取引先

8月15日をもちまして、「ちんや」の店をいったん閉め、休業することを先月末の弊ブログで公表しました。

公表以来たくさんのご予約をうかがっております。ご予約は全てありがたく存じますが、その中でも「!!」と思ったご予約がありました。

それは現在取引している肉の問屋さんのご予約。

8月16日以降はウチの売り上げはなくなるにも関わらず、食べに来て下さるのは嬉しいことですね。誠にありがとうございます。

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。 弊ブログは2010年3月1日に連載スタートし、本日は4.152本目の投稿でした。

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ご予約

8月15日をもちまして、「ちんや」の店をいったん閉め、休業することを先月末の弊ブログで公表しました。

公表以来たくさんのご予約をうかがっております。ありがたく存じますが、感染拡大の原因になっては本意ではありませんので、国や都の決めるルールにしたがってご利用いただきたく、お願い致します。

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。 弊ブログは2010年3月1日に連載スタートし、本日は4.151本目の投稿でした。

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126年分

7月9日は母の命日です。2015年に亡くなりました(経緯などは、こちら

本来なら浅草で「ほおずき市」が開催される日ですが、今年もコロナでお休みとなり、寂しい限りです。

それでも、この日に浅草の観音様に参詣すれば、四万六千日(約126年間)日参詣したのと同様の功徳を得られると言われますから、是非お出かけ下さいませ。

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。 弊ブログは2010年3月1日に連載スタートし、本日は4.150本目の投稿でした。

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笑顔をつくる

オリンピックの日本選手団の壮行会にスガ総理が動画メッセージを寄せているのを視て、

この御方は笑顔メイクがお得意でないのかあと思いました。

が、その件では私は人様のことは申せません。私もはなはだ苦手だからです。

今回の休業の件でもご取材があり、自分の写真も撮られることになったりしますが、ご指定のタイミングで笑うことができません。

2001年に社長に成ってから、数え切れぬ回数の撮影を経験しましたが、ダメでしたねえ。笑顔を請求されるとさらにダメです。

連写で撮っていただきながら、雑談して、その間に笑顔が出たら、それを選んで下されば良いのです。慣れたカメラマンさんだとそうしてくれるのですが、最近は記者さん一人がやって来て、画像も撮っていかれることが多く、その場合は難儀します。

ご請求のタイミングで笑わないといけないからですね。とほほ。

私は暫時この仕事からは逃れられますが、スガさんの苦難は続きそうですね。お疲れ様です。

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。 弊ブログは2010年3月1日に連載スタートし、本日は4.149本目の投稿でした。

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良い笑顔

8月15日をもちまして、「ちんや」の店をいったん閉め、休業することを先月末の弊ブログで公表しました。

そのことでお客様からお手紙をいただいています。

今回は家族の新年会が毎年「ちんや」だったという方。

そして、そのご家族のお婆様が亡くなった時遺影に使った写真が、その新年会の時のものだったとか。良い笑顔だったので使いました、と。

良い笑顔の撮れる店であったなら嬉しいです。

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。 弊ブログは2010年3月1日に連載スタートし、本日は4.148本目の投稿でした。

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ちんやさんと祖父、そして私

久しぶりに「すき焼き思い出ストーリー」にご投稿がありました。M-IKE さん(埼玉県 50歳 )から頂いた投稿は、こちら↓です。

<以下ご投稿>

私は、ちんやさんへは、一度しか行ったことがありません。しかしそれは、とても大切な思い出です。
私の祖父は、陸軍中野学校の一期生でした。陸軍中野学校というのは、諜報員を養成していた学校です。
祖父は徴兵で軍隊に入り、軍の命令で中野学校に入りました。その後海外に派遣され、終戦時は参謀本部勤務、対英情報を担当していました。最終階級は少佐です。
戦後は公職追放を受け、小さな会社を転々と、入ってはつぶれ、入ってはつぶれ。新潟県出身の祖父は、最終的に愛知県の小さな会社に落着きました。一時は陸軍の中枢で戦争の根幹、国家の方針を決める場所の近くにいた祖父は、戦後、愛知県の小さな会社で経理を担当していたのでした。

その愛知県で生まれたのが私です。孫の私からすると、かつては兵隊から少佐にまでなった「たたき上げの出世頭」だった祖父が、戦後は「パッとしない」仕事に就いているのが不思議でした。
「おじいちゃん、何で自衛隊に入らなかったの?」このように私は祖父に聞いたものです。すると祖父は、「私は参謀本部の情報担当だった。私には、日本が戦争に負けた責任がある。だからもう制服は着られない。」と答えるのでした。幼い私には、その意味がよく解りませんでしたが、「格好良い」との印象を受けたのでした。
その祖父は、私が高校を卒業し、浪人生だった頃に亡くなりました。思春期の頃は反抗したこともありますが、尊敬していましたので、大学に入ったら、祖父から中野学校のことを色々聞こう、そう思っていました。そう思っていた、そして何も行動に移さなかった時に、祖父は他界したのでした。

その後、私は大学に入学し、中野学校のことを卒業論文に書きました。
祖父は中野学校時代の日記を残しています。その中に「ちんや」さんに行った旨の記載があります。1939年のことです。
「所長と浅草に向ふ。『ちんや』にてすき焼きを食し聚楽にてフルーツ」(この「所長」とは秋草俊さんのことです。)

