奏楽堂

 クリスマスイブの日のことですが、嬉しいことがありました。

 夕飯にしては早めの時間に「これから奏楽堂の、クリスマス・コンサートに行きます」というお客様が2組、同時に弊店で食事をされ、さらに同時にそれぞれ「ちんやメンバーズ・カード」に入会されたのです。同じ用向きの方が同時に見えたのも奇遇ですが、さらに2組とも入会されたので、少し驚き、嬉しく思いました。

 まず「奏楽堂」について、ご説明しないといけませんね。

 正確には「旧東京音楽学校奏楽堂」と言います。東京芸術大学にも「奏楽堂」がありますが、「旧」の方は台東区が管理しています。

 芸大の方が新式のホールであるのに対して、台東区の方はと言うと、明治23年に建造された、日本最古の木造のホールで、昭和63年には重要文化財に指定されています。

 かつて滝廉太郎がピアノを弾き、山田耕筰が歌曲を披露し、三浦環が日本人による初のオペラ公演をした由緒あるホールです。ここで有名・無名の多くの音楽家が初舞台を踏みました。

 この「旧」の方の「奏楽堂」が「ちんや」とどういう関係なのか、それをお分かりいただくためには、台東区がこのホールを管理するようになった経緯を知っていただかないといけません。

 さて台東区に移管される前、このホールは芸大のもので芸大の敷地内にあったのですが、新しい現代的な建物を建設するに当たって邪魔になり、「明治村」への移築が決まりました。

 ところが、この移築話しに故・芥川也寸志先生、故・黛敏郎先生が異を唱えました。「由緒ある「奏楽堂」は上野の杜にこそ相応しい。移築は反対だ。」と。

 対する芸大執行部も「移築推進」で強硬だったため、この問題は、ちょっとした紛争になりました。昭和の終わり頃のことです。

 そこに割って入ったのが当時の台東区長・内山栄一先生でした。代替地を上野公園内に用意し、移築費用を区が負担する、と決めたのです。これは英断でした。

 ここで、やっとこの話しに「ちんや」が登場します。

 芸大執行部の強硬姿勢を前に困った芥川先生・黛先生が、内山区長に相談を持ちかけた、その場所が、「ちんや」だったのです・・・

 この話しは、まだ続きますが、長いので今日のところは、これにて。

  本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて675日連続更新を達成しました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

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やはり年始に②

 この話しは昨日から続いています。

 電力需要を抑え込むことより、もっと難しいのは、地方に産業を造ることかもしれません。

 グローバル化で一番安いモノを世界中から調達するようになった結果、それより高いものは全然売れなくなりました。

 地方の物品が、地元ですら売れなくなりました。

 ごく一部の、ブランド化に成功した商品は売れますが、それは地方で売れるのではなく、東京で売れます。それに、ブランド化に成功するのは簡単ではありませんから、成功例は多くなく経済全体への貢献が小さいです。

 先月岩手県を訪ねた時に伺った話しですが、地元の浜に上がった魚を売る、普通の街の魚屋さんが亡くなってしまい、皆が巨大スーパーで、どこの海のものか良くわからない魚を買っている、そういう実態があるそうです。かなり残念ですね。

 要するにですが、今、「フード・マイレージ」は勿論、「エネルギー・マイレージ」も、それだけでなく「全てのモノとコト・マイレージ」をも見直すべきだと思います。

 平たく申せば、地元の人が育てたり、作ったりしたモノを買おうよ、外国のモノより少し高いけど買おうよ、ということです。

 そうすれば、あなたが使ったお金を受け取った人は、きっとやっぱり地元でお金を使うから、まわりまわって、結局あなたの懐が潤うよ、だから最初に少し高く買っても、元はとれるんだよ、ということです。

 思えば、私の地元・台東区の地場産業も、海外との価格競争に勝てず、生産現場を縮小させ続けています。地元にはデザインと検品部門だけを残し、現場は中国、という会社が多くなりました。

 以前は浅草の飲食店の、メインの御得意さんは、近隣の現場の職人さん達でした。職人さんは作りの良しあしが分かるので、店が良い仕事をすれば食べてもらえました。その「客の目利き」が街の、全ての基礎になっていました。

