須坂の名物

すき焼きで街興し、という企画は各地で行われているようです。

今回発見したのは信州須坂市の「みそすき丼」。

たまたまツイッターで発見したのですが、平成19年からやっていたのですね。気づきませんでした。

市のサイトによりますと、

「須坂の名物を作ろう」という思いを胸に、数々のみそ料理を市内の飲食店で提供してきた「信州須坂みそ料理乃會」。平成19年からは統一メニューの開発に取り組みました。1年間の試行錯誤を重ね、各店が共通で使用する須坂のみそを使った「割り下」を作成。その割り下と、須坂の伝統野菜・村山早生ごぼうの使用を条件とし、各店オリジナルの「信州須坂みそすき丼」が誕生しました。」

なーんだ、またぞろB級グルメで街興しですかあ。そんなのに反応する人は今時少ないと思うけどね!

と思った皆さんに申し上げます、

須坂の「みそすき焼き」には歴史があるみたいですよ!

須坂で製糸業が盛んだった大正時代に、須坂には買付けの商人が大勢来ていて、その商人たちを接待するために供された料理が、すき焼きだったのです。

八王子のすき焼き店「坂福」さんも商人向けの接待料理として出発したと言っておられました。

すき焼きにみそを入れることは、当時珍しくありませんでした。現代では入れるのは横浜の「太田なわのれん」さんとか米沢の店くらいですが、初期の牛鍋には味噌を入れることがありました。

当時の日本人は肉の臭みが苦手だったので、それを消すために味噌を使ったのです。須坂は味噌醸造が盛んな土地ですから、鍋に入れたのは当然の成り行きだったと思います。

その後すき焼きの業界では味噌はだんだんと姿を消しましたが、須坂には「みそすき焼き」の記憶が残っていたようで、実に結構なことです。

ごぼうを入れるのも良いと思います。

街全体で取り組むには、どうしてもB級の丼ものに仕立てる必要があったのでしょうが、出来れば私の希望としては、大正浪漫の風情まで含めてA級のものとしても再現して欲しいところです。

よろしくです。

追伸

『日本のごちそう すき焼き』は、平凡社より刊行されました。

この本は、

食文化研究家の向笠千恵子先生が、すき焼きという面白き食べ物について語り尽くした7章と、

全国の、有志のすき焼き店主31人が、自店のすき焼き自慢を3ページずつ書いた部分の二部で構成された本で、

この十年の「すきや連」活動の集大成とも言える本です。私も勿論執筆に加わっています。

是非是非お求めください。

弊店の店頭でも販売しますし、こちらからネットでも購入できます。

是非。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.842日連続更新を達成しました。

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行政警察

悲惨な事件のニュースを視るにつけ、

『警察手眼』は読まれていないのか?!

と思ってしまいます。

警視庁の創始者・川路利良の著書『警察手眼』のことは、このブログで何度か書いて来ましたが、その中で書かれている「行政警察」のことは、これまで書いてきませんでした。

今日は、その「行政警察」の件です。

すき焼き屋が「行政警察」だなんて、どうかしていますが、紹介せずにはおられません。さて、早速ですが、

行政警察は予防を以て本質とす。

すなわち人民をして過ち無からしめ、罪に陥らざらしめ、

損害を受けざらしめ、

以て公同の福利を増益するを要するなり。

『手眼』では、この「行政」が先に書かれていて、優先事項なのです。つまり川路の警察にとって予防が本質なのであって、事件が起きてしまってから対応するのは二番手なのです。

