下仁田ネギ

 「百味」12月号が届きました。

 「百味」には、向笠千恵子先生の『続すき焼き ものがたり』が連載されています。この連載は今年の5月号より始まったもので、今回で第八回です。この連載を、私が早速読むだけでなく、「ちんや」では全従業員が読んでいます。

 さて、今回向笠先生は群馬県の下仁田へ行かれたようです。ネギと蒟蒻が有名な所です。ここに「すきや連」常連メンバーKさんのネギ農場があるので、訪問されたようで、そのことが書かれています。

 文中に「下仁田ねぎは異形のねぎである」とありますように、下仁田ネギは他のネギと品種が違い、その太さと甘味が特徴です。(正確に申しますと、煮た時の甘味が特徴です。生の状態では、非常に辛いネギです。)

 下仁田は出荷時期が真冬に限定されるので、「ちんや」をはじめ、一年中すき焼きを提供している店では、「下仁田ネギ」より「千住ネギ」を使う場合が多いと思いますが、下仁田がとても美味いことは、あらためてここに書くまでもありません。

 ネギに関して少々ややこしいのは、品種名として地名が使われているところです。だから、その産地以外で生産されたネギについても、その地名入リの品種名が使われます。

 例えば、「千住ネギ」というのは、ネギの品種の名前ですので、他の産地のネギ、例えば、有名な「深谷ネギ」も品種で言うと「千住ネギ」に分類されます。

 しかし一方「千住ネギ」には、「東京都足立区の千住市場で取引されたネギ」という、もう一つの意味もあります。これは一種のブランド名です。つまり、一つの言葉が品種名を言っている場合と、ブランド名の場合とがあるのです。ややこしいでしょう。

 これと同様に「下仁田ネギ」も、この土地の特産=ブランドという意味で言っている場合と、品種の意味で言っている場合の両方があって、気をつけないといけません。

 混同を避けるために、品種名としては「下仁田ネギ」とは言わず「加賀太ネギ」という場合もあります。

 関西に行けば、もう一つの品種「九条ネギ」(=青ネギ)が、多く使われています。

 このようにネギに関して、つべこべ書いておりますのは、すき焼きにおいて、ネギが肉の次に重要と思うからです。今回の連載『続すき焼き ものがたり』で向笠先生も、「すき焼きの準主役であるねぎ」と書いておられます。

 特にネギは冬、これからの季節が旬ですので、是非とも、ネギを味わうために、すき焼き屋へお出かけいただきたいと思います。

 それに、お連れの方にウンチクを語るのに、このブログの、この部分はネタとして最高と思いますよ。

 あのサー、カノジョ、知ってた?

 「千住ネギ」というのはネ、ネギの品種の名前だからサー、「深谷ネギ」もサー、品種で言うと「千住ネギ」なワケ。分かる?

 でもネ、「千住ネギ」には、「東京都足立区の千住市場で取引されたネギ」という、もう一つの意味もあってサー、これは一種のブランド名なワケよ。

 つまりイー、一つの言葉が品種名を言っている場合と、ブランド名の場合とがあるんだヨ。どう?カノジョ、分かるかナー、ややこしいだろオ。

 でも勉強になったロ?覚えときなヨ。

 必ずやモテることを、私が、やす請け合い致します。

  本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて271連続更新を達成しました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 「ちんや」創業130年記念サイトは、こちらです。「すき焼き思い出ストーリー」の投稿を募集しています。

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Filed under: すきや連,すき焼きフル・トーク — F.Sumiyoshi 12:01 AM  Comments (0)

