むぎとろ

 「ちんや」の、浅草広小路をはさんだ真向いに「浅草むぎとろ」さんがミニ支店を出されました。

 カウンター10席ほどの小さな御店ですが、しっかり「とろろ飯」が食べられます。

 駒形橋の西詰めにある、「むぎとろ」の本店さんは、今では料亭風の建物となっていて、料理もコースです。その最後に、ようやく「とろろ飯」が出てきます。

 一方、こちらの支店は、直球勝負の「とろろ飯」なので、小さい店でかえって良いという方も多数おいでと思います。

 メニューは「とろろ飯」500円也。

 お新香と、かりんとうの様な「とろりんとう」が付いています。

 「高いなあ」という勿れ。

 それはそれは、こだわった「とろろ飯」なのです。

 なんでも初代のお考えは、とろろ飯は「家庭でも簡単に作れる料理だからこそ、素材にはこだわる」ということだったそうです。

 気温や天気によって、すりおろした芋に加える昆布の出汁の分量に変化をつけるなどの工夫もされています。      

 すごくサッパリ、消化にも良いです。

 その昔、とろろは真夏の食欲増進に珍重されたそうですが、その感覚は勿論今でも在ります。食べて終わって⇒おなかが減る感じ、と申しましょうか。

 すき焼きを召し上がった後の、「〆め」に良いかもしれません。

 そういう回遊コースができたら、それも、浅草の食文化ですね。

追伸

 「台彪会」会長として、「ニッポン全国彪友会ー台東万博!」を計画しています。

 二条彪先生の門下生約200m人が集まる、一大交流会です。先生のメルマガを取っている方なら、どなたでも参加できます。

 2012.4.20(金) 浅草が燃えます。

 詳しくは、こちらをご覧下さい。

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閉店

 浅草の、明治時代から続いた和装屋さんが閉店しました。

 私は閉店のことを事前に知らず、閉店してしまって数日たってから、たまたま御店の前を通りかかって、告知文を見つけました。

 そして、あまりのショックに、数秒間身動きできなくなってしまいました。

 閉店なさった、最後の日の夜に、その御店の方々が「ちんや」に食事にいらしていたからです。

 なのに、私は何も声をかけて差し上げませんでした。知らないこととは言え、残念で残念で堪りません。

 その御店の方とは、個人的にはまったく面識がありませんでした。御顔も存じませんでした。

 私は和装に詳しくないので、ああ、そういう店が浅草にあるな、くらいの認識でしたが、他の街の和物通の知人から、地味だが良い店と聞かされたことがありました。

 来店された時、

「私が主人です」と部屋に入って行って名乗り、挨拶すれば良かったのですが、その日はたまたま忙しく、知人が来店していて、その応対でバタバタしていたので、結局、御挨拶にうかがいませんでした。

 それが御店の最後の日だったとは・・・

 今和装は、ごく一部の方の間で趣味として、流行っているようですが、普通の日本人は着なってしまいました。その状況で、後を継ごう、という方に恵まれなかったようです。

 店舗は、現在そのままですが、後に何ができるのでしょうか。

 結構良い場所にありますので、おおかたチェーン店か外食産業でしょう。

 悲しいです。

 悔やまれます。

 この文章を書きながらも泣けてきます。

追伸

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修学旅行のご馳走は

 「すき焼思い出ストーリー」のサイトに、また新しい御投稿がありました。続けて御投稿があり、有り難いことでした。

<YOさん(東京都在住、45歳)からいただいた「すき焼き思い​出ストーリー」です。>

  題して『修学旅行のご馳走は』

  私の通っていた私立女子校の小学校修学旅行の行き先は、京都で​した。1学年90名ほどが寒い2月の京都を訪れます。宿泊はこじ​んまりとした旅館でしたので、部屋の大きさが、大部屋から小部屋​までまちまちでした。班分けは背の順で、背の小さなグループは大​人数で大部屋に、私は一番背の高いグループでしたので、小さな6​人部屋に、という具合でした。

