すき焼きパーテイー

 私は、昭和40(1965)年生まれなので、40歳代も半ばに入りました。気は若いつもりですが、年は争えません。最近世代の違う方との間に、ギャップを感じることがあります。特に、ギャップを感じるのは、日本語の使い方、口のきき方です。

  先日も、予約の電話を取り、営業時間の話しになったので、「夜9時半で閉店させていただきます」と、その若い方(男性)に申し上げると、

 「え? っていうことは、9時半で店を閉めちゃう的な感じですか?」

 こういう口のきき方を聞くと、ムカっとくるんです、ワタクシ。40歳代も半ばに入ってるもんですから。そこで、

 「閉めちゃう的な感じ、じゃあございませんで、閉めます! 夜9時半には!」と断然申し上げると、その若い方は、

 「じゃ、いいです。やめます!(ガチャン)」だって。

  「時間のことは知りませんでしたので、そういうことなら、もう一回検討します」くらいのことは言えないのかね、けっ。と悪態を吐きつつ、でも、口のきき方が変でも、お客様はお客様だからなあ、と反省の気持ちも、まあ、有ります、3分の1くらいは。

  しばらく前ですが、もっと変な予約もありました。やはり若い男性ですが、

  「すき焼きパーテイーの予約なんですが」

⇒「はい、(パーテイーと言うからには30人位かな、と期待しつつ)何名様でしょう?」

⇒「4人です!」

よ、4人で「パーテイー」ですか・・・

4と言えば、1の次の、その次の、すぐその次の数字ですよね。

  この電話以来、我が家の、私とヨメだけの夜食のことも、「パーテイー」と言うようになりました。

 「今日のパーテイーは何が食えるの?」

 「アボガドがあるから、アボガドのレモン醤油と白ワインかしら」

  そういう経緯ですので、「ヨメと二人でパーテイー」と申しておりますが、それは夫婦ラブラブだからというわけではありません、じゃなくて、ラブラブです、はい、間違いありません。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

Filed under: ぼやき部屋 — F.Sumiyoshi 9:15 AM  Comments (0)

すきや連―日本短角牛のすき焼きを食べる会

 私は、「すきや連」(=すき焼き屋と、すき焼き愛好家のグループ)の事務局長ですので、「すきや連」の例会が開催される時は、事務全般をとり仕切らないといけません。

 この7月にも、例会を予定しているので、今、案内状の発送・申し込みの受付作業が急ピッチです。

  さて、「すきや連」は今まで5回の例会を開催しましたが、今回はいつもと少し趣向が違います。今回は、日本短角牛の生産者・「北十勝ファーム」さん(北海道足寄町)のご協力により、「日本短角牛のすき焼きを食べる会」を開催することになりました。

 大勢の、すき焼き関係者が集合して、短角牛のすき焼きを食べるのは、たぶん初めてではなかろうかと思います。当日は「北十勝」のファームマネージャー・上田金穂さんも参加されるので、まず開宴に先立って、20分程度卓話をしていただき、それから宴会にしようと思っています。

 このファームは、飼料の99%を国産飼料で賄っていて、牛の排泄物もリサイクルしているとかで、なかなか立派です。そういう御話しも多分、皆さんのご参考になるものと期待しています。

  逆に今回、気が重いのは、会場がウチつまり「ちんや」だという点です。

 今までの「すきや連」は、各地のすき焼き屋さんで順番に開催し、その御店がベストと思うすき焼きを出していただく、という企画でしたが、今回は趣向が違って、日本短角牛のすき焼きを食べる、という企画です。

 日本短角種というのは、和牛の一種なのですが、北海道・青森・岩手で、ごくごく少数が飼われている、珍しい品種です。霜は降らないものの、独特の旨味があります。

 すき焼き屋で使われる肉は、ほとんどが「黒毛和牛」の肉ですので、「短角」の御取り扱いの経験のある、すき焼き屋は、あまりないと思います。

 よその御店に、普段扱い慣れない肉を扱わせることは、非常に頼みにくかったので、結局、自分の店で開催することとなりました。

  そういう次第ですので、例会当日私は、開催店の主人兼「すきや連」事務局長、という二重の役割を兼任することになります。6回目の開催ですので、事務の方は、だいぶ熟練してきましたので、まあ、なんとか二役、やってやれないことはないだろう、と思ってはいますが、超ハードなのは、今から目に見えています・・・

