遠き海原②
「伊場仙」の十四代目・吉田誠男さんが本を出されました。題して、
『遠き海原~世界都市「江戸」誕生の物語』。
(出版社名、コードなどは弊ブログの9/3号をご覧ください)
「伊場仙」の初代・勘左衛門が家康と共に岡崎から江戸へ来たのは、当時未だ湿地帯だった江戸を天下第一の都市にするためでした。そして、その治水技術をオランダに求めたことで、勘左衛門はオランダと敵対していたスペイン・ポルトガルを敵に回すことになる・・・
というのが、この御本の筋書きで、元NHKアナウンサーで歴史通の松平定知さんも推薦文を寄せて、「ストーリー展開に目を見はった」と絶賛しておられます。たしかに私が読んでも、
そんな設定、「あり」なの?!
と思うような発想の面白さなのですが、それをここで書くと「ネタばれ」になるので、書けません。
一方面白い展開とは別の次元で、吉田さんがこの御本で言っておきたかったであろう部分は、三河商人の在り方について、です。そちらの方はここでご紹介しても良いだろうと勝手に判断して書きますが、その三河商人の在るべき姿は、なんと家康が語るのです。
「上に立つ者は常に頭を下げるように心がけよ。卑しい者ほど威張りたがるものじゃ。大器あるものは自分の偉業を誇示することはない。謙虚に、控え目に生き抜くことじゃ、江戸日本橋はこれから幾百年この国の中心になろう。この街の有力なる者の品性が問われるぞ。」
勘左衛門が、父・利兵衛が手がけていた江戸の治水事業を継いだのは、わずか16歳の時。利兵衛は、おりから台風が接近して来たので、自分の造成した地盤が大丈夫か点検に行って、帰らぬ人と成ってしまいます。
その事業を若くして継いだ勘左衛門に、家康が与えた訓戒が、上の言葉なのです。
常に頭を下げよ、そして商人の身であっても天下国家を考えよ、というメッセージを言いたかったのは、間違いなく、吉田さん御自身でしょう。それを家康が語るのです。
当節、耳の痛い人が多かろうと思います、私を含めて。
ひらたく申しますと、吉田さんに叱られてる気分・・・もちろん在り難いですが。
本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.758日連続更新を達成しました。
すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。