  配られた旅行の栞には、毎日の食事の献立が細かく出ていますが​、最後の日の夕食については「ご馳走」とだけ書かれています。「​ご馳走って、何かしらね。」と食いしん坊の私たちは期待に胸をふ​くらませていました。

 「ご馳走」はすき焼きでした。小部屋の6人で鍋を囲みます。仲​居さんが、「お代りたくさんしてくださいね」と京都弁で言いなが​らお肉を運んでくれました。「お代りたくさんしてくださいって言​ってたわね。」と言いながら、仲良し6人、あっという間にお肉を​平らげ、「お代りください!」と言いに行きました。

 するとなぜか仲居さん大慌て。毎年同じことを言うけれど、お代​わりした子供たちは初めてだったようなのです。先生方にも連絡が​行き、先生まで大慌て。別の部屋に余っているお肉を探しに行き、​無事に大部屋で手つかずのお皿を発見して、「よく食べる子は大き​くなるって本当ね。」というセリフとともに、お代わりが運ばれて​きました。

 さて、それから約10年。私は京都の人と結婚しました。里帰り​すると必ず1度は「ご馳走」のすき焼きが出てきます。京都の人は​東京の人に負けないくらい、すき焼きが好きなのですね。私たちが​帰ると聞くと、母は一番美味しいすき焼き屋さんに走り、すき焼き​用のお肉をたくさん買ってきて準備します。

 季節によっては掘りたての筍が入ったり、細かな変化はあります​が、お肉はやっぱりちゃんとしたお店でホンモノを買わないと、と​いうことのようです。母や子供たちとすき焼きの鍋を囲みながら、​修学旅行での先生方の慌てぶりを懐かしく思い出します。

 あれから30年。私の母校に通う娘の、修学旅行の行き先は京都​。なんと宿も同じ。最後の日の夕食はすき焼きだったそうですが、​お代わりはしなかった模様。

 <投稿終わり>

  それにしても、30年間修学旅行が同じ宿で、30年間御馳走がすき焼きってス​ゴいですね。

  それと御馳走っていう言葉も、いい言葉ですよね。  最近あまり言わなくなりましたが、復活させたいですね。

  YOさん、ご投稿有り難うございました。 

 追伸

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実家のすき焼き

 「すき焼思い出ストーリー」のサイトに、新しい御投稿がありました。一か月ぶり位でしょうか。

 東京都在住・48歳の、パイフーさんの「すき焼き​思い出」です。

 題して「実家のすき焼き」・・・

・・実家は新潟の上越地方です。

 上京し30年以上過ぎましたが、すき焼きといえば、実家のものが​基準です。関東では割り下を使いますが、実家では砂糖、酒、醤油​を直接入れていきます。そして肉はなんと豚を使っていました。

 割り下を使ったり、牛を使ったりするのは東京へ来てから知った​ので、それまではすき焼きとはそういうものだと思っていたわけで​す。今でしたら酒を飲みながら、ということになりますが、当時は​子供でしたからあくまでも夕御飯のおかずです(父は晩酌しながら​だったと思いますが)。

 具を一通り堪能した後、くたくたになった葱や細かな具の残った​汁を御飯にかけて食べる。これが最高の締めですね。

 ちなみに、すき焼きは日曜の晩が多かったように記憶してます。​やはり「ハレ」の食べ物なのでしょうか。今でも、サザエさんのテ​ーマソングが流れると実家のすき焼きを思い出してしまうのです。​<終わり>