日本ローカルごはん紀行

 「すきや連」で大変お世話になっている、向笠千恵子先生が、11/20に新刊本を出されました。7月にも新刊を出されたばかりなのに、ズゴいです。

 さて、その御本は『日本ローカルごはん紀行』。

 『米ぢから八十八話』という本を書かれて以来の、先生のテーマである、日本人とお米、ご飯、米加工食品の関わりを、おいしく楽しく考察した食紀行です。

 内容は、

・日本の米ぢからに迫る!
・飯ずし、凍み餅にかぶ蒸かし――伝えたい昔ながらの郷土料理
・熊のリゾットにおじやうどん――発見! 新感覚のユニーク料理
・うにの海苔巻き、柚子胡椒むすび――「定番もの」も地方色豊か
・人気ますます上昇中――創意工夫あふれる米粉もの
 

 全国47都道府県の知られざる郷土ご飯ものや、おなじみではありながらトりビアなご飯物語を収録し、番外編もたっぷりです。

 どれもその土地その風土にしっくり溶け込み、新旧のセンスが入り交じったユニークな料理ばかりです。米という食材のすばらしさを存分に味わえます。

 「ちんや」にも最近、食が細く、ご飯をあまり食べないスタッフがいますので、全員にこの御本を配布し、読ませることにしました。

 皆さんも是非お読みいただき、たくさんご飯をお召し上がり下さい、すき焼きのおともに・・・

 講談社+α文庫。ISBNは978-4-06-281399-0

追伸

 弊店のパンフレットをデザインしてくれた方で、彫紙アーテイストでもある林敬三さんがTVに出ます。本日夜9時〜日本テレビ『紳助の「深イイ話」アートスペシャル』。是非ご覧ください!

 林さんのブログは、こちらです⇒http://blog.choshi-art.com/ 

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*「すきや連」についてくわしくは、このブログの10/15号をご覧ください。

第7回「すきや連」、ジャスト・ピッタリ賞

 第7回「すきや連」を今月開催しますので、「旗振り役」兼事務長である、私は準備作業が忙しくなってきました。

 今回は、手切りの御肉と炭火を使った調理方法で知られる、日本橋小伝馬町の「伊勢重(いせじゅう)」さんで開催することになりました。肉は期待できます、当然。

  その出欠者のリストをまとめるのが、私の仕事です。

 120名ほどの方にお声かけし、会場の関係で、「定員50名様・先着順」で募集していましたが、今月に入ってから、だんだん申し込みが増えてきました。定員を突破する前後が、事務的には神経をつかうところです。

 その、神経をつかう申込みの期限が11/15でしたが、その日、奇跡的なことがおきました。定員50名に対して、11/15に50人目の申込書が送られてきて、ジャスト・ピッタリ賞で、締め切りになったのです。ビックリです。

  ご出席下さる予定の、すき焼き屋さんは、松阪牛の「和田金」さん、近江牛(彦根市)の「千成亭」さん、米沢牛の「登起波牛肉店」さん、仙台牛の「かとう精肉店」さん、

 関東では、横浜の「荒井屋牛鍋店」さん、前橋市の「牛や清(ギュウヤキヨシ)」さん、新橋の「今朝」さん、「ニューオータニ岡半」さん、神田の「いし橋」さん、「銀座吉澤」さんなどです。もちろん、会場店の「伊勢重」さんは父子でご出席です。

 また、すき焼きをメイン料理にしている旅館の方も見えます。ホテル竹園芦屋さん、下仁田の「常磐館」さんと「下仁田館」さんです。「すきや連」では、毎回のことですが、盛大な宴会です。

 また、開宴に先立って、㈱沖縄さとうきび機能研究所の高村善雄社長による卓話をお聞きいただきます。テーマは「すきやきに合う砂糖とは」です。この御話しも参考になると思っています。

 「すきや連」は事務の手間も結構あるのですが、これだけ盛況なら、やり甲斐=大ですね。

 それに、運も味方してくれているようです。締め切り日当日に、ジャスト・ピッタリ賞だなんて。

 ひひひひ、と言っていると、ウチのヨメからコメントが。

 あら、随分と運を使い果たしたのね。次が楽しみね。

追伸

 本日は鷲神社の「酉の市」の日です。ご参拝の前後に「すき焼きを」とお考えの方は多いと思いますが、あいにく弊店の夜席は予約で満席になりました。昼席か間の時間にお越し下さい。金曜日ですが休憩無しで営業します。