 ところが職人さんの姿を見ることはだんだん減って行き、今時は、遠方からの御観光の方々がとって代わりました。それで浅草経済は縮小を免れていますが、その立場に安住してはいけないのは当然のことです。

 遠来のお客様からお金を頂戴したお金を使って、浅草の商店主は地元に残った職人さんからモノを買わないといけません。そうすれば、まわりまわって、結局自分の懐が潤うからです、勿論。

 浅草は浅草なので、そういうことができますが、地方ではこうは行かないかもしれません。

 その難しさは勿論分かります。だいたい、この発想は、グルーバル市場経済主義に逆らう発想だから大変なことです。無謀と言えるかもしれません。

 でも、この国がこのままで良いと思う人は少ないでしょう。

 経済を、経済として存在させるだけでなく、それに何か、絆のようなものを合わせ持たせないといけません。

 今、この状況でも「原発再稼働を希望する地元」がある、ということを軽く見てはいけないと思います。

 皆が傍観者であり続ければ、状況は良くなりません。

 私達が100円ショップでモノを買えば買うほど、外食チェーンでメシを食えば食うほど、日本のどこかで誰かが売り上げを落とします。その皺寄せを受けた過疎地が、また原発誘致の誘惑に駆られないとは限りません。

 このままで良いと思う人は少ないでしょう。

 私もそう思うので書きました。

 やはり年始に書かないと、先に進めませんから。

 今さらですが、皆様、良い御年をお迎え下さい。

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やはり年始に

 2012年も3日目ですね。

 弊店も昨日から通常営業いたしております。

 でも2011年を引きずっている方が多いと思います。

 年末年始のテレビの特番も、未来の話しより去年の話しばかりでしたから、そう簡単に心機一転とはいかないでしょうね。

 私も一回位は、去年のことをどう考えているか、どこかで書かなきゃ、と思っていましたので、今日は、この際そういう話し、つまり原発の話しで行ってみようかと思います。

 すき焼きブログを読みたかった方は、どうぞ「戻る」クリックをお願いします。

 さて去年、日本に54基もの原発があることに驚いた人は多かったと思います。私もそうでした。

 こういう状況になった理由としては、

①中央に電力の需要があった。

②地方に産業がなく、原発を誘致してでも雇用の口を確保したかった。

の2点に尽きると思います。

 中央から地方へ原発マネーを入れて⇒金の力で過疎地を痺れさせる、という仕組みを成立させてきたのが、わが国民の実態だったと思います。

 勿論私も、真夏にすき焼き屋を営業することで、この片棒を担ぎました。ほぼ全国民がこの仕組みに参加しています。

 良い塩梅に、原発を過疎地に押しつけるノウハウが出来た結果、なんと54基にまで増えてしまいました。一方、原子力工学をカンペキに理解してる人間なんて、そう大勢いませんから、「人災」が起こる素地は出来ていたと言えましょう。

 そんな中、今、実際問題としては急に電力需要を小さくすることは出来ないかもしれません。しかし「電力需要」と言われているものが、本当に需(もとめ)要(いる)ものであるのかは、この際考えないといけないと思います。

 以前から私には「オール電化厨房」とか「オール電化住宅」とかは、行き過ぎに思えてなりませんでした。エネルギー源を電気に集中させるのではなく、逆に、ガスは勿論、ソーラーとか風力とかも組み合わせて、分散させれば良いのに、とずっと思ってきました。

 でも、そうしたエネルギーは「高いね」の一言で退けられてきました。

 だいたい何百キロも離れた原発から東京へ電気を引く間に、かなりのエネルギー・ロスがあると聞きます。エネルギーを単に「安い・高い」だけで捉えるのでなく、「フード・マイレージ」と同様の「エネルギー・マイレージ」という考え方で捉える必要もあったのではないでしょうか。そういう発想があれば、どこかでストップがかかっていたと思います。

 念のため申しますが、私は原子力開発に着手した、最初の日本人の気持ちが全く分からないわけではありません。アメリカの核兵器で打ちのめされた、当時の日本人が「いつか、この技術の平和利用でアメリカを追い抜いてやる!」と思ったとしても、それは不自然ではないと思います。

 どちらかと言うと、私はそういう青い心が好きです。

 原子力にかかわる全ての人が、その気持ちを持ち続けていてくれたら、「全電源喪失」に備えてくれていたら、と思いますが、今となっては、せんの無いことです。何十年という歳月が流れ、原発もどんどんできる中で、関係者の方々にぬかりが無かったとは言い切れないと思います。

 もう一つの方ですが、地方に産業を造ることはもっと難しいのかもしれません・・・

 え? この話しは随分長いなあ、まだ続くのか、って?

