ソメイヨシノ

本日弊ブログは、1.111日連続更新を達成しました。

目出度いので、ネタも目出度く桜の話しで参りましょう。墨堤の桜も開花しましたのでね。

さて、他のサクラを圧倒する人気種、と言えばソメイヨシノですね。

ところが、そのソメイヨシノの樹は全てクローンで、接ぎ木で増やしたものなのだそうです。

ご存知でしたか?

ソメイヨシノは「自家不和合性」が強い品種、つまりソメイヨシノ同士を両親とする種が発芽に至ることがない品種なのだそうです。

結果ソメイヨシノの純粋な子孫はありえない、のです。

ソメイヨシノ以外の桜との間で交配することは可能で、それが実をつけ、種が発芽することはあるものの、それはソメイヨシノとは別種になってしまう、とか。

うーむ、ですね。

このようにソメイヨシノは種では増やせないので、各地にある樹はすべて、人の手で接ぎ木した樹=要するにクローンなのだそうです。

クローンばかりであるので、それを密集させて植えれば、集団が一斉に咲き・一斉に散らす結果になるわけです。

この特質が、桜に対する日本人のイメージを形成する素になっているのは間違いないでしょう。

しかし、一方でクローンであるがために、特定の病気に掛かりやすく環境変化に弱い体質になっているそうです。

ここで、いきなり話しは、桜からワインに飛びますが、ワイン専門家の方で、「自根・古木」のブドウの樹から獲れたワインを推奨する方がおいでのようです。

自根とは、接ぎ木に対する言葉です。

古木とは、読んだママ。

接ぎ木されていない、種から育ったブドウで、しかも長生きしたブドウから獲れたワインが素晴らしく、特に、それが肉に合う、と言いますから注目せざるを得ませんね。

長期間肥育させた牛を推奨している立場の者としては、合わせる酒も、長生きした原料から獲りたくなりますが、日本酒の場合は樹でないので、こういう議論が出来ない所がチト寂しいですね。

うーん、今日は目出度いはずが今市なオチになってしまいました。

明日は出直します。御機嫌よう。

<春の臨時営業(火曜営業)のお知らせ>

春の観光シーズンをむかえ、下記の日は火曜日ですが、営業いたします。

どうぞ御利用下さいませ。

平成25年3月19日(火)お彼岸

平成25年3月26日(火)隅田公園桜まつり

平成25年4月 2日(火)隅田公園桜まつり

平成25年4月30日(火)GW連休

*個人的には3/13-4/8まで28連投ですが、頑張ります!

追伸①

藤井恵子さん著の単行本『浅草 老舗旦那のランチ』に登場させていただきました。
不肖・住吉史彦が、「浅草演芸ホール」の席亭さんや、「音のヨーロー堂」の四代目とランチをしながら、浅草について対談する、という趣向です。

他にも20人ほどの、浅草の旦那さんたちがリレー対談で形式で登場します。

是非ご購読を! 平成24年6月3日、小学館発行。
ご購入はこちらです。 (できればレビューも書いて下さいね!)

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

 この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

 その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

 現在の笑顔数は336人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

 

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空から日本を見てみよう②

<この話しは長いので、昨日から続いています。>

BSジャパンの『空から日本を見てみようplus』という番組に出演させていただきました。

この番組は、雲に乗った気分で各地を見てまわる、「新感覚空撮地理バラエティー!番組」でして、今回は「空から見る東京の下町」というテーマで、下町のおこり・変遷・現在を歴史的・地理的観点から紹介する、という内容です。

