祝!開業80周年

 館林の分福酒造さんが、北千住の「丸井」さんに出店していたので訪ねました。

 その御酒のことは、いずれここに書こうと思いますが、とりあえず今日は、その話しはさて置きます。で何を書くのかと申しますと、東武鉄道浅草駅の話しです。

 北千住に向かおうとして、浅草駅に入り、まず気がつきましたのは「祝!開業80周年」という飾り付けでした。11/1が開業記念日だったそうで、記念ストラップは売り切れたとか。

⇒全然知りませんでした。そういうことを私たちにも教えてくれれば良いのに、と思いつつ、壁に掲示されていた、この駅の歴史を読んでみました。

 浅草駅が開業する前、東武鉄道は、現在は浅草の次の駅である業平橋駅から発着していたそうです。ぎょうへいばし、じゃあないですよ。在原業平の、なりひら橋です。

 当時この駅には北関東からセメントなどを運び込むための貨物駅もあって、実は、その貨物駅の跡地に、今回スカイツリーが立つわけですが、その業平橋駅から浅草駅まで東武鉄道が伸びたのが、80年前という次第です。

 しかし、この工事は簡単ではなかったようです。浅草に松屋デパートが建設されたのにあわせ、そのデパートの2階に線路を引き込んだわけですが、そのためにほぼ直角の急カーブが出来てしまいました。

 線路が業平橋駅から浅草駅へ向けて東西に伸びて来ているのに対し、松屋デパートは南北に長いので、デパートに入る直前、隅田川を渡った所で直角にカーブするのです。

 正確に申しますと、カーブがあまりに急なので曲がり切っておらず、ホームの業平橋寄りの端っこは、少し曲がっています。だから車列の、後ろの端っこも曲がったまま停車します。⇒それでホームと車両の間に、結構な広さの隙間があるのです。キケンです。

 また、駅に入れる車列の長さにも限界があります。

 こういう「問題在り」の駅が、しばらくの間、ターミナルとして機能しました。

 しかし、やがて東京の鉄道業界は、「ターミナル乗り継ぎ」の時代から「相互乗り入れ」の時代へと移り、東武鉄道も浅草とは別ルートで、地下鉄・半蔵門線へ「相互乗り入れ」できるようになりました。

 半蔵門線は直角に曲がったりしないので、長大な車列のまま、北関東から東京の地下へそのまま乗り入れできます。便利ですね。

 一方、これによって不便な東武浅草駅の乗降客は減少を始めました。浅草の人達が「浅草駅が盲腸線に成る」ことを心配していたのは、この頃です。

 私も「盲腸線化」のトレンドは避けられないと思い、冗談で、「車両の外壁に盲腸の絵を描いて、ウケを狙ったらどうだろう?」とか言っていました。

 そのトレンドが、劇的に変わりました。理由は、もちろんスカイツリーです。

 来年、直角にカーブしたまま、浅草駅は、スカイツリー観光の大勢のお客様を迎えることになります。業平橋駅は「東京スカイツリー駅」と名前が変わるそうですが、カーブはそのままです。

 皆さんも、スカイツリー観光の後で、浅草駅へ向かう際は、車列の一番後ろの端っこにお乗り下さい。

 とてもデンジャラスでスリリングな隙間を体験することができますよ。ひひひひ。

追伸

 11/27に第五回「ちんや」すき焼き通検定試験を実施します。

 年内最後の検定です。今年の内に、「自称すき焼き通を、公認すき焼き通に!」

詳しくは、こちらです。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて615日連続更新を達成しました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 「ちんや」創業130年記念サイトは、こちらです。「すき焼き思い出ストーリー」の投稿を募集しています。

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如何なる星の下に

 編集者をしている知人が、「文芸文庫の担当になりまして、今度これを出しました。」と言って、新刊本を一冊下さいました。

 その本を見て私は、ヘえーと思いました。その本は・・・

 高見順の「如何なる星の下に」(1939年)