 そうですねえ、一日分としては長いですかね。

 では、また明日。

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絆年賀状

 新年おめでとうございます!

と言って良いものかどうか、議論されているようですね。

 今回の大震災のダメージはあまりに大きく、原発も「収束」とは言い難い状況で、「おめでとう」は不適切、と私も思います。昨日のブログでは、とりあえず避けておきました。 

 今は、先方の今後の幸福を祈念するような表現が良いのだろうと思っています。今の状況が悪くても、いつか良いことがありますように、という感じが適当でしょうね。

 さらに表現も工夫しないといけません。

 御多幸を祈念いたします! じゃあ悪い状況の方に対して、あまりにそっけないですね。

 さてどうしようかな、と思い、ネット検索してみました。そうしましたら・・・

「感謝や絆などを相手に伝え表現する年賀状が販売されているようです。」

なるほど、そういう方向ですか。

「日の丸や日本をモチーフにしたデザインで・・・」

「震災のあった地域に義援金を送る主旨の年賀状・・・」

「誰かの役に立てる年賀状」

「少しでも未来に向けて日本が元気になるように、私もできることをしたい」

ほお、そういう仕組みがあったんですね。

 こういうのを「絆年賀状」と言うのだそうです。

 そう言えばブログも似たようなものです。

 卒業以来会っていない同期生が、このブログを見つけてくれて、毎日更新されているのを見て、

 おお、毎日生きてるなあ〜っていう感じがするよ!

とメールしてきました。

 これを「絆」と言えなくもないですね、大げさですけど。

 そういうことで、皆様との御縁を感謝しつつ、本年も続行してまいります、絆ブログ。

 ご笑覧を!

 なんか今日の話しが元日号みたいだなあ。

追伸

 年始は元日だけお休みをいただき、2日より通常営業いたします。

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そんなヒマはありません。

 皆様、2012年が始まりました。

 旧年中のご愛読・ご高配にあらためて御礼申し上げます。本年も、よろしくお願い申し上げます。さて、

 普通ここで年頭の所信とかを申し上げるのが筋とは存じますが、浅草の人間にそんなヒマはありません。

「ちんや」の場合、まず年末三日間、肉の売り出しが大忙しです。

 この間は正月用の肉をお求めの方が長蛇の行列を作ります。ですので、そのための仕込み作業も、連日日付けが変わる位までかかります。

 私はと申しますと、日中は、その行列の警備。

 大晦日の営業が終わった後、浅草寺の鐘つきに参加させていただきます。当家の定位置は第二十七番で、だいたい1分=1人のペースですので、つき終わって帰って来ると、1時過ぎになりますね。

 ここで師走の無休営業の疲れが一気に出て爆睡します。

 明けて年始の1/2-1/3今度は、すき焼きつまり飲食の方が大変です。単に忙しいというだけでなく、正月は昼と夜の間のアイドルタイムがなく、ブッ通しで忙しいのが特徴です。

 だから年頭の所信とかを申し上げているヒマはありません。そういうことは、2月の中旬頃になったら考えるのです。

 え? 元日は休んでるんだろうって?

 ええ、まあ、店は休んでるんですけどね、2日からの営業用の仕込みのために、出て来ている者もおります。

 私も予約リストの整理のために出てきています。何しろ、明日からは終日現場に入りっ切りなので、今日中にやれることはやっておかないといけません。

 店は休んでるんですけどね、遊んでいるわけじゃあないんです。

 本当は、元日も営業して年始参りの皆様に楽しんでいただくのが正しいとは思いますが、実際問題としては、気力・体力の限界と相談しないといけません。

 それにブログも書かなきゃいけないし・・・

 ブログは1/4号までは書き貯めておかないといけません。1/4も忙しいんですよ。挨拶まわりを済ませたサラリーマンの方が、そのまますき焼きを食べに来て下さるので、1/2-1/3に劣らず忙しんです。

 だから 皆さん、そういう次第で、これから1/2分のブログを書きますので、今日のところは失礼します。

 末筆ながら、良い一年をお過ごし下さいませ。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて672日連続更新を達成しました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

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住吉史彦の十大ニュース

 お待たせしました!