私がインタビューされましたのは、

・浅草にすき焼き屋が増えた理由

・狆屋からすき焼き屋へ事業転換した理由

結構長時間のインタビューでしたが、例によって大幅カット。ごく短時間の出演でした。

そこで今日は、その内容つまり放送されなかった、『空から見てみよう』をここで公開いたします。

さて、狆屋からすき焼き屋へ事業転換したのは、幕末・明治に浅草が繁華街として全盛時代を迎えたからですが、その経緯は・・・

それは、浅草が完全に江戸の下町に成ったからだと思います。

その「下町」の範囲ですが、実はそれは時代によって違います。

江戸時代初期に浅草は、江戸の「下町」ではなく、この頃浅草はまだ江戸の外に独立していました。

浅草は太田道灌よりずっと前から存在していまして、江戸という都市が後から出来て⇒成長・拡大する内に吸収されたのです。

江戸と浅草の往来が頻繁になったのには、3つのキッカケがありまして、

1蔵前(=浅草のすぐ南方)に米蔵が建設された

2吉原遊郭が現在地(=浅草の北方)に移転した

3歌舞伎座が、現在の浅草7丁目(=言問通りの北。浅草駅より徒歩8-10分)に移転した。

の3つです。

2も3も、初期の「下町」つまり日本橋・京橋から浅草の北方へ移転したわけです。

吉原はその場所に現存し、その後歌舞伎座は明治20年代に東京の中心部に戻りました。

この内、3は実は天保時代のことで江戸時代も後期です。これで多くの江戸の人が浅草へ出かけるようになりました。

当時地下鉄はありませんから、日帰りの歌舞伎見物です。

これにより、浅草は完全に江戸に吸収され、江戸の下町、江戸随一の繁華街に成ったと言えると思います。

その繁華街で、弊店の祖先は牛鍋屋を始めたわけです。めでたし、めでたし。

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どうぞ御利用下さいませ。

平成25年3月19日(火)お彼岸

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平成25年4月 2日(火)隅田公園桜まつり

平成25年4月30日(火)GW連休

*個人的には3/13-4/8まで28連投ですが、頑張ります!

追伸①

藤井恵子さん著の単行本『浅草 老舗旦那のランチ』に登場させていただきました。
不肖・住吉史彦が、「浅草演芸ホール」の席亭さんや、「音のヨーロー堂」の四代目とランチをしながら、浅草について対談する、という趣向です。

他にも20人ほどの、浅草の旦那さんたちがリレー対談で形式で登場します。

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「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

 この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

 その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

 現在の笑顔数は336人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.110日連続更新を達成しました。あと1日で1.111日連続更新です。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

 

 

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空から日本を見てみよう

BSジャパンの『空から日本を見てみようplus』という番組に出演させていただきました。

この番組は、雲に乗った気分で各地を見てまわる、「新感覚空撮地理バラエティー!番組」でして、今回は「空から見る東京の下町」というテーマで、下町のおこり・変遷・現在を歴史的・地理的観点から紹介する、という内容です。

私がインタビューされましたのは、

・浅草にすき焼き屋が増えた理由

・狆屋からすき焼き屋へ事業転換した理由

結構長時間のインタビューでしたが、例によって大幅カット。ごく短時間の出演でした。

そこで今日は、その内容つまり放送されなかった、『空から見てみよう』をここで公開いたします。

さて、浅草にすき焼き屋が増えた理由ですが、

これは特に深い理由はなく、結果的にそうなっただけと思われます。

明治5年~15年頃に、牛鍋屋の流行がありまして多数の店が開業しました。 既に明治10年には東京府下に488軒もの牛鍋屋があった、と言いますから、かなりすさまじいブームだったようです。

この時期が、浅草の繁華街としての全盛期に当たっていて、浅草は日本随一の繁華街でしたので、店を開業しようとする者は、場所として浅草を選んだと思われます。

すき焼きとか洋食は、その時代の新文化・新ビジネスですから、ビジネスとして成立させるために、経済力のありそうな土地へ出るのは当然のことで、幕末から江戸随一の盛り場だった浅草に店が出来たのは、当然の成り行きと思います。

