究極の店選び

 今年の連休中は、ご法事のお客様が予約ナシで見えることがあり、チョッと慌ててしまいました。実は「ちんや」では、祝日には目出たいムードを出すため、箸を祝箸にし、箸置は日ノ丸模様の扇型の箸置を使い、コースターも赤いコースターを使っています。だから、ご法事のお客様の時は、普通の(=目出たくない)セッテイングに戻さないといけません。セット直しに少し時間がかかります。

 今年の連休は5連休で、4/30を休めば7連休ですから、まずこの間にご法事はなかろう、と思っていたのですが、そうではなかったようです。不景気で旅行には行かずに墓参りをなさったのか、事情はわかりませんが、読みが外れました。

  そう書いてあるのを読んで、「ちんや」は何か、法事客を獲得するための戦略をたてているに違いない、と思った方がおいでかもしれません。そういうことはありません。特別なことは何もしていません。

 それは、仏様が生前「ちんや」を好きだった⇒法事も「ちんや」で。という自然の流れでご来店いただくのが、ベストと思っているからです。

  もちろん、私も、法事需要を狙って、もう少し上手い集客作戦を練った方が良いのかな?と思ったりしたこともあります。最近、㈱IMCのI社長と進めている、販促作戦でも、実はこの、ご法事の件をチョッと議論しました。(3/15号参照)でも、やはりご法事については、それ専用の販促手法を展開するのでなくて、自然の流れがベストという議論になりましたし、加えて最近、よその店で、そのことを再確認させられる出来事がありました。

  少し前のことになりますが、友人のお父上のお通夜に出かけ、その後流れて、居酒屋で「お浄め」となりました。その時その店の女将さんが、最近、常連さんが亡くなって、その法事を、自分の店でやってもらって、とても感激した、と語って下さいました。こちらが、少し引いてしまう位の調子で熱く語って下さいました。

  やっぱり、そういう気持ちで、ご法事の仕事をお引き受けしないといけないですよね。仏様が生前「ちんや」を好きだった⇒だから法事も「ちんや」で。という自然の流れが最大の販売促進だと、この時あらためて思いました。

  ところで、自分が死んだ後の、法事の食事がどこの店で行われるか、気にしてみたことはありますか?

  私は、もちろん気にしてます。1軒だけを選ぶ、という意味で、法事の店選びは、究極の店選びですが、私の場合、世話になっている店が多すぎて、とても、1軒だけ選べません。

  7〜8回死ねると、好都合なんだけどなあ。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

本物に会えるまちー台東区新観光ビジョン

  私の地元・東京都台東区の「新観光ビジョン」が制定され、区の「新観光ビジョン策定委員会専門部会」の委員をしていた、私の許へも届けられました。100ページを越す厚みのある本で、その他に概要版も付いていて、立派です。さしたる貢献もできませんでしたが、本が届くと、ひと仕事させていただいた感慨があります。

  この「ビジョン」の中で、台東区の目標とする姿は、「本物に会えるまち」と表現されています。いわく、

 「本物とは、心が作りだすものである。(中略)台東区には、心がある。だから台東区には、本物がある。台東区は、本物に会えるまちである。」と書かれています。

 行政のつくるペーパーとしては、結構つっこんだモノ言いですが、私はこれで良いのでは、と思っています。専門部会の席上でも、「ほんもの」という、厳密に定義しがたい表現を使って大丈夫なの?というご意見がありましたが、私は「ほんもの」という表現を入れることに賛成いたしました。

  ネット上にはあまり詳しく書けませんが、食べ物の世界には、「贋物」と言って構わないものが横行しています。人々が、「ほんもの」を求めて旅に出る(=観光をする)という風になったら良いな、と思います。いや、このままで行けば、そういう風になるのが必然かもしれません。  

  その時、良心的な職人さんが今でも多数住む台東区は、きっと訪ねてみたい土地の候補の、上位に入ると思います。他の委員の皆さんに、そう申し上げたところ、おおむねご賛同いただけたようでした。