 「すき焼思い出ストーリー」のサイトを運営していて面白いのは、このように各地のすき焼き事情を教えてもらえることです。

 こういう話しを記録している人は、そうはいないでしょう。こうして投稿していただくことで、昔のすき焼き事情が記録されるのが嬉しいですね。

 ちなみに、豚のすき焼きは珍しくはなく、東日本では良く行われていたようです。

 以前にも群馬県の方から、豚すき焼きについての御投稿が届いたことがありまして、それでそうした事情も知ることができています。

 今後も、どんどん御投稿いただきたいと思っています。

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指宿

 ツイッター検索は面白いです。先日も変わったものを見つけました。

 鹿児島県指宿市の、「いぶすき夢美」様(@ibusukiyumemi)という、存じ上げない方のツイートに、私はビックリしました。それは・・・

「JR九州の数年前の企画なんだけど、指宿駅でクリスマスイブにすき焼きをやるっていうのがあったわ。イブにすき焼き…「イブすき」…今もやってるのかしら。」

というツイートを見つけましたので、早速詳しく調べてみましたら、

 ありました!!!

 南日本新聞社の報じたところによりますと・・・

「指宿市のJR指宿駅前広場で12月24日、クリスマスイブ恒例のイベント「イブの夜にスキ焼き」があった。1杯100円ですき焼きを販売。フラダンスなどのステージショーもあり、多くの人出でにぎわった。」

 ほお、既に恒例行事になっているんですか。

「指宿とクリスマス「イブ」、「すき」焼きをかけたイベントで同駅前通り会の主催。」

「すき焼きは地元産牛肉や野菜などをふんだんに使い、販売開始直後から長蛇の列ができた。会場にはカレーライス、豚汁、おでんのテントも並び、鹿児島日豪協会が提供したワインの試飲コーナーもあった。」

「ステージではフラダンスのほか、人気アイドルグループAKB48に成り切って歌とダンスに挑戦するAKBコンテスト、地元のフィリピン人会によるフィリピンの郷土芸能の披露や和太鼓、バンド演奏もあった。」

 AKB成り切り、ですかあ。まあ「イブすき」のネーミング自体が馬鹿馬鹿しいですから、AKB位は許容範囲内でしょう。

 この企画のザンネンなところは指宿市でしか成立しないところすね。

 あ、でも、仮にですよ、指宿さんという御名前の方がいらして、イブにすき焼き宴会を主催したら、それも「イブすき」ですよね。

 AKBに成り切れるかなあ、指宿さん。

追伸

  毎日新聞社発行の毎日ムック『100年の味 店100選』に載せていただきました。有難いですね。2012年1月12日発行。是非お求め下さい。

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悪口

 ある日、玄関にいたら、カメラを担いだ若い男女が入って来て、いきなり話し始めました。

 浅草のプロの飲食店の人にインタビューして、浅草の他の飲食店のどこが美味いか、ランキングを作って、テレビに出したいんですよお〜

 ご協力いただけますかあ〜

 私はキッパリ、

 それは協力できませんよ。狭い浅草の中で、どこが美味いとか不味いとか言えませんから。多分、皆さんも協力できないと思いますよ。いかがなもんかと思いますねえ、その企画。

 で、この件をFBに投稿したら「いいね!」が、たくさん戴けました。

 コメントもたくさん・・・

 なんと、不躾な(-。-;)

 ずいぶん失礼ですね!

 おっしゃる通り!失礼な企画が多過ぎます。視聴者の満足​、興味を満たせばいいってわけではないですよね!

 マスメディアには誰でも載りたいはず、という思い込みで仕事してるんでしょうね。きっと。・・・

 FBでたくさん「いいね!」されるのは、基本的には人様を批判する内容のものよりは、楽しい内容のものが多いと思いますが、この件は違いました。

 昨今のテレビのくだらなさについて、皆さんの鬱憤が堪っているのだなあ、それが出て来たな、とあらためてわかりました。

 そう言えば、今時手放しで批判してもOKなもの

 そういう風に人様を悪く言うのは、やめておけよ、って言われなくて済むもの

 それは、政府・国会・テレビ。

 ?

