浅草六区芸能伝~第九幕
月刊『浅草』に東洋興業会長・松倉久幸さんの「浅草六区芸能伝」が連載されていて、おもしろいです。
松倉さんは、2016年に刊行された拙著『浅草はなぜ日本一の繁華街なのか』の中で私が対談させていただいた、浅草の九人の旦那衆の一人ですが、その松倉さんの連載が、このところ『浅草』の巻頭に連載されているのです。
さて今月の「第九幕」では「浅草演芸ホール」開設の経緯が語られます。
「浅草演芸ホール」は、寄席です。そして開設されたのは昭和39年(1964年)のことでした。
浅草には昔からずっと寄席があったと思っておいでの方が多いかもしれませんが、実はそうではないのです。
関東大震災までは小規模な寄席が何軒かあったと聞きますが、戦後は「浅草末広亭」だけになり、その「末広亭」も1年あまりで廃業したそうです。落語以外のエンタメが面白過ぎたからかなあと私は想像します。
で、浅草には寄席がない状態がしばらく続いたのですが、そんな中落語家の桂枝太郎が隣人の、東洋興業の文芸部員に寄席再興を頼み込んだのがキッカケと伝えられています。
うまいことに、その頃東洋興業さんは、上演体制を刷新しようとしていました。
当時「東洋劇場」と「フランス座」の2会場がありましたが、どちらもお笑いとストリップ・ショーという似たような形態で、どちらか一方を整理する必要がありました。
結局、2会場のうち「フランス座」を閉鎖して、「東洋劇場」と「演芸ホール」の体制になったわけです。
やがて落語の方が盛んになり、現在では「演芸ホール」が主力ですが、「東洋劇場」の流れをくむ「東洋館」が健在で、落語以外のお笑いを提供しています。
浅草のお笑い界にも変転があるのだなあと分かります。
連載は続くそうなので楽しみです。
追伸⓵
日本テレビの番組「ヒルナンデス!」に、カットされてなければ、出演させていただく予定です。明日13日の11時55分~です。ご覧くださいませ。
追伸⓶
今夏8月4日より「ちんや」ビル地下1階の「ちんや亭」が、
「肉の食べくらべレストラン」として再スタートしました。
今回すべての肉メニューに「ちょい食べサイズ」(ハーフサイズのこと)をご用意することに致しました。
くわしくは、弊ブログの8月4日号をご覧くださいませ。
本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて3.119日連続更新を達成しました。
すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。