 今年も「住吉史彦の十大ニュース」の時間がやってまいりました。

 え? 誰も待っていないって?

 そういう声は無視して、どんどん行きましょう。

 今日はポイントだけを書きますので、詳しい内容を知りたい方は、アンダーラインのある所をクリックして下さいね。さて、

1月 「ちんや」すき焼き通検定試験を実施しました。

 勇気ある17人の方が受験し、見事全員が合格されました。今後も継続して実施し、「すき焼き通」を増やして行きたいです。

3月 第8回「すきや連」を京都三条寺町の「三嶋亭」さんで開催しました。

 「すきや連」が初めて関東以外に進出しました。

 この日に合わせたかのように「すきや連」旗振り役代表の、向笠千恵子先生の御本『食の街道を行く』が、料理本のアカデミー賞とも言われる、「グルマン料理本大賞」の、紀行本部門2010年グランプリに選ばれ、発表されました。

 その目出度さも加わって、この回は、いつになく盛り上がっていたように思います。3日後に大震災が襲ってくるとは知らず、とても楽しい夜が更けました。

 5月「青森・岩手・宮城・福島・茨城 五県蔵元連合試飲会@浅草」を開催しました。

 大震災に遭い、「守ろう、東北のSake!示そう、ニッポンの絆!」というスローガンで、三社祭が開催できない、その日に開催しました。

 合計67社の蔵元さんから、酒を出品していただきました。また陳列作業には、浅草料理飲食業組合役員の皆さん、浅草酒販組合さんのマンパワーを集めて当りました。

 経験のない一大事業でしたが敢行しました。

7月 「ちんや」で「料飲三田会」の例会を開催しました。

 料飲三田会というのは、慶応大学を出て料理屋を経営している人たちのグループです。会員の顔ぶれは、東京でも良く知れた御店の御主人様方ですので、緊張しました。

 東北地方の、慶応出身の蔵元さんが造る御酒をお出ししました。

7月 「ちんや」の精肉売店で、調味料を売り始めました。

 今世の中には、「出来合い調味料」がやたらと増えてきていますが、正直、私の味覚からすると、残念なものばかりです。それに添加物がたくさん入っています。肉屋が肉だけを売っていればOK、という環境ではなくなってきたので、始めた次第です。

 醤油をかわきりに、その後、味噌などの他の調味料も売ることも始めています。

7月 第9回「すきや連」を「銀座吉澤」さんで開催しました。

 第9回は、汚染エサの問題で畜産業界が大揺れの最中の開催と成りました。それでも、「すきや連」は挫けていません。この日も開催店のY社長が「こんな大勢さんの宴会は初めて!」という位の、大人数が集結しました。

 「必ず乗り越えるぞ!」と大盛り上がりでした。

8月 「すき焼き川柳onツイッター」コンクール、略して「すき川」をネット上で実施しました。

 今年の8月は汚染牛報道で大ダメージの最中でした。ボヤイていても仕方ないですので、この企画を実行しました。キャッチコピーは「川柳で日本の食卓に笑顔を!」

 530句もの句が集まり、びっくりでした。傑作には「ちんや」食事券をプレゼントしました。

8月 隅田川花火大会の日に、「ちんや」で国際観光日本レストラン協会の納涼会を開催しました。

 花火は、震災の影響で例年より一ヶ月遅れ、8月末の開催になりましたが、関係の皆様のご尽力により無事開催されました。業界の仲間と共に鑑賞することができ、本当に有り難いことでした。

9月 <大震災6ヶ月―全ての食材を東北+北関東から集めた、住吉史彦の会!>を開催しました。

 この会は昨年に続き2回目でした。

 「御偉方」をおよびせず、私と年齢の近い皆様(プラスマイナス10歳)にお声かけさせていただく会という点は昨年と変わりませんが、今年はご案内先を「飲食業界・食品製造業界の方限定」という風に変更、また題名の通り、食材を東北から集めました。

 参加者は私の親しい方ばかり。「オレ達が日本の食文化を造るぞ」と大盛り上がりの夜でした。

11月 第10回「すきや連」を、群馬県前橋市のすき焼き店「牛や清」さんで開催しました。

 今回も定員オーバーの、多数の皆様のご参加があり大盛況。上州和牛を堪能しました。

 またこの回は宴会の前に「産地見学ツアー」が付きました。下仁田の葱畑、原木しいたけ、蒟蒻工場を見学して有意義でした。群馬の皆さん、お世話になりました!