二番手の方は「司法警察」と言います。

行政警察の力及ばずして、法律に背く者ある時は、

犯人を探索・逮捕するは司法警察の職務とす。

という具合に、予防が出来なかった場合に、司法警察が出てくる、という構成です。

しかし現代では、その「力及ばずして」の場面ばかりが目立つように思います。

川崎の中1殺害事件においても、

数日前に、被害者生徒に味方した仲間が、加害者の家の前で騒ぐという事件が在ったのに、行政警察はスルーしたようです。

また、それ以前に加害者が近所の飼い猫を傷つけていたのもスルーしたようです。

そう簡単に人間が人間など殺せるわけはなく、犯人はそれ以前にたいてい前段階として動物を殺していますから、犬猫を見回れることは非常に重要だと言えます。

しかし実際は犬猫については「力及ばずして」のケースが多いように思います。

どうも、刑事ドラマの影響が良くないのでは?と思ったりします。

ドラマでは茶道の家元が殺されたり、

テロリストが東京マラソンを妨害したりして、

ドラマとしては、その方が面白いのでしょうが、あれはあくまでドラマです。

普通の市民である私が希望することは、近所の犬猫を見回って欲しい、ということです。

警視総監が川路なら、きっとそう命じて、それをしっかりやった刑事さんに勲章を与えると思います。

罪に陥らざらしめんがため。

追伸

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銀座の夜景

「料飲三田会」の新年会に出席しました。

今回の会場は、

「銀座ライオン」6階の「銀座クラシックホール」。

本当にクラシックな部屋です。昭和9年の創建で、80年以上変わらぬたたずまい残しています。

最初は大日本麦酒㈱の本社屋として建てられ、当時は講堂として、やがてダンスホールとして使われるようになったそうです。

奇跡的に昭和20年の大空襲も免れたそうで、まわりの焼け出された人々がこの建物に集まって、雨露をしのいだこともあったそうです。

今回この会場が選ばれたのは、雰囲気が良い、ビールを飲みたいということもさることながら、銀座の夜景を楽しみたいと考えたからです。

銀座の工事現場の夜景を、です。

現在銀座では『銀座六丁目10地区第一種市街地再開発事業』という、早大な再開発、イヤ、壮大な再開発が行われています。

以前デパート「松坂屋銀座店」が在った銀座六丁目10番地と六丁目11番地が合体して、約1.4haという広大な更地が出来ています。

で、そのすぐ隣の銀座七丁目に「銀座ライオン」ビルは在ります。

だから「ライオン」ビルから工事現場の夜景が楽しめるのです。

「料飲三田会」には銀座の人が多く、「今ライオンからの夜景が面白いよ!」というおススメで、こういうことになった次第です。

銀座にこんな更地が出来るのは、おそらく大空襲以来のことでしょう。

では、

君の瞳に乾杯

銀座のクレーン車にも乾杯

追伸

一冊丸ごと「すき焼き大全」とも申すべき本が出ました。

タイトルは『日本のごちそう すき焼き』、平凡社より刊行されました。

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大和言葉

最近、警視庁の創設者・川路利良が書いた『警察手眼』を読んでいることは、このブログの1/21号に書きました。

読みますと、国家建設に邁進した明治人の、ストレートな言葉の数々に圧倒されます。

例えば、警察官というものは、

「おのおの、その陋心を断絶して、天然固有の良心に復すべし」

いやあ、よく言うよ!と突っ込みたくなる位ストレートです。しかもこれを言っている川路は当時40歳代。

最近では「大和言葉で美しく話しましょう」と呼びかける本が売れているそうで、たしかに「感動した」と漢語で言うより、「心にしみた」「心を打たれた」と言った方が、ニュアンスが伝わると思いますが、私個人は実は漢語がわりと好きです。

