すきや連―日本短角牛のすき焼きを食べる会

 私は、「すきや連」(=すき焼き屋と、すき焼き愛好家のグループ)の事務局長ですので、「すきや連」の例会が開催される時は、事務全般をとり仕切らないといけません。

 この7月にも、例会を予定しているので、今、案内状の発送・申し込みの受付作業が急ピッチです。

  さて、「すきや連」は今まで5回の例会を開催しましたが、今回はいつもと少し趣向が違います。今回は、日本短角牛の生産者・「北十勝ファーム」さん(北海道足寄町)のご協力により、「日本短角牛のすき焼きを食べる会」を開催することになりました。

 大勢の、すき焼き関係者が集合して、短角牛のすき焼きを食べるのは、たぶん初めてではなかろうかと思います。当日は「北十勝」のファームマネージャー・上田金穂さんも参加されるので、まず開宴に先立って、20分程度卓話をしていただき、それから宴会にしようと思っています。

 このファームは、飼料の99%を国産飼料で賄っていて、牛の排泄物もリサイクルしているとかで、なかなか立派です。そういう御話しも多分、皆さんのご参考になるものと期待しています。

  逆に今回、気が重いのは、会場がウチつまり「ちんや」だという点です。

 今までの「すきや連」は、各地のすき焼き屋さんで順番に開催し、その御店がベストと思うすき焼きを出していただく、という企画でしたが、今回は趣向が違って、日本短角牛のすき焼きを食べる、という企画です。

 日本短角種というのは、和牛の一種なのですが、北海道・青森・岩手で、ごくごく少数が飼われている、珍しい品種です。霜は降らないものの、独特の旨味があります。

 すき焼き屋で使われる肉は、ほとんどが「黒毛和牛」の肉ですので、「短角」の御取り扱いの経験のある、すき焼き屋は、あまりないと思います。

 よその御店に、普段扱い慣れない肉を扱わせることは、非常に頼みにくかったので、結局、自分の店で開催することとなりました。

  そういう次第ですので、例会当日私は、開催店の主人兼「すきや連」事務局長、という二重の役割を兼任することになります。6回目の開催ですので、事務の方は、だいぶ熟練してきましたので、まあ、なんとか二役、やってやれないことはないだろう、と思ってはいますが、超ハードなのは、今から目に見えています・・・

  最近ニュースで新内閣の顔ぶれをやっていますが、党政調会長兼公務員制度改革担当大臣の方が楽チンそうですね、私より。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

*「すきや連」については、こちらをご覧下さい。

*「すきや連」については、このブログの、3/2号3/3号3/4号3/5号5/2号もご覧下さい。

*「北十勝ファーム」さんについては、こちらをご覧下さい。

東京人と坂本龍馬

 雑誌「東京人」8月号(7/3発売)に出てほしい、ということで、編集部の人が見えました。

 「いろいろ、お話しを聞かせて下さい」とおっしゃるので、私は、すき焼きの歴史と未来について、さらには浅草の歴史と未来について、取材嬢相手に、小一時間かけて、縦横に語ったのですが、結果、出来てきた校正は、ごく通常の「ご主人紹介記事」でした・・・

 良く考えると、それは当然ではありまして、私が出ますのは、Kビールさんが持っている、広告枠の一部です。つまり、いわゆる「記事広告」の一種でして、しかも、60mm×50mmの寸法に、納めないといけないので、そう変わったことも書けません。

 まあOKでしょう。今回お話ししたことが、いつか将来の、どこかに載る記事に反映されれば、良しとしましょう。

  ところで、私が出るのは「東京人」の8月号ですが、6月号の特集記事は「坂本龍馬の江戸東京を歩く」でした。取材嬢が「これは見本として差し上げます」と下さいました。

 NHKで龍馬のドラマをやっていて、ブームですから、便乗したのでしょう。今まで龍馬に強い関心を持たずに来て、龍馬初心者である私も、乗せられて読んでしまいました。

 読んで再度確認したのですが、どうも龍馬には、うらやましい要素が多すぎて、いまひとつ私は共感できないのです。非業の最期を遂げたことまで、うらやましいくらいです。それで今まで、強く惹かれてこなかったのだと思います。