 そして最後に、もう一つ。

 2/28に弊ブログが連続更新365日を達成しました。その後、大震災をまたいで671日(1年10か月)まで伸びています。

 記念の日には「連続更新365日記念スペシャル カリスマ受け売り師・住吉史彦の生涯の半分くらい」と題して、6日連続の長篇ブログをUPしました。

 さてさて、あまりに多くのことがあり、決して忘れることのないだろう2011年の、弊ブログも本日が千秋楽となりました。万感胸に迫り、大したことは書けません。

 ただただ御礼だけを申し上げます。

 読者の皆様、ご愛読いただき誠にありがとうございました。

 2012年もご愛顧を賜りたく、お願い申し上げます。

  東西、東〜西〜

 

宮城の松阪牛

 良いニュースがありました。

 今年の、「第62回松阪肉牛共進会」(=牛のコンクールのこと)で大震災の被災地・宮城県登米市ご出身の畑敬四郎さんが、「優秀賞一席」を獲得したそうです。

 畑さんは、津波で同級生が行方不明になったことから、被災地支援を決意、既に宮城県の仔牛市場からたくさん仔牛を仕入れてこられましたが、今回「一席」獲得牛の売却代金2.010万円が得られますので、さらに宮城からの仕入れを増やす御考えだそうです。

 東北の産物を仕入れる、という方法はベストの支援法ですね。素晴らしいことです。

 ところで、登米市ご出身の方が「一席」を獲得、と聞いて「?」と思った方もおいででしょう。私も、そうでした。

 今回初めて知りましたが、実は畑さんは登米市の養豚農家の子で、家業を継ぐために、東京へ畜産を学びに来たところ、松阪の肉牛農家の娘さん(=つまり今の奥様)と御縁が出来て、そちらに男の兄弟がいなかったことから、婿入りを決めたのだそうです。

 弊店でも、この方の義父さんが育てた、畑家の牛を仕入れたことがありますが、婿さんの代になってからは、まだ買っていませんでした。

 20歳で婿に来て、6年目の一昨年には「一席」を既に獲っていて、今年が2度目の「一席」獲得です。天晴れなことです。

 弊店でも、今後応援したいと思いますが、こう有名になってしまうと、牛の値段は高くなるでしょうね。そこが難しいところです。

 最後に、めでたくないニュースも一つ。

・・・今回の「共進会」で「一席」牛(=畑さんの牛)の売却価格は2.010万円で昨年並みでしたが、平均価格の方は1頭当たり250万円でした。

 この水準は前年より75万円安く、BSE問題が深刻だった2001年の252万円より落ち込みました。牛の放射線量の「全頭検査」の体制が出来たにも関わらず、まだ消費マインドが回復していないことを示しています。

 弊ブログの読者の皆様におかれましては、牛は放射線もBSEも「全頭検査」をしていて、最も安全な食材であることを、あらためて御理解いただき、また出来ましたら、周囲のお友達にも御吹聴いただきたく、お願い申し上げます。敬白。

追伸

 12/29-12/31の三日間、「ちんや」精肉売店の店頭は、正月用のお肉をお求めの方で、大変混雑いたします。長時間行列していただくことになると思いますので、時間の余裕を持って、防寒対策をしていただきました上で、お出かけ願います。(肉の予約は、12/28で終了させていただきました。)

 年始は元日だけお休みをいただき、2日より通常営業いたします。

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今年の十大ニュース

 この時期の御約束は「今年の十大ニュース」ですね。

 でも私は読んでいて、あまり良い気はしません。

 だって「十大ニュース」は、たいてい大災害か大事故ですよ。それぞれに被害者がいるのに、それにランクを付けるなんて、いかがなもんでしょうか。

 特に、今年はそういう気持ちがします。津波の被害と、原発の被害と、台風の被害と、0-157の被害と、そしてこれから蒙るTPPの被害を比べる気持ちになんか、私はなれません。