このブログも、読み易くするために漢語を減らしていますが、書いている本人は文語loverなんですよね。読んでいてリズムが良いですからね。

『警察手眼』では「陋心(ろうしん)」と「良心」という漢語が音感のポイントです。

『五箇条の御誓文』では、

「旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし」

→「陋習(ろうしゅう)」「公道」がポイントですね。

ロシアとの日本海海戦では、

「本日天気晴朗なれども波高し」

→「晴朗」がポイントです。

好きなんですよね、こういう感じが。

理想を語る時って、どうも、漢語が合うような気がします。

しかし、その文語が昭和・戦前に下って来ると、「大風呂敷感」が出てきてしまいます。

太平洋戦争の開戦の詔書は、

「東亜永遠の平和を確立し、もって帝国の光栄を保全せんことを期す」

→「永遠の平和」「帝国の光栄」って、どうにも浮ついてますよね。理想と大風呂敷って違うと思うんです。

こういう昭和の漢語が嫌いで、それで漢語全体が嫌いになった人も多いのではないかと思います。

そう、私は明治の漢語が好きで、昭和の漢語が嫌いです。

司馬遼太郎が解明しようとした一大テーマは、明治がどうして昭和に変容したのか、でしたが、私なりに回答すれば、それは、そこに理想が在ったか、の違いだと思います。

要するに、言葉は表現ではなく内容なのではないのか、それが『警察手眼』を読んだ感想です。

追伸

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神戸ビーフ

次回「すきや連」は「ホテル竹園芦屋」さんで開催することに決まっていますので、先日うちあわせと会場の下見に行って参りました。

さて「竹園」さんはホームページのトップに「JR芦屋駅前にある美味しいお肉(特選但馬牛)を食べることの出来るホテルです」と表記しています。さすが肉屋発祥のホテルと思いますが、ここで質問です。

「但馬牛」って何でしょう。

兵庫県とは言えば「神戸牛」が有名ですが、「神戸牛」は「但馬牛」ではないんでしょうか?

はい、もちろんそれも調べて来ました。

答え=「神戸牛」は「但馬牛」です。「但馬牛」の中の、一定の基準を満たした牛を「神戸牛」と言っているのです。

基準は「神戸肉流通推進協議会」が定めています。コピペしますと・・・

・兵庫県内の繁殖農家(指定生産者)のもとで生まれた

・兵庫県内の肥育農家(指定生産者)が最低月齢28カ月以上育てた

・メスでは未経産牛、オスでは去勢牛

・脂肪交雑(「サシ」の入り具合)はBMS値No.6以上

・枝肉重量がメスでは230kg~470kg、オスでは260kg~470kg

です。

これについて私見を言わせていただけば、

・仔牛の生産者を県内に限っているのは良いことです。他県から仔牛を導入している所が多いですからね。

・肥育期間を定めているのは良いことですが、28ヵ月では米沢牛の32か月以上に比べて見劣りしますね。

・性別は、やはりメスに限って欲しいところです。経産牛(出産を経験したメス牛)でも良いと私は思います。肥育期間が短いのも、オスの去勢牛をOKにしているからでしょう。

・体重制限が在るのは良いことですが、450kg以下だった重量基準を2006年に470kg以下に上げてしまったのは気にいりません。これ以上増やさないで欲しいものです。

・・・このように高級但馬牛=神戸牛と思っていただいてもOKなのですが、高級但馬牛をあえて「神戸」と言わず「但馬」として売ることも出来ることは出来るので、完全に高級但馬牛=神戸牛とは言えません。

そもそも、こういう奇妙なことが行われている理由は二つあります。

第一の理由は、海外で「Kobe-Beef」が有名だからです。

このブログの2013年9月11号に書きました通り、神戸に牛肉を普及させ「神戸ビーフ」の基礎を築いたのは、明治時代の外国人キルビーとハンターでした。以来「神戸ビーフ」は海外で有名です。

神戸で牛は飼っていないのにね。

もちろんブランドというものは産地ブランドに限ったものではなく、「千住葱」のように千住で葱は育てていないのに葱市場のある地名をブランドにしている場合もありますから、別に不当なものではありません。