  最近ニュースで新内閣の顔ぶれをやっていますが、党政調会長兼公務員制度改革担当大臣の方が楽チンそうですね、私より。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

*「すきや連」については、こちらをご覧下さい。

*「すきや連」については、このブログの、3/2号3/3号3/4号3/5号5/2号もご覧下さい。

*「北十勝ファーム」さんについては、こちらをご覧下さい。

東京人と坂本龍馬

 雑誌「東京人」8月号(7/3発売)に出てほしい、ということで、編集部の人が見えました。

 「いろいろ、お話しを聞かせて下さい」とおっしゃるので、私は、すき焼きの歴史と未来について、さらには浅草の歴史と未来について、取材嬢相手に、小一時間かけて、縦横に語ったのですが、結果、出来てきた校正は、ごく通常の「ご主人紹介記事」でした・・・

 良く考えると、それは当然ではありまして、私が出ますのは、Kビールさんが持っている、広告枠の一部です。つまり、いわゆる「記事広告」の一種でして、しかも、60mm×50mmの寸法に、納めないといけないので、そう変わったことも書けません。

 まあOKでしょう。今回お話ししたことが、いつか将来の、どこかに載る記事に反映されれば、良しとしましょう。

  ところで、私が出るのは「東京人」の8月号ですが、6月号の特集記事は「坂本龍馬の江戸東京を歩く」でした。取材嬢が「これは見本として差し上げます」と下さいました。

 NHKで龍馬のドラマをやっていて、ブームですから、便乗したのでしょう。今まで龍馬に強い関心を持たずに来て、龍馬初心者である私も、乗せられて読んでしまいました。

 読んで再度確認したのですが、どうも龍馬には、うらやましい要素が多すぎて、いまひとつ私は共感できないのです。非業の最期を遂げたことまで、うらやましいくらいです。それで今まで、強く惹かれてこなかったのだと思います。

 司馬遼太郎でも「竜馬がゆく」はまだ読んでいません。同じ司馬作品でも、徳川慶喜を描いた「最後の将軍」や、幕府の最後の典医だった松本良順を描いた「胡蝶の夢」、最後の土佐藩主・山内容堂の「酔って候」などは、繰り返し読んでいるのに、です。

  どうも、私は歴史の負け組に惹かれるのです。特に、龍馬と同じ時代に、同じ土佐藩に生きたのに、龍馬とはほとんど接点のなかった人物・山内容堂には惹かれます。

 容堂は、才気と豪腕を持ち合わせ、ポエジーまであり、しかも稀代のヨッパライ大名でした。幕末の激動の政局の中で、空中分解しそうになる藩を、豪腕をもって統率し、一方、中央政界では、幕府と倒幕勢力が正面衝突しないよう、必死に奔走しました。

 しかし、それだけの才覚をもってしても、歴史の流れには勝てず、結局薩長と幕府は開戦、融和的な政権を造る望みは叶いませんでした。

 歴史を回天させたのは、ご存じの通り、容堂のもとから脱藩した、龍馬と

中岡慎太郎、加えて脱藩してはいないものの、龍馬や慎太郎と通じていた、後藤象二郎、板垣退助などでした。

 容堂は、最終的には、しぶしぶ薩長方に加わりますが、そうせざるを得ないことが確定した日、つまり王政復古の、その日に痛烈な酔態を演じます。天子の御前の会議の席で、ヘベレケとなり、悪態をつきまくった様子が、司馬の「酔って候」に、鮮やかに描かれています。

  痛烈な酔態ー自分が演じる日が来るでしょうか。

  それに比べると、テレビの龍馬は、どうもねえ、という感じです。

 だいたい、役者が福山某じゃあねえ。浅草のすき焼き屋の方が、数段イケてますから。

 ねえ?

