花川戸今昔

「花川戸今昔」という小冊子を入手しました。

新「ちんや」の地元である浅草花川戸の「花川戸経営研究会」の方々が町会の皆さんとも協力して発行したものです。

目次に背景のデザインには魚屋北渓の「東都金竜山浅草寺図」(1820年)が使われています。

さて、それでは「花川戸」の語源はなんでしょう。「花川戸今昔」に曰く、

「隅田川沿いには八代将軍吉宗が庶民の花見のためにと植樹した美しい桜並木があり「花川戸」の名前が生まれた」

とあります。

花や川のある土地への門戸なので「花川戸」という次第です。聞けば、

吉宗の頃、桜の花見の季節になると江戸っ子は、上野・寛永寺の境内に繰り出すのが定番でした。

しかし境内は花見客でいっぱい。酒が入ると、その勢いも手伝って、度が過ぎた騒ぎが起きることがあったとか。

将軍の墓所も置かれた寛永寺境内での騒ぎは、幕府にとって頭の痛い問題でした。遊楽地が乏しいことに原因があるとして、江戸の町に桜の名所を作ろうと計画が浮上したそうです。

「花川戸」、良い地名と思います。

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本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。 弊ブログは2010年3月1日に連載スタートし、本日は4.419本目の投稿でした。

Filed under: すき焼きフル・トーク — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)