 それって、四つの権力の内の三つですよね。

 トホホです。日本国。

 追伸

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感動企業

 YKK販売代理店の後継者の皆さんの集まりである、「翔栄会」の研修会に参加させていただきました。

 私たち「台彪会」は、日頃「台東区若手経営者サポートセミナー」で二条彪先生に御指導いただいていますが、「翔栄会」の皆さんも二条先生に習っています。

 先生から、

「皆さんとても熱心で真面目な方々です。(中略)今回台彪会の皆さんがおいでいただけることになるかもしれないが、合同で勉強をする気はないか?と聞いたところ、ぜひ台彪会のみなさんとご一緒に勉強したい!!という熱心な返事がありました。」

とのお勧めがあり、また私たちは4/20に「ニッポン全国彪友会―台東万博!」を主催予定ですので、その宣伝も兼ねて、仲間8人と共に参加してきました。

 さて、今回の研修内容は「ヤマシナ商事」山品社長の、経営体験談です。

 山品さんは、二条先生がコンサルタントを始められた最初の頃からの、古参の弟子で、

一日に2度も3度もブログを更新することでも知られています。

 まず、ヤマシナ商事の経営理念を拝見しますと・・・

 みんなの笑顔で幸せ築きます。それが私たちヤマシナ商事です。

『お客様に安心と信頼を提供することで、お客様をはじめ社員やヤマシナに関わるすべての人たちに喜び、感動を与えたい。』

『安心・信頼・チャレンジ精神で日本No.1企業を目指す。』

『そして、みんなを笑顔に変えたい。』

 私たちヤマシナ商事は、単にモノやリフォームを売るのではなく、お客様の幸せな空間づくりのお手伝いをさせていただきます。

 その幸せな空間づくりを通じて、ヤマシナに関わるすべての人たちが笑顔で幸せになっていただきたい!

 そんな想いからこの経営理念が生まれました。

・・・とあります。

 この文章だけ読むと、さほど珍しく感じないかもしれません。

 単に〇〇を売るのではなく、お客様の幸せな△づくりのお手伝いをさせていただきます。

というフレーズは、結構見かけます。

 「ちんや」も、

 単に、すき焼きを売るのではなく、お客様の思い出づくりのお手伝いをさせていただきます、と標榜しています。

 でもヤマシナさんは、幸せな空間づくりのための、手間ヒマのかけ方が、半端ではなく、

ああ、ここまでやればお客様は感動して下さるかもしれないなあ、担当した社員さんも、働きながら感動しちゃうかもなあ、と感心させられました。

 例えば、ヤマシナ商事さんの仕事は、家のリフォームですが、その工事前と工事中、工事後の様子を動画に撮って、DVDに仕上げて、竣工後にお客様と職人さんが一緒に見るのだそうです。

 まず前段では、そのご家庭(=お客様)がリフォームを決意した事情が語られます。

 例えば、おじいちゃんが要介護になったから、あるいは3世代同居しないといけなくなったから・・・

 それから、壊してしまう家への断ち切れない愛着も語られます。そもそもDVDを作り始めたキッカケは、壊す家の記録が欲しい、という要望があったからだとか。

 そして、工事に入ります。今度は職人さん達が出演して、工事にかける意気込みや注意点を語ります。

 そしてそして、工事後。新しい家で微笑む、ご家族の画像。

 ここに泣ける音楽をかぶせます。

 ううう・・・

 これを見て我々も感動しましたが、当事者のお客様と職人さんは、たいてい感動のあまり号泣してしまうそうです。

 うーん、良くできています。しかもこれが自社制作と言うから二度感心します。

 それだけでなく、ヤマシナさんはリフォームOB家族に毎月DMを送ったり、OB仲間でのバス旅行、夏祭りなども実施しているそうです。

 リフォームというのは、一回ご注文があったら、次の注文があるまで、かなりの期間がありますね。その間もDMを送り続けるのだそうです。

 へええ。

 「費用対効果」とかいうケチなことは考えないのですね。

 実際、リフォームのリピート率は83%で、デイズ二―ランドの97%に迫っているとか。

 そして講演の最後に山品さんは、

 皆さん、経営は、give and take ではなく、

  give and give だと思いますよ!