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

*「東京人」について、詳しくはこちらをご覧下さい。8月号は7/3発売です。

Filed under: ぼやき部屋,今日のお客様,憧れの明治時代 — F.Sumiyoshi 9:13 AM  Comments (0)

鉄関係の絵=吾妻橋真画

 先日、鉄関係の会社に勤める知人が来店しましたので、部屋へ顔を出しましたところ、

 「いやあ、季節で絵を掛け変えるのは、大変ですよねえ」と褒められ、絶句してしまいました。

  その時掛けていたのは、井上探景の「大日本東京吾妻橋真画」という絵なのですが、この絵の中で、吾妻橋のほとりに描かれている花は、この時期=6月の花ではありません。吾妻橋が架かったのは、明治20年の12月9日のことですから、情景は冬でして、今はと言うと夏・・・ですよね。

  その人は、実際に良く絵を見たわけではなく、

  料理屋=季節で絵を掛け変えるもの⇒それを「大変ですよねえ」と褒めておけば⇒店の人は喜ぶに違いない、と考えたのでないでしょうか。

  「ちんや」で掛けている、明治の開化絵は、美術品というより、ジャーナリステイックな性格の絵ですので、季節の風情がテーマになっていることは、あまり多くはないのです。井上探景という絵師は、そういうこともテーマにしていた数少ない絵師ですが、それ以外の、だいたいの絵師がテーマにしたのは、

 「最近、こんな凄い建物ができたよ!」とか、

 「最近の華族様というのは、こういう服をお召しになるんだよ!」というようなテーマです。

だから、四季をうまくカバーする作品を収集しにくく、結果として、季節外れの絵を掛けている場合があります。

  今回の「吾妻橋真画」にしても、そのお客様が、鉄関係のお仕事の人だったので、掛けていたのです。吾妻橋は隅田川に初めて架かった、鉄の橋だったので、そういう理由で、その方にあわせて掛けていた次第です。

  吾妻橋のたもとに本社がある、アサヒビールの社員の方が見えた場合にも、「吾妻橋真画」を掛けることがあります。今自分の本社がある場所は、明治時代は、こんな景色だったんだ、と知っていただきたい、という趣旨です。

 気づいていただけると、嬉しいです。

  なお、カリスマ受け売り師の、住吉史彦先生によると、

  この吾妻橋は、練鉄製の本体を三連ピントラス形式で支える構造で、一方床面は、馬車や人力車に対応して、木床であった。橋長148.8mと当時としては長大な橋梁で、またスタイルも新しかった為、市中の話題となり、開通式も盛大だった。この橋は関東大震災(1923年)で崩壊し、その後現在の橋に架けかえられた。

 絵師の井上探景(いのうえ たんけい:1864〜1889年)は、浅草の呉服屋の子であったが、幼少より絵を好み、同じ町内の小林清親(きょちか)の門弟となった。風景画にすぐれ、『東京真画名所図解』などの傑作を残したが、26才の若さでこの世を去った。

―っていうことだそうです。ご静聴ご苦労さんでした。

*「ちんや」が所蔵する、開化絵はネットででも覧いただけますので、こちらから是非どうぞ。

Filed under: ぼやき部屋,今日のお客様,憧れの明治時代 — F.Sumiyoshi 9:47 AM  Comments (2)

100日目のファンファーレ

 今日は、このブログにとって目でたい日ですので、冒頭にファンファーレの吹奏がございます。

♪ファファファファ ファファファファ ファ↓レファシ↑レー ファーファファー レーレレー シードー♪(この曲はロ長調で書かれているので、シ以外は♯を付けて唄ってみて下さい。)

 何が目でたいかって? そうです、今日はこのブログの、100日連続更新達成の日なのです。

♪ファファファファ ファファファファ ファ↓レファシ↑レー ファーファファー レーレレー シードー♪(しつこいですが、この曲はロ長調で書かれているので、シ以外は♯を付けて唄ってみて下さい。)

  実は、ブログ開設の当初から、100日連続更新を目標にしていました。この100日間、毎日少なくても、1.000文字以上は書きましたので、合計10万字以上は書いたと思います。内容的にも、いろいろなことを書きました。