例えば、今半さんと米久さんは、地方から上京して来て、浅草を選んで開業しています。

逆に弊店のように、以前から浅草で商売をしていたのが、牛鍋の大ブームを見て、商売がえした者もいます。

浅草が栄えていたので、狆屋をやるより、飲食店の方が儲かると考えたのでしょう。

そう、手前どもの御先祖は、江戸時代に浅草で狆屋をしておりました。犬の狆(ちん)ですね。

当時の大名家や豪商などは、ペットとして狆を飼う習慣がありました。

現代でも犬を可愛がる方がおいでですが、狆もたいそう可愛がられたそうで、狆の墓があったりする位です。

その狆の、良い血統を、手前どもの御先祖が押さえていたようでして、現代風に言えば、狆のブリーダーですね。そして、売った狆の具合が悪くなれば獣医として治療したりもしていたようです。

それで「狆屋」だったのです。

その狆屋を、手前どもの御先祖は江戸時代から浅草でしておりましたが、明治時代になりまして、すき焼き屋(牛鍋屋)に商売変えしました。

理由を書いた書類はありませんので、想像するのみですが、犬の趣味が変わったことが大きいのでは、と私は思っています。

添加泰平イヤ天下泰平の江戸時代には可愛いペットが愛されました。特に狆を飼うのはお旗本の奥方とかでしたから、狆は女性イメージの犬でした。

ところが、続く幕末・明治は戦争や政争が続く騒乱の時代ですから、世の中の犬の趣味が変わりました。

上野の西郷さんは犬を連れていますが、狆ですか?違いますね。

西郷さんは猟犬を連れて、野山を歩き回るのが趣味だったようですが、そういうワイルドな世相の時代に狆は可愛い過ぎで、かつ旧時代のイメージに見られたと思います。

要するに、時代が変わって、商売としての「狆屋」の将来性が脅かされましたから、手前どもの御先祖は、狆を捨てて、牛鍋に走ったものと思います。

明治時代に入り、往来が自由になり、鉄道や汽船も出来て、浅草は栄えていました。江戸時代から栄えていましたが、一層栄えるようになり、全盛時代を迎えます。

その浅草に店を構えているのですから、狆屋をやるより、飲食店の方が儲かると考えたのでしょう。

あくまで想像ですが。

ところで幕末・明治に浅草が全盛時代を迎えた理由ですが・・・

え~この話しはだいぶ長くなって来たので、明日に続きます。

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皆様も、是非御参加下さい!

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毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

 

