三方よし

近江商人と言えば、

「売り手よし、買い手よし、世間よし」の「三方よし」の精神が有名ですね。

ブラック企業が蔓延る今日、近江商人を再評価しようという動きがあるのは、結構なことだと思います。

その一つが東近江市が企画した講座です。京都新聞によりますと、

「近江商人発祥地の一つで、現在も多数の商人屋敷が残る東近江市五個荘地区に今秋、県内外のビジネスマンらが集まった。近江商人をルーツとする企業から講師を招き、現代に生き続ける商人の心やチャレンジ精神を学ぶことで新たな人のつながりを生み出そうと、同市が企画した講座「五個商庵(ごかしょうあん)」。

第1回は滋賀県豊郷町発祥の総合商社「伊藤忠商事」の人材育成について。講師を務めたのは伊藤忠グループで人材育成を担った遠藤和人さん。

遠藤さんによれば、創業者の初代伊藤忠兵衛(1842~1903年)は、今日の言葉で言えば、「コンプライアンス主義、現場主義、顧客目線など、現在でも通用する商売の神髄を説いていた」そうです。

忠兵衛は「先輩を敬い後輩を愛し、顧客に対しては最も尊敬を厚くするように」と教え、まだ珍しかった牛肉のすき焼きを毎月6回も全従業員に振る舞っていた(!!!)そうです。

つ、月に、6回!

素晴らしいです。

是非、これを復活しませんか、伊藤忠さん!

 

追伸①

CSフジテレビONEの

『寺門ジモンの肉専門チャンネル』に出演させていただきます。

芸能界一肉に詳しい男」寺門ジモンさんが送る肉料理に特化した待望の肉専門番組が、これです。出られて光栄です。

放送は、1/13(金) 11:30~12:00

1/18(水) 8:30~9:00

1/21(土) 9:00~9:30    です。

追伸②

今年も「ミシュランガイド東京2017」に載せていただきました。 3年連続掲載です。ありがとうございます。

追伸③

拙著は好評(?)販売中です。どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

題名:『浅草はなぜ日本一の繁華街なのか』

浅草の九人の旦那衆と私が、九軒のバーで語り合った対談集でして、「浅草ならではの商人論」を目指しています。

東京23区の、全ての区立図書館に収蔵されています。

四六判240頁

価格:本体1600円+税

978-4-7949-6920-0 C0095

2016年2月25日発売

株式会社晶文社 刊行

 

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.510日連続更新を達成しました。

 

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住吉史彦の十大ニュース2016

お待たせしました!

今年も「住吉史彦の十大ニュース」の時間がやってまいりました。

え? 誰も待っていないって?

そういう声は無視して、どんどん行きましょう。

今日はポイントだけを書きますので、詳しい内容を知りたい方は、アンダーラインのある所をクリックして下さいね。さて、

2月 国際観光日本レストラン協会に青年部が設立され、不肖・私が初代代表世話人に就任致しました。

代表世話人として、4月に国際観光日本レストラン協会「第一回 青年後継者の集い」を新橋「今朝」さんで開催。9月には第二回を鎌倉「御代川」さんで開催しました。

2月 拙著が刊行されました。タイトルは『浅草はなぜ日本一の繁華街なのか』。225日に㈱晶文社さんより発売されました。浅草の九人の旦那衆と私が、九軒のバーで語り合った対談集でして、「浅草ならではの商人論」を目指しています。

これにともない、刊行前日にメデイア向け・書店向けの披露会を開催。6月には、私の知人を中心に「住吉史彦の対談本『浅草はなぜ日本一の繁華街なのか』刊行記念「すき焼きを食い、カクテルを飲み、著者・関係者と語る会」を開催しました。

3月 第23回「すきや連」を開催しました。会場は松阪市「牛銀本店」さん。今回も全国のすき焼き関係者が集結して大盛況。特産松阪牛の味と、昭和初期建築という御店の風情を堪能させていただきました。