 今や、ほとんどのネット・ユーザーが、検索サービスを利用する状況ですので、その中で自分や自分の店を知ってもらうには、なにしろ、検索にひっかかることが大事で、そのためには、絶対的な文字数が、まずは必要です。10万字書けば、なんとか、誰かの検索にかかるだろう、と思って、日々肩凝りをものともせず、パソコンに向かい続けました、100日間も。

 おかげ様で、連日平均250人弱の方が、このブログ見に来て下さるようになりました。曜日によっては300人を超える日もあります。ヒットだけなら、一日2.500回を超える日もあります。特にヒット回数は、まあ、絶対的文字数=かいた汗のなせる業でしょう。

 この100日間、病気をすることもなく、二日酔いもなく、店のトラブルもなく、ヨメの逆鱗に触れることもなく、書き続けられたことは、誠にラッキーです。また「読んでるよ!」「面白いじゃん!」等の励ましを下さった皆さんに、心より御礼申し上げます。

 「え? 御礼は良いけど、最初の曲は何なんだよ? 教えてくれないと気持ち悪いぞ!」

 なるほど、それはそうです。では、お教えしますが、このファンファーレは、ワグナーのオペラ「タンホイザー」の第二幕第四場の、入場の音楽です。「タンホイザー・マーチ」という通称でも知られる、有名な一節です。

 6月に入り、ブログ100日目のファンファーレを何にしようかと思って、学生時代に買い集めた、譜面を引っぱり出して、眺めていました。総譜(=オーケストラ、コーラス、独唱の全ての譜を一覧出来る、総合的な譜面のこと)を持っている曲は、若き日に夢中になった曲ばかりです。その中の一冊に、ワグナーの「タンホイザー」がありました。

 かつて、初めてこの曲を聴いた時、私は、この世に天才というものが存在することを知りました。

 冒頭のファンファーレは、第四場が始まるとすぐ、舞台上にズラリと並んだ、12人のトランペット奏者によって吹きならされます。その後やがて弦楽器が総出で、第一のメロデイ―を唄い出します。ヴァイオリンの一番太い弦(=G線)が朗々と、そのメロデイ―を唄います。力強い調子で、しかし時おり絶妙に半音階と装飾音が入って、流れるように、メロデイ―が進行します。

 しかし、このメロデイ―は、この後に続く行進のテーマの前の、前奏に過ぎないのです。やがて、ビオラとチェロが、正拍のリズムを刻むのに乗せて、やはりヴァイオリンが優美な行進を始めます。あの有名な「タンホイザー・マーチ」です。今度も半音階と装飾音を多用して流麗です。

 まさに一度聞いたら忘れられないメロデイ―で、この部分を聞く頃には、聞き手の誰もが、作曲家の傑出した才能に気づくでしょう。そこまで、3分とかかりません。ワグナーについて、何の予備知識がなくても、天才とわかるのです、3分以内に。

 「天は人の上に人を造れりと言へり」でして、我々・凡人とは、別の次元です。

  そういう才能に恵まれない、凡人は、やはり何か一つのことを、やり続けないとダメですよね。

 とりあえず、ブログでも更新するか、明日も。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

Filed under: ぼやき部屋 — F.Sumiyoshi 9:13 AM  Comments (6)

?のロゴ・バッジ Endless Discovery

 政府観光庁が推進している、「ビジット・ジャパン・キャンペーン(VJC)」の、ロゴキャッチフレーズが付いたピンバッジを、いつも背広の胸に付けています。5/19の国際観光日本レストラン協会の理事会に、観光庁の課長さんが、このピンバッジ持って見えて、「これは出来立てですよ!」と下さったので、それ以来いつも付けています。

 寸法がヨコ30mm×タテ15mmと、やや大きめで目立つせいか、これを付けていると、住吉さん、そのピンバッジ何ですか? とよく聞かれます。

 ええっと、これはですねえ、2003年の小泉政権の時にですね、国をあげて、外国人観光客をよびこむために「VJC」っていうのを始めましてね、2010年までに訪日外国人旅行者数を1000万人に増やすというのが目標でして、ツベコベ・ツベコベ(=観光庁の資料の受け売り)、このバッジはそのシンボルでして、ツベコベ・ツベコベ(=さらに受け売り)、などと我々・観光業界の取り組みを、一般の方にご説明するのは、勿論やぶさかでありません。