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群馬のすき焼き

 向笠千恵子先生の連載『続すき焼き ものがたり』が掲載されている、月刊「百味」11月号が届きました。5月号より連載が始まりましたので、今回で第7回です。

 今回、先生は群馬県前橋市まで出かけ、「牛や清(ギュウヤキヨシ)」さんのすき焼きを取材してこられたようです。

 「牛や清」の女将F女史は、「すきや連」にたびたび見えていて、またお嬢様が私の知人に日本舞踊を習っておいでで、私も存じ上げています。群馬県内を走り回って、地産地消の、すき焼きを実現されている方です。

 地産地消のことは存じていましたが、今回、おやっと思ったのは、すき焼きの締めくくりの、うどんのやり方です。

 「これは邪道なのかもしれませんが、とにかくおいしいから・・・」との女将さんのオススメで出されたのは、

 キムチ!

 キムチを鍋に入れ、それに割り下と水、うどんを加えて食べるのだそうです。

 「これが、あっとおどろく爽やかな味。キムチの香りも辛味もマイルドになり、すき焼きのだしとうまくからんでいるし、うどんがこれまたおいしい。(後略)」そうです。

 うーん、私には味の想像がつきませんが、しかし、このニッポンに色々なすき焼きが在るのは良いことです。

 一人のお客様が、何軒ものすき焼き屋をまわり、それぞれの個性を楽しんで下されば良い、と思っています。

  対抗して「ちんや」は、すき焼きに納豆でも入れるかな、いや、それじゃあ、インパクトがイマイチだな、チーズの方が良いのかもな。

 *雑誌「百味」については、こちらです。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

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*「牛や清」さんについては、こちらです。

すき焼き通の日

 毎年10月15日は「すき焼き通の日」です。

   「そんなの聞いてないよ!」と言ってもダメです。日本記念日協会に正式に認定されている記念日なのです。

 それと「すきやきどおりの日」じゃあ、ありませんよ。そんな道路はないですね。「すきやきつうの日」です。

 では、なんで毎年10月15日が「すき焼き通の日」なのか、ですが、それをご説明するには、平成17年に話しを遡らせないといけません。

 その当時、すき焼きについてまとまった本がないことを残念に思っていた私が、どなたか高名な方が、すき焼きのことを書いて下さらないかなあ、と思っていたところ、それを聞いて書いて下さったのが向笠千恵子先生でした。

 最初発表されたのは、雑誌の連載『すき焼き ものがたり』で、その連載は、月刊「百味」誌上にて、平成18年3月から20年4月まで掲載されました。

   この連載がその後、加筆・修整されて、平凡社新書『すき焼き通』としてまとめられました。それが、平成20年10月15日のことです。

 そしてさらに、その日この御本の、出版のお祝いの会を私の店「ちんや」で開いたことが、「すき焼き通の日」正式認定につながり、またすき焼き屋とすき焼き愛好家のグループ「すきや連」の発足へとつながっていきます。

  このお祝いの会の時、初めて全国からすき焼き屋さんが集結し、せっかく面識が出来たのだから、1回コッキリで終わらせるのはモッタイない。「すき焼きを味わいながら、日本の食文化を語り合う会をつくりたい」との話しが期せずして盛り上がり、「すきや連」が発足しました。

  その後「すきや連」の活動は順調以上で、例会を、21年2月に新橋

「今朝」さんで、7月に「浅草今半」さんで、10月に湯島「江知勝」さんで、22年3月には横浜の「太田なわのれん」さんで、22年7月には「ちんや」へ戻って「日本短角牛の、すき焼きを食す会」という具合に続けて開催してきました。