 司馬遼太郎でも「竜馬がゆく」はまだ読んでいません。同じ司馬作品でも、徳川慶喜を描いた「最後の将軍」や、幕府の最後の典医だった松本良順を描いた「胡蝶の夢」、最後の土佐藩主・山内容堂の「酔って候」などは、繰り返し読んでいるのに、です。

  どうも、私は歴史の負け組に惹かれるのです。特に、龍馬と同じ時代に、同じ土佐藩に生きたのに、龍馬とはほとんど接点のなかった人物・山内容堂には惹かれます。

 容堂は、才気と豪腕を持ち合わせ、ポエジーまであり、しかも稀代のヨッパライ大名でした。幕末の激動の政局の中で、空中分解しそうになる藩を、豪腕をもって統率し、一方、中央政界では、幕府と倒幕勢力が正面衝突しないよう、必死に奔走しました。

 しかし、それだけの才覚をもってしても、歴史の流れには勝てず、結局薩長と幕府は開戦、融和的な政権を造る望みは叶いませんでした。

 歴史を回天させたのは、ご存じの通り、容堂のもとから脱藩した、龍馬と

中岡慎太郎、加えて脱藩してはいないものの、龍馬や慎太郎と通じていた、後藤象二郎、板垣退助などでした。

 容堂は、最終的には、しぶしぶ薩長方に加わりますが、そうせざるを得ないことが確定した日、つまり王政復古の、その日に痛烈な酔態を演じます。天子の御前の会議の席で、ヘベレケとなり、悪態をつきまくった様子が、司馬の「酔って候」に、鮮やかに描かれています。

  痛烈な酔態ー自分が演じる日が来るでしょうか。

  それに比べると、テレビの龍馬は、どうもねえ、という感じです。

 だいたい、役者が福山某じゃあねえ。浅草のすき焼き屋の方が、数段イケてますから。

 ねえ?

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

*「東京人」について、詳しくはこちらをご覧下さい。8月号は7/3発売です。

Filed under: ぼやき部屋,今日のお客様,憧れの明治時代 — F.Sumiyoshi 9:13 AM  Comments (0)

恒仁朗さんと二宮尊徳ー「商人心」②

 私の学校の先輩・恒仁朗さんが出された、御本「商人心」(あきんどごころ)のことは、このブログの4/9号に一度書きました。その後書いてこなかったので、忘れてしまった、ブログ読者の方もおいでかと思いますが、「ちんや」の店では、忘れておりませんで、朝礼で、皆で読んでいます。

 良いことが書いてあるのです、ここには。

 今、この御本の中の、二宮尊徳の教えを紹介した下りを読んでいますが、とても心にしみる箴言が多いですね。曰く、

 「商売は売って喜び、買って喜ぶようにする。売って喜び、買って喜ばないのは道ではない。利をもって利とせず、義をもって利とする。」

 「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である。」

  最近、尊徳の見直しが盛んだそうで、特に尊徳に御縁のあった、小田原・相馬・今市などの地で盛んなようですが、恒仁朗さんも今市の人です。「恒仁朗」というのは実はペンネームで、本名はFさんとおっしゃる、食品関係の社長さんです。私が幹事をしている、「料飲三田会」という会で日頃ご指導いただいています。

  「台彪会」をご指導いただいている、二条彪先生も、日本人は江戸時代に書かれた、商売についての教えを、もう一度読み直すべきだ、と最近言っておられましたので、私も気になり出しています。

  もっとも、勉強しても、この意地悪な性格は、直りませんけどね、たぶん。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