 また初対面の方や、さほど親しくない方と同席した時、このバッチの話題で座持ちすれば便利なので、そういうわけで付けているのです。

 しかし問題は、そのキャッチフレーズそのものなんです。2003年以来使用してきた、 「Yokoso! Japan」 がこの4月、「モデルチェンジ」つまり廃止となり、

 「Japan. Endless Discovery.」という新キャッチフレーズが選定されたのです。

 えんどれす、ですかばりー、だって? 

 なんでも「尽きることのない感動に出会える国、日本」という意味合いで、海外の方々に何度も日本にお越し頂き、その都度、桜に代表される我が国の豊かな自然、あるいは伝統文化や現代の文化、地域の人々の暮らしといった日本の多種多様な観光資源を是非深く知って頂きたいという気持ちが込められている、のだそうです。

 私は、当然ながらネイテイブ・ジャパニーズなので、この言葉のニュアンスを完全にわかることは難しいです。でも、なんだか、大仰ですよねえ。「Korea Sparkling!」とか「Amazing Thailand」の方が、クールです、ハッキリ言って。まさか国のやることだから、和製英語ではないんでしょうが、うーん、という感じです。

 もちろん、私は国際観光業界の一員ですし、タダでピンバッジをもらってしまったことですし、このキャッチの普及に尽くそう、とは思いますが、苦戦しそうです。

 それに、私はそもそも「外人さんに、日本語を話させる主義者」なのです。「ちんや」の店には、実は「Would you please try to speak Japanese!」と題した、対訳表が置いてあります。

 対訳表の左には、店内で良く使う、英語の会話文が載せてあり、右には、その日本語訳とそれに加えて、日本語訳のローマ字表記が書いてあります。つまり「I have enjoyed my dinner.」と言いたい外人さんは、この対訳表にしたがって、「Gochiso-sama Deshita!」と言うわけです。外人さんの発音がタドタドしかった場合も、「Gochiso-sama Deshita!」の上に、「ごちそう様でした」と日本語も記載されているので、そこを指させば、意思は通じます。

 この方法は、15年ほど前に、日光の参道の定食屋さんに行った時、こうした対訳表が置いてあって、それを外人さんが、楽しそうに使っているのを見かけまして、以来それを改良して使っています。この方が、お互い楽しいですよ、ゼッタイ。

 そういう意味で、「Yokoso! Japan」の廃止は残念ですね。「ようこそ」は日本語だぞ、外国に向けて「ようこそ」はないだろう、どこに向けて発信してるんだ、という批判もあったようですが、しつこく、しつこくPRすれば「Sayonara!」とか「Sukiyaki」「Sushi」「Judo」のように普及したかもしれません。

 「ちんや」の対訳表に、実は「Sayonara!」は載っていないのですが、帰り際に、「Sayonara!」と言われる外人さんは多いです。結構普及しているのです、実際。

 なんてことを、思っていたら、徽章業界で社長をしている知人が教えてくれました・・・

「住吉さん、トリビアなことを教えてあげますけどね、ピンバッジって言うのは、日本人だけなんですよ。国際標準はピンズ(pins)なんです。」

   げげ、そっちも和製英語だったんだ!

  本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

Filed under: ぼやき部屋,飲食業界交遊録 — F.Sumiyoshi 9:52 AM  Comments (1)

高島屋宮崎フェアの食中毒

 6/4付の産経新聞が次のように伝えました、

 「高島屋東京店(中央区)は5月26日から6月1日まで地階で開催していた催事「日向自慢 宮崎の味めぐり」に出店していた「ホテル浜荘」で31日に販売した「ステーキ弁当」(1995円)を食べた11人が食中毒を発症したと発表した。」