日曜の夜は浅草のバーへ

第二回「浅草オーセンテイック・バー探検ツアー」を開催しました。

意外と知られていませんが、浅草はバーの宝庫です。素敵なバーテンさん達がシェーカーを振っておいでです。

でも「一見」だと入りにくい店が多いのも事実と思います。そんな御店へ、皆さんを御案内いたしました。

このツアーは、バーテンダー協会・浅草支部長のOGRさん(=「オグラ・イズ・バー」店主)に監修していただきましたので、まさに鬼に金棒、と申すものです。

駆け足で一気に4軒巡りました。

全店で、それぞれの御店のマスターがイチオシのカクテルを作って下さり、また御店の特徴を説明して下さり、良い思いをさせていただきました。

と、いう所までは、第一回と同じです。

今回が違うのは、日曜日の夕方から開催した、という所です。

そう、「夜が早い」と指摘される浅草の、しかも日曜の夜でもバーはやっているのです。

銀座のバーはたいてい日曜定休ですが、浅草のバーはやっています。

浅草=観光地=日曜の夜に行く所ではない

というイメージに囚われていただくと困るのです。

今回は、そのイメージを崩すのが目的でした。

むしろ、そういう菅さん時間帯イヤ閑散時間帯に店を訪ねた方が、バーテンさんとも話しが出来て、親しくなれます。

親しくなっておけば、次回カノジョをエスコートする場合に、どれだけ心強いか。

店の閑散時間帯に訪ねる=店主と親しくなれる=これも立派なヴァリューなわけです。私の店でも取り組んでみたいと思っています。

皆さん、日曜の夜は浅草のバーへ。是非。

追伸①

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うなりくん

浅草の鰻の名店「小柳」さんが、しばらく営業をお休みすることになりました。耐震性の高い店舗に建て替える為です。

建国記念日をもって営業をいったん休止ということでしたので、その直前の立春の日に「浅草うまいもの会」の新年会を「小柳」さんで開くことになりました。

当然その夜は、有終の美を飾るべく気合いを込めた御料理の数々を頂戴しました。

やがて宴もハネて、感涙の面持ちの女将・若女将に見送られて一同店を去りました。名残り惜しい、とは当にこのことです。

年末に営業再開予定とのこと。新築工事の御安全を、心より祈念いたします。

さて、うまいもの会の新年会の余興と言えば、私が作るクイズです。吉例により、今年も「うなぎクイズ」を開催させていただきました。

勉強になって楽しいですので、皆さんもトライしてみて下さいね。

<吉例「うなぎクイズ」浅草うまいもの会新年会@「小柳」さん旧店舗2013.2.4>

(1) まずは簡単な問題です。土用の丑の日と言えば、鰻屋さんの繁忙期ですが、この日にうなぎを食べることを推奨した、江戸時代の人と言えば誰でしょう。簡単ですねえ。3秒以内にお答え下さい。

①貝原益軒(かいばら えきけん) ②平賀源内 ③本居宣長(もとおり のりなが)

*はい、皆さん、このクイズは一応新年会の余興ですのでね、無言で回答カードを揚げるのはやめましょうね。イチっ!とか ニー!とか叫んで下さいね。声がデカい方を正解にする場合もありますから(笑い)よろしくお願いしますよ。はい、次の問題に行きます。

(2)うなぎの調理法に関する問題です。武士の町・江戸では腹開きは切腹を連想させるので、うなぎを背開きにし、一方町人の町・大阪では腹開きは「腹を割って話す」につながるということで腹開きにいたしますが、さて、その開き方の東西の境界線は、どこでしょう。

①  天竜川 ②木曽川 ③箱根山地

(3)うなぎの生態に関する問題です。最近東京大学海洋研究所が、ニホンウナギの産卵場所を突きとめることに、ついに成功しましたが、その産卵場所は、ずばり、どこでしょう。

① アリューシャン列島 ②マリアナ諸島 ③尖閣諸島

(4)世界のうなぎ料理に関する問題です。日本で「うなぎパイ」と言えば、浜松市で作られている「うなぎパウダー」入りの菓子パイが有名ですが、世界には全く異なるうなぎパイがあります。ぶつ切りにしたウナギをパイ生地に入れて焼き上げた、本物のうなぎパイを食べているのは、さて、どこの街の人々でしょう。

① サンクト・ぺテルブルグ ②ロンドン ③サイゴン

(5)食のタブーに関する問題です。世界各地の宗教には、それぞれ独特の戒律がありますが、「鱗の無い魚は食べてはいけない」という戒律があり、したがって鱗が目立たない鰻を食べることがタブーとされている宗教は、何教でしょう。

① モルモン教 ②ヒンズー教 ③ユダヤ教

(6)和歌に関する問題です。現存する最古の和歌集と言えば『万葉集』ですが、その『万葉集』の中で、歌を読み上げますが、「石麻呂に吾(あれ)もの申す夏痩せに良しと言ふ物ぞ むなぎ取り食せ(めせ)」と詠んだ歌人は誰でしょう。

① 大伴家持 ②坂上田村麻呂 ③大海人皇子(おおあまのみこ)

(7)漫画の問題です。「イヌのくせに『泥棒ねこ』だった」父イヌが、盗みに入った魚屋で母ウナギを見初め、そのまま駆け落ちして生まれたキャラクターと言えば「ウナギイヌ」ですが、その「ウナギイヌ」を考え出汁たイヤ考え出した漫画家と言えば誰でしょう。

①水木しげる ②赤塚不二夫 ③石ノ森章太郎

(8)最後です。これは難しいなあ。ゆるキャラに関する問題です。「彦にゃん」と言えば、猫を使った滋賀県彦根市のキャラクターですが、「うなりくん」と言えば、うなぎを使った、どこの街のキャラクターでしょう。わからないでしょうけどね、3秒以内にお答え下さい。

①  宮城県鳴子温泉 ②千葉県成田市 ③千葉県成東町(なるとうまち)