「神戸」は「千住」に近いケースで、飼っていないのに有名だったものだから、やはりそれはブランドとして整備しようということになったわけです。

第二の理由は、但馬の公使が有名、いや、但馬の仔牛が有名だったからです。この血統は、脂の融点がとても低い血統で、おそらく世界一低いです。

この血統の仔牛は、以前は地元で最後まで肥育されるより、むしろ、松阪や近江へ連れて行かれました。仔牛のブランドとして有名だったのです。

但馬すなわち兵庫県北部から、はるばる松阪まで牛を連れて行ったわけで、大変なことです。それだけ但馬の仔牛が欲しかったのです。

このように「神戸ビーフ」はそもそも産地ブランドではなく、流通地のブランドであったのに、同じ県内に仔牛のブランドがあったので、それを定義に取りこんだのです。

・そもそも流通地のブランドであった

・同じ県内に仔牛の有名な産地があった

という二重の特殊性の故に、牛がいない土地(=神戸)の地名を冠したブランドが出来たのです。

但馬国が摂津国と合併して兵庫県に成らなければ、こういうことには成らなかったかもしれませんね。

分かりにくいぞ!

と思った方、文句は初代兵庫県知事の伊藤博文に言って下さい。

以上のことは、私のようにブランドにこだわらず「旨い牛や旨い」という立場の人間には、さして重要なことではありませんが、一応、まあ弊ブログの読者の皆さんの為に解説しておきました。

あー疲れた。

追伸

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警察手眼

ある日警察の方が店を訪ねて見えて、私に面会したいと言います。

げげげ、テロ事件とか私は関与してませんよ。仏教徒だし。

と思いましたが、尋問に見えたのではなく、なんと、警視庁の創設者・川路利良について書いた、このブログの1/4号をお読みになったとか。在り難いことです。

さらに在り難いことに、これを読んでみて下さい!と取り出されたのが、

『警察手眼』

川路が部下の警察官に与えた訓戒の語録です。現物は初めてみました。

発行元は「警察時報社」。原文は豊後で読みにくい、いや、文語で読みにくいので、解説が付いています。

さてさて通読しまして、国家建設に邁進した明治人の、ストレートな言葉の数々に圧倒されました。

警察官だけでなく、全ての公務員、政治家、それから民間人であっても要職に就く人は、是非これを読んだら良いと思います。警察だけに限定するのはもったいないことです。

川路によれば警察官は徹頭徹尾、365日24時間、国家国民に献身するもので、そして一般人より人格的に高潔でなければなりません。それを説く言葉が実にキビチい表現の連続です。

給料については、このように↓言っています・・・

「おのれ20円の価にして30円の棒を得る時は(中略)官民にその損耗を負はしむ故に必ずや怨望誹読せらるる者と成らん」

要するに、ギャラ20円の価値しかない人間を高い位に就けると必ず朝野から悪評をもらうだろう、逆に20円の価値がある人間なのに10円しか貰わないのであれば、

「必ず人望ありて安宅に住する者」に成れると言います。

キビチいですが、まったく同感です。

私も、安らかに住む者に成りたいものですが、それは私には到底無理なことのようです。ギャラをとらないだけはダメで、

「ひとたび警察官たる以上は、従前の長袖を着し、宴飲快楽をほしいままにするは到底得べからざれば」と日常生活も高潔でなければならないのです。

実際、川路は警察官を官舎に集住させ、酒を禁止し、和服を着ることを禁止し、借金も禁止しました。警官同士で相互に監視させ、不品行があれば連隊責任を負わせたそうな。キビチい。

採用に当たっては、筆記・技能をほとんど不問にして、人柄のみで採用したと言います。ほおお、ですね。

これにより新帝都・東京の治安はだんだんに良くなりました。

維新直後、各藩の藩兵が東京を治めていた時は、その兵隊どもガラが悪く不真面目で、結果治安が悪く市民はおびえて暮らしていましたが、ここまでやってようやく良くなったとか。

