国民皆牛豚鶏美食のこと
うーむ、不勉強にて存じませんでした。
福沢諭吉先生の『肉食之説』(明治三年)より前に、肉食を奨励する意見書が出ていたとは。
慶應義塾に学び、肉を売る立場の私としては、これまでしばしば肉食を奨励した文化人として福澤先生の名をあげ、『肉食之説』を引用して来ましたが、それ以前に
「良質の人馬、及び鳥獣の種類、御殖育の事。」
という建白書が、赤松小三郎なる人によって、幕府の政事総裁職・松平春嶽(福井藩主)宛てに出されていたというのです。「国政改革意見書」と言うそうな。
そんな話しを私が知ったのは、大学同期の落語家・立川談慶くんの落語会でのことでした。
談慶くんは信州上田の人。
赤松も上田の人で、郷土の偉人の生涯を辿る紙芝居が地元で創られました。その紙芝居のナレーションを、なんと、談慶くんのお母さまが付けていて、それが談慶くんの落語会の中で披露された、という次第です。
さて、話しを「国政改革意見書」に戻しますが、意見は七項目あります。
意見の第一は、「人才教育の儀、御国是相立ち候基本に御座候事」。
「江戸・京・大坂・長崎・函館・新潟等の首府へは、大小学校を営み、各々其の大学校には、用立ち候西洋人数人づつを雇ひ、国中有志の者を教導せしめ、大坂に兵学校を建て、各学科毎に洋人数人づつを雇ひ、国中兵事に志有る者を御教育相成り、且つ国中に、法律学・度量学を盛んにし、其の上漸々諸学校を増し、国中の人民を、文明に育て候儀、治国の基礎にこれ有る可く候。」
赤松の関心は主に国防にあったらしく、教育が第一といっても、軍学が中心に語られています。
そして肝心な七番目の意見が肉食についてです。
「又牛羊鶏豚類、衣食に用いて有益の種類を殖育し、ゆくゆく国民皆牛豚鶏の美食を常とし、羊毛にて織り候美服を着候様改め候へば、器量も従って相増し、身体も健強に相成り、富国強兵の基にこれ有る可く候。」
ここでも、富国強兵の基になるということで、肉食が奨励されています。
この意見書が出されたのは慶応3年5月。
だから『肉食之説』(明治3年)に少しだけ先んじているのですが、残念ながら、あまり知られていないと思います。
福澤先生が、明治34年(1901年)まで長命して、近代日本を代表する知識人と成ったのに対して、赤松が、この意見書を出したすぐ後の慶応3年9月に暗殺されてしまったからでしょう。
上田ではそれなりに知られていて、上田城跡公園に記念館もあるとかですが、一般には知られていませんね。
肉の業界の人だけでも、赤松のことを記憶した方が良いと思いました。
談慶くん、お母さま、勉強になりました。
追伸
今夏8月4日より「ちんや」ビル地下1階の「ちんや亭」が、
「肉の食べくらべレストラン」として再スタートしました。
今回すべての肉メニューに「ちょい食べサイズ」(ハーフサイズのこと)をご用意することに致しました。
くわしくは、弊ブログの8月4日号をご覧くださいませ。
本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて3.115日連続更新を達成しました。
すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。