<正解>

1-2、2-1、3-2、4-2、5-3、6-1、7-2、8-2

ところで、この「うなりくん」というのはシュールです、かなり。

可愛くて青いうなぎの体に主翼と尾翼が生えており、足も生えているのです。

成田だから⇒うなぎとジェット機という、あまりのシンプルさに驚愕です。「ウナギイヌ」以来の衝撃力と申せましょう。

皆さんも一度ネットで画像をご覧ください「成田市特別観光大使」でもあるそうですし。

追伸①

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ペリーと狆

ユニークな時代小説で知られる河治和香先生が今連載中の小説『どぜう屋助七』が、これまでの作品にワをかけてユニークです。

この話しは幕末ペリー来航の頃の話し、浅草駒形のどぜう屋の若旦那・助七を主人公にした小説です。

で、その脇筋として、浅草の狆屋が出てくるのです。

勿論、すき焼き「ちんや」の先祖の狆屋をモデルにしていますが、史実に完全に忠実ではありません。

むしろ、どうぞ、どんどん面白くして下さい!

と私からは和香先生に申し上げています。

狆屋は「ちんや」に転業してしまって、狆屋当時のことはほとんど良くわかりません。どうせ、分からないんだから、小説なんだし、面白く膨らませて下さい!

ということで展開中なのがこの小説です。かなりユニークです。

そもそも、どぜう屋と狆屋が辛みますイヤ絡みます発端は、狆屋がどぜうを買い占めてしまい、それでトラブルになるのです。

種つけ用のオスの狆に精をつけさせるため、どぜうを食べさせることになり⇒それで買い占める、という筋なのです。

そんな馬鹿な!

と思う勿れ。種つけのために、どぜうを食べさせたことは実際にあったようなのです。私も今回初めて知りましたが。

そうした小ネタが、この小説ではどんどん展開します。

どせう屋が営業できない位どぜうが品薄になったとか、駒形さんと狆屋がモメて、助七が住吉家に怒鳴りこんだりとか、まあ、面白いです。

また「江戸浅草筋」という、非情に希少な狆の血統を住吉家が独占していて、それで大名家などの名門に出入りしていた、という設定になっていますが、その辺も、まあ、私は分かりません。

話しは、そこからさらにさらに展開するのですが、ペリーにプレゼントする狆が必要になり、その狆は、むしろ血統としては下等な方の「黒狆」が良いということになります。

それで、住吉やすがドタバタ騒ぎの末「黒狆」を入手する、という場面まであって、読者はまたまた、そんな馬鹿な!と思うかもしれません。

しかし、ペリーが狆を貰って帰った、というのは史実のようです。

その後アメリカで狆は大事にブリーデイングされて、今日に至っています。

むしろ日本の方で、その後狆のブリーデイングは衰退の時期を迎えた、というのも事実なのだとか。

なかなか、面白いです、狆の話し。

あくまで狆は脇筋で、駒形どぜうさんが主役ですが。

月刊「ジェイ・ノベル」(実業之日本社発行)で連載中です。

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にらみ

浅草公会堂で上演されている「新春浅草歌舞伎」を観てきました。

正月の歌舞伎公演に市川団十郎家の当主が出演する時は、必ず吉例の「にらみ」があり、にらんでいただけば一年間無病息災である、という医学を全く無視した言い伝えがあり、年末以来咳の止まらない私も、その御利益を期待した、という次第です。

さて毎度のことですが、演技内容を批評できるほど私は歌舞伎に詳しくありませんので、今回も批評はパスさせて下さい。

外野で気づいたことを書きますが・・・

幕間に芸能人ビジネスの元祖を見つけてしまいました。それは、

「助六弁当」。

一体全体、この弁当のメーカーは「花川戸助六」の食生活について、どれだけの見識があって、「助六弁当」なるものを売っているのか。ここは一つ販売員を詰問してやろう!