7月 第24回「すきや連」を開催しました。会場は八王子市の「坂福」さん。今回は八王子花街の芸者衆にご出演いただき、賑やかに開催しました。

8月 「ちんや」リクルート用のサイトを開設しました。テーマは「すき焼きを売ることは思い出を売ること」。

10月 すき焼き文化を象徴する古書『安愚楽鍋』(あぐらなべ)を購入しました。

10月 「ちんや」に革命的に新しい溶き卵2種が登場しました。

10月 「ちんや」精肉売店で「一生もの」の道具を売り始めました。

10月~12月 「全社員一対一肉の話し面談」を実施しました。「ちんや」の肉は何故美味いのか?パートさんに至るまで弊社員全員と私が一人ずつ面談して、ナットク行くまで説明しました。

11月 第25回「すきや連」を熊本「加茂川」さんで開催しました。益城・熊本城などの被災地を訪問。県庁も訪問して副知事さんに義援金をお贈りしました。

 

いやあ、今年も忙しかったです。

これにて2016年の弊ブログも千秋楽となりました。また、これにて2.499日連続更新を達成しました。

まずは御礼だけを申し上げます。読者の皆様、ご愛読いただき誠にありがとうございました。

2017年もご愛顧を賜りたく、心よりお願い申し上げます。

東西、東〜西〜

 

追伸

年末年始の営業案内です。

年末=12月31日まで休まず営業致します。

年始=1月1日のみ休業し、2日から9日まで休まず営業致します。

どうぞ御利用下さい。

 

 

糠味噌漬け

昨日の話しの続きですが、この国は、とてもとても衛生的になりました。

私の行っている歯科医院では、患者の歯垢を採取して顕微鏡にかけ、それを診察台の横に設置されたディスプレイに写せるようになりました。

しかも動画です。動画というのがミソでして、歯垢の中に居る細菌がウヨウヨと動いているのが視られるのです。

私の場合汚染状態は「ひどい」というほどではなかったですが、完璧に綺麗というほどでもなく、歯間ブラシなどでもっと徹底的に磨くよう指導されました。

食品衛生業界もやがてこれに続き、限りなく清浄な調理場が出来始めるでしょう。

しかし、このまま突き進むのが良いことなのか?と私は考えてしまいます。

そう思うのは、歴史家の塩野七生さんが雑誌の連載『日本人へ』の中で次↓のように書いていたからです。

「歴史に親しむ歳月が重なるにつれて確信するようになったのは、人間の文明度を計る規準は二つあり、それは、人命の犠牲に対する敏感度と、衛生に対する敏感度、であるということだった。と同時にわかったのは、この敏感度が低い個人や民族や国民のほうが強く、負けるのは文明度の高い側で、勝つのは常に低い側、ということである」

この確信に従えば、日本は負ける側に入っていることになります。

食品衛生に関しては、我が義塾の開祖・福澤先生に、こんな↓文があります。

「よく事物の始末を詮索すれば世の食物に穢き物こそ多からん。」

「先祖伝来の糠味噌樽へ うじと一緒にかきまぜたる茄子大根の新漬は如何。」

この文は『肉食之説』という題の明治3年の文章で、肉食を奨励することを目的に書かれました。当時肉食反対派が肉のことを「穢きもの」と批判していたのに対して、先生は、君らが食べている糠味噌漬けの樽には、うじが侵入しているじゃないか、それを皆平気で食べているんだから、肉ばかりを「穢い」と言うのは、「不通の論」じゃないかと言っているのです。

ここで先生が糠味噌漬けは不潔だから止めるべきだとは言っていないことにご注目下さい。

うじはたしかに素敵なものではありませんが、この世界に普通に存在する有機物です。糠味噌の中で死ねば、やがて有用菌がそれに取りついて分解し、醗酵食品となって、人が安全に食べられます。