*このブログの4/9号もご覧下さい。

Filed under: 飲食業界交遊録 — F.Sumiyoshi 9:24 AM  Comments (0)

浅草寺の大工事壁―「平成本堂大営繕」②

 「ちんや」の屋上へ登り、北の方角を向きますと、浅草寺の大屋根が良く見えます。と申しますか、正確には、大屋根を覆っている、巨大な工事壁が見えます。

 この工事壁は、現在実施されている、浅草寺の「平成本堂大営繕」(=主に屋根の葺き直し)のために設置されているもので、本堂周囲を完全に覆っています。

  その工事壁に、このところ変化が見えます。数人の作業員の人が屋上に登り、天蓋を1枚ずつ外しているのです。この様子に私が気づいたのは、6月に入ってからなのですが、作業は、どんどん進んでいて、既に今日の時点で、ほとんどの天蓋がとり外されました。今は、工事壁の骨組が露出しています。

  工事壁が骨組だけになったということは、雨が降れば、その下の大屋根、つまり新しい大屋根が濡れるわけで、「大営繕」の工事が相当進んだと想像できます。11月完成、と聞いていたのですが、順調のようです。

 この工事壁に彩色された、川端龍子の「龍之図」 のことは、このブログの、5/24号に書きました。工事壁が巨大なので、金龍の絵も巨大で、縦:10.2m×横:32.7mもあって、かなり見ごたえあります。

 工事は順調なようですので、この期間限定の龍を見たい方は、はやめに浅草へお出かけいただいた方が良いかもしれません。ついでに?東京スカイツリーの建設中の姿も見えます。さらに、水上バスの船つき場も完成間近です。この3軒の写真を撮って周るだけでも、ちょっとした観光になりますよね。

 私が役員をしている、浅草料理飲食業組合の、6/7に開催された総会に、浅草観光連盟の永野章一郎会長が見えたので、お話しを承りますと、浅草寺と水上バス船つき場と浅草観光センターの3箇所が同時に工事中にも関わらず、浅草への人出は、減ってはいないそうなのです。

 地元人の予想では「工事があるから、観光客は減るに違いない」ということだったのですが、世間の人は、建設中の、期間限定の姿に、むしろ関心があるようです。

 このブログへも、「浅草寺」+「工事」とか「浅草寺」+「龍ノ図」というキーワード検索で入って見える方がいます。ですので、このブログでも、その辺りをなるべくご紹介しようと思います。

 ①浅草寺と②スカイツリーと③浅草観光センターと④水上バス船つき場の、4箇所が同時に工事中って、歴史上、後にも先にもない事態です。是非ご見物を!

 それにつけても、天蓋取り外し作業をやっている人は、メチャメチャ怖そうです。強風が吹いたら、落ちそうなんです、大屋根から。

 それでどうも、風が吹いてきたり、急に雨が降ってきたりすると、私は怖いもの見たさで、じゃなくて、心配で、屋上に見に行ったりしています。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

このブログの5/24号もご覧下さい。

Filed under: 浅草インサイダー情報,飲食業界交遊録 — F.Sumiyoshi 9:25 AM  Comments (0)

鉄関係の絵=吾妻橋真画

 先日、鉄関係の会社に勤める知人が来店しましたので、部屋へ顔を出しましたところ、

 「いやあ、季節で絵を掛け変えるのは、大変ですよねえ」と褒められ、絶句してしまいました。

  その時掛けていたのは、井上探景の「大日本東京吾妻橋真画」という絵なのですが、この絵の中で、吾妻橋のほとりに描かれている花は、この時期=6月の花ではありません。吾妻橋が架かったのは、明治20年の12月9日のことですから、情景は冬でして、今はと言うと夏・・・ですよね。

