上信電鉄

11/23に「すきや連」を群馬県下仁田町の「常盤館」さんで開催するので、今私は、その準備作業に追われています。

お陰様で今回も定員オーバーの応募があり、後は色々の段取りをつける段階です。

今回は同じ日に「すき焼きシンポジウム」があり、私はそこに登壇もするものですから、少し準備作業を繰り上げて、今週末には仕上げてしまいたいところです。

さて、今回難儀しましたのは宿泊の問題でした。11/23は下仁田町で「全国ねぎサミット2014」が開催される関係で、町内の部屋数が僅少と見込まれたのです。

そこで今回は例会終了後下仁田からJR高崎駅までバスを用意して、東京へ日帰りすることにしました。

例会を17時に始めて20時に終われば、高崎駅着予定は21時半。東京へ帰れます。仙台から見える方も帰れますからね。

鉄道でなくバスを用意した理由は、ハッキリ申しまして、トイレです。

下仁田=高崎を結ぶローカル私鉄・上信電鉄にトイレが付いていないので、例会でたくさん御酒を飲んだ皆さんにとっては、はなはだ不都合なのです。

で、バスを手配することになり、どうせならと、その車中で群馬の酒と酒肴を楽しむ二次会を開催することになりました。楽しみですね。

時に、この上信電鉄ですが、なんで群馬県しか走ってないのに「上信」なんでしょう?

それは、かつて信州へ進む野望があったからです。

この鉄道は、1897年に上野鉄道(こうずけてつどう)として開業し、その年に高崎=下仁田間が全通したそうです。現存する日本の地方私鉄の中では、伊予鉄道についで二番目に早い開業だそうです。

さらに下仁田から峠を越えて小海線の羽黒下駅まで延伸する計画を立て、社名も「上信電気鉄道」にわざわざ改称したのですが、世界恐慌により頓挫、延伸は実現せず現在に至っているそうです。

今回の会場である「常盤館」さんにのこっている写真で、上野鉄道が電化した時の様子が分かりますが、かなりの賑やかさです。地図を見ると、肉屋が何軒も在ったようですから、モダンな土地柄と言えましょう。

このように、下仁田は早くから産業化した土地で、鉄道の事業性も、当時は見込まれたようなのですが、結局薬局、信州延伸は実現しませんでした。

かくして、上野ノ国しか走らないのに「上信」だというユニークな鉄道が出来ました。

皆様、帰りはバスですが、往きはこの鉄道を、どうぞ御利用願います。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.719日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

 

 

Filed under: すき焼きフル・トーク,憧れの明治時代 — F.Sumiyoshi 12:00 AM
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