 毎回50人くらいの方が参加され、定員オーバーでキャンセル待ちが出るくらいの勢いでした。

  以上が「すき焼き通の日」と「すきや連」の由来で、こうした活動のために、私はこの五年間を過ごしてきました。あっ、と言う間に過ぎたような気がします。

   世は不景気ですが、こうした活動で、すき焼き業界に少しでも良いことがあれば、と思います。

  この次は、本当に「すき焼きどおり」を作るのもいいかもしれませんね。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

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*日本記念日協会のホームページはこちらです。

断腸亭日乗の中の、すき焼き

 月刊「百味」9月号が届きました。

 今月号には「かぶちゃん」こと鏑木武弥さんと、私の対談記事が載っているので、そこを先に読んでしまいましたが、やはり「百味」に連載されている、向笠千恵子先生の「続すきやきものがたり」も必読です。

 読みますと、終戦前日の昭和20年8月14日、文豪・永井荷風と谷崎潤一郎が一緒にすき焼きを食べるくだりが紹介されています。双方の日記に載っているそうですが、私はウカツにも知りませんでした。

 荷風は、浅草にとても縁のある作家でしたので、一応勉強をしたつもりでしたが、この部分は「戦争で疎開中だから浅草には関係ないな」ということで見逃しました。

 この日の荷風の日記『断腸亭日乗』には「燈刻谷崎氏方より使の人来り 津山の町より牛肉を買ひたれば すぐにお出ありたしと言ふ。」とあり、二人ですき焼きの鍋を囲んだようです。

 「津山の町より」というのは、岡山県津山市のことで、二人とも戦争中は、岡山県に疎開していたのです。その疎開先での出来事です。

 荷風が足しげく通った浅草の店と言えば、蕎麦の「尾張屋」さん、洋食の「アリゾナキッチン」さん、「どぜう飯田屋」さんが代表で、「ちんや」も『日乗』に出ては来ますが、頻度は比較になりません。だから、すき焼きが好きという印象はありませんでした。

 8月14日も、谷崎の方から誘ったようですね。

 それにしても「牛肉を買ひたればすぐにお出ありたし」というのは良いですね!

 今とは肉の貴重さ加減がもちろん違いますが、肉が入ったから⇒会う、という順番がなにやら楽しい感じにさせてくれます。

 現代の文化人の皆さんも「ちんやにて牛肉を買ひたればすぐにお出ありたし」という具合に行っていただきたいですね。

 追伸

  誠に勝手ながら、8/31〜9/2まで店を休んでおります。遅い夏休みです。ご寛容をお願い申し上げます。

 休み中も、ブログは書き溜めがありますので、「予約投稿」でUPする予定ですが、Twitter(http://twitter.com/chinya6th)の方はつぶやかないと思います。よろしくお願い申し上げます。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 *「百味」については、こちらです。

*「かぶちゃん」との対談については、こちらこちらをご覧下さい。

 