こういう文を読むにつけ、菌をとにかく減らして行くことばかりが「衛生的」とは言えないのでないか、私はそう思ってしまうのです

追伸①

CSフジテレビONEの

『寺門ジモンの肉専門チャンネル』に出演させていただきます。

芸能界一肉に詳しい男」寺門ジモンさんが送る肉料理に特化した待望の肉専門番組が、これです。出られて光栄です。

放送は、11/20(日) 10:00~10:30、

11/26(土) 15:50~16:20です。

 

追伸②

拙著は好評(?)販売中です。どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

題名:『浅草はなぜ日本一の繁華街なのか』

浅草の九人の旦那衆と私が、九軒のバーで語り合った対談集でして、「浅草ならではの商人論」を目指しています。

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価格:本体1600円+税

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2016年2月25日発売

株式会社晶文社 刊行

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.457連続更新を達成しました。

 

 

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西南戦争

「すきや連」で熊本に行った際、市内の書店で熊本商工会議所が作成した、

「熊本観光文化検定 公式テキストブック」を購入しました。

最近各地の自治体が、こうした検定テキストを作っていて、帰りの機中の暇つぶしに最適です。

めくってみますると、西南戦争に関するページが多いことに気づきます。

そうでした!西南戦争はほとんど熊本県内で戦われたのでした。

念のため確認しますと、西南戦争は1877年(明治10年)に、薩摩の西郷隆盛を盟主にして起こった士族の反乱です。で、西郷が鹿児島を出てから最初に新政府側と激突した地が熊本でした。新政府側は、加藤清正が建てた熊本城にたてこもり、西郷軍がそれを包囲して、激戦が行われました。

やがて新政府側は熊本城を救出するべく、北方から乃木希典らが進軍して来ますが、それを迎え撃つ西郷軍と激戦が行われたのは、熊本城から北へ数キロ行った所でした。西郷が清正の名城を相手に苦戦している間に、新政府側がすばやく熊本県まで南下してきたのです。

戦いが最も激しく、双方が撃った銃弾が空中で衝突して「かちあい弾」が出来たという田原坂(たばるざか)も現在は熊本市に入っています。

結局西郷軍は熊本城を落とすことが出来ず、次第に劣勢となって鹿児島へ向け撤退して行きますが、その間にも人吉など熊本県内で激しい戦いがありました。

西郷は東京まで進軍する積りだったのですが、熊本に引っかかってしまった、という感じでしょう。熊本の人たちから見たら、こんな迷惑な話しはありませんが、熊本の士族の中には西郷軍に協力した者も大勢いたと言いますから、不思議なことです。

さてさて、この戦いに際して、新政府側は、皇族の有栖川宮熾仁親王を「鹿児島県逆徒征討総督」に任命しました。

そして、その熾仁親王の賄い方として熊本へやって来たのが、今回「すきや連」を開催した店「加茂川」さんの創業者でした。熊本なのに「加茂川」なのは、創業者が京都から来たからなのです。

料理内容は、当時ブームだった牛鍋。

それが今日まで伝えらえていると言いますから、すき焼きの歴史は全く面白いです。

震災から半年、熊本を訪ねましたら、お城は傷だらけ、倒壊した民家がまだたくさん残っていて大変な状況でしたが、そん中でも「加茂川」さんが元気に営業しておいでなことに、逆にパワーをいただきました。

今回は本当に在り難うございました。

 

追伸①

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放送は、11/20(日) 10:00~10:30、

11/26() 15:5016:20です。

 

追伸②

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題名:『浅草はなぜ日本一の繁華街なのか』

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新富町

新富町の日本料理店「躍金楼」(てっきんろう)さんに行ってきました。

新富町は、今ではオフィスビルが多数立ち並んでいて、往時を偲ぶことができませんが、かつては色っぽい街でした。

まだ外国人が日本国内を自由に旅行できなかった頃、1868年(明治元年)築地に外国人居留者が出来ますと、それを目当てにした新島原遊郭がこの辺りに置かれました。この遊郭は1871年(明治4年)取り払いを命じられたので、ごくごく短期間だけしかありませんでしたが、「躍金楼」さんが創業されたのは、その当時の気配が未だ残っていた明治6年のことでした。