 ありゃあ、洒落になりませんねえ。

 「中央区保健所の調査の結果、同弁当で原因物質である黄色ブドウ球菌が検出されたため、管理責任者である同店は4日から10日まで催事が行われていた地階の約28平方メートルの営業停止処分を受けた。
 同弁当は31日に33個を販売。このうち同店に1日午前中に31日夜に弁当を食べた2人から、嘔吐や下痢の症状が出たとの報告があった。このため連絡先のわかる他の購入者にも確認したところ、同様の症状が出ている人が複数いることが判明した。」

 うーん、営業停止、食らいましたか。当然ですが。

 「1日午後からは同弁当の販売を中止し、その後、保健所に調査を依頼したところ食中毒の原因物質が検出されたという。
 原因物質は左手の甲にやけどを負っていたホテル浜荘の調理人が、手袋を外して弁当を作っていたことで、肉や付け合わせに付着し、拡大したという。(中略)」

 トホホ、手袋を外してたんですか。

 「この日会見した谷口一人店長は、「『高島屋は宮崎県を応援します』とうたって催事を行っていたこともあり、結果的に顧客を裏切ることになって申し訳なく思う」と陳謝した。」

  あーあ、とため息をはく他ありません。

  手にケガを負ってる場合、そこに黄色ブドウ球菌が増殖しますので、素手で調理してはいけないことは、まとも調理人なら、常識です。予想をはるかに上まわる人出で、忙しかったようではありますが、常識を無視した、当の本人の心の中に、どういう動きがあったのか、理解不能です。

  あるいは、別の推測もできます。「宮崎県を応援」という趣旨で、急に催事をセットしたため、人手のやり繰りがつかず、半人前以下の人物を厨房に入れざるを得ない状況になったのかもしれません。後者のケースだとしたら、悲劇とみなすこともできますね。

 思いおこすと、平成13年にBSEの問題が起きて、食肉・畜産の業界が大打撃を受けた時も、パニック心理のせいか、おかしな行動をした人がいました。一部には、刑事事件として立件されたものもあり、業界は、さらに辛い立場になりました。

 人間は、時として、大きく判断を誤るものと、あの時知りました。

  逆に、私ごとですが、あの時期に右往左往せず、中長期の視点で、会社を導けたことが、今日の、事業者としての自信につながっています。自分は、BSEに鍛えられた、とすら言えます。

  願わくば、今ごろ宮崎で苦労されている、皆さんの中から、後日「あの時に、オレは成長した!」という方が出てきて下されば、と思います。そこまで、なんとか辿りついてほしい、と願わずにいられません。

  不肖・住吉史彦は、大したことはできませんが、心から宮崎へ、声援を送ります。

 復活を、期待しています。

Filed under: すき焼きフル・トーク,ぼやき部屋 — F.Sumiyoshi 12:35 AM  Comments (0)

報告の稽古―浅草料理飲食業組合・通常総会

 6/7に、浅草料理飲食業組合の通常総会があります。総会ですから、昨年度の事業報告・決算報告、新年度の事業計画・予算案などが提出されて審議されます。この内は、私は事業報告と事業計画―2議案の提案を担当することになりました。

 この仕事は、モノ凄く難儀な仕事、というわけでは、もちろんないのですが、100人ほどの組合員を前に、高い壇上から報告する予定になっていまして、スポットライトもバッチリ当たるので、それなりの緊張感があります。まずは、例によってジョークを飛ばすところからはじめてやろう、と思っています。

  さて、そういう次第ですので、この3〜4日間は、事業報告と事業計画の、演説の文案作成と稽古をしないといけません。

 こういう場合、まず私は演説全文を、パソコンでベタ打ちします。組合には事務員さんもいますが、かならず自分で、全文を話し言葉でベタ打ちします。経験上そうするのが、一番脳への定着が良いと思っています。それに文字数がわかることで、演説の所要時間がわかります。

 もちろん、ベタ打ちより、要点メモを基に話す方が話しやすい、という人も、世の中にはいるでしょうが、私はこれが良いのです。

  演説する、その内容ですが、結構長くなってしまいそうです。昨年6月に、組合長が代わり、「どぜう飯田屋」のII田さんが組合長に就任されました。以来II田さんは、次々に新事業を実行してこられました。