  ところで話しは逸れますが、専門部会の部会長だった、東京工業大学准教授のS先生と雑談をしている中で、奇縁が判明しました。S先生のお父上と、湯島のすき焼き屋「江知勝」さんの先代が、とても親しく、先代の生前は家族ぐるみのおつきあいをしていたので、先生自身何度も「江知勝」のすき焼きを召し上がった、というのです。

  「先代が亡くなってから、かれこれ8年くらいたちますけど、その後女将さんやご家族がお元気か、住吉さん、ご存じですかね?」と先生からお尋ねがあったので、

 ええ、まったくお元気でいらっしゃいますよ。しばらく会っておられないのなら、先生、是非今度一緒に、「江知勝」さんへ食べに行きましょう、ということになりました。

  そう言って、お別れした後、S先生との「江知勝」行きは、まだ実現していませんが、「ビジョン」発表を機に、是非先生をお誘いしないといけません。「ほんもの」を訪ねて「江知勝」へ!

  あ、そうか、「江知勝」さんは文京区だったか。 マズイぞ、それは。

 「ほんもの」に会えるかなあ?  

  本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

*台東区の「新観光ビジョン」については、こちらです。

*「江知勝」さんついては、こちらです。

初夏バージョン

 浅草の街で知りあいに出会うと「今年も、もう三社ですねえ」が挨拶の代わりになっています。それにあわせて料理内容も、春のものから初夏のものに移行します。

 と、いうわけで、変わりザクも変わります。3/6よりスタートした、春バージョンは、たけの子、山うど、長せり の3種盛り合わせでしたが、今回の初夏バージョンは、丸ナス、小松菜、さやえんどう 3種です。

  ナスには、割下が良くしみ込んで、なかなか旨いです。小松菜と、さやえんどうは食感の違いをお楽しみいただけます。さやえんどうは、「さとうさや」という甘味のあるタイプで、さやごと煮て食べられます。

 ナスは味をしみさせたいので、生の状態で盛ってありますが、小松菜と、さやえんどうは一度下茹でしておいて、すき焼き鍋の中で煮て、すぐに食べられるようにしてあります。

 さやえんどうは、やや割下となじみが悪いですが、そのくらいの方がかえって、食感が楽しめます。定番のザクに加えて、初夏の季節感たっぷりの、変わりザクも、お召し上がりいただきたいと思います。

   それにしても、今年は暑くならないなあ。こう涼しいと初夏って感じがしないよなあ。季節感が肌で感じられた方が、こういうメニューが売れるんだけどなあ。

  あ、それって、住吉のせいだっけ、このブログでは。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

*変わりザクというメニューを始めた、いきさつについては、このブログの3/7号号をご覧下さい。また4/12号もご覧下さい。

Filed under: すき焼きフル・トーク,ぼやき部屋 — F.Sumiyoshi 10:08 AM  Comments (0)

『続すき焼き ものがたり』

 向笠(ムカサ)千恵子先生が突然店に見えました。「電話もしないで急に来てゴメンナサイ、浅草に用事があったもんだから、住吉さんが私の、すき焼きの新連載を読んで下さったかしらと思って・・・」 そりゃ、先生、読みましたよ。読んだどころか、今このブログにそのことを書こうと思っていたところです・・・

 実は、向笠千恵子先生の新連載『続すき焼き ものがたり』が、月刊「百味」誌上にて、5月号より始まり、その第一回が先日届きました。「続」というからには、その前に最初の『すき焼き ものがたり』がありまして、それは平成18年3月から20年4月まで、やはり月刊「百味」誌上に連載されました。

 その当時、平成17年のことですが、すき焼きについてまとまった本がないことを残念に思っていた私が、どなたか高名な方が、すき焼きのことを書いて下さらないかなあ、と思っていたところ、それを聞いて書いて下さったのが向笠先生でした。それが最初の連載です。

  この連載はその後、加筆・修整されて、平凡社新書『すき焼き通』としてまとめられました。そして、平成20年10月15日のことですが、この御本の、出版のお祝いの会を私の店「ちんや」で開いたことが、すき焼き屋とすき焼き愛好家のグループ「すきや連」の発足へとつながっていきます。