野菜としての唐辛子

 7/31の隅田川花火大会を控え、隅田川周辺には、すでに頑丈なバリケードが多数設置されています。それを尻目に、

 7/29、向笠千恵子先生の、唐辛子についての、セミナーに出席しました。

 「野菜としての唐辛子を楽しむ」という趣向のセミナーで、唐辛子を主役にしたオリジナル・ランチ会席も付いていました。

 すき焼きに入れる野菜は、従来決まりきっていましたから、私・住吉史彦は、ごく最近まで、すき焼きに入れない野菜については、あまり興味を持たずにきました。

 でも、去年の7/7の「すきや連」での寄せ書きをキッカケに、「ちんや」で「変わりザク」を始めてから、俄然、野菜も面白くなってきました。

 7/11の、「かぶちゃん」こと鏑木武弥さんとの対談でも、肉のことはあまり話さず、野菜のことばかり話していました。

 また、7/12に「ちんや」で開催した、「すきや連」で「変わりザク」として、

 賀茂ナス、蓮根、伏見甘長唐辛子、オクラ、凍み蒟蒻 をお出ししたら、

 「短角牛と夏野菜の相性は格別でした。」

 「七夕に短角牛に出会いしあわせです。季節の野菜も彩りよく、すき焼をいっそう美味しくしてくれます。」

 「めずらしいお肉 めずらしいザク 素晴らしいすき焼きをありがとうございます。勉強になりました。」

 などと寄せ書きしていただき、私もますます頭にのってきました。

 そんなおりもおり、今回の「野菜としての唐辛子」という趣向のセミナーがありましたので、是非にと出席させていただきました。

 向笠先生は、新刊本『食の街道を行く』で、唐辛子が伝わった道を訪ねておいでで、さすがの詳しさです。また生産者や、加工業者の方も見えていて、つくりの苦労話しなどを聞かせてくださいました。

 そもそも、唐辛子は新大陸生まれ。コロンブスが持ち帰ってから約100年後に日本に伝わりました。そして、香辛料として普及する一方で、京都などではうま味中心の甘唐辛子として、万願寺唐辛子・山科唐辛子・伏見甘長唐辛子・あま南蛮・鷹ケ峰青唐等の野菜に生まれ変わりました。

 また、さまざまな唐辛子の加工食品も全国各地に存在していて、日本人の暮らしに、いかに唐辛子が浸透しているか、わかります。不覚にも、知りませんでしたが、唐辛子は、いやあ、面白いです。

 が、

 えー、唐辛子情報はとりあえず、この辺で。続きは、『食の街道を行く』をお求め下さい。

 なんだよ、住吉、ケチだなあ、もっと書けよ!

 いやあ、まだ直ってないんですよ、意地悪キャラ。ひひひひ。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

*「変わりザク」発売の経緯については、このブログの3/7号をご覧下さい。

*「かぶちゃん」との対談については、このブログの7/12号をご覧下さい。

*『食の街道を行く』ついては、このブログの7/24号をご覧下さい。

出前すき焼き、使い捨て文化

 猛暑の中、TV朝日「ちい散歩」で宣伝していた「ひえひえジェルマット」を注文しようとしたら、電話が殺到しているのか、つながらず、注文できませんでした。

 ムカっと思っていたところへ、「百味」8月号が届きました。

 「百味」には、向笠千恵子先生の新連載『続すき焼き ものがたり』が連載されています。この新連載は5月号より始まったもので、今回は8月号ですので、第四回です。

 早速拝読しますと、「すきや連」で旧知の、F社長の御店「今朝」さんの、創業期から発展期の話しが書かれておりました。

 面白いのは、かつて、すき焼きの出前をしていた、という部分です。

 「今朝」さんのある場所は新橋で、花柳界がありますから、その花柳界の待合に、すき焼きの出前をしていたそうで、鍋も貸し出しており、配達専門の小僧さんまでいた、というから驚きます。

 「待合」という言葉は、昨今ほぼ使われなくなったので、念のため説明しておきますが、客と芸者さんが会うための貸席のことです。料理を作る設備はありません。

 料理を作る設備がある方は「料亭」と言いますね。待合とは、料理を作れない料亭と思っていただいてもまあ、良いでしょう。

 そういうわけで、待合は、料理を作れませんから、近所の料理屋から仕出しをとります。「今朝」さんのすき焼きも仕出しの1種だったわけです。

 料理屋の発展ものがたりを読んでいると、なぜか途中で出前を始めている例が多いですね。

 私も、かつて自分の店の商売のことを思案していて、すき焼きの一通りの具材に割下も揃えて、バイク便を使って出前をすれば喜ばれるのかなあ、と思ったことがありました。

 でも、問題は鍋です。

 「今朝」さんが出前をしていた頃も、店に戻ってきた鍋が、焼け焦げていたり、傷ついていたりで難儀した、と書かれています。慣れない人が、鍋を使ってオジヤを作ろうとすると、焦げさせてしまうことがあり、後で始末が大変面倒です。

