すき焼き通の日

 毎年10月15日は「すき焼き通の日」です。

   「そんなの聞いてないよ!」と言ってもダメです。日本記念日協会に正式に認定されている記念日なのです。

 それと「すきやきどおりの日」じゃあ、ありませんよ。そんな道路はないですね。「すきやきつうの日」です。

 では、なんで毎年10月15日が「すき焼き通の日」なのか、ですが、それをご説明するには、平成17年に話しを遡らせないといけません。

 その当時、すき焼きについてまとまった本がないことを残念に思っていた私が、どなたか高名な方が、すき焼きのことを書いて下さらないかなあ、と思っていたところ、それを聞いて書いて下さったのが向笠千恵子先生でした。

 最初発表されたのは、雑誌の連載『すき焼き ものがたり』で、その連載は、月刊「百味」誌上にて、平成18年3月から20年4月まで掲載されました。

   この連載がその後、加筆・修整されて、平凡社新書『すき焼き通』としてまとめられました。それが、平成20年10月15日のことです。

 そしてさらに、その日この御本の、出版のお祝いの会を私の店「ちんや」で開いたことが、「すき焼き通の日」正式認定につながり、またすき焼き屋とすき焼き愛好家のグループ「すきや連」の発足へとつながっていきます。

  このお祝いの会の時、初めて全国からすき焼き屋さんが集結し、せっかく面識が出来たのだから、1回コッキリで終わらせるのはモッタイない。「すき焼きを味わいながら、日本の食文化を語り合う会をつくりたい」との話しが期せずして盛り上がり、「すきや連」が発足しました。

  その後「すきや連」の活動は順調以上で、例会を、21年2月に新橋

「今朝」さんで、7月に「浅草今半」さんで、10月に湯島「江知勝」さんで、22年3月には横浜の「太田なわのれん」さんで、22年7月には「ちんや」へ戻って「日本短角牛の、すき焼きを食す会」という具合に続けて開催してきました。

 毎回50人くらいの方が参加され、定員オーバーでキャンセル待ちが出るくらいの勢いでした。

  以上が「すき焼き通の日」と「すきや連」の由来で、こうした活動のために、私はこの五年間を過ごしてきました。あっ、と言う間に過ぎたような気がします。

   世は不景気ですが、こうした活動で、すき焼き業界に少しでも良いことがあれば、と思います。

  この次は、本当に「すき焼きどおり」を作るのもいいかもしれませんね。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 「ちんや」創業130年記念サイトは、こちらです。「すき焼き思い出ストーリー」の投稿を募集しています。

 Twitterもやってます。こちらでつぶやいています。フォローよろしくお願い申し上げます。

*日本記念日協会のホームページはこちらです。

寒天の日

2月16日は「寒天の日」だそうです。

このような、「〇〇の日」という記念日は、世の中にたくさんありますね。

私自身も、

「適サシ肉の日」

「すき焼き通の日」

を申請して許可されています。

「適サシ肉の日」1月15日。2017年に私が「適サシ肉宣言」をした日です。

「すき焼き通の日」は10月15日。2008年に向笠千恵子先生の新書『すき焼き通』が刊行された日です。その出版記念会に全国のすき焼き店が集まり、「すきや連」が出来ましたので、「すき焼き通の日」は「すきや連」の記念日でもあります。

で、「寒天の日」ですが、

「長野県茅野商工会議所と長野県寒天加工業協同組合が制定。2005年のこの日、NHKテレビ『ためしてガッテン』で寒天が取り上げられたことを記念した」そうです。

うーむ、お気の毒ですが、記念の根拠である『ためしてガッテン』がなくなるそうですから、「寒天の日」はピンチですね。

記念日にするくらいですから、放送当時『ガッテン』のインパクトは大きかったのでしょうけど、今後は対応する必要がありそうです。

なお寒天の原料がテングサなのに、何故長野県の寒天業者が、この件を主導しているのか、私も気になって調べたところ、

伝統的製法で寒天を製造する時、途中で原料を凍結させる工程があるからでした。

寒い夜に原料を凍結させ→翌朝日の光に当てて、氷を融かして水分を落とします。そうやって水分を減らして行くのです。

「凍み豆腐」と同じ乾し方ですね。

その凍結工程をやるのに、寒くて晴天率の高い長野県諏訪地域が適しているという次第です。諏訪以外で伝統製法をやっている所は大変少なくなっているそうで、天然寒天に限ればシェア日本一なのだそうです。お知らせまで。

追伸、すき焼き「ちんや」再開のおしらせです。

3月18日に、浅草花川戸「金泉ビル」(台東区花川戸2丁目16-1)で再開させていただきます。

すき焼き店のほか、精肉売店も併設致します。

「株式会社 WDI」さんとの御縁により、私の当初の見込みより早めに再開できることとなり、嬉しく思っております。

新店舗には旧店舗のスタッフも、私も従事致しますし、旧店舗の調度品を持ち込みますので、味や雰囲気を保てるものと考えております。

ご期待いただけましたら幸いです。

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。 弊ブログは2010年3月1日に連載スタートし、本日は4.372本目の投稿でした。

