食べ物屋
「老舗企業に学ぶ」勉強会を主催している方が「ちんや」へ見えて雑談していたのですが、
老舗には食べ物屋さんが多いですねえ・・・
その方が開いた老舗イベントに登場した会社の半分以上が食べ物屋で、酒・薬・旅館まで加えると三分の二を超えているとか。
はい、私もそう思っておりました。そして2016年に出した拙著『浅草はなぜ日本一の繁華街なのか』で、「食べ物商売は老舗化し易い稼業」と書きましたが、その理由を深く洞察して書いたわけではありませんでした。何故でしょう?
浅草の飲食店の場合、正月やお彼岸、お盆などに家族総出で、浅草へ見えるお客様が多いですから、お爺ちゃん・お婆ちゃんとお孫さんが一緒に食事します。→で、「こういうのが美味しいんだ!」という味覚が継承されて行きますから、お爺ちゃん・お婆ちゃんが亡くなっても、次の世代が利用してくれます。そうした経緯で老舗化し易いと言えます。
食品製造業や食品小売業の場合も飲食店ほどではないですが、ご家庭で同時に食べるという場面が考えられますね。消費サイドから考えた場合に食べ物屋が老舗化し易い理由が、これです。次に供給サイドを観てみましょう。
店主が採算を度外視して、美味しい物を追い求めてしまう、ということがあるように思います。食べ物の味は脳の快楽に直結しているからです。
私自身も、自分がイマイチと感じる肉を同席した人が美味しい!美味しい!と食べているのを目にすると、肉についてあれこれ調べない方がむしろ良いのかなあ・・・と思ったりしますが、自分が美味しいと思えない肉を売るのはイヤです。
そして、味を追い求めていると、ある時点で美味しさは感動につながります。感動まですれば、そのお店を再訪していただける確率は高まりますね。
しかしながら、どの時点で、どの位美味しければ人が感動するのか良く分かりません。肉の中の旨味成分を計測したデータは結構豊富にありますが、どの数値が「感動の閾値」なのかは、今のところ分かりません。
だからこそ、食べ物屋の店主は、お客様の表情を観察して、充分美味しかったかを確認しないといけません。また、会社の経営理念の内容を即物的な内容にせず、心に関する文言を採り入れないといけないと思います。
弊社は「心に残る思い出を!」という一文で「思い出」を入れています。数値がハッキリしない以上、「思い出」になる味でないと不充分、という基準を設けることが実際的と思うからです。
食べ物の味を追い求めて行くと、ある時点で人を感動させることが出来る、それが食べ物屋が老舗化し易い理由かと私は思います。
追伸
令和の新時代に向け、「ちんや」は「肉のフォーティエイト宣言」を致しました。ご理解・ご愛顧賜りたく、お願い申し上げます。