  そう言えば、鰻業界は、今でも出前をするのがお約束ですが、名門「竹葉亭」の七代目B社長が、出前の件で、ボヤいていたことがありました。平成のある日、職人の技が光る、立派な、塗りの重箱に、蒲焼を入れて出前したら、使い捨ての箱と勘違いされて、捨てられかかったのだそうです。

 昭和のはじめから塗り直しを繰り返してきた、この重箱をゴミ箱に放り込んだのは、大手銀行の重役秘書のお嬢さんだったそうです。使い捨て文化が、いかにこの国に定着しているのがわかります。

 使い捨て文化の世の中だと、鍋の貸し出しは難しいよなあ、やっぱり。

 鍋はむしろ、売るしかないのかな、骨董品として。

 古物商の免許でも獲るか。考えてみれば、元美術部員なワケだし。

 え? クソ暑い日には、あんまりものを考えない方がいいぞ! って? そうでした、ハイ。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

*『続すき焼き ものがたり』については、このブログの5/2号をご覧下さい。

 *新連載『続すき焼き ものがたり』が掲載されている、月刊「百味」については、こちらです。

 *「今朝」さんについては、こちらです。

*「竹葉亭」の重箱ポイ捨て事件については、「三田評論」2009年10月号をご覧下さい。

食の街道を行く

 『すき焼き通』の著者で、「すきや連」活動でもお世話になっている、向笠千恵子先生が新刊を出されました。

 『食の街道を行く』という御本です。(平凡社新書)

 先生は長い間、食の分野で仕事をなさってきた、第一人者ですが、それでも、巻頭言の中で、

「この手の取材は対象がピンポイントになりがちである。」と言っておいでです。
 そこで、今回の御本を書くにあたって、先生は視点を少し修整し、以下引用ですが、

 点を追うばかりでなく、食の流れを線や面としてとらえられないだろうか。
 考えた末に、食べものの名がついた街道に目を向けた。鯖街道、ぶり街道、鮎鮨街道と、魚の名を冠にした道だけでもいくつもある。

 もし、それらの「食の街道」を俯瞰できれば、食の流れを空間的にも時間的にもトータルに把握できるに違いない。
 始点と終点の食、そして宿場ごとの食もわかるし、その食品の歴史までも見えてくるはずである。(引用終わり)

 そういう視点で、日本に数ある「食の街道」を訪ね、食の流通・交流に関連する道を辿り、日本の食文化の原点を探る、という大変意欲的な挑戦をなさったのが、この御本です。

 ご本人が、集大成的な本、とおっしゃるだけあって、傑作です。

 紙面の裏に、永年の、ピンポイントでない、取材活動が透けて見え、説得力が違います。そして、そうした取材で得た知識と、食にまつわる伝承とが、文中で見事につながっていく辺り、快作です。

 食に関心のある、全ての皆様の、参考になる名作と思います。

 さらに、嬉しかったのは、この御本に浅草も登場することです。川越から江戸へ水運で続いていた、「さつま芋の道」の終着が、浅草のすぐ近くの、花川戸、駒形、蔵前なのです。

 私も、浅草近辺に芋問屋さんが多いことは、もちろん知っていましたが、「さつま芋の道」というほど盛んな往来だったとは、不勉強で知りませんでした。

 現代の、芋問屋さんの代表として登場する、「川小商店」さんの「川」が、川越の「川」であることも、存じませんでした。「川小」のS社長とは旧知で、よくお目にかかるのに存じませんでした。

 S社長とは、浅草の大先輩で、この御本の259ページに、「浅草を代表する旦那衆の一人」「歌舞伎役者顔の好男子」と称賛されている方のことです。

 うーん、「旦那衆の代表」は、まあ良いとして、「歌舞伎役者顔の好男子」と言えば、むしろピッタリなのは、すき焼き屋「CH」のS社長だろうな。今度向笠先生にお目にかかったら訂正しておこう、うん。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