  その人は、実際に良く絵を見たわけではなく、

  料理屋=季節で絵を掛け変えるもの⇒それを「大変ですよねえ」と褒めておけば⇒店の人は喜ぶに違いない、と考えたのでないでしょうか。

  「ちんや」で掛けている、明治の開化絵は、美術品というより、ジャーナリステイックな性格の絵ですので、季節の風情がテーマになっていることは、あまり多くはないのです。井上探景という絵師は、そういうこともテーマにしていた数少ない絵師ですが、それ以外の、だいたいの絵師がテーマにしたのは、

 「最近、こんな凄い建物ができたよ!」とか、

 「最近の華族様というのは、こういう服をお召しになるんだよ!」というようなテーマです。

だから、四季をうまくカバーする作品を収集しにくく、結果として、季節外れの絵を掛けている場合があります。

  今回の「吾妻橋真画」にしても、そのお客様が、鉄関係のお仕事の人だったので、掛けていたのです。吾妻橋は隅田川に初めて架かった、鉄の橋だったので、そういう理由で、その方にあわせて掛けていた次第です。

  吾妻橋のたもとに本社がある、アサヒビールの社員の方が見えた場合にも、「吾妻橋真画」を掛けることがあります。今自分の本社がある場所は、明治時代は、こんな景色だったんだ、と知っていただきたい、という趣旨です。

 気づいていただけると、嬉しいです。

  なお、カリスマ受け売り師の、住吉史彦先生によると、

  この吾妻橋は、練鉄製の本体を三連ピントラス形式で支える構造で、一方床面は、馬車や人力車に対応して、木床であった。橋長148.8mと当時としては長大な橋梁で、またスタイルも新しかった為、市中の話題となり、開通式も盛大だった。この橋は関東大震災(1923年)で崩壊し、その後現在の橋に架けかえられた。

 絵師の井上探景(いのうえ たんけい:1864〜1889年)は、浅草の呉服屋の子であったが、幼少より絵を好み、同じ町内の小林清親(きょちか)の門弟となった。風景画にすぐれ、『東京真画名所図解』などの傑作を残したが、26才の若さでこの世を去った。

―っていうことだそうです。ご静聴ご苦労さんでした。

*「ちんや」が所蔵する、開化絵はネットででも覧いただけますので、こちらから是非どうぞ。

Filed under: ぼやき部屋,今日のお客様,憧れの明治時代 — F.Sumiyoshi 9:47 AM  Comments (2)

帯祝い

 先週の土曜日、「帯祝い(おびいわい)」のお客様がありました。

 「帯祝い」 について念のため、おさらいしますと、「帯祝い」とは、妊婦さんが、妊娠五ヶ月目にあたる戌(いぬ)の日に、安産を祈願して腹帯を巻く儀式のことです。犬は子だくさんで、安産の象徴と考えられているので、その犬の性質にあやかって、戌の日に、妊婦の安産を祈願する儀式が「帯祝い」です。

 この日に巻く腹帯は「岩田帯」と呼ばれます。五ヶ月目には、妊娠の「安定期」に入るので、この帯で、目立ってきたお腹を保護すると共に、「岩のように丈夫な赤ちゃんを!」という願いも込めるそうです。

 家族が集まり、この腹帯をした妊婦さんと共に、神社に出向き、安産を祈るのが一般的な形です。

 こうして神社に出向いた後、当然何か召し上がるわけですが、そういう流れで、「ちんや」をご利用いただくことがあるようです。

 今回もそういうケースで有り難いことでした。「ちんや」は「狆屋」ですので、犬関係?の方はウェルカムです、もともと。

 別に「帯祝い」のような、あらたまった御席でなくても、妊婦さんが「ちんや」へご来店になることは、実は結構多いです。肉を食べて精をつけよう、という発想は当然のことですが、加えて、こういう時くらい、ちゃんとした食べ物を食べよう、という心理もあるようです。