 このお祝いの会の時、初めて全国からすき焼き屋さんが集結し、せっかく面識が出来たのだから、1回コッキリで終わらせるのはモッタイない。「すき焼きを味わいながら、日本の食文化を語り合う会をつくりたい」との話しが期せずして盛り上がり、「すきや連」が発足しました。

  その後「すきや連」は順調以上の活動ぶりで、例会を、21年2月に新橋「今朝」さんで、7月に「浅草今半」さんで、10月に湯島「江知勝」さんで、22年3月には横浜の「太田なわのれん」さんで、という具合に続けて開催してきました。毎回50人くらいの方が参加され、定員オーバーでキャンセル待ちが出るくらいの勢いでした。

 また、例会以外にも、21年9月には、「日本記念日協会」に申請して、毎年10月15日を、『すき焼き通の日』として正式に認定してもらいました。また、すき焼き業界の長老を集めて対談してもらい、その対談を月刊「dancyu」22年1月号(プレジデント社発行)に掲載していただきました。「すき焼き劇場」という題の特集記事で、この対談には、私の父(=ちんや会長)も参加させていただきました。また、すき焼きを題にした句会もしました。

 以上が、向笠先生と、「すきや連」と、私の、五年間の「すき焼き物語」です。あっ、と言う間に過ぎたような気がします。

  そんな活動を続けている内、21年の秋頃だったと思いますが、向笠先生が、『すき焼き ものがたり』の続篇を書き、連載したいと言い出されました。この時は、最初の時より嬉しかったような気がします。以前にも増して、さらにすき焼きに興味を持ち、すき焼きのことを書いて下さる、というのは有り難いことです。

  世は不景気ですが、この連載が始まれば、すき焼き業界にも少しは良いこともあるでしょう。調子が良くなってくれば深甚です。

  いいぞ、すき焼き!

  立ち上がれ、すき焼き!

  おっと、「立ち上がれ、すき焼き」じゃあ、どっかの新党と同じだなあ。そんな党名じゃあ、3議席くらいしか獲れないぞ。何か他のを考えなきゃ。

 「うまいもの実現党」とか「開化倶楽部」とか、どうだろう?

  本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

*平凡社新書『すき焼き通』については、こちらです。

*新連載『続すき焼き ものがたり』が掲載されている、月刊「百味」については、株式会社ビジネス・フォーラムへお問いあわせ下さい。(電話:03-3288-9180)

BSイレブンードタバタ制作

 BSイレブンで、「3D挑戦!三社祭生TV」という番組が放送されます。5/16の午前5時から夜22時まで、ぶっ通しで三社祭を生中継する番組だそうです。サザンの桑田が所属している、あのアミューズ社の企画・製作です。アミューズさんは、最近二天門の近くに「布ギャラリー」を開設するなど、浅草に随分興味をお持ちのようです。

 なんでも、これが日本初の3DでのTV生中継だそうで、パナソニックさんも「特別協賛」についています。 この番組のスポンサーになってほしい、という商談が来ましたので、乗らせていただくことにしました。

 商談が済んだら、是非もなく制作ですが、4/28に下打ち合わせをした翌日4/29には⇒即ビデオ撮り、という慌しさです。そうです、25時間と少々で、コマーシャル1本を作ってしまう、という段取りなのです。どうも、この業界のドタバタぶりに、我々・旧世界人はついていけません。

 でも、今回なんとか・かんとか、こなせたのは、ちょうど今、「ちんや」創業130年を記念して、「ちんや」のマーケテイングを見直していたからです。

 IMC社のI社長と、何度もミーテイングをして、「ちんや」のどこを、どうPRしていくか、さんざん議論している最中でした。コピーなども大量作って、パソコンに貯めてあったので、ナレーションも、私の「語り」の部分も簡単に造れました。パソコンに貯めてあったフレーズをコピペーするだけなので、カンタンなのです。15分もかかりませんでした。「爆笑名刺」用に、ミッション社のM社長と考えたフレーズも一部使えました。それさえやっておけば、撮影そのものは、カメラマンが料理や店内を撮る様子を、眺めているだけのことです。

 あー、チョロかった。仕事はこうでなけりゃあなあ。 ふん!(鼻息噴出音)