それにしても酒を飲めるのは、「朋友、親類の慶賀」の場合のみなんだとか。

キビチい。

と言うか、無理。

追伸

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大警視

旧臘のことですが、運転免許を更新に行きました。

誕生日が12月なので免許の更新も12月でして、店の繁忙期に、この時間のロスはつらいものがあります。

だからロスは挽回せねばなりません。挽回すなわちブログのネタ拾いです。

もちろん免許更新センターでのネタ拾いは簡単ではありませんでしたが、トライはしてみるものです。私は通路に「警察博物館」のパンフレットが置いてあるのに気づきました。

さて「警察博物館」の2階展示室の主役は川路利良です。初代・大警視で警視庁の創設者ですね。

無理やり川路をすき焼きにつなげますと、牛鍋チェーン「いろは」を創業した木村荘平が上京したのは川路に招かれたからですが、木村のことは以前このブログで書いたので、今日は川路本人のことを書いてみます。

思いまするに、今日まで日本の治安が保たれているのは警察力に依るところが大きく、元をただせば川路のおかげと言っても大げさではないのですが、川路のことは現在ではあまり話題にならないと思います。

話題にならない理由としては、

45歳で、偉く成る前に死んでしまったことと、

薩摩出身でありながら、西南戦争で薩摩討伐の先頭に立ったこと、

があると思います。チト暗いイメージが付いてしまっていますね。

しかし警察制度創始者としての川路の評価は高いものがあります。そのことが博物館の展示にも表れている次第です。

警察の在り方を示した川路の語録は『警察手眼』として編纂され、警察官のバイブルとして現在も広く読み継がれているそうです。

川路が固く信じましたのは、警察こそ日本国を文明へと牽引する源だということでした。

今日例えば、オリンピックを招致するに当たっても、治安がポイントになりましたが、

警察=治安=文明

という川路の信念は、実際に、その後の日本の姿を決めた、と申せましょう。

その文明の前にあっては西郷すらも排除すべき存在だったのであり、だからこそ川路は西郷と戦ったのでした。

そして、さらに驚かされることは、その業績が、わずか7年ほどで成し遂げられたことです。川路がフランスを視察して警察の重要性を知ったのが明治5年。そして川路の死は明治12年。

大事を成すのに必要なのは時間ではなく、信念であることが分かります。

皆さん、信念おめでとうございます。なんちって。

追伸①

年始の営業案内です。

1月1日のみ休業し、2日から12日まで休まず営業致します。

どうぞ御利用下さい。

追伸②

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リタとすき焼き

おお、これで弊店も「マッサン」ブームに便乗できそうです。

竹鶴政孝の妻リタ(ドラマの役名は「エリー」)が、余市の自宅ですき焼きを出していた、という情報をgetしました。

まあ、getと言っても、『女性自身』の請け売りですけどね。

師走に入り、弊ブログでは請け売り率が上昇しておりますが、ひらにお赦し下さいませ。

さてさて、この情報のネタ元は、

「山下(旧姓・三浦)マス子さん(91)。太平洋戦争の開戦が目前にせまった昭和15年、山下さんは16歳で、“マッサン”こと政孝が興した大日本果汁(後のニッカウヰスキー)に入社。寿退社する22年まで事務員として働いた。」

「自宅から会社まで、4キロほどの道のりを毎日徒歩で通勤していた山下さん。「雪深い道を歩くのは大変だろう」と気遣った政孝とリタは、冬の間、山下さんを工場内にあった自宅に泊めた。」

「よくいただいたのは土瓶蒸し。まつたけのね。あのころは山に入れば、割と簡単に採れたんじゃないですかね。それとすき焼きをごちそうになったのを覚えています。リタさんは食材の盛りつけにこだわりがあって、キレイに扇の形にねぎなんか並べていましたね」

すんばらしい。

しかし、この話しは、この後戦時中のリタの苦労話しへと転じてしまい、すき焼きについての言及は、もうありません。

すき焼きを酒肴にして、ウイスキーを飲んだのか?

小樽ならではの具材は入れたのか?