 その方は私と同世代なのですが、そういう方がこういう話しに興味を持っておられて、しかも商業的に出版しようというのですから、二度、ヘえーと思った次第です。

 今や「如何なる星の下に」をご存じない方は多いと思いますので、念のため説明しますが、この話しは昭和十年代の浅草を舞台にした、高見の私小説風の小説です。

 舞台は、日本が太平洋戦争へと突き進む頃。一方浅草のエンターテイメント業界つまり少女レビューやお笑い芸が、最後の輝きを放った時代でもあります。

 主人公の作家「倉橋」は山の手から、そういう浅草に移り住んで執筆を始め、ぐうたらな空気と生存本能が交錯する、この町をこよなく愛するようになります。

 「倉橋」は、別れた妻で女優の「鮎子」への未練や、レビューの少女に対する恋心を、一人称で吐露しつつ、浅草に集う人々の姿を描写していきます。

 この本を発表した当時高見は「天才」とまで評されました。この時代の浅草のことをこれまで全くご存じなかった方でも、この一冊と、それから川端康成の「浅草紅団」を読めば、すぐに感じがつかめると思います。

 さて、私がこの作品を読むのは、久しぶりです。と申しますか、ちゃんと読んだのは初めて、と言えます。

 以前読んだ時は、どうも浅草のぐうたらな部分ばかりが描かれていると思い、また「ちんや」が出てくる場面もあるのですが、カッコ良くは書かれていなかったので、途中から読み飛ばしてしまいました。

 ある夜、広小路(=「ちんや」のある通りのこと)で火事があって、「倉橋」が見物に行くと、「ちんや」の住み込み女中が大勢、2階の窓から首を出して見ていて、皆化粧を落としているので、ひどくブ格好に見えた、というのが、「ちんや」が出てくる場面です。

 「ちんや」ではないのですが、他のすき焼き店が「動物園払い下げの熊」を使って、熊鍋を出しているという場面もあります。

 ・・・ですよね。

 戦争という背景や、高見自身の帝大卒→左翼運動→逮捕→転向という経緯を知らないと、「倉橋」が浅草を愛した理由が腑に落ちないかもしれませんし、浅草の描き方は、デフォルメが効いているのかもしれませんが、読めば当時の様子はつかめると思います。

 なお、高見が愛した浅草エンターテイメント業界は、その後の戦争で全焼し、完全に再建されることはありませんでした。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて613日連続更新を達成しました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

追伸

 11/27に第五回「ちんや」すき焼き通検定試験を実施します。

 年内最後の検定です。今年の内に、「自称すき焼き通を、公認すき焼き通に!」

詳しくは、こちらです。

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厨BO

 浅草料理飲食業組合の皆さんと一緒に「厨BO」を訪ねました。

 「厨BO」と申しますのは、東京ガスさんが、飲食業界用の商談のために、広い敷地に最新式の厨房設備を備え、口舌爽やかなコンパオニオンのお姐さんを配置した、それは素晴らしいショールームです。

 一時は東京電力さんの「オール電化」攻勢で、東ガスさんは劣勢にまわっていましたが、フクシマの悲劇が追い風になって、このショールームも賑わっているように見えました。

 まず、ガスと電力とエネルギー効率を比較した数字や、味覚テストの数字などをビデオで勉強し⇒お姐さんの案内で「涼厨(スズチュウ)」を実現する設備などを見学⇒その後ガスで調理した料理を頂戴しました。

 この日見学した設備は、眩しく素晴らしいものばかりでした。特にガスの裸火を覆って、そこから出る排気を配管で逃がすことによって、厨房の温度を7-10℃下げることに成功した設備=それを「涼厨」と言うのだそうですが、これには感心しました。

 これまでIH厨房が涼しいのに対してガス厨房は暑い、というのがガスの弱点だったわけで、そこを克服したわけですから、今後は東電さんも大変でしょう。

 ただ、私個人はと申しますと、この日テンションは低め。ガスをたくさん使う、佃煮用の大きい回転釜を去年買ってしまったため、今のところ商談がありません。

 それより気になったのは、壁に貼ってあった、明治初期の都市ガス計画の図面です。

 明治初期、ガスは当時の文明の最先端の技術でした。そのガスを、東ガス本社のある金杉橋から、新橋・銀座・日本橋を経由して浅草橋まで配管しよう、というのが、この図面です。現在の中央通り・江戸通りを縦断する大規模な計画です。