そのすぐ後、新富町は、今度は芝居町にと変身します。

浅草猿若町に在った「守田座」が、ここへ移って来たからです。

浅草猿若町に在った歌舞伎小屋は、元々天保の改革で、江戸市中から浅草へ強制移転させられていたので、幕府がなくなって、ようやく市中復帰を果たした、というわけです。

しかし、単に復帰しただけではありませんでした。

新生・新富座は、経営者は12代目守田勘弥でしたが、株式会社組織の劇場でした。設備もガス灯などを配備した近代劇場。

いったん火事に遭いますが、明治11年に再建・新会場した時は、太政大臣・三条実美公や外国公使らの貴賓を招待して開場式を盛大に行い、役者衆は燕尾服を着て客を出迎えたとか。

芝居の内容も改めました。

歌舞伎の低俗な部分はバッサリ切って、時代考証も行いました。所謂「活歴もの」ですね。それが上演されたのが、この劇場でした。

しかし大正12年(1923年)の関東大震災で被災すると、その後再建されず、廃座になってしまいました。残念。

やがて新富の街は個性が薄れて行き、普通に街に成りました。

ところが、それを面白く思わない方々がいて、それが「躍金楼」の若旦那や、足袋の「大野屋總本店」の若旦那達です。

そうした皆さんが芝居をテーマに新富町を面白くしようと作戦会議をしている様子がテレビで放送され、私はそれを視て、「躍金楼」さんに行きたくなった次第です。

おっと、いつものことながら、食事に行くのに前ふりが妙に長いのが、このブログです。

大変おいしくいただきました。特に半生に仕上げたイカの天婦羅は美味しかったですね。御馳走様でした。

追伸①

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放送は、11/04(金) 11:30~12:00 です。

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バルトの楽園

昨日の「日本食肉加工情報」の件の続編です。

日本の食肉加工の黎明期に「ちんや」がお役にたっていたのが嬉しくて、この件をFBにUPしましたら、知人から、このような投稿↓が入りました。

「私が今住んでいる習志野市には、習志野ソーセージなるものがあるらしいです。第一次大戦の折、ドイツ人捕虜収容所があったそうで、そこに収容されていた人から習ったそうです。「バルトの楽園」は、習志野にもあったそうですよー。ちんやさんとは関係なくてスミマセン」

いえいえ、多少の関係は在りますよ。

弊ブログの2014629に書きました通り、この戦争中、浅草本願寺にも捕虜収容所が置かれました。収容所当局は意外に良心的で、兵の栄養状態に気を遣ったらしく、旨い肉を調達しようと努めました。

で、その肉を提供したのが、浅草広小路の「ちんや」だった、という次第です。この収入が弊社の社業を発展させたことは申すまでもありません。

ドイツ人に接して、弊社は残念ながらハム・ソーを創めませんでしたが、創めた人があちこちにいて、「習志野ソーセージ」もその一つです。習志野に伝えたのは、チンタオの戦いで捕虜になったカール・ヤーンという人でした。

そして、もっと有名なドイツ人として、アウグスト・ローマイヤーがいました。

ローマイヤーもやはりチンタオで捕虜になり、解放後帝国ホテルに入りました。やがて銀座に「ローマイヤー」という店を出し、その店の後身が今でも日本橋に在ります。

このように第一次大戦のドイツ人捕虜は、日本のハム・ソー産業に大きな影響を与えました。昨日のブログに登場した畜産試験場系のハム・ソーと並ぶ、日本のハム・ソー産業の源流の一つがドイツ捕虜系のハム・ソーなのです。

ベートーベンの「第九」を日本で初演したのが、ドイツ人捕虜であったことは、映画『バルトの楽園』に成ったので有名な話しですが、ハム・ソーについても、もっと知られて良いかもしれません。

では、〆に一曲歌いましょう、

Freude, schöner Götterfunken, Tochter aus Elysium

Wir betreten feuertrunken. Himmlische, dein Heiligtum!