大学卒業後、愛知県の小さな会社に入った私は、その後転職し、今は東京の事務所に勤務しています。
上京した私は、折角地方から東京に来たのだから、一度祖父の日記にある「ちんや」さんに行ってみたい、そう思い足を延ばしたのでした。
祖父の話をご紹介した上で予約をし「ちんや」さんに行くと、ご主人がいらしてくれました。「ご縁のある人に来ていただけて嬉しい」と歓迎してくださいました。
1939年と2000年代が繋がった瞬間でした。「ちんや」さんへは、私自身が来たわけではありません。祖父が昭和14年に来ただけです。しかし、でも、確実に、その時の私と祖父は、「ちんや」さんを通じて繋がっていたのでした。同一な存在になっていたのでした。

亡き祖父と共に、美味しいすき焼きを頂いた思い出は忘れることができません。「ちんや」さん、ありがとうございました。

<その他のストーリーは、こちらです。>

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。 弊ブログは2010年3月1日に連載スタートし、本日は4.147本目の投稿でした。

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お客様からのお手紙

8月15日をもちまして、「ちんや」の店をいったん閉め、休業することを先月末の弊ブログで公表しました。

そのことでお客様からお手紙をいただいています。

「正月恩師の墓参りをし、女友達4人でその後「ちんや」で昼食をするのが恒例でした」

「押上にある父の会社を手伝っておりましたので、昼休み、自転車で吾妻橋を渡って、よく肉を買いに行きました」

大勢の方の人生の一幕に関わらせていただいたことを、あらためて在り難く思います。

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。 弊ブログは2010年3月1日に連載スタートし、本日は4.146本目の投稿でした。

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一番印象的

このたびの東海地方の水害で被災された皆様に、心よりお見舞い申し上げます。さて、

8月15日をもちまして、「ちんや」の店をいったん閉め、休業することを先月末の弊ブログで公表しました。

大勢の方に伝わったようで、ご取材も入ってきます。別に悪いことをしたわけではないので、お受けしますと、

今まで一番印象的なお客様を教えて下さい!

というご質問がありました。

うーん、難しいご質問ですね。しばし黙考。これ(↓)にしました。

「最後の正月」のお客様にしました。

正月になりますと思い出しますのは、とある会社のOB会のことです。

毎年正月3日の昼11時半から「ちんや」で開かれていました。

しかし、です。そのOB会の予約が弊店に入ったことはありませんでした。そう、毎回予約無しで「フリーで」集合して見えるのです。人数は12~13人ほどでした。

この方式は店側としては、実に困る方式でした。何故って、正月の浅草で13人ものまとまった席を確保するなんて至難の業だからです。

え? 人数? 集まってみないと分からないけど、そうねえ、たぶん12~3人じゃないのかあ。

と簡単におっしゃるので、私は、

予約無しで、そんなに簡単に13人の席なんか造れませんよ!

とキレないよう堪えるのに必死でした。

しかし年を経るにしたがい、席を確保するのは楽に成っていきました。

13人⇒10人⇒7人⇒5人⇒3人と人数が減っていったからです。

そして、ある年ついに、お一人に成ってしまいました。

最後のお一人様は、「ちんや」の前の路上で、11時半から1時間ほど立ち尽くしておいででしたが、やがて諦め、

誰も来ないから帰るね・・・

とおっしゃいました。私は、

お一人でも結構ですから、召し上がったらいかがですか?

と申しましたが、

いやあ、悪いから帰るよ。

と言って帰っていかれました。こんな忙しい日に一人で席を使っては悪い、という意味でしょう。「お一人様ブーム」が起こるだいぶ前のことでしたから。

だんだん人数が減っていたのは、こちらも分かっていました。事前に出欠を採らなかったのは、御病気とかお互いの事情を知るのが辛かったからでしょう。

だから、あの時もっと強くお勧めすれば良かった、強引にでも店の中へ入れてしまえば良かった、そう思います。

結局、その方との御縁は、その日が最後でした。

あれは、1999年か2000年のことだったと思います。毎年正月が来ると思い出します。

<その他の、すき焼き思い出ストーリーは、こちらです。>

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。 弊ブログは2010年3月1日に連載スタートし、本日は4.145本目の投稿でした。

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思い出の店

8月15日をもちまして、「ちんや」の店をいったん閉め、休業することを6月30日の弊ブログで公表しました。

大勢の方から色々な声をかけていただき、考えさせられることが多いです。

心にぐっと響きましたのは、

「ちんや」さんは、死んだ父と来た、思い出の店なんです。

「ちんや」さんは、死んだ家内と来た、思い出の店なんです。

私は2010年に創業130年記念事業のコンセプトを

「心に残る思い出を!」

とし、やがてそれを店全体のコンセプトにしました。

だから、こうしたお声はとても嬉しいのですが、同時に寂しさもひとしおです。

1ご本人+2お父様+3ちんや=思い出

1ご本人+2奥様+3ちんや=思い出

の2が既に欠けていて、今回3が休業入りとなると、1だけになってしまい、とても寂しいです。

また再開致したいと思います。

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。 弊ブログは2010年3月1日に連載スタートし、本日は4.144本目の投稿でした。

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二手

8月15日をもちまして、「ちんや」の店をいったん閉め、休業することを6月30日の弊ブログで公表しました。それに対しての反応、

「1」知り合いを総動員して宴会をしたい

「2」それでもやはり、ワクチンを打つまで行けないから通販を買う

という二手に分かれます。

これって、「気にする派」「気にしない派」がそのまま反映されたものと思います。

一つの病気に対して、なぜこうも人々の認識が分かれたのか、冷静になったら、検証しないといけないですよね。

なお「1」は勿論大変ありがたく存じますが、受け口が多数あると混乱の素なので、ここにコメントではなく、店の代表電話(03-3841-0010)一箇所に統一をさせて下さいませ。勝手を申してスミマセン。

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。 弊ブログは2010年3月1日に連載スタートし、本日は4.143本目の投稿でした。

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