 たかが図面ではありますが、手書きの図面なものですから、なんだか、文明の先端の仕事に取り組むのだ!という壮気が画面から感じられ、見ていて心躍ります。

 これを見ていたら、さしあたって商談したくない私にも、東ガスの社員さんが近寄って来たので、この図面をネタにして煙に巻くことにしました。

 いやあ、東ガスさんも、料理屋相手にチマチマとガス売るより、瓦斯灯を100本くらい、浅草に建ててくれませんか?!風情が出て良いと思うんですけど。

と私が言うと、やはり御店の改築を終えたばかりで、商談のないTさんも参戦。

 いいねえ、それ!瓦斯灯100本なら浅草として大歓迎ですよ。そう言えば、ウチの店のある「合羽橋本通り」は、景観を良くするために、電線を全部地下に埋めるんですよ。そこに建てましょう、100本。

 ほほお。っていうことは「東電は地下で、東ガスは地上!」ってことですね。いいんじゃないですか、今時。

・・・ちとブラックでしたかね、ジョークが。

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DM

 行ったことのないキャバクラから年に4回ほどDMが来ます。

 くどいですが、本当に行ったことがありません。私が掲載されている名簿が売られたに違いありません、くどいですが。

 しかしですね、今日のテーマは、個人情報流出のことではなく、そのDMの豪華さと執拗な発信ぶりについてです。個人情報の話しはさて置くことにします。

 さてまず、そのDMの豪華さについてですが、このDMはB5版フルカラー×24ページという豪華さで、DMというよりカタログです。何のカタログかって?

 そりゃ、女の子のカタログですよ。ほとんどの子にB5版×1ページ全面が与えられていて、勿論ちょっとセクシー。

 女の子の画像をこれだけ引き伸ばすわけですので、カメラマンのギャラもはずんだでしょうし、撮影場所を借りる費用・衣装代もかかったはずです。印刷費以外にもカネがかかりますね。

 それから、執拗な発信ぶりについて=このDMが来るようになって、おそらく四年ほどがたち、その間一度もその店に行ったことがないのに、あきらめずに送り続けてきます。

 いったい、この豪華なDMを何人に送っているのでしょう。それも既存顧客でなく見込み顧客に送っているのです、多大な費用をかけて。

 弊店の場合・・・

既存顧客(ちんやメンバーズ・カード会員様)⇒紙媒体で販促

見込み顧客⇒ネットで販促

と仕分けておりまして、「この手法で間違いない」と信じていたのですが、このDMを受け取り続ける内に信念が揺らいできました。

 来店経験がまったく無い人でも、しつこくDMを送れば反応するんでしょうか。

 それに、です。震災以降、このDMには領収書のコピーが封入されてくるようになりました。何と売上の10%を日本赤十字に寄付しているとかで、赤十字社の領収書のコピーが封入されて来るのです。その金額も結構な数字です。

 うーん、スゴい人なのかなあ、ここの経営者。

 追伸

 11/3浅草では「東京時代祭」が開催されます。そういう日に何書いてるんですかねえ、私は。

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季節感ー夜中の「酉の市」

 11/2は鷲神社(オオトリ・ジンジャ)の「酉の市」の日です。

 季節感を感じづらい都会において、冬の到来を感じることが出来るのは、こうした伝統行事があるからです。大きな熊手を肩に担いだ人が浅草の街を歩いているのを見ると、

 ああ、今年も残り少なくなったなあ。

と思います。特に今年は、その感慨がひとしおです。

 ただ、今年の「一の酉」の日は、やや、季節をしみじみ感じにくいかもしれません。それは・・・

 まだ暖かいから。

 11月だというのに、日中ひなたにいると、ポカポカしてきますね。温暖化のせいでしょうか。

 節電になって良いかもしれませんが、「酉の市」の日が暖かいのは、どうも雰囲気が出なくて物足りません。でも「酉の市」は「11月の酉の日に開催」と決まっているので、酉の日が11月の最初の方であっても、当然開催、となります。