 おお、流石、感動企業。

 この学びの機会を作って下さった、ヤマシナさん、「翔栄会」の皆さんに感謝です。

追伸

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ワイン会

 「ちんや」でワイン会が開催されました。

 お客様が数種類のワインを持ち込まれて、弊店のすき焼きとの組み合わせを楽しまれました。

 え? ワインなんだから「組み合わせ」じゃあなくて、「マリア―ジュ」だろう って?

 そうそう、そのマリーなんとか、が開催されました。

 弊店史上初の「ワイン会」なので、どうなることやらと思いましたが、無事お楽しみいただけたようで、安心しました。

 こういうことが、出来るようになったのは、このブログの昨年の10/22に書きました通り、酒の「お持ち込み」の制度を作ったからです。

 大震災以来いろいろ御酒のことを調べるにつけ、全国の素晴らしい地酒を「ちんや」で飲んでいただけないのは残念、と思うようになりました。

 かと言って、全てを仕入れておくのは、実際問題として不可能です。

と、なるとお客さまに持ち込んでいただくのが実際的ですね。と、いうことでスタートしまして、ポツポツとご利用いただけるようになりました。

 しかし、です。日本酒の地酒をイメージして作った制度ですが、結果としては、日本酒党よりワイン党の皆さんにご利用いただいています。

 では、そうなることを予想していなかったのか、と言うとそうではなく、実は、最初からワイン優位を見込んでいました。おそらくワイン党の皆さんの方が利用なさるだろうな、と考えていました。一般人に知識を普及させる努力の度合いが、断然ワイン業界の方が上だからです。

 ですので、お持ち込みの制度を作るにあたって、まず考えましたのが「ワイン・グラスを買わなきゃ!」ということでした。これは、ちょっとしたハードルでしたね。

 ワイン党の方は、ワインの種類でグラスを使い分けるのが常識ですから、そうした皆さんにも弊店を使っていただくにはワイン・グラスを揃える必要があるのです。まあ、まともな洋食の御店は皆、以前から揃えているわけですから、それに今頃追いついただけの話しですけどね。

 けっ、オレは日本酒しか飲まないぜっ とか

 けっ、日本男児がグラスなんかにこだわっていられるか!

という方のために解説しますが、ワイングラスの使い分けは、味覚に関する科学的な研究の結果始まったもので、合理的な話しです。組み合わせのことをわざわざフラ語で「マリア―ジュ」と言うのは、まあカッコつけですが、グラスの件は違います。

 人間の「味らい細胞」は、舌の上に均等に位置しておらず、ある場所は甘味を感じる部分、ある場所は酸味を感じる部分という具合に、分業しているのです。で、その酸味を感じる部分に酸味の強いワインを一気に注ぐと、酸っぱくて美味しくない、と感じてしまうわけです。

 細口(=末広がり)のグラスでワインを飲んだ場合、舌の奥のほうにワインが接触します。そこが酸味のポイントなので、酸味の強いワインを細口のグラスで飲むと酸味ばかり強調されてしまう、という理屈です。甘味や苦みにもポイントがあります。

・・・この話しは、ネットで「ワイングラス」とか「リーデル」とか検索すれば、さらに詳しく知ることができますので、やってみて下さい。

 とにかく、まあ、こんな感じで、ワインには色々と細々とした「お勉強」が必要です。そして、それを学ぶのが好きだ、という人がせっせとワイン・スクールに通っておられます。

 特に知的な女性がワイン・スクール通いをなさるようですね。

 ここが、まさに日本酒業界の負けているところです。

 ワインの店は女性で華やかなのに、日本酒の店はオヤジの巣窟ですからね。

 だから!