 一方、目出度いニュースなら、ランキングをしても楽しいかもしれません。でも、そういう話しは、あまり沢山ランク・インしませんね。

 読売新聞読者が投票した、大ニュース・ベスト30の内、目出度いのだけを取り出してみたら9個でした。

・なでしこジャパン世界一

・スカイツリー 634メートルに到達

・地デジ放送開始

・小笠原諸島と平泉が世界遺産に

・「タイガーマスク運動」広がる

・古川さん、宇宙に5か月滞在

・プロ野球「ソフトバンク」日本一

・日本のスパコンが世界一奪還

・九州新幹線開業

・上野動物園にパンダ戻る

 9個の内3個が東京観光に関係があるので、なんか恵まれていて申し訳ない感じがします。ソフトバンクと九州新幹線は九州ですから、東京と九州にかたよっていますね。

 来年は他の土地にとっても、何か明るく・目立つ話題が出てくるように期待します。

 そうそう、東京観光には、もう一つ強力なニュースがあります。あくまで予定稿ですが・・・

 住吉史彦のブログ「浅草ちんや六代目のスキヤキフルな日々」が671日(=1年10カ月)連続更新を達成!!!

 これは強力かと。

 なお「住吉史彦の十大ニュース」は、今年も大晦日の、このブログで発表いたします。

追伸

 12/29-12/31の三日間、「ちんや」精肉売店の店頭は、正月用のお肉をお求めの方で、大変混雑いたします。長時間行列していただくことになると思いますので、時間の余裕を持って、防寒対策をしていただきました上で、お出かけ願います。(肉の予約は、12/28で終了させていただきました。)

 年始は元日だけお休みをいただき、2日より通常営業いたします。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて666日連続更新を達成しました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

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ある呑み屋へのオマージュ

 今年の師走のある夜、学校の同期生が、さる御偉い方を接待するのに弊店を使ってくれました。

 その御方を弊店へ連れて来たのは、事実としては確かに同期生なのですが、私には、その場にはいない別の人が連れて来てくれたように感じられました。

 「別の人」が誰かと申しますと、今は閉店してしまった、ある呑み屋のママさんが連れて来てくれたように感じたのです。その御方と私は、ともにそのママさんの店の客だったからです。

 「ともにその店の客」と申しましても、実は、その店が営業している間に御一緒する機会は、残念ながら一度もありませんでした。だから今回が初対面です。

 その御方は、私の父とほぼ同年代の年齢で、その店の40年を超える歴史の中では前半の客でした。私はと申しますと終盤の客でした。それで、通った時期が重なっていないのです。

 その店が開店したのは、私の生まれた年と同じ1965年で、私が通うようになったのは、「開店35周年」の少し前の頃でした。

 そのすぐ後、その御方は偉くなりました。それまでは文筆の御仕事をされていたのですが、見識を買われて公職に就かれました。それも国民経済の枢機に参画する要職でした。

 この御出世を、ママさんは当然喜びましたが、店の業績には、どちらかと言うとマイナスの結果となったようです。要職に就いてしまったものですから、そう頻繁に店を訪ねることが出来なくなったのです。当時ご体調もベストでなかったようでした。

 それでママさんは、その偉くなった御方が書いた御本を、他の客に読ませることにしました。店の棚に御本が並べてあって、それを読むように勧めるのです。

 正確には「勧める」とうよりは、半強制でした。

「住吉さん、アナタ! この本、お読みになったこと、あるの?!」

「駄目よ、アナタ! お読みにならなきゃあ!」

いつも「アナタ」の「ア」にアクセントが付いていました。

 この他にも、ママさんは客の画家の展覧会のチラシを私に渡して、観に行くことを強制しました。そうやって客同士を懇意にさせるのが、ママさんはとても好きで、同時に商売の手法でもありました。

 そういう調子で、店は今世紀に入ってもしばらく営業を続けましたが、次第に客の高齢化が目立ってきました。

 話していても「○○さんが死んじゃったの」「△△さんは肝臓が悪くて、もう飲めないの」という話題が増えました。開業から40年近いのですから、仕方のないことです。

 そんな中、私は客の中では新参で、最年少の部類でした。「開店40周年」を祝うパーテイーでは、「最年少の客」としてスピーチを求められました。ママさんのことを褒め称えましたよ、当然ですが。