とか、知りたいんですけどねえ・・・

ドラマの中で、すき焼きの場面をやってくれないかなあ、NHKさん。

受信料割り増しで払いますよ。

追伸、

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毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

 

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ロゴ入り徳利

ある日、お客様が珍しい物を持って来店されました。

「ちんや」のロゴ入りの徳利です。

ガラスで出来ていて、瓢型。立たせることは出来ず、寝かせて使うタイプの徳利です。

で、これはいつ頃のものか?

という御質問でした。

私は初めて見るものですが、年代が古いものではあることは分かりました。ロゴが現在のものと違うからです。

現在のロゴは「ち」のタテ棒が斜めに走っていますが、古いロゴではまっ直ぐ上下に走っています。タテ棒がまっ直ぐな分、その下の丸い部分が右上に突き出していて、なんだかお尻が飛び出ているように見えるのが、「ちんや」の古いロゴです。

お客様の話しでは、一緒に出て来たものが明治時代のものだから、これも明治時代だろう、ということでした。

気になるのは、これが何を入れていた容器なのか、という点です。

可能性としては、

割り下を入れて売っていた。

ノベルテイーとして、酒を入れて配布した。

品物にはロゴしか書かれていないので、判定できませんが、私には後者のような気がします。なんか遊び心が感じられるので、レギュラーの商品ではないような気がするのです。

何かのイベントの折りに配ったもののような気がします。

同じことを現代でやっても喜ばれると思うのですが、今やろうとすると、オリジナルボトルは食品衛生上のチェックが必要で簡単ではないと思います。

遊び心がパッと実現できた時代のことを、うらやましく思いました。

 

追伸、

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上信電鉄

11/23に「すきや連」を群馬県下仁田町の「常盤館」さんで開催するので、今私は、その準備作業に追われています。

お陰様で今回も定員オーバーの応募があり、後は色々の段取りをつける段階です。

今回は同じ日に「すき焼きシンポジウム」があり、私はそこに登壇もするものですから、少し準備作業を繰り上げて、今週末には仕上げてしまいたいところです。

さて、今回難儀しましたのは宿泊の問題でした。11/23は下仁田町で「全国ねぎサミット2014」が開催される関係で、町内の部屋数が僅少と見込まれたのです。

そこで今回は例会終了後下仁田からJR高崎駅までバスを用意して、東京へ日帰りすることにしました。

例会を17時に始めて20時に終われば、高崎駅着予定は21時半。東京へ帰れます。仙台から見える方も帰れますからね。

鉄道でなくバスを用意した理由は、ハッキリ申しまして、トイレです。

下仁田=高崎を結ぶローカル私鉄・上信電鉄にトイレが付いていないので、例会でたくさん御酒を飲んだ皆さんにとっては、はなはだ不都合なのです。

で、バスを手配することになり、どうせならと、その車中で群馬の酒と酒肴を楽しむ二次会を開催することになりました。楽しみですね。

時に、この上信電鉄ですが、なんで群馬県しか走ってないのに「上信」なんでしょう?

それは、かつて信州へ進む野望があったからです。

この鉄道は、1897年に上野鉄道(こうずけてつどう)として開業し、その年に高崎=下仁田間が全通したそうです。現存する日本の地方私鉄の中では、伊予鉄道についで二番目に早い開業だそうです。

さらに下仁田から峠を越えて小海線の羽黒下駅まで延伸する計画を立て、社名も「上信電気鉄道」にわざわざ改称したのですが、世界恐慌により頓挫、延伸は実現せず現在に至っているそうです。

今回の会場である「常盤館」さんにのこっている写真で、上野鉄道が電化した時の様子が分かりますが、かなりの賑やかさです。地図を見ると、肉屋が何軒も在ったようですから、モダンな土地柄と言えましょう。

このように、下仁田は早くから産業化した土地で、鉄道の事業性も、当時は見込まれたようなのですが、結局薬局、信州延伸は実現しませんでした。

かくして、上野ノ国しか走らないのに「上信」だというユニークな鉄道が出来ました。

皆様、帰りはバスですが、往きはこの鉄道を、どうぞ御利用願います。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.719日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

 

 

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