 日本酒業界は、まず以て知的な女性にウケるように、なんでもかんでもフラ語を使うべきです。

 酒は、sake

 すき焼きは、sukiyaki

 猪口は、 choko petit

 うん、オシャレですね。

 酒の「お持ち込み」制度については、こちらです。 

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いろは

 瀬戸内寂聴先生が東京新聞に、大正時代の文学界をテーマにした連載をされています。

 先日、その内の一回で、木村荘太が伊藤野枝に「熱烈な恋文攻勢」をかけた、という話しが書いてありました。

 木村荘太とは、この時代の作家・翻訳家で、武者小路実篤の「新しき村」に参加した一人でもありますが、この作家のことをご存じない方は多いと思います。

 私だって、すき焼き屋でなければ記憶していなかったと思います。木村荘太の父が、すき焼き屋だから記憶しているのです。

 実は、木村荘太の父は「すき焼き屋だ」どころではなく、すき焼き業界史上最大の、話題の男なのです。

 荘太の父・荘平は牛鍋屋チェーン店「いろは」を20数箇所に展開して、「いろは大王」と呼ばれると共に、葬儀会社「博善社」の社長も兼ねた実業家でした。

 多数の愛人を持ち、その愛人に「いろは」各店を経営させていたそうです。

 スゴいですよね。伝記本も出ています。

 あちこちに作った子の数が、男13人に女17人、というから驚きです。荘太も妾腹の子の一人でした。

 荘太の他にも才能ある子が多く、また裕福だったためか、多くが文学方面に進んでいて、異母姉栄子が木村曙の筆名で作家として知られた他、同母弟に木村荘八(挿絵画家)、異母弟に木村荘十(直木賞作家)と木村荘十二(映画監督)がいました。八、十、十二とか名前の付け方がいい加減なのが素晴らしいです。

 荘平は、今の人権感覚ではトンデモナイ男でしょうが、この時代の、肉食な勢いを感じますね。

 そして、その「大王」荘平の子である荘太が、時代の先を行く女性・野枝に恋をしたわけですから不思議です。

 ややこしいですね、大正時代。

追伸

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お燗機

 久しぶりに「酒の穴」を訪ねました。

 「酒の穴」とは、もろみを搾る工程で、上から下へ強い圧力をかけた時に出来る穴のことで、蔵人の信仰の対象に成っている穴、では勿論なく、銀座の酒の御店です。そう、店の名前です。名店ですから、ご存じの方もおいでかと思います。

 でも、私にとって、入りにくい御店です。

 この御店は「銀座らん月」ビルの地下にあって、「らん月」さんのご経営です。つまり私にとっては、同業の、しかも学校の先輩の御経営なので、うっかり入って、ヘロヘロになるわけにはいかないのです。

 でも、いったん入ったら、素晴らしい御酒がたくさん置いておりますから、飲まずにはおれません。それで、ますます入りにくいわけですが、知人の送別会があって、久しぶりに訪ねました。

 さて、そういうわけで訪ねますと、厳しい冷え込みの日でしたが、盛況。熱気ムンムンという感じで、熱いくらいです。日本酒に特化した店って、客の体温が上がるせいか、熱気ムンムンのことが多いですね。

 この御店が、ムンムンな理由は、もう一つあります。

 それはお燗機。お燗機が各机に造り付けてあるのです。しかも湯煎です。各机にヒーターが付いていて、湯煎のお湯を温められるようになっていて、そのお湯で燗をつけるわけです。

 この機械は素晴らしいです。特に、自分の好きな温度で飲めるところが私の好みですね。

 この、酒を温かくして飲む、という方法は、世界に誇るべき食文化だと思います。ワインは酸味が多いので、ホットワインはあまり美味しくないですね。日本酒ならでは、です。

 大七、大山、加賀鳶、立山、天神囃子、澤乃井・・・

 幸せに温まりました。うーい、ひっく。

追伸

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