令和の)陛下です。
7月31日の報道によりますと、陛下は即位前の2018年7月15日に東京大学で開催された、財団法人「陽明文庫」設立八十周年記念特別研究集会で牛車について講演し、牛車は安全な乗り物ではなかったので天皇は乗らなかったと指摘されたそうな。
その証拠も陛下は見つけていて、車を曳く牛が暴走する光景が描かれている中世の絵巻物を紹介されたとか。
識者によりますと、「陛下の牛車絵図研究は数十点にも及ぶ写本調査の上に築かれたもので、そのなかには研究によって史料的価値が明らかとなり、国の重要文化財(重文)指定に結びついた史料がある。史料研究は地味ながら、さまざまな研究の基盤となるものであり、陛下の研究もまた、今後、長く評価、参照され続けることになるのではないか」
「天皇は牛車に乗ることはなかった」は確かな研究の結果らしいです。うーん。
ところで、牛車って何?
という方の為に念のため説明しますと、牛車とは、牛に牽引させる車のことです。荷物を運ぶ場合もありますが、今話しているのは人を乗せて運ぶ車の話しです。
権門家が財力を誇示するために、牛車に過剰に装飾を施すことが多かったようで、平安時代に禁令すら出たことがあります。雛祭の雛壇に模型が、そんなに豪華ではないですけど、載っていたりしますよね。

あ、読み方は「ぎっしゃ」と読んで下さいね。
私は関西圏の人達と牛との結びつきが関東圏より濃かったことの証拠として、
天皇陛下は牛車に乗っていたでしょ!天皇陛下が馬に乗ったのは明治維新で東京にいらしてから=明治、大正、昭和戦前のことで、本来は牛に曳かれて移動していたんです!
としばしば説明してきたんですが、これからは「天皇陛下は牛車に・・・」と言えなくなってしまいました。
もちろん、平安時代の摂関家、室町将軍家などは牛車を使っていましたから、京都の人達と牛が身近だったことは事実です。
これからは
雛祭の雛壇には牛車が載ってますよね!
という言い方が良いかもしれませんね。少し残念。

追伸
地下1階「ちんや亭」にて、肉の食べくらべキャンペーン「めざせ13冠 ちょい食べGO!」を実施しています。是非ご参加下さい。
私自身は月曜と金曜に1点ずつ参加しておりまして、既にハンバーグ、ロールビーフ、サイコロステーキを食しました。3冠を達成(笑)したので、「ちょい食べマグネット」を貰いました。

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九条葱

今月から変わりザクは「九条葱」をお出ししています。
そう、これは禁断の反則行為・・・
「関西風」
です。
すき焼きの関東風と関西風には、それぞれに変化形が在って、厳密に区別しがたいものなので、ザックリ言ってしまうのは本当は避けたいのですが、違う点の主なものを二つだけ挙げますと、
・割り下~関東は割り下を使う。関西は割り下を使わず、醤油と砂糖を使う。
・葱~関東は白葱。関西は青葱。
その関東の白葱の代表が深谷・千住で、
関西の青葱の代表が九条だということですので、「ちんや」で関西風を売るのは反則ですね。
でも、東京の人が関西にわざわざすき焼きを食べに行くことは少ないでしょうし、行ったとしても青葱しか出てきませんから、「食べくらべ」はできないです。
今回は、その「食べくらべ」を出来るようにしてしまおうという企画です。
地下の「ちんや亭」は肉料理を少しずつ食べくらべしていただく店で、おかげ様で好評ですが、お座敷の九条葱と、在来品の千住葱を比べていただくのも、悪くはなかろうと思っています。
弊社は「食べくらべ」がマイ・ブームなのです。
どうぞ、お召し上がりくださいませ。