 これは大変、結構なことと思います。お子さんがお腹の中にいる時は、伝統的で自然な食べ物を是非、召し上がっていただきたいと思います。

 お母さんが妊娠中に、変な食べ物を召し上がることで、お子さんが、生まれる前から、食品添加物を取りこんでしまうのは、実に良くないと思います。精をつけるだけでなく、安全なものを、是非、召し上がっていただきたいですね。

 召し上がっていただきました上、無事出産されたら、もちろん、お子さんと一緒に、「ちんや」へご来店いただきたいと思います。

 ご高配を賜りたく、お願い申し上げます。

 お子さんは、きっと「ちんや」の肉を食べたいと思いますよ。なにしろ、生まれた時から、「ちんや」の味を覚えていますから。

 いやあ、それって、商売としては、理想形かもしれませんね。有り難いです。ひひひひ。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

100日目のファンファーレ

 今日は、このブログにとって目でたい日ですので、冒頭にファンファーレの吹奏がございます。

♪ファファファファ ファファファファ ファ↓レファシ↑レー ファーファファー レーレレー シードー♪(この曲はロ長調で書かれているので、シ以外は♯を付けて唄ってみて下さい。)

 何が目でたいかって? そうです、今日はこのブログの、100日連続更新達成の日なのです。

♪ファファファファ ファファファファ ファ↓レファシ↑レー ファーファファー レーレレー シードー♪(しつこいですが、この曲はロ長調で書かれているので、シ以外は♯を付けて唄ってみて下さい。)

  実は、ブログ開設の当初から、100日連続更新を目標にしていました。この100日間、毎日少なくても、1.000文字以上は書きましたので、合計10万字以上は書いたと思います。内容的にも、いろいろなことを書きました。

 今や、ほとんどのネット・ユーザーが、検索サービスを利用する状況ですので、その中で自分や自分の店を知ってもらうには、なにしろ、検索にひっかかることが大事で、そのためには、絶対的な文字数が、まずは必要です。10万字書けば、なんとか、誰かの検索にかかるだろう、と思って、日々肩凝りをものともせず、パソコンに向かい続けました、100日間も。

 おかげ様で、連日平均250人弱の方が、このブログ見に来て下さるようになりました。曜日によっては300人を超える日もあります。ヒットだけなら、一日2.500回を超える日もあります。特にヒット回数は、まあ、絶対的文字数=かいた汗のなせる業でしょう。

 この100日間、病気をすることもなく、二日酔いもなく、店のトラブルもなく、ヨメの逆鱗に触れることもなく、書き続けられたことは、誠にラッキーです。また「読んでるよ!」「面白いじゃん!」等の励ましを下さった皆さんに、心より御礼申し上げます。

 「え? 御礼は良いけど、最初の曲は何なんだよ? 教えてくれないと気持ち悪いぞ!」

 なるほど、それはそうです。では、お教えしますが、このファンファーレは、ワグナーのオペラ「タンホイザー」の第二幕第四場の、入場の音楽です。「タンホイザー・マーチ」という通称でも知られる、有名な一節です。

 6月に入り、ブログ100日目のファンファーレを何にしようかと思って、学生時代に買い集めた、譜面を引っぱり出して、眺めていました。総譜(=オーケストラ、コーラス、独唱の全ての譜を一覧出来る、総合的な譜面のこと)を持っている曲は、若き日に夢中になった曲ばかりです。その中の一冊に、ワグナーの「タンホイザー」がありました。

 かつて、初めてこの曲を聴いた時、私は、この世に天才というものが存在することを知りました。

 冒頭のファンファーレは、第四場が始まるとすぐ、舞台上にズラリと並んだ、12人のトランペット奏者によって吹きならされます。その後やがて弦楽器が総出で、第一のメロデイ―を唄い出します。ヴァイオリンの一番太い弦(=G線)が朗々と、そのメロデイ―を唄います。力強い調子で、しかし時おり絶妙に半音階と装飾音が入って、流れるように、メロデイ―が進行します。