・・・なんてことは、はい、しませんでした。地元ですから。

ああ、江戸の昔から芸能人ビジネスはやってるんだなあ、と思いながら、呼び込みの声を聞いていました。

以来、昨年の芸能人ステマ・ブログ騒動に至るまで、芸能人ビジネスが上手く行った、という話しは、あまり聞きませんよね。

今年は、どんな芸能人グッズが売り出されるのでしょうか。

ガガすき焼きとか、出来ませんかねえ。

なお演目は、片岡愛之助さんの「六助」、中村壱太郎さんの「お園」による『毛谷村』と、

市川海老蔵さんの「弁慶」、愛之助さんの「富樫」、片岡孝太郎さんの「義経」による『勧進帳』。

1/27まで浅草公会堂にて公演をしています。御観劇を。

 

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離島キッチン

「離島キッチン」に行って来ました。

隠岐の海士町観光協会と東武鉄道グループの東武食品サービス社とが業務提携を行い、浅草EKIMISEの7階にオープンしたレストランが「離島キッチン」です。

隠岐だけでなく、佐渡・奄美・石垣など離島の食品を食べることが出来ます。

「離島キッチン」さんは、これまで固定店舗を持ったことがなく、催事やイベントに出店してきました。

はじめは宅配用の車を改造した移動キッチン車で離島食を販売して歩いたそうです。東京の街角や全国のイベント会場を転々と移動していたとか。

その仕事を担当したのは、隠岐とは関係のなかった一人の青年です。彼は、観光協会が出した「行商人募集」という求人広告を見つけて応募⇒その時生まれて初めて隠岐という離島を訪れたそうです。

やがて、あの「どんぶり選手権」に出場して、隠岐の「寒シマメ漬け丼」というスルメイカの漬け丼を販売、それが今回の固定店舗初出店につながったようです。

私は「すきや連」活動で、隠岐牛の生産者TNKさんと知り合い、まだお訪ねしてはいないのですが、たまに隠岐の産物を送っていただく内に親近感を持つようになり、この「離島キッチン」さんの活動にも興味を持っていました。

浅草に御店を出したと知って、へえ~と思い、早速食べに行った次第です。

飲食スペースの他に、物販も行っていて、ごく小さいスペースながら面白い空間です。

ただメニューはと申しますと、「どんぶり選手権」出身だけに、丼ものがほとんどで、美味しいのですが、炭水化物をあまり食べない私には「・・・」でした。

島焼酎や佐渡の日本酒が置いてあったりするのですが、まあ、駅ビルの中ですし、広い店でもないので、酒場としての利用は想定していないようですね。酒は、今のところ買って帰るのが良いようです。

個人的には「脱どんぶり」を期待します。

追伸①

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 現在の笑顔数は334人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.058日連続更新を達成しました。毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

参拝客

浅草合同新年会に出席しましたら、年始三ケ日の、浅草寺への参拝客数が281万人だった、と発表がありました。

去年が275万人で一昨年が269万人でしたから増えています。スカイツリーの御利益もあるのでしょう。

この数字を聞いて「さぞかし景気が良かったのだろうね」って思った方もおいでかと思いますが、

そうでもないです!

だって、正月だからと言って店が大きくなるわけじゃないですからね。

席数が増えない中ですから、客席回転率か客単価のどちらかが上がらない限り売り上げは増えないのが理屈ですが、結果どうだったかと申しますと、どちらも上がりません。

回転率も単価も、正月に上がるわけないんです。

だって、お客様は正月はヒマですから、ゆっくりなさりたいですよね。ホラ、回転率なんて上がりません。

単価だって上がりません。元々正月はほとんどの御客様がご家族連れですから、人数は多くても財布は1個です。そして、今時はデフレの世の中ですから、景気の「気」が回復しない限り、昨年より一段階下のメニューを注文してしまうのが人情でしょう。ホラ、単価なんて上がりません。

そう言えば、以前正月三日に雪が降ったことがありましたが、売り上げは大して落ちませんでした。

飲食はそういう次第ですが、物販の皆さんは「さぞかし景気が良かったのだろうね」って思い聞いてみましたら、

とんでもないよ!

と怒られてしまいました。

特に仲見世の皆さんは、あまりの人の多さで、参拝客は整列して進まねばならず、買い物など出来ないのだそうです。

店員さんは行列の圧力で店を壊されないよう、警備に必死なのだそうです。大変なことです。

と、いう次第で正月は、

儲けよう!ということより、

何しろ無事に終わって欲しい・・・

というのが実情ですね。

その正月が、今年も無事終わって何よりでした。

南無観世音菩薩。

追伸①

藤井恵子さん著の単行本『浅草 老舗旦那のランチ』に登場させていただきました。
不肖・住吉史彦が、「浅草演芸ホール」の席亭さんや、「音のヨーロー堂」の四代目とランチをしながら、浅草について対談する、という趣向です。

他にも20人ほどの、浅草の旦那さんたちがリレー対談で形式で登場します。

是非ご購読を! 平成24年6月3日、小学館発行。
ご購入はこちらです。 (できればレビューも書いて下さいね!)

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

 この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

 その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

 現在の笑顔数は334人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.051日連続更新を達成しました。毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

 

 

 

 

 

Filed under: ぼやき部屋,浅草インサイダー情報 — F.Sumiyoshi 12:01 AM  Comments (0)

住吉史彦の十大ニュース2012

お待たせしました!

今年も「住吉史彦の十大ニュース」の時間がやってまいりました。

え? 誰も待っていないって?

そういう声は無視して、どんどん行きましょう。

今日はポイントだけを書きますので、詳しい内容を知りたい方は、アンダーラインのある所をクリックして下さいね。さて、

 

2月 第11回「すきや連」を松阪市「和田金」さんにて開催しました。

かの有名な和田金牧場を見学させていただきました。流石の御仕事ぶりに一同感心しきりでした。

3月「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を、2012.3.11よりスタートさせました。

この計画では東北の牛を食べていただき、食後のお客様の笑顔画像を特設サイトにUPして行きます。画像が千人に達するまで続行します!

笑顔画像はこちらでご覧になれます。

4月「ニッポン全国彪友会―台東万博!」を開催しました。

二条彪先生に師事する経営者の皆さんに、全国から浅草へお集まりいただきました。かつてなく熱い会になったと思います。

6月 月刊『料理通信』に服部幸應先生が連載なさっている「世界に伝えたい日本の老舗」というコーナーに載せていただきました。

ご評価いただき大変有り難いことでした。

7月 福島県酒造組合さん・福島県清酒アカデミーさんのお招きにより講演をさせていただきました。演題は「老舗の生き抜き方」。

講演後には蔵主の皆さんと会津若松市東山温泉で楽しく懇親させていただきました。役得でした。

7月「すきや連」番外編「カレーすき焼きの会」を「茅ヶ崎館」さんにて開催しました。

カレー粉とすき焼きが、あんなに合うとは新鮮な発見でした。

8月 第12回すきや連を米沢市「登起波牛肉店」さんで開催しました。

契約牧場を見学させていただき、牛さんを大事にする姿勢に感動しました。

9月 「老舗ボッサ」を開催しました。

すき焼きとボッサノーバ!御機嫌でした。

11月 BSテレビ朝日の番組『幸福の一皿~美味しさの物語』に出演させていただきまいた。

まるごと1時間すき焼きだけを採り上げて下さいました。ご出演の二代目中村吉右衛門さんの語りも流石の上手さで、実に有り難いことでした。

11月 第13回すきや連を「人形町今半」さんで開催しました。

長期熟成肉のすき焼きをいただきました。すき焼きにチャレンジなさる姿勢に感心しきりでした。

 

そして、もう一つ番外ニュースですが、ご存知の通り、

11月 弊ブログが連続更新1.000日を達成しました。

この1.000日間には、あまりに多くのことがあり、決して一生忘れることのないだろう日々だと思います。

 

いよいよ2012年の弊ブログも本日が千秋楽となりました。万感胸に迫り、大したことは書けません。

まずは御礼だけを申し上げます。

読者の皆様、ご愛読いただき誠にありがとうございました。

2013年もご愛顧を賜りたく、心よりお願い申し上げます。

東西、東〜西〜