 そこで、ですが、同じように物足りなく感じておられる方は、夜中にお出かけになってはいかがでしょうか。

 「酉の市」は、深夜0時から翌深夜24時までやっています。だから11/1の深夜に出かけて0時になるのを待ち、日付が変わったところで参拝しても良く、また11/2の深夜に出かけても勿論良いのです。今年は11月に酉の日が3回(=11/2と11/14と11/26)ありますから、それぞれ当日の夜中と、前日の夜中の、あわせて6回も、夜中の「酉の市」を楽しむチャンスがあるわけです。

 夜中の「酉の市」の風情は、とても良いもので、しかも今年は、境内の照明を全てLEDに変えたとか。

 「酉の市」は夜中に行くもの、と決めている人も多いです。どうもウオーター・ビジネス業界に、そうしたご趣味の方が結構いるようで、ママさんが女の子と客の男を引き連れて、参拝しているのを見かけたりします。それも、また一興かと。

 え? それじゃ、寒いというよりポカポカしてきちゃうじゃないかって?

 そうですねえ・・・

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観光より台東区の未来(あす)を考える

「観光」より台東区の未来(あす)を考えるシンポジウム

というシンポジウムが開催されました。

 主催者しましたのは、自称「したまち青年4団体」。

 すなわち浅草法人会青年部会・上野法人会青年部会・東京商工会議所台東支部青年部・東京青年会議所台東区委員会です。私もこの内の浅草法人会青年部会・東京商工会議所台東支部青年部に入っています。

 今回は、特に「食」を中心に議論をする、ということで私も幹事としてお手伝いをいたしました。

 震災後、観光客の数が激減し、いまだ回復に至っていません。

 そこで「したまち青年4団体」に何か出来ることはないか、特に「観光の中の食文化」に着目して、そこから台東区を元気にしたい、そういう趣旨のシンポジウムでした。

 出演者は、結構、オオモノです。

 第一部の基調講演は、日本政府観光庁長官・溝畑宏様。震災後の観光地の現状や、観光産業のトレンド・食文化観光の在り方などをご講演いただきました。

 この方は、旧自治省の官僚出身なのですが、サッカーの「大分トリニータ」の社長をされたりとユニークな経歴の方です。

 弁舌も熱血で、客を飽きさせない語り口は「超官僚級」です。今や講師として人気があるとか。この日も大きな拍手を受けていました。

 次に第二部パネルディスカッション。ご出演は評論家の山本益博さま、台東区役所文化観光産業部長の田辺英一さま、それからカリカチュア店の事業が好調な若手実業家の「カゲ様」の御三方でした。

 さて、この日の私の担当はと申しますと、パネラーの皆さんのお世話。

 つまりは出番までの間、控え室で茶飲み話しの御相手をし、出番になったらステージまでご案内する、というカンタンなものでした。

 メインの幹事の皆さん達は、忙しそうでしたが、私はのんびりするのが用事です。

 お酒も出せたら、なお良かったんですけどね、控え室で。

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浅草広小路

 『100年の味 店100選』なる御本が毎日新聞社から出るそうです。

 「ちんや」も、そこにお採り上げいただくことになり、取材のライターさんが見えました。

 そういう題の御本ですから、取材内容も昔の話しです。そこで明治末から大正の頃の、「ちんや」の写真をご覧にいれました。

 この写真は、元々モノクロで、その上に着色するという手法で加採した写真です。当時は、東京土産として売られていたようです。

 ご覧にいれて、ライターさんの目にとまったのは、その写真のタイトルです。

 「(帝都名所)浅草広小路雷門通り」

というのが、その写真のタイトルです。

 現在は、この、「ちんや」の前の広い通りは、「浅草雷門通り」と称していますから、ライターさんとしては、現在の通りとどこがどう違うのか、当然気になったご様子です。

 で、正解ですが・・・

 「浅草広小路」というのは、この通りの、江戸時代以来の古い名前で、その旧称と近代的な名前の「雷門通り」を合体させたのが、この写真のタイトルなのです。

 現在でも、「上野広小路」という古い名前が地下鉄の駅名として残っていますが、通りの名前は「中央通り」ですね。だから、この通りのことを「上野広小路中央通り」と呼べば、「浅草広小路雷門通り」と言うのと同じです。