 しかし、このメロデイ―は、この後に続く行進のテーマの前の、前奏に過ぎないのです。やがて、ビオラとチェロが、正拍のリズムを刻むのに乗せて、やはりヴァイオリンが優美な行進を始めます。あの有名な「タンホイザー・マーチ」です。今度も半音階と装飾音を多用して流麗です。

 まさに一度聞いたら忘れられないメロデイ―で、この部分を聞く頃には、聞き手の誰もが、作曲家の傑出した才能に気づくでしょう。そこまで、3分とかかりません。ワグナーについて、何の予備知識がなくても、天才とわかるのです、3分以内に。

 「天は人の上に人を造れりと言へり」でして、我々・凡人とは、別の次元です。

  そういう才能に恵まれない、凡人は、やはり何か一つのことを、やり続けないとダメですよね。

 とりあえず、ブログでも更新するか、明日も。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

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路地裏の鳥越祭

 6/5土曜日、久しぶりに鳥越祭を見に行きました。と申しますか、台彪会でご一緒する、G社長の御店「フダヤドットコム」さんが、鳥越にあるのですが、最近テレビの取材を受け、その放送日が祭の時期と重なるので⇒「大忙しの予感。大変だ!」というメールが来まして、それで陣中見舞いに行った次第です。

 台東区に地縁のない方のために、鳥越神社のことを、念のため解説しておきますと、台東区の南部・蔵前駅から徒歩10分ほどの所に、鎮座しておられる神様が鳥越神社です。例大祭は、毎年6月9日に一番近い土日に、盛大に行われます。

 鳥越本社の神輿は、都内でも最大級の重い神輿で、「千貫神輿」の異名で有名です。

 また日曜夜8時過ぎの、「千貫神輿」の宮入りの時は、神輿の周りに、多数の高張り提灯を掲げて進むのですが、その様子が大変幻想的でして、「夜の風情が素晴らしい祭り」としても、良く知られています。

 今回は自分の仕事の都合で、土曜日に訪ねたので、「千貫神輿」も、幻想的な高張り提灯も見損ねましたが、ところが、それでも楽しめました。

 鳥越祭を見に行ったのは、初めてではありませんが、祭の日に、鳥越の裏の路地に入っていったのは、実は、初めてです。G社長の御店は、もともと作業場だった所に増設して出来た店で、商店街からは離れています。地元人以外の一般の人は、あまり入り込まないような路地にあります。今回楽しめたのは、その辺りの、祭の日の雰囲気です。

 普段はたくさんの人がいるわけではない、路地裏の各所に人が居て、皆さん、飲んでいるのです。

 町会の詰め所で飲むのは、お約束ですが、それ以外にも、路上にパイプ椅子を並べて飲んでいたり、車庫のシャッターを上げて飲んでいたり、あるいは、民家の玄関を開けっぱなしていて、その奥の応接間で飲んでいるのが、外から丸見えだったりします。

 そのまわりでは、近所の子が縄跳びをしていたりして、のどかです。

 浅草の人も当然、祭の日は飲みますが、こんなに至るところで飲んでいる、という感じではありませんね。鳥越近辺は、今でも職人さんが、職住接近で住んでいる町なので、観光地の浅草とは、人の気質がずいぶん違います。祭の日となると、そういう違いが、目に見える形になって出てくるのだと思います。

 皆さんが楽しそうなので、部外者のこっちも楽しくなりました。「チイ散歩」の地井さんなら、どんどん、街の人の宴会に参加するところでしょうが、あいにく、こちとら「ちん散歩」でして、しかも先を急ぐ散歩?なので、後ろ髪ひかれつつ撤収しました。

 本社神輿の周囲はデンジャラスですので、「近づきたくない」という方もおいでかもしれませんから、そういう方には、路地裏をお勧めしておきます。来年は是非どうぞ。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