・飲食店向け新型インフルエンザ対策パンフレットの作成

・ノロウイルス対策講習会

・台東区衛生自主管理推進店登録制度に関する勉強会

・ビール工場見学会

⇒このあたりは、さほど珍しくはありませんが、さらに

・台東区長への要望書提出(本当に区長室で区長に面会しました!) さらには

・飲食店後継者のための「婚活パーテイー」まで組合が主催しました。

 もちろん、この他に例年通りの事業(=健康診断とか新年会とかホームページとか)もありましたので、怒涛の1年でした。

  以上の事業を、私が全部一人で語るので、工夫しないと、組合員の皆さんは、退屈してしまいますよね。最初に、例年より長くて、20分弱かかること、全体で何項目の報告事項があるか、を知らせておかないといけません。先が見えず、いつまでも話しが続くとダルいですからね。

 また、話しの途中でも、今何番目を話しているか、お知らせして、我慢してもらうようにしたいと思います。

 それにしても、困ったなあ、一番肝心のジョークがまだ出来てないんですよ。

 もう、6/4なのに。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

Filed under: ぼやき部屋,飲食業界交遊録 — F.Sumiyoshi 10:12 AM  Comments (0)

松屋さんの屋上遊園地

 5/30付の、毎日新聞が以下のように伝えました。

 「東京都台東区の百貨店「松屋浅草」の屋上にある遊園地「プレイランド」が、31日の営業を最後に閉鎖される。日本最古の屋上遊園地とされ、東京名所として知られた。30日は曇り空となったが、大勢の親子連れらが訪れ、名残を惜しんだ。

 同店が開業した1931(昭和6)年にオープン。7階建て店舗の屋上(約2650平方メートル)の一角にあり、全国の百貨店が屋上遊園地を作るさきがけになった。今回、営業戦略の見直しで閉鎖が決まった。

 現在は昭和の香りが漂うメリーゴーラウンドやゴーカートがあり、隅田川の対岸で建設中の東京スカイツリーも望める。この日もツリーを背に来場者が写真撮影を楽しんでいた。」

 「松屋」さんの屋上遊園地については、私も幼き日の思い出がありますので、とても残念です。「松屋」さんは、屋上だけでなく、4階から上にある、全売り場を閉鎖するそうで、景気の悪いこと、この上ありません。来年まで頑張れば、80周年だったのに、惜しいことをしました。

  それにしても、閉鎖が決まると、話題になって騒がれるのに、それまで普段は完全に放っておかれて、応援してもらえず、その間に衰退していってしまうものが多いですよね。今回の新聞記事も、閉鎖の前日に「もうすぐ閉鎖になっちゃいますよ!」というニュアンスで伝えています。記事文中に「・・・東京名所として知られた。」とありますが、今頃持ち上げてもらってもねえ、という感じです。

  「世の中に、無いと寂しいけど、しかし無くても、ものすごく困るわけではない」というものが、そういう展開になりがちですよね。「無くても、ものすごく困るわけではない」ものを売る人間は、相当工夫しないと、放っておかれる存在になってしまいます。

 屋上遊園地についても、お子様の成長に必須なプログラムを体験できる場として、衣がえするとか、なにか、そういうアイデアを出せたら、生き残ったかもしれません。

  すき焼きも、やはり「世の中に無いと寂しいけど、しかし無いと、ものすごく困るわけでもない」と思われがちですから、気を引き締めないといけません。

  遅ればせながら、「ちんや」も国際観光日本レストラン協会が開催する、食育プログラム(=「夏休み親子体験」)に去年から参加させていただき、今年も同様の催事を、8月に開催します。また、台東区役所が作っている、見学・体験が可能な、工房のリスト(=「手作り工房マップ」)にも参加しています。

 もちろん、「一家の団欒の時はゼッタイすき焼きを食べる⇒だからすき焼きは日本人には、無いと、ものすごく困るもの」という風に子供の頃から、すり込んでおこう、という作戦です。

  ご高配を賜りたく、お願い申し上げます。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

Filed under: ぼやき部屋,浅草インサイダー情報 — F.Sumiyoshi 9:25 AM  Comments (0)