 と、いうわけで、5/16にお時間があって、BSイレブンを見れる方は、是非「ちんや」のCMをご覧下さい。出番は17時間の内の30秒ですから、瞬きしていると見逃します。もちろん、トイレも禁止です。よろしくお願い申し上げます。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

*創業130年マーケテイングについては、このブログの3/15号をご覧下さい。

*「爆笑名刺」については、このブログの、3/23号4/23号をご覧下さい。

ヤバいチラシ配り

 チラシが届いてしまいました。何のチラシかと申しますと、7月3日(土)に開かれる、ヴィオラ・アルタの、平野真敏さんのコンサートのチラシです。このブログの3/10号に書きました通り、私はこのコンサートに出演して、「お話し」をすることになっているのです。

 コンサートそのものは、いたってクラシックで真面目なものです。ドゥビエンヌのフルートとヴィオラのための二重奏曲/宮城道雄の「春の海」(琴)/ショパンのチェロ・ソナタ(平野さん編曲のヴィオラ版) /C.ナイの奇想曲・・・といった内容なのですが、少し息抜きもあった方が良かろう、ということで、間に「お話し」が入ります。その息抜き部分が私の担当です。
 

 チラシが届いてしまった以上、私は出演者ですから、これを配りまくらないといけません。早速会合に出るたびに配ることにしました。ところが配っていると、私の知人には、私が学生時代に、趣味でチェロを弾いていたことを知っている人が多いので、

 「スゴいねえ、今でも弾けるんだ、チェロ!」という反応が帰ってきますが、「そんなこと有り得ませんよ。今はもう、弾けません。それに当時だって大して上手くなかったし、今回は「お話し」をするんです。」といちいち説明するのが、だんだん面倒になってきたので、途中で作戦を変えて、

 「いやあ、1曲歌ってくれって、言われちゃいましてね。曲名は『ガッチャマン』ですけど。」と言いながら配ると、当然冗談なのに、「ええ、本当?」と本気にされてしまいました。念のため申しておきますが、これは、台東区芸術文化財団が主催する、いたってクラシックなコンサートなのです。

 それにしても、まだ話す内容が固まっていないのに、チラシを配るという行為は結構なプレッシャーがかかります。「饗応・居留地・牛鍋」というタイトルで、日本の近代の食生活の、起源の話しをしようかと思ってはいますが、完成はしていません。

 どうもヤバいです。ヤバいというのは、若者風の「素晴らしい」という意ではなく、野に咲く梅<や・ばい>という意でも勿論なく、危険な状態に入ってきた、という意の隠語でヤバい・・・です。

 稽古しなきゃなあ。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

*このコンサートについて、くわしくはこちらです。(なお、このホームページに掲載されている、私の顔写真をクリックすると、このブログにリンクしてきます。台東区芸術文化財団で私を担当しているK嬢が、よせばいいのに、リンクを張ってくれたのです。一般の真面目な人が、このブログへ飛んで来るなんて、ひええ、ヤバいです、その点も。)

*このコンサートに出演を依頼されたいきさつについては、このブログの3/10号をご覧下さい。

ヤバイすき焼き

 先日、若い友人のA君が店に見えました。A君は業界団体の青年部の、宴会の幹事で、15人ほどの同業の方と一緒に見えました。青年部の宴会らしく、元気で楽しそうな会となり、盛り上がっていることを確認した私は、皆さんがお帰りの時には、安心して、送り出しのため、店の玄関におりました。

  ところが、A君がやがて玄関へ降りてきて、言った言葉は、

「いやあ、住吉さん、ヤバかったです! 「ちんや」さんのすき焼きがこんなにヤバいとは知りませんでした!」

  ? すき焼きがヤバい?