 おそらく写真を撮った当時、新しい「浅草雷門通り」という名前がつけられたものの、古く慣れ親しんだ名前も捨てがたくて、合体させてしまったものと思われます。

 ちなみに「広小路」が、どの位古いかと申しますと、明暦(1657年)の大火の後に、幕府の防火政策の一環で出来たものです。

 この大火で、江戸の市街の大半は焼失し、10万人以上の死者を出したそうです。そこで幕府は広い通りを作り、火事が延焼するのを防ごうと考えました。それが「火除け地」としての「広小路」です。

 浅草、上野の他に両国にも作られ、この三箇所が「江戸三大広小路」と言われたそうで、その近辺は人の往来が増えて、盛り場となった次第です。結果的には、火事が町の発展に貢献しわけですから、皮肉なものです。

 私個人は、「浅草雷門通り」という名前は、なんとなく、普通っぽ過ぎて愛着がわいてきません。

 「浅草広小路」という言い方を復活させたら、粋で、なおかつ瞬時に歴史に思いをはせることができるように思います。

 「浅草広小路の ちんや」とか「浅草広小路の住吉史彦」とか名乗ろうかと思案しています。

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飲み物世界遺産

 実は最近弊店の、ドリンクの品揃えを再検討しております。

 従来より地元志向を強化して、「どこにでもある物」より、「地元だけにある物」を売っていこうと考えつつあります。

で、思いつきましたのが、ラムネ。

 あの懐かしくも、スパークリングな飲み物です。

 残念ながら、三ノ輪のメーカーさんは廃業してしまいましたが、浅草から隅田川を渡ってすぐの所に、「興水舎」さんという、大正13年創業の老舗メーカーさんがあり、仕入れさせていただくことになりました。

 ところで、ラムネって何語か、ご存じでしたか。

 英語です。レモネードという英語が訛ったものです。

 ですので、当然ラムネは英国生まれです。「興水社」のK社長が見せて下さった、「日本清涼飲料業界史」なる、厚さが8センチもある御本をひもときますと、1843年に英国人のハイラム・コッドという人が「玉栓瓶」を開発し、その瓶にレモネードつまり炭酸水にレモン味を付けたものを詰めたのが起源だそうです。

 この「玉栓瓶」に詰められていることが、ラムネの大きな特徴です。

 ラムネ瓶には、上から5分の2ほどの位置にくびれが設けられており、口とくびれの間に「ラムネ玉」と呼ばれるガラス球が入れてあります。

 この瓶にラムネ液を詰めて、すぐさま瓶をひっくり返すと、内部の炭酸ガスの圧力で「ラムネ玉」が口まわりのゴムパッキンに押し付けられ、瓶が密閉されます。つまり炭酸飲料の中の圧力だけを利用して密封する仕組みなのです。

 ラムネ瓶が、あのようにユニークな形をしているのは、この瓶詰め方法を採用しているからだったのです。

 でも英国人は、このユニークな形の瓶を見捨ててしまい、今は日本人だけが使っています。

 見捨てられた理由は、その後に、王冠で炭酸水に栓をする方法が開発されたからです。そちらの方は瓶の形がシンプルです。一方のラムネは、瓶の形がユニークですから、当然造るのにコストがかかりますし、また洗浄も面倒です。

 しかし、なぜか、下町の日本人はラムネを造り続けています。しかも、瓶をリサイクルさせて造り続けています。ちょっと感動します。

 ラムネ瓶は、王冠を使う普通の瓶と異なり、栓(=玉)まで含めてリサイクルが可能です。カンペキな「リターナブル容器」と言えます。

 この厄介な瓶を使い続けていることは、日本人のmottai-nai精神の一つの現われ、と言って良いのではないでしょうか。

 いや、「飲み物世界遺産!」と言っても良いと思います。

 まもなく「ちんや」に登場です。請う御期待。

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すき焼き川柳 結果発表

 川柳で、日本の食卓に笑顔を!