追伸
地下1階「ちんや亭」にて、肉の食べくらべキャンペーン「めざせ13冠 ちょい食べGO!」を実施しています。是非ご参加下さい。

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美濃料理

岐阜市の日本料理店「ひら井」さんで、国際観光日本レストラン協会の研修会が開催されましたので、参加しました。
岐阜を訪ねるのは子供の頃に長良川の鵜飼を見て以来で久しぶりです。正直、岐阜にはこれまであまり用事がなかったのです。私が岐阜で思いつくのは、鵜飼の他は信長の岐阜城。それから新幹線の駅が街から遠いことくらいでしょうか。
そこで今回「岐阜の名物」をネットで検索してみましたが、
・岐阜提灯
・岐阜和傘
・岐阜うちわ
ああ、「美濃和紙」はたしかに有名でしたね。
・柿羊羹
ん? 柿羊羹は大垣の方が有名だったような気がします。
・鮎菓子 – 長良川の鵜飼にちなんで鮎を形どった銘菓。カステラ生地で求肥を包んだものやせんべいなどがある。
・鮎 – 塩焼き、刺身、一夜干し、昆布巻きなど様々な調理方法がある。
と、あまり新しい知識も仕込めないまま現地に向かいました。季節は夏ですし、やはり、ここは鮎料理でしょう!
さて、現地に着きますと、「ひら井」さんは明治六年のご創業の、岐阜を代表する料理屋さん。立派です。
野菜などの素材は地元産で、いちいち滋味溢れるもの。しかし下手にブランド化しようとしないところに好感がもてます。
鮎の食べ方としては、やはり塩焼きが最高でした。
御馳走様でした。

追伸
地下1階「ちんや亭」にて、肉の食べくらべキャンペーン「めざせ13冠 ちょい食べGO!」を実施しています。是非ご参加下さい。
私自身は月曜と金曜に1点ずつ参加しておりまして、既にハンバーグ、ロールビーフを食しました。13冠達成するのは9月16日の予定です。

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めざせ13冠

肉の食べくらべキャンペーン「めざせ13冠 ちょい食べGO!」
が始まっています。
ちんやビル地下の直営レストラン「ちんや亭」のメニューを改訂して「肉の食べくらべレストラン」ということに致しましたのが昨年8月。それから1周年を記念して、本日から再び開催させていただいています。
詳しくは8月1日の弊ブログに書きましたので、そちらをご覧いただきたいんですが、これはいったい何かと申しますと、
「ちんや亭」の肉メニューを召し上がった方にスタンプカードをお渡しし、1種類食べるたびにスタンプを1個押して行くキャンペーンです。13種類でコンプリートです。
で、私自身も参戦しています。
食べに行くのは月曜日・金曜日と決め、
まず2日金曜日にハンバーグの「ちょい食べサイズ」を
5日月曜日にロールビーフの「ちょい食べサイズ」を
それぞれ「ちょいご飯」を付けて食べました。
この調子で食べ進め、9月16日に13種制覇する計画です。
胃腸に自信がおありの方は、一回に2種類行けると思いますから、もっと早く達成可能と思います。
是非皆様、ご参加を。

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浅草おどり・グルメセット

「浅草おどり・グルメセット」の打ち合わせがありました。
「浅草おどり」とは浅草花柳界の芸者衆の踊りを、浅草公会堂の舞台で披露するイベントのことで、今秋10月26日~27日の二日間開催されます。
で、「グルメセット」ですが、これは「浅草おどり」のチケットに、浅草の料理屋の食事が付いたチケットのことです。それも、普段芸者衆が出演している花柳界の店ではなくて、「ちんや」や「川松」さん、「小柳」さん、「どぜう飯田屋」さんなどの、浅草の「表」の店の食事が付いています。
踊り終わった芸者衆も挨拶に来てくれて、記念撮影などには応じてくれます。
これは、昨年から浅草花柳界の組合長になられた「一直」(いちなお)の若旦那の企画第一弾でして、今までつながりが深いとは言えなかった、浅草花柳界と「表」浅草との地域連帯を試みようということのようです。
是非是非お申込み下さいませ。

追伸
地下1階「ちんや亭」にて、肉の食べくらべキャンペーン「めざせ13冠 ちょい食べGO!」を実施しています。是非ご参加下さい。

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まごの店

三重県の方のご高配により「まごの店」に行ってきました。
「まごの店」は有名なので、ご存知の方が多いと思いますが、三重県立相可高等学校の調理クラブの高校生が運営しているレストランです。テレビドラマ『高校生レストラン』のモデルとして有名ですね。
大盛況であるだけでなく、各方面から高い評価を得ていて、
第37回日本農業賞特別部門「食の架け橋賞」大賞(NHK)
平成22年度地域づくり総務大臣表彰 優秀賞(総務省)
フード・アクション・ニッポンアワード2010 最優秀賞(農林水産省)
などの賞を獲っています。
その「まごの店」が、期間限定で東京日本橋の県産品ショップ「三重テラス」でイベントをするというので、三重県にあまり貢献していない私としては恐縮でしたが、参加させていただいた次第です。
お料理は安定感抜群な上に新味もあって、料理に年は、あんまり関係ないのだなあと思ってしまいました。
御馳走様でした。