 しかしその頃、店の周囲が再開発の対象になり、またママさんの御母上の介護が大変になってきたことから、数年前、その店はついに惜しまれて閉店しました。閉店したことは新聞記事にもなりました。

 結局その店で、私はその偉い御方と御一緒する機会はありませんでした。

 でも御本を読んでいたので、今月初めてお目にかかった時に困りませんでした。ママさんの話しで盛り上がることも出来ました。嬉しいことでした。

 私にとって、その店の記憶は、30歳過ぎから40歳を少し超える時期までの記憶です。

 たぶん、その御方にとっても壮年期の、バリバリ書きまくっていた頃の記憶の中の店なのだと思います。一度も御一緒しなくても、そこが共通項なので、話しが噛み合ったのだと思っています。

 「懐かしい記憶の中の店」、それがある有り難さを感じた、歳の瀬でした。

 追伸

 12/29-12/31の三日間、「ちんや」精肉売店の店頭は、正月用のお肉をお求めの方で、大変混雑いたします。「長時間行列したくない」と思う方は、必ず12/28までに肉の予約をして下さいますよう、お願いいたします。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて665日連続更新を達成しました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

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Filed under: 今日のお客様,飲食業界交遊録 — F.Sumiyoshi 12:20 AM  Comments (0)

正月用肉

 「12/29-12/31の三日間、「ちんや」精肉売店の店頭は、正月用のお肉をお求めの方で、大変混雑いたします。長時間行列していただくことになると思いますので、時間の余裕を持って、防寒対策をしていただきました上で、お出かけ願います・・・」

 と申しますと、

 え? なんで年末に肉屋さんが忙しいの?

と聞かれることがあり、それが当たり前と思っている私は驚いてしまいます。

 店先に立っていても、必ず長蛇の列を見て、目を丸くしている方がいます。

 な、なんで、こんなに並んでいるんですか?

 なんでって、年末ですから。

 そういう方は、たいてい並ぶのを諦めて帰って行かれます。

 予約して下されば良いのに!

 弊店では予約も受け付けていて、そうしていただけば事前にパックしておきますから、当日はパッと御引渡しするだけです。並ぶ必要がありません。

 ただし「12/28までに予約⇒12/29-31に御引渡し」という段取りなので、明日中には予約していただく必要がありますけどね。

 何故、年末に肉屋が忙しいことがあまり知られていないか、ですが、テレビ・新聞でやっていないからかもしれません。テレビでやっているのは、デパートの豪華おせちか、上野の飴横いやアメ横がほとんどで、他のは、ほぼ見かけませんからね。

 肉屋の側も、ほとんど宣伝していないと思います。忙し過ぎると困るからです。

 年末は、普段の8倍から10倍の売上げがありますから、働く側は大変です。12/29、12/30は日付が変わるまで残業するのが、毎年の御約束です。

 だいたい「12/28までに予約」つまり12/29以降は予約を受けない、というのも不親切な話しではあるのですが、12/29以降は御引渡し作業だけで手いっぱいなので、新規の予約を受けられないのです。

 働くのが大変、だけでなく市場が閉まっているので、新規の仕入れも出来ません。

 そういう次第で、肉屋の側も年末の売り出しをあまり宣伝しないのだと思います。

 でも、あまり宣伝しない姿勢だと、正月に自宅ですき焼きをする、という風習自体が廃れてしまいかねません。現に年末に肉屋が忙しいことを、ご存じない方がおいでのようです。そこが悩ましいところです。

 去年の年末に、「すきや連」旗振り役の向笠千恵子先生がラジオ出演して、「我が家の新年の食事は、すき焼き!」と言って下さって、有り難く思いました。

 忙しくなり過ぎず、しかしやはり宣伝もする、という塩梅が大事と思っています。

 追伸

 毎日新聞社発行の毎日ムック『100年の味 店100選』に載せていただきました。有難いですね。2012年1月12日発行予定とか。是非お求め下さい。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて664日連続更新を達成しました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

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Filed under: すきや連,すき焼きフル・トーク — F.Sumiyoshi 12:01 AM  Comments (0)