  ここからは「カリスマ受け売り師」として有名な、住吉史彦先生による、受け売りコーナーですが、「やばい」という言葉は、「野生の梅のこと、野に咲く梅のこと、<や・ばい>」ではもちろんなくて、「危険であるの意の隠語<やば・い>」であるハズです、広辞苑によれば。

  しかし、「ヤバかったです!ヤバかったです!」と言っている、A君の表情には、そういう意味は感じとれず、どうも褒めてくれているようです。

 そうか、最近の人は、スゴく良い物を褒める意で、ヤバい、と言うんだっけ。それに違和感があるっていうことは、こっちが年を喰った、っていうことか・・・

  今度、他の店に食べに行った時は、そういう風に褒めてみるか。さしあたって、5/19に、国際観光日本レストラン協会の理事会・食事会が、中華料理の「南国酒家」さんであるから、食事が終わったら、試しにM社長に言ってみよう。

  いやあ、Mさん、ヤバかったですよ、今日の御料理! 殴られるかな?

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

Filed under: ぼやき部屋,今日のお客様,飲食業界交遊録 — F.Sumiyoshi 9:36 AM  Comments (4)

VIP?の八王子訪問

 4/27は火曜日で休みでしたので、八王子の料亭「坂福(さかふく)」さんを訪ねました。「坂福」さんは、すき焼きをメイン料理にしている、料亭さんでして、かねて興味を持っておりましたが、その話しを、国際観光日本レストラン協会の総会で御一緒した、「八王子エルシイ」のO会長にしましたところ、「坂福さんは、良く知っているから、是非ご紹介しましょう。」と有り難いお言葉。善は急げ、で早速お訪ねすることにしました。

 八王子は、明治時代後半・大正・昭和の頃、織物業が盛んで繁栄したそうです。それで財を成した旦那衆が遊ぶ花柳界が出来たり、牛鍋屋ができたりしました。明治45年創業の「坂福」さんも、その内の1軒だそうで、ホームページを見たところ、歴史の風情を感じられそうな御店です。

 そういうわけでの今回の訪問です。まずは「坂福」さんを訪ねる前に、Oさんご経営の御店「八王子エルシイ」にご挨拶にうかがいました。Oさんは、八王子観光協会の会長を務めておいでで、八王子の、重鎮中の重鎮なのですが、さすがに、そういう方の御店は、立派な構えです。

 「エルシイ」さんで、コーヒーをご馳走になり⇒館内を見学させていただき、「坂福」さんへ向かおうとすると、Oさんが「では、「坂福」さんまでご案内しましょう!」とおっしゃいます。

 いやいや、そんな恐れおおいです。連絡をとって下さっただけで有り難いのに、同行して下さるなんて。世話焼きの方とはうかがっていましたが、それは恐縮です、と申すと、

 「いいんです。「坂福」のD君も、頑張っている、元気な社長で、きっと仲間になれるから、是非直にご紹介しますよ。」

 と、いうわけで、地元の重鎮・業界の大先輩にエスコートしていだいて、鳴り物入りで、現地入りし、結構なすき焼きをいただきました。牛は「いわて南牛」、ザクに玉ねぎが入っていて、麩が細長い焼き麩でした。

 食後にコーヒーをいただきながら、D社長から、八王子のこと、すき焼きのこと、向笠千恵子先生の「すき焼き通」は端から端まで熟読して、そこに載っているすき焼き屋は、のきなみ訪問したことなどをうかがいました。

 怒涛の勢いで語る、D社長の語り口は、講釈のように切れ味があります。そのわけを聞くと、なんと「講談人力車」として有名な、浅草の車夫・O氏に弟子入りして、やり方を伝授されたのだそうです。そして、さらに驚きなのは、D社長自らが講釈しながら、客を乗せて曳く、人力車が店にある、というのです。

「 住吉さん、お帰りの時は、車夫の装束に着替える間チョッとだけ待っていていただければ、駅まで人力でお送りしますよ!」

 いやいや、それは遠慮しておきます。住吉風情は、ゼンゼン、VIPじゃありませんから、駅まで歩いて行きます。それと、次回の「すきや連」には、Dさんも是非お誘いしたいと思っていますが、是非気楽におつきあいいただければ、と思ってます。

 ええ、本当に結構です、恥ずかしいですから、じゃなくて、時間がなくなってきましたので。長居いたしまして、スミマセン、もう帰ります。すたこらさっさ。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