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鰻は大事に

鰻をめぐって世論の変わりように驚かされました。
地震の翌年ですから、2012年、とある会食で、ある方が言いました、
鰻販売は許可制にした方がいいですよ!
許可制にして、コンビ二とかスーパーとかⅯ屋なんかには許可を出さないことにした方が良いですよ!
鰻は専門店で食べれば良いんです!
私もその考えに内心おおいに賛同したのですが、同席した別の方が反論しました・・・
いやあ、それはねえ、一般消費者の反感を買うと思いますよ。金銭的ゆとりがなくて鰻専門店に行けない人がいて、そういう人は土用のコンビニ鰻を楽しみにしていますから、そういう人が騒いで炎上しちゃうような気がします。
このご意見に、私は深く失望しましたが、その方は手広くしかし堅実に事業を営んでいる社長さんだったので、世間のそういう気分を汲み取らないと上手な経営は出来ないものなのかなあ・・・と考え込んでしまいました。
それから7年。
今年の丑の日を前に、鰻をめぐって、逆方向の炎上事件がありました。環境省の公式ツイッターが、
「食品ロスにならないように大事にいただきましょう。鰻を食べる方はできるだけ予約して、季節の行事を楽しみましょう!」と言いました。食品ロスを出さないように、という点が主眼のツイートでしたが、「いただきましょう」「楽しみましょう」という表現が、
環境省が鰻消費を推奨している→環境省が絶滅危惧種の消費を勧めるとはケシカラン→炎上させてやれ!
ということになってしまったようです。
環境省は、ことさらにたくさん食べるよう勧めたわけではないので、これは言いがかりに近い「炎上」ですね。鰻を食べるのは控えましょうと言うと鰻業界から反発を食うので、予約というロスが出ない方法で「いただきましょう」「楽しみましょう」と言っただけです。
しかしそれで炎上でした。それも7年前と炎上の方向が真逆です。世論の変わりように驚かされます。
あるいは、そもそも、こういう所に世論はないのか。
振り回される鰻関係の方々はお気の毒と思います。

追伸
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Filed under: ぼやき部屋 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)

芸人学校

吉本の芸人学校に入りたいので、「ちんや」は辞めます!
本当の夢は芸人だったんです。
と言って去っていった若者がいました。
最近連日テレビで採り上げられている「NSC」のことですね。
そうか、デビューしたら、チケット持ってきてくれよ!
と言ったら、はい!と言っていましたが、数年経つが音沙汰無し。
今朝のテレビによれば、「NSC」は1校ではなくて全国に7校あり、入試がないので誰でも入れて、同期の人数は東京校だけで800人。その800人の内有名になるのは、1~2人なんだとか。
「所属芸人6.000人」が多すぎると言われているものの、「NSC」に入って来た総人数と比較すると、6.000人は上層部なんだそうな。
連絡無し=ダメだったんだろうねえ。
当時この確率を知っていたら、全力で止めたのに。

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東京吉本

連日テレビは吉本さんのことばかりですねえ。
しかし私は報道を視ていて、1点抜けている点があるなあと思いました。
東京吉本は、大崎会長・岡本社長・ダウンタウンの4人が始めたものではなく、戦前から大きな勢力がありました。特に浅草で。
高見順の小説『如何なる星の下に』(1940年)では、主人公である小説家が浅草に住みついて、レビュー劇場「K劇場」に通い、その踊子や歌手などと交際を持つようになりますが、その「K劇場」のモデルは東京吉本経営の「浅草花月」だったと言われています。小説のラストでは、京都の「S興行」が「K劇場」のタレントを一斉に引き抜く事件が起きますが、これは、1939年に起こった、松竹による吉本芸人引き抜き事件がモデルだと言われています。
実際の吉本は大正時代から東京に拠点を作っていました。そして1935年には、その総仕上げとして、「浅草花月」をオープンさせます。
「浅草花月」は大阪の吉本と違い「モダン・ハイカラ路線」でした。目玉は専属のバンドと歌手、30人以上のダンサー・チームを抱えるレビュー「吉本ショウ」。一番の人気者は、川田義雄・坊屋三郎・益田喜頓・芝利英による「あきれたぼういず」でした。
戦前の「モダン浅草」「ハイカラ浅草」の中核に、吉本はあったのです。
戦後東京吉本が勢力を失っていったのは、浅草を中心にしていたからでした。
1960年代後半から70年代にかけて、浅草公園六区の興行街は急速に斜陽化の時代を迎えますが、これにより東京吉本の業績は急激に悪化、最終的には会社更生法の適用を受けるに至ったそうです。
ここでいったん東京吉本が断絶してしまうので、「東京吉本は大崎会長・岡本社長・ダウンタウンの4人が始めた」ように見えるという次第です。お報せまで。

追伸
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