*『食の街道を行く』のご購入は、こちら(平凡社のサイト)です。

巨人ナインが愛した味

 7/16は恒例の、雷門横丁一斉清掃でしたので出動しました。

 今回は大手カラオケ・チェーン「K館」のダストボックスの中を掃除しました。汚れ具合は、先月掃除した、超大手牛丼チェーン「Y野家」のダストボックスほどではありませんでしたが、中でゴキ・ボーイズの皆さんが運動会をなさっていましたので、お引き取りいただきました。

 お、住吉、久しぶりに「すきや連」以外のネタだな、

 と見せかけておいて、ゴキブリの話しは、あくまで前置きです。今日も、やっぱり「すきや連」のネタです。

 さて、最近「すきや連」にとって、嬉しいことがありました。「すきや連」関連の本と言えば、向笠千恵子先生の「すき焼き通」ですが、この7月、もう1冊の本が出版されました。

 「巨人ナインが愛した味ー情熱料理人「梅ちゃん」のおいしい交遊録」という題の本です。

 著者の梅田茂雄さんは、プロ野球・巨人軍の定宿である「ホテル竹園芦屋」の料理長を永年勤めた方で、「すきや連」常連メンバーの、梅田雄一さんのお父上です。

 この本の全ての始まりは、2008年夏の「週刊ポスト」の、長嶋監督の記事だったそうです。

 その記事の中で監督が「竹園」のお肉のことを語っていたのが、向笠先生の目にとまって、先生はホテルに取材を申し込み、その電話をとったのが、当時ホテルの事業部長だった梅田雄一さんだったのです。

 これがご縁で、梅田さんは、その年の秋の「ちんや」での『「すき焼き通」出版を祝う会』に出席され、以来、「すきや連」の常連メンバーになりました。その後ホテルから独立されましたが、「連」には続けて来ていただいています。

 その翌年の5月、梅田さんは向笠先生に「父の料理の本を出したい」と相談をされ、それを聞いた先生は、7月7日に「浅草今半」さんで開催された「すきや連」の席で、やはり「連」メンバーの、dancyu編集長Mさんを、梅田さんに引きあわせました。

 その後、この計画は、どんどん具体化し、1年後の今年7月に、目出たく発売となりました。考えてみると、「すきや連」が無ければ、この本は出版されていなかったという事になる訳です。

 梅田さんは、ご自身のブログで、

「そりゃもう感謝してもしきれない訳です。今回の「すきや連」(7月12日)の会の冒頭、向笠先生はご自身の新刊が7月15日に発売になるにも関わらず、その事よりも父の本を紹介して下さいました。本当にありがとうございました。会の最後の自己紹介スピーチでも言わせて頂きましたが、本当に人のご縁に感謝というしかありません。ありがとうございます。」

と語っておられます。

 私も拝見しましたが、川上、藤田、王、長嶋、堀内、原といった有名選手・監督のエピソードが満載ですから、巨人ファンならかなり面白い御本と思います。

 しかし、それ以上に、この御本は、料理と巨人軍のために生涯をささげた、一人の料理人の人生のドラマとしても、読み応えがあります。巨人軍選手の一人一人にあわせて旨いものを食べさせるために懸命に働く、著者の献身ぶりには、チョッと泣けます。

 その誠意は、料理を通じて多くの選手に伝わり、たくさんの「感謝のメッセージ」が、選手たちから著者に寄せられていて、この御本に収録されています。こちらも、読むと結構泣けます。

 料理人の、ひとつの理想形と言えると思います。

 この御本を「ちんや」の全従業員に読ませたいと思い、dancyuのM編集長に注文を入れました。

 皆さんも、是非ご購読を。

  本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 追伸、住吉史彦は、別段、巨人ファンというわけではありません。非武装中立です、念のため。

*梅田さんのブログはこちらです。

*この本のご購入はこちらです。

*雷門横丁一斉清掃については、このブログの4/17号6/19号をご覧下さい。