*「フダヤドットコム」さんについては、こちらです。

*G社長のブログはこちらです。

Filed under: 台彪会,浅草インサイダー情報 — F.Sumiyoshi 12:01 AM  Comments (0)

?のロゴ・バッジ Endless Discovery

 政府観光庁が推進している、「ビジット・ジャパン・キャンペーン(VJC)」の、ロゴキャッチフレーズが付いたピンバッジを、いつも背広の胸に付けています。5/19の国際観光日本レストラン協会の理事会に、観光庁の課長さんが、このピンバッジ持って見えて、「これは出来立てですよ!」と下さったので、それ以来いつも付けています。

 寸法がヨコ30mm×タテ15mmと、やや大きめで目立つせいか、これを付けていると、住吉さん、そのピンバッジ何ですか? とよく聞かれます。

 ええっと、これはですねえ、2003年の小泉政権の時にですね、国をあげて、外国人観光客をよびこむために「VJC」っていうのを始めましてね、2010年までに訪日外国人旅行者数を1000万人に増やすというのが目標でして、ツベコベ・ツベコベ(=観光庁の資料の受け売り)、このバッジはそのシンボルでして、ツベコベ・ツベコベ(=さらに受け売り)、などと我々・観光業界の取り組みを、一般の方にご説明するのは、勿論やぶさかでありません。

 また初対面の方や、さほど親しくない方と同席した時、このバッチの話題で座持ちすれば便利なので、そういうわけで付けているのです。

 しかし問題は、そのキャッチフレーズそのものなんです。2003年以来使用してきた、 「Yokoso! Japan」 がこの4月、「モデルチェンジ」つまり廃止となり、

 「Japan. Endless Discovery.」という新キャッチフレーズが選定されたのです。

 えんどれす、ですかばりー、だって? 

 なんでも「尽きることのない感動に出会える国、日本」という意味合いで、海外の方々に何度も日本にお越し頂き、その都度、桜に代表される我が国の豊かな自然、あるいは伝統文化や現代の文化、地域の人々の暮らしといった日本の多種多様な観光資源を是非深く知って頂きたいという気持ちが込められている、のだそうです。

 私は、当然ながらネイテイブ・ジャパニーズなので、この言葉のニュアンスを完全にわかることは難しいです。でも、なんだか、大仰ですよねえ。「Korea Sparkling!」とか「Amazing Thailand」の方が、クールです、ハッキリ言って。まさか国のやることだから、和製英語ではないんでしょうが、うーん、という感じです。

 もちろん、私は国際観光業界の一員ですし、タダでピンバッジをもらってしまったことですし、このキャッチの普及に尽くそう、とは思いますが、苦戦しそうです。

 それに、私はそもそも「外人さんに、日本語を話させる主義者」なのです。「ちんや」の店には、実は「Would you please try to speak Japanese!」と題した、対訳表が置いてあります。

 対訳表の左には、店内で良く使う、英語の会話文が載せてあり、右には、その日本語訳とそれに加えて、日本語訳のローマ字表記が書いてあります。つまり「I have enjoyed my dinner.」と言いたい外人さんは、この対訳表にしたがって、「Gochiso-sama Deshita!」と言うわけです。外人さんの発音がタドタドしかった場合も、「Gochiso-sama Deshita!」の上に、「ごちそう様でした」と日本語も記載されているので、そこを指させば、意思は通じます。

 この方法は、15年ほど前に、日光の参道の定食屋さんに行った時、こうした対訳表が置いてあって、それを外人さんが、楽しそうに使っているのを見かけまして、以来それを改良して使っています。この方が、お互い楽しいですよ、ゼッタイ。

 そういう意味で、「Yokoso! Japan」の廃止は残念ですね。「ようこそ」は日本語だぞ、外国に向けて「ようこそ」はないだろう、どこに向けて発信してるんだ、という批判もあったようですが、しつこく、しつこくPRすれば「Sayonara!」とか「Sukiyaki」「Sushi」「Judo」のように普及したかもしれません。

 「ちんや」の対訳表に、実は「Sayonara!」は載っていないのですが、帰り際に、「Sayonara!」と言われる外人さんは多いです。結構普及しているのです、実際。

 なんてことを、思っていたら、徽章業界で社長をしている知人が教えてくれました・・・

「住吉さん、トリビアなことを教えてあげますけどね、ピンバッジって言うのは、日本人だけなんですよ。国際標準はピンズ(pins)なんです。」

   げげ、そっちも和製英語だったんだ!