「三嶋亭」さんの、急な階段

 向笠千恵子先生の新連載『続すき焼き ものがたり』が掲載されている、月刊「百味」6月号が届きました。5月号より連載が始まりましたので、今回は第2回です。

 早速ページを開けますと、今回は京都・三条寺町の「三嶋亭」さん=私も旧知のM社長の御店、についての記事でした。さて読みはじめますと、私としては「うーん」という所からスタートしました。「三嶋亭」さんの、店舗のバリアフリー対応のことから、記事がスタートしているのです。

  向笠先生のお母上様は、俳人でいらして、俳句を作るのが脳に良いせいか、ご高齢でも頭脳は大変明晰でいらっしゃいます。しかし、御み足には不自由なところが少しあって、そういう方には、古くからの店舗は不都合なことが多いのです。

 特に「三嶋亭」さんは、玄関を入ると、2階へ続く急な階段があって、そこにロビーがあるのです。1階にも客席がありますが、1階の客席へ入る客も、いったん2階ロビーを経由して1階へ入る=つまり、まず登って⇒別の階段を降りる、という構造なのです。これが、御み足の不自由な方にはキツイのです。

  記事によれば、結局今回、その2階ロビーを経由せず、バックヤードを通り抜けて、1階の客席へ入られたようです。「裏手の通路に案内され、下足箱の前を通り、配膳室脇を抜け、事務机の傍から表廊下へ出た」という具合だったようです。

  要するに、社会が高齢化しているのに、店舗の構造が合わないのです。先生はこのことを「日本の生活文化のとってはひとつの危機」と書いておられますが、実は「ちんや」にとっても、こうした問題があります。

  「ちんや」の現在の店舗は、昭和50年竣工のビルですので、エレベーターもありますし、「三嶋亭」さんほど、やっかいではありません。しかし、それでも御客様には玄関で下足をお脱ぎいただいた上で、ご入店いただく構造でして、その際に50cm程度の段差があります。その段差さえ突破すれば、あとは平らなのですが、そこだけは何とかしないといけません。

  「少し御み足がご不自由」くらいなら、下足番がお手伝いして、押し上げてしまいますが、困るのは、車椅子のお客様です。

 店外から車椅子にお乗りになったままでは、御入店になれないので、店内には店内用の車椅子を1台用意してあります。玄関でそれに乗り換えていただくのですが、まだ1台しか用意してありません。ついては、お席のご予約と同時に、店内用車椅子もご予約いただかないといけないわけです。(利用料は無料です)

  「ちんや」のもう一つの問題は、お使いいただく部屋自体の構造です。個室が7室ありまして、その内6室は、洋室(=椅子席)または掘り炬燵の個室だから良いのですが、大広間・ご宴会場と、個室の残り1室は、あいかわらず和室です。(小さいお子さんがおいでの場合は、やはり和室が良いので、全部を洋室にはしていません。)

  ご宴会の場合は、椅子でなくて、動き回って歓談できる和室の方が、楽しい宴会になる、と私は思っていて、だから現在の構造を直していないのですが、しかし、そもそも和室に座れなければ、楽しい宴会にもなりえませんね、たしかに。

 だから、洋室の宴会場も増やしつつありまして、20名様までなら、洋室で宴会もできるようにしてあります。

 先日、八王子のすき焼き屋「坂福」さんをお訪ねしたら、D社長が「ウチは今でも、会議室以外は全部和室ですよ!」と自信満々でしたが、「ちんや」はそこまで強気になれません。

  日本の生活文化にとって、残念なことでも、少しずつ、椅子席化が進行するのは避けがたいと思います。

 思いまするに、古いもの全てを残すことはできません。しかし、古いものの中の、エッセンスあるいは本質は残さないといけません。その判別のための眼力が、私やM社長に必要なんだと思います。

  違う眼力なら、あるんですけどねえ。

 え? なんの眼力があるかって? それについては、このブログ5/29号をご覧下さい。ひひひひ。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

*新連載『続すき焼き ものがたり』が掲載されている、月刊「百味」については、株式会社ビジネス・フォーラムへお問いあわせ下さい。(電話:03-3288-9180)