*「坂福」さんについては、こちらです。

*「八王子エルシイ」さんについては、こちらです。

真っ正直?ー牛トレ法検査

「台彪会(たいひょうかい)」で一緒に勉強している、和菓子メーカー「MN堂」のS社長が見えました。最近S社長のお姉さまが結婚され、目出度く華燭の典をあげられたのですが、その後も滞在しておられる、ご親族を浅草案内して⇒その流れで「ちんや」へ、という段取りだったようです。

  そういった機会に「ちんや」をご利用いただき、本当に有り難いことです。ご両家のご多幸を祈念申したいと思います。

 ところが! Sさんが食事されている最中に、農水省安全管理課の、「表示・規格指導官」様がご来訪。ノーアポの立ち入り査察です。

 実は、すき焼き屋・ステーキ屋・焼肉屋などの肉料理を専門にしている料理屋は、「牛の個体識別のための情報の管理及び伝達に関する特別措置法」(=通称「牛トレサビ法」)によって、「特定料理業者」に指定されていまして、時たま、我々の仕入れ・販売の手続きが法に照らして適正か、ノーアポ査察が来るのです。

と、いうわけで五年ぶりの、お代官様の御検分です。

そこの、すき焼屋、不届きである!

へへー、恐れ入ります。

真っ正直に表示いたしておるか?

へへー、勿論でございます。

帳面は、真っ正直につけておるか?

へへー、勿論でございます。今日は何卒、お手柔らかにお願いいたします! へへー。

 やるべきことはやってますけどね、やはり、イヤだなあ、こういうのは。と疲れきっていると、Sさんファミリーが食事を終えて、お帰りです。お見送りしなくては。

 へへー、S様! じゃなかった、間違えた! どうもSさん、今日はありがとう。

  本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

*牛の個体識別のための情報の管理及び伝達に関する特別措置法については、こちらです。

老舗の味ーうん十年ぶりの鰻

 4/24に、「台彪会(たいひょうかい)」の工房見学会があり、その打ち上げ&懇親会が鰻の「川松」さんでありました。「川松」の後継者・A子女史が「台彪会」のメンバーでして、おかげ様で、とても楽しい宴会になりましたが、実は、その時隣席になった方から、「川松」さんについて、とても良い話しを聞きましたので、今日はそのことを書いてみようかと思います。

  隣席になった、Uキャスター販売のU社長は、私と同年配の方で、お父上(=会長)も存じ上げているのですが、ウチの父と同年配です。そのお父上にUさんが、「今日はこれから、初めて「川松」さんで鰻を食べるんだ。」と言ったところ、「何言ってんだ、オマエが小さい頃に、「川松」さんへは、何回も連れて行ってやったんだぞ!」と言われてしまったそうなのです。

 そう言われたUさんは、「そうだったのかな? でもあんまり、覚えてないなあ」と思いつつ、「川松」さんでの懇親会に出席しました。しかし鰻を食べた時、思ったそうです、「あ、この味は、自分もオヤジも好きな味だ。きっと、間違いなく、連れてこられてる!」

  Uさんは、鰻とご飯の両方を、上手に箸に載せてバクっと食べます。結構な分量を載せて、うまそうに、ズンズン食べていきます。その場で確認しませんでしたが、その食べ方もオヤジ譲りかもしれません。

  かつて、Uさんが小さい頃、一家は「川松」さんで、楽しい食事をしたのだと思います。ご家族とハッピーな時間を、そこで過ごしたからこそ、その時の味を覚えているのだと思います。その結果、味覚の継承が、次世代へキッチリ行われています。そして、味覚が継承されていれば、その料理屋さんにとっては、永続的なご繁盛につながっていきます。

  うーん、同業として、かなりうらやましいなあ、この話し。「ちんや」でも、こういう話しが聞かれるようにしないと。

 と書いている、私の横からヨメの冷たい視線が・・・

「いつまでパソコンにかじりついてるのよ? アタシもパソコン使うんだから! どうせ、また善人ぶったこと書いてるんでしょ。」

  え? だってそりゃあ、ホントに善人だもん。 ねえ、台彪会の皆さん。 ひひひひ。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

*「川松」さんについては、こちらです。