  本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

Filed under: ぼやき部屋,飲食業界交遊録 — F.Sumiyoshi 9:52 AM  Comments (1)

高島屋宮崎フェアの食中毒

 6/4付の産経新聞が次のように伝えました、

 「高島屋東京店(中央区)は5月26日から6月1日まで地階で開催していた催事「日向自慢 宮崎の味めぐり」に出店していた「ホテル浜荘」で31日に販売した「ステーキ弁当」(1995円)を食べた11人が食中毒を発症したと発表した。」

 ありゃあ、洒落になりませんねえ。

 「中央区保健所の調査の結果、同弁当で原因物質である黄色ブドウ球菌が検出されたため、管理責任者である同店は4日から10日まで催事が行われていた地階の約28平方メートルの営業停止処分を受けた。
 同弁当は31日に33個を販売。このうち同店に1日午前中に31日夜に弁当を食べた2人から、嘔吐や下痢の症状が出たとの報告があった。このため連絡先のわかる他の購入者にも確認したところ、同様の症状が出ている人が複数いることが判明した。」

 うーん、営業停止、食らいましたか。当然ですが。

 「1日午後からは同弁当の販売を中止し、その後、保健所に調査を依頼したところ食中毒の原因物質が検出されたという。
 原因物質は左手の甲にやけどを負っていたホテル浜荘の調理人が、手袋を外して弁当を作っていたことで、肉や付け合わせに付着し、拡大したという。(中略)」

 トホホ、手袋を外してたんですか。

 「この日会見した谷口一人店長は、「『高島屋は宮崎県を応援します』とうたって催事を行っていたこともあり、結果的に顧客を裏切ることになって申し訳なく思う」と陳謝した。」

  あーあ、とため息をはく他ありません。

  手にケガを負ってる場合、そこに黄色ブドウ球菌が増殖しますので、素手で調理してはいけないことは、まとも調理人なら、常識です。予想をはるかに上まわる人出で、忙しかったようではありますが、常識を無視した、当の本人の心の中に、どういう動きがあったのか、理解不能です。

  あるいは、別の推測もできます。「宮崎県を応援」という趣旨で、急に催事をセットしたため、人手のやり繰りがつかず、半人前以下の人物を厨房に入れざるを得ない状況になったのかもしれません。後者のケースだとしたら、悲劇とみなすこともできますね。

 思いおこすと、平成13年にBSEの問題が起きて、食肉・畜産の業界が大打撃を受けた時も、パニック心理のせいか、おかしな行動をした人がいました。一部には、刑事事件として立件されたものもあり、業界は、さらに辛い立場になりました。

 人間は、時として、大きく判断を誤るものと、あの時知りました。

  逆に、私ごとですが、あの時期に右往左往せず、中長期の視点で、会社を導けたことが、今日の、事業者としての自信につながっています。自分は、BSEに鍛えられた、とすら言えます。

  願わくば、今ごろ宮崎で苦労されている、皆さんの中から、後日「あの時に、オレは成長した!」という方が出てきて下されば、と思います。そこまで、なんとか辿りついてほしい、と願わずにいられません。

  不肖・住吉史彦は、大したことはできませんが、心から宮崎へ、声援を送ります。

 復活を、期待しています。

Filed under: すき焼きフル・トーク,ぼやき部屋 — F.Sumiyoshi 12:35 AM  Comments (0)