追伸①

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放送は、10/20() 06:3007:00 です。

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浅草の九人の旦那衆と私が、九軒のバーで語り合った対談集でして、「浅草ならではの商人論」を目指しています。

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価格:本体1600円+税

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日本食肉加工情報

日本の食肉加工の黎明期に「ちんや」がお役にたったと聞き、嬉しくなりました。

「ハム・ソーセージで町興し」を推進している千葉県横芝光町商工会の方が知らせてくれたのですが、「日本食肉加工情報第254号」に「ちんや」が登場するのだそうです。

「日本食肉加工情報」は、その名の通り、食肉加工の新技術などを紹介する雑誌でして、大正時代に農林省畜産試験場の技師だった中原重樹が、そこに駆け出し時代の思い出を寄稿しているのですが、その一場面として「ちんや」が登場します。

中原が大学時代に学んだのは畜産は畜産でも羊毛。ところが畜産試験場に赴任して担当することになったのが食肉加工。困った中原が肉の取り扱いを学ぶべく、「当たってくだけろ」の勢いで直談判したのが、「ちんや」だったという次第です。

畜産試験場は、その後1980年に筑波学園都市に移転、2001年に草地試験場と合併して、今は「畜産・草地研究所」と言っていますが、発足当時の大正時代は千葉市に在りました。千葉から浅草ならさほど遠くありません。

で、中原は勤務の後、夜の8時頃に京成電車で浅草へ通ってきました。記事を引用しますと、

「すき焼き屋は大抵夜8時ごろでお客向けの板間の仕事は終わって、あとは翌日用の肉を枝肉から卸して適当な肉塊として筋や膜を除く作業(中略)その夜の仕事を手伝うのが私の目当てであった。」

「こうして私は夜、約一か月、誰にも語らず密かに浅草へ通い続け、夜半に疲れて帰宅した。」

・・・といいますからド根性に感心せざるを得ません。

そして「ちんや」の側にも感心するところが。

「これはアルバイトではない。逆に先方に月謝を払うべきだったが、それは受け取っては呉れなかった」といいますから、粋ではないですか。

その後、中原は食肉加工の分野で、国内最高の技術を有する人と言われるように成り、「日本食肉研究会」の初代会長も務めたたとか。

我が先祖ながら、G.J.と言ってやりたいです。

追伸①

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芸能界一肉に詳しい男」寺門ジモンさんが送る肉料理に特化した待望の肉専門番組が、これです。出られて光栄です。

放送は、10/20() 06:3007:00 です。

追伸②

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題名:『浅草はなぜ日本一の繁華街なのか』

浅草の九人の旦那衆と私が、九軒のバーで語り合った対談集でして、「浅草ならではの商人論」を目指しています。

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価格:本体1600円+税

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2016年2月25日発売

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安愚楽鍋

『安愚楽鍋』(あぐらなべ)を購入しました。

明治4年に刊行された本物です。古書を扱っている知人が持って来てくれました。

正確に書きますと、この本は、

『牛店雑談 安愚楽鍋』の初編(仮名垣魯文著、落合芳幾画)

粋な姐さんやたいこ持ち、西洋かぶれから田舎侍まで、牛鍋店に出入りする客を描き、文明開化期の風俗を風刺した滑稽本です。「開化期風俗文学の筆頭」と言われたりするそうです。

手に取りますと、和綴じの本というのは、厚い本ではないのに温かみがあって良いですね。

でも、とてもとても読みにくいです。特に平仮名が。

一方楽しいのは挿絵。

明治維新からすぐの頃だというのに、バターやチーズを売る店が描かれています。洋風の馬車が走っていて、御者はマントを着込んでいます。牛鍋を食べる客はほとんどが和装ですね。

しばらくは眺めて楽しめそうです。

貴重なものを在り難うございました。

追伸

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放送は、10/09(日) 18:40~19:10です。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.412連続更新を達成しました。