ということで、8月〜9月末まで「すき焼き川柳onツイッター」を募集しました。

 結果、 530もの多数の句をお寄せいただき、誠に有り難いことでした。しかも、全国各地からご投稿がありました。福岡、岐阜、新潟、愛知・・・

 ツイッターに投稿された句を、自社サイトにコピペーする作業だけで、あやうく筋肉痛になるところでした。

 募集を締め切りまして、早速、審査をするため審査員の皆さんにお集まりいただきました。審査したのは、浅草の有名店の皆さんです。

 @asakusaowariya さん(日本蕎麦『尾張屋』女将)

 @kaminarishigeさん(『常盤堂雷おこし本舗』工場長)

 @kikunorie さん(浅草芸者)

 @unosuke8 さん(神輿・太鼓『宮本卯之助商店』若旦那)

 @asakusa_8295 さん(もんじゃ焼『雷門おすぎ』若女将)

 以上の皆さんの投票により、賞を決定しましたので、お知らせします。

  超ウケ賞(1句) :ちんや御食事券20.000円

  すき焼きの 匂いにポチも 猫の声(黙爺様の句)

 大ウケ賞(2句) :ちんや御食事券10.000円

  嫁の分 肉確保する 姑(はは)心(あき嫁様の句)

  すき焼きを 近所にばらす 換気扇(鹿おとこ様の句)

 ややウケ賞(5句):ちんや御食事券  5.000円

  和牛だと 息子に喰わす 米国産(新富町様の句)

  三歳児 こんないい肉 早過ぎる(かきくけ子様の句)

  反抗期 すき焼きだけはついて来る(とっちん様の句)

  野菜・米 野菜・米・米 やっと肉(らおんぴん様の句)

  午前様 つつくすき焼き 肉は無し(あんちゃん様の句)

   どれも秀逸で、ニヤリとしてしまう句ばかりですよね。

 受賞された皆さん、おめでとうございました!

 そして、ああ面白かった。

 よし、お次は、ig-Sukiyaki賞の創設だ!

 今度は動画で投稿してもらおうかな。

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ニッポンの傘

 ビニール傘と言えば、浪費経済のシンボル・使い捨て文化の象徴と言えるでしょう。

 10/8の朝日新聞夕刊の、「昭和史再訪」と題した記事によれば、毎年1億3千万本のビニール傘が販売され、一方、廃棄されるのも8千万本という多数にのぼるそうです。

 ビニール傘は落し物の主役でもあり、昨年遺失物として警視庁に届いた傘は、なんと38万本だとか。しかし、その内現れた落とし主は、わずか1813人。使い捨てもここに極まれり、ですね。

 嘆かわしい!

 台風の通過した翌日などは、壊れた105円傘が、そこら中に散乱していましたね。

 コストダウンを追及した結果、品質がおざなりになっていて、すぐ壊れてしまうので、そういう結果になります。勿論、大半が中国製です。

 その、ビニール傘の起源が、私の知っている地元台東区の会社だったことを、この記事を読んで初めて知りました。

 その会社は「ホワイトローズ」という会社で、浅草通りに面して浅草から上野へ向かう途中に本社があります。

 記事には、私が存じ上げている現社長のお父上が「九代目」として、登場していました。その方が、ビニール傘を考案した御本人のようです。

 しかし、です。「ホワイトローズ」さんは、使い捨ての扇動者では断じてなく、むしろ、現在ビニール傘の自社工場を国内に持つ、ただ一つのメーカーなのだそうです。

 素晴らしい! 

 こういう会社が身近にあることは、同じ区民として誇らしいです。

 「ホワイトローズ」さんは、なんでも、独自のグラスファイバーの骨で軽さと強さを両立させ、特殊用途に的をしぼって成功されているようです。例えば・・・

選挙用の傘=街頭演説をする候補者を雨風から守る傘

⇒政治家は「庶民性」をPRするために高級傘を決して使いませんが、かといって、すぐにブっ壊れる中国製では困るのです。「ホワイトローズ」さんは、そういう事情の先生方に重宝されているのだそうです。

 皇室の園遊会で皇后陛下も使用されたとか。

 実に、結構!

 頑張って欲しいです。台東区の、ニッポンの傘。

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