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通の日

毎年10月15日は「すき焼き通の日」です。

 日本記念日協会に正式に認定されている記念日なのです。

「すきやきどおりの日」じゃあ、ありませんよ。そんな道路はないですね。「すきやきつうの日」です。

では、なんで毎年10月15日が「すき焼き通の日」なのか、ですが、それをご説明するには、2005年(平成17年)に話しを遡らせないといけません。

その当時、すき焼きについてまとまった本がないことを残念に思っていた私が、どなたか高名な方が、すき焼きのことを書いて下さらないかなあ、と思っていたところ、それを聞いて書いて下さったのが向笠千恵子先生でした。

最初発表されたのは、雑誌の連載『すき焼き ものがたり』で、その連載は、月刊「百味」誌上にて、2006年(平成18年)3月から2008年4月まで掲載されました。

 この連載がその後、加筆・修整されて、平凡社新書『すき焼き通』としてまとめられました。それが、2008年(平成20年)10月15日のことです。

そしてさらに、その日この御本の、出版のお祝いの会を私の店「ちんや」で開いたことが、「すき焼き通の日」正式認定につながり、またすき焼き屋とすき焼き愛好家のグループ「すきや連」の発足へとつながっていきます。

このお祝いの会の時、初めて全国からすき焼き屋さんが集結し、せっかく面識が出来たのだから、1回コッキリで終わらせるのはモッタイない。「すき焼きを味わいながら、日本の食文化を語り合う会をつくりたい」との話しが期せずして盛り上がり、「すきや連」が発足しました。

2008年、最近のことなのに「今は昔」感があります。

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。 弊ブログは2010年3月1日に連載スタートし、本日は4.248本目の投稿でした。

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今日は何の日

毎年10月1日は、

日本酒の日であり、日本茶の日であり、醤油の日であり、コーヒーの日であり、印章の日であり、メガネの日であり、ネクタイの日でもあると言います。日本茶の日以外は、それぞれ業界団体が決めています。

・日本酒の日

日本酒造組合中央会が制定。「酒造年度」が10月1日から始めることから。

・日本茶の日

伊藤園が制定。豊臣秀吉が北野大茶湯を催したことにちなむ。

・醤油の日

日本醤油協会が制定。由来は、「10」が干支で「酉」にあたり、酉が瓶(かめ)に由来する象形文字であることと、「醤油」という語に「酉」が含まれることから。

・コーヒーの日

全日本コーヒー協会が制定。国際コーヒー協会が定めた「コーヒー年度」の始まりの日であることから。

・印章の日

全日本印章業組合連合会が制定。1873年のこの日、公式の書類には実印を押すように定めた太政官布告が発布されたことに因む。

・メガネの日

日本眼鏡関連団体協議会が。漢数字の「一〇〇一」が眼鏡の形に似ていることからこの日となった。

・ネクタイの日

日本ネクタイ組合連合会が制定。1884年のこの日、小山梅吉が日本で初めてネクタイの製造を始めたことにちなむ。

うーん。10月1日は大人気の日のようですが、これだけかぶると、一般人は覚えられません。それに根拠が強くはないような・・・

ちなみに10月15日は「すき焼き通の日」ですが、ちゃんと根拠ありますよ。

「すきや連」が制定しました。「すき焼き」に関する本『すき焼き通』(向笠千恵子著・平凡社新書)が刊行されたことをきっかけに、すき焼き店とすき焼き愛好家で結成された「すきや連」が誕生。日付の根拠は、『すき焼き通』の刊行日が2008年(平成20年)10月15日だったから。

こちらは、是非、ご記憶願います。

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「リーマン」と「すきや連」

「すき焼き通の日」は「リーマンショック」のちょうど1カ月後でした。

アメリカの投資銀行・リーマン・ブラザーズは2008年9月15日に経営破綻、歴史上最大の倒産でしたので、連鎖して世界規模の金融危機が発生し、やがて日本にも及びますが、

そのちょうど1カ月後の2008年10月15日に、

『すき焼き通』(向笠千恵子著・平凡社新書)が刊行され、

この本に載った全国のすき焼き店が「ちんや」に集まりました。

これが「すきや連」の結成につながって行きます。

向笠先生の『すき焼き通』では、全国の老舗すき焼き店にたずね、手塩にかけて育てられた名牛の肉から、個性的な調理法と食材、食べ方の流儀まで、日本人に最も愛され、幸福感あふれる料理、すき焼きの食文化とその美味の秘密が熱く語られます。

10月15日は今では一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録されています。

「リーマン」と「すきや連」は、同じ2008年の秋のことだったのですね。今ではだいぶ以前のことのように感じます。

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。 弊ブログは2010年3月1日に連載スタートし、本日は4.218本目の投稿でした。

