東京吉本

連日テレビは吉本さんのことばかりですねえ。
しかし私は報道を視ていて、1点抜けている点があるなあと思いました。
東京吉本は、大崎会長・岡本社長・ダウンタウンの4人が始めたものではなく、戦前から大きな勢力がありました。特に浅草で。
高見順の小説『如何なる星の下に』(1940年)では、主人公である小説家が浅草に住みついて、レビュー劇場「K劇場」に通い、その踊子や歌手などと交際を持つようになりますが、その「K劇場」のモデルは東京吉本経営の「浅草花月」だったと言われています。小説のラストでは、京都の「S興行」が「K劇場」のタレントを一斉に引き抜く事件が起きますが、これは、1939年に起こった、松竹による吉本芸人引き抜き事件がモデルだと言われています。
実際の吉本は大正時代から東京に拠点を作っていました。そして1935年には、その総仕上げとして、「浅草花月」をオープンさせます。
「浅草花月」は大阪の吉本と違い「モダン・ハイカラ路線」でした。目玉は専属のバンドと歌手、30人以上のダンサー・チームを抱えるレビュー「吉本ショウ」。一番の人気者は、川田義雄・坊屋三郎・益田喜頓・芝利英による「あきれたぼういず」でした。
戦前の「モダン浅草」「ハイカラ浅草」の中核に、吉本はあったのです。
戦後東京吉本が勢力を失っていったのは、浅草を中心にしていたからでした。
1960年代後半から70年代にかけて、浅草公園六区の興行街は急速に斜陽化の時代を迎えますが、これにより東京吉本の業績は急激に悪化、最終的には会社更生法の適用を受けるに至ったそうです。
ここでいったん東京吉本が断絶してしまうので、「東京吉本は大崎会長・岡本社長・ダウンタウンの4人が始めた」ように見えるという次第です。お報せまで。

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Filed under: 浅草インサイダー情報 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)