 

 

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不忍池

国際観光日本レストラン協会の暑気払いが、上野・不忍池畔の「伊豆栄」さんで開催されました。

配られた資料を読んでおりますと、「伊豆栄」さんが創業なさった290年前(江戸中期)には、不忍池でも鰻が獲れたと言います。それで、鰻屋を創めたとか。

そもそも不忍池は、縄文時代には石神井川が東京湾に流れ込む入り江でした。しかし石神井川は、ある時からルートが変わって隅田川に合流するようになり、不忍池湾?に流れ込む水が減ってしまいました。やがて海岸線が後退して行って、取り残されてしまったのが不忍池です。紀元数世紀頃に池になったと考えられているのだそうな。

その後も、明治時代に現在の形に成るまで、つまり江戸中期でも小さい川が流れ込んでいて、湿気の多い土地だったと言いますから、鰻が美味いわけです。

さて、その不忍池が現在の形に成ったのは、1884年。

「共同競馬会社」が競馬場を建設するために埋め立てたのです。競馬場は、池を周回する形で作られ、明治天皇が臨席して第1回の競走が行われました。

競馬場建設は国策とも言って良い事業でした。明治政府は軍馬改良の為に、競馬を奨励していて、明治天皇も好んで競馬会に行幸されたのです。優秀馬には「帝室御章典」が授与されまして、「帝室御章典」は今日中央競馬で春秋開催される「天皇賞」のルーツなのです。

その1884年の天覧競馬会の様子を描いた開化絵『上野不忍大競馬之図』を、実は「ちんや」が所有しておりまして、こちらで画像を公開しています。

おって、話しがチト逸れましたが、このように国策競馬で不忍池が埋め立てられるまで、この辺りは鰻が獲れる土地柄で、それで今でも鰻の名店が在る、という次第です、東西東西。

それにしてもですよ、今回の暑気払いは、なんでランチタイムなんだ?!

昼の暑気払いなんて、聞いたことないぞ。

終わって、酔っぱらって、外へ出たら、未だ暑いじゃないか!

来年は夜にして下さい、お願いします。

追伸

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織都

今日のタイトルを「おりべ」と読んでしまった貴女、インテリですねえ、ステキです。

しかし間違いは間違いでして、今日は「織都」桐生の話しなのですが、群馬県桐生市のことを調べているのは理由があります。

先日「すきや連」で八王子花街に行きましたら、その宴席に出演してくれた芸者衆の中に成華さんという人がいました。彼女は桐生出身で今は八王子で芸者をしていますが、桐生の旧花街・仲町の料亭「一婦美」の若女将とも親しく、断絶してしまった桐生の花街文化を再興しようと和文化イベントなどをなさっています。

で、その「一婦美」さんが「群馬すき焼きアクション」にも参加して、すき焼きもやっているのです。行かない手はありません。「一婦美」さんに、すき焼きを食べに行こう!ということになった次第です。

さて、桐生市にかつて在った花街を支えた経済力は織物産業がもたらしたものでした。

奈良時代に既に、上野国(=現在の群馬県)が絹を織って朝廷に差し出したと言うから驚きます。

1780年代には、水車の水力を使った「八丁撚糸機」を桐生の人が開発。一大紡績工業都市に発展しました。

明治時代になると力織機を早速導入、今度は輸出産業として成長します。大正時代に人絹糸が出来た時にも早速導入。戦前の昭和12年には輸出織物用原糸の内88%を桐生が生産していたと言いますから、大変なことでした。人口が前橋市、高崎市より多い時期もありました。

この時期が桐生花柳界の全盛時代とも重なり、当時の建物が文化財として今日に多く遺されています。

繊維産業が衰退してからは、人口の減少傾向が続き、芸者衆もいなくなりましたが、国立群馬大学工学部がある利点を活かし、産学官連携によって次世代産業を育成しようという人たちもいるとかいうことでした。

桐生のすき焼きがとても楽しみです。

 

追伸

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