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すき焼き通の11年

毎年10月15日は「すき焼き通の日」です。だから来週の今日は今年の「すき焼き通の日」です。日本記念日協会に正式に認定されている記念日です。
「すきやきどおりの日」じゃあ、ありませんよ。そんな道路はないですね。「すきやきつうの日」です。
では、なんで毎年10月15日が「すき焼き通の日」なのか、ですが、それをご説明するには、2005年に話しを遡らせないといけません。
その当時、すき焼きについてまとまった本がないことを残念に思っていた私が、どなたか高名な方が、すき焼きのことを書いて下さらないかなあ、と思っていたところ、それを聞いて書いて下さったのが向笠千恵子先生でした。
最初発表されたのは、雑誌の連載『すき焼き ものがたり』で、その連載は、月刊「百味」誌上にて、2006年3月から2008年4月まで掲載されました。
この連載がその後、加筆・修整されて、平凡社新書『すき焼き通』としてまとめられました。それが、2008年10月15日のことです。
そしてさらに、その日この御本の、出版のお祝いの会を私の店「ちんや」で開いたことが、「すき焼き通の日」正式認定につながり、またすき焼き屋とすき焼き愛好家のグループ「すきや連」の発足へとつながっていきます。
このお祝いの会の時、初めて全国からすき焼き屋さんが集結し、せっかく面識が出来たのだから、1回コッキリで終わらせるのはモッタイない。「すき焼きを味わいながら、日本の食文化を語り合う会をつくりたい」との話しが期せずして盛り上がり、「すきや連」が発足しました。
その、そもそもが10月15日だったので記念日になった次第です。
その後「すきや連」の活動は順調以上で、今年の第31回まで例会を続けています。毎回50人くらいの方が参加され、定員オーバーでキャンセル待ちが出ることもありました。
昨年は10周年で、しかも第30回の記念の回でしたので、浅草ビューホテルで記念セレモニーを開催し、108人もの関係者が参加しました。ここまで大勢ですと、流石に一軒のすき焼き屋に収まりませんので、すき焼きは「今半本店」さん、「浅草今半」さん、「ちんや」にわかれて食べるほどの盛況ぶりでした。以上が「すき焼き通の日」と「すきや連」の由来です。この勢いはまだまだ続くと思っています。
この次は、本当に「すき焼きどおり」を作るのもいいかもしれませんね。

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。
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2008-2018

「すきや連」がスタートしましたのは2008年10月15日。初回は東京浅草で開催しました。
そこから今年の10月で10年になりますことから、10周年記念会の準備をしています。
で、その資料として、過去の開催履歴を表にしました。色々とやってきたなあ・・・と感慨深いです。
以下に載せますので、どうぞ、ご覧ください。
第1回(2008年10月)ちんや(東京浅草)
平凡社新書『すき焼き通』(向笠千恵子)刊行披露会
第2回(2009年2月)今朝(東京新橋)
落語鑑賞(三遊亭京楽)、国産ワインとすき焼き
第3回(2009年7月)浅草今半(東京浅草)
卓話「すき焼きにあう日本酒」(「橘倉酒造」井出様)、入谷朝顔市ツアー
第4回(2009年10月)江知勝(東京湯島)
発足1周年を祝う会 兼『すき焼き通の日』制定記念会
第5回(2010年3月)太田なわのれん( 横浜)
卓話「卵について」(「セイ・アグリーシステム」伊勢様)
第6回(2010年7月)ちんや(東京浅草)
「北十勝ファーム」日本短角牛のすき焼き
第7回(2010年11月)伊勢重(東京小伝馬町)
卓話「すきやきに合う砂糖とは」(「沖縄さとうきび機能研究所」高村様)
第8回(2011年3月)三嶋亭(京都)
卓話「京麩について」(「麩太」青木様)、祇園茶屋遊び
第9回(2011年7月)銀座吉澤(東京銀座)
卓話「江戸しぐさとすき焼き作法」(「NPO法人・江戸しぐさ」桐山様)
第10回(2011年11月)牛や清(前橋)
「下仁田ファーム小金沢農園」(葱畑)見学、「松浦しいたけ園」見学、「下仁田蒟蒻」工場見学
第11回(2012年2月)和田金(松阪)
「和田金ファーム」見学
第12回(2012年8月)登起波牛肉店(米沢)
「米沢佐藤畜産」牛舎見学
第13回(2012年11月)人形町今半(東京人形町)
卓話「熟成肉について」(「マルヨシ商事」平井様)
第14回(2013年2月)ニューオータニ岡半(東京赤坂)
卓話「江戸東京・伝統野菜研究会」大竹様
第15回(2013年7月)千成亭(彦根)
「中川畜産」牛舎見学、酒蔵「金亀」見学、卓話「彦根肉について」(「彦根城博物館」野田様)
第16回(2013年11月)荒井屋(横浜)
卓話「幕末期の横浜居留地の外国人と牛肉」(関東学院大学名誉教授・小林先生)
第17回(2014年3月)モリタ屋(京都)
卓話「京野菜について」(「全農京都府本部」山田保様)、先斗町茶屋遊び
第18回(2014年8月)豚捨(伊勢)
伊勢神宮公式参拝、卓話「神宮奉納」(伊勢商工会議所・吉川様)
第19回(2014年11月)常盤館(下仁田)
「日本のごちそう すき焼き」出版記念会、「群馬すき焼きシンポジウム」(群馬県庁主催)も開催。
第20回(2015年3月)ホテル竹園芦屋(芦屋)
講演「但馬牛・