空から日本を見てみよう②
<この話しは長いので、昨日から続いています。>
BSジャパンの『空から日本を見てみようplus』という番組に出演させていただきました。
この番組は、雲に乗った気分で各地を見てまわる、「新感覚空撮地理バラエティー!番組」でして、今回は「空から見る東京の下町」というテーマで、下町のおこり・変遷・現在を歴史的・地理的観点から紹介する、という内容です。
私がインタビューされましたのは、
・浅草にすき焼き屋が増えた理由
・狆屋からすき焼き屋へ事業転換した理由
結構長時間のインタビューでしたが、例によって大幅カット。ごく短時間の出演でした。
そこで今日は、その内容つまり放送されなかった、『空から見てみよう』をここで公開いたします。
さて、狆屋からすき焼き屋へ事業転換したのは、幕末・明治に浅草が繁華街として全盛時代を迎えたからですが、その経緯は・・・
それは、浅草が完全に江戸の下町に成ったからだと思います。
その「下町」の範囲ですが、実はそれは時代によって違います。
江戸時代初期に浅草は、江戸の「下町」ではなく、この頃浅草はまだ江戸の外に独立していました。
浅草は太田道灌よりずっと前から存在していまして、江戸という都市が後から出来て⇒成長・拡大する内に吸収されたのです。
江戸と浅草の往来が頻繁になったのには、3つのキッカケがありまして、
1蔵前(=浅草のすぐ南方)に米蔵が建設された
2吉原遊郭が現在地(=浅草の北方)に移転した
3歌舞伎座が、現在の浅草7丁目(=言問通りの北。浅草駅より徒歩8-10分)に移転した。
の3つです。
2も3も、初期の「下町」つまり日本橋・京橋から浅草の北方へ移転したわけです。
吉原はその場所に現存し、その後歌舞伎座は明治20年代に東京の中心部に戻りました。
この内、3は実は天保時代のことで江戸時代も後期です。これで多くの江戸の人が浅草へ出かけるようになりました。
当時地下鉄はありませんから、日帰りの歌舞伎見物です。
これにより、浅草は完全に江戸に吸収され、江戸の下町、江戸随一の繁華街に成ったと言えると思います。
その繁華街で、弊店の祖先は牛鍋屋を始めたわけです。めでたし、めでたし。
<春の臨時営業(火曜営業)のお知らせ>
春の観光シーズンをむかえ、下記の日は火曜日ですが、営業いたします。
どうぞ御利用下さいませ。
平成25年3月19日(火)お彼岸
平成25年3月26日(火)隅田公園桜まつり
平成25年4月 2日(火)隅田公園桜まつり
平成25年4月30日(火)GW連休
*個人的には3/13-4/8まで28連投ですが、頑張ります!
追伸①
藤井恵子さん著の単行本『浅草 老舗旦那のランチ』に登場させていただきました。
不肖・住吉史彦が、「浅草演芸ホール」の席亭さんや、「音のヨーロー堂」の四代目とランチをしながら、浅草について対談する、という趣向です。
他にも20人ほどの、浅草の旦那さんたちがリレー対談で形式で登場します。
是非ご購読を! 平成24年6月3日、小学館発行。
ご購入はこちらです。 (できればレビューも書いて下さいね!)
追伸②
「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。
この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。
その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。
現在の笑顔数は336人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。
皆様も、是非御参加下さい!
本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.110日連続更新を達成しました。あと1日で1.111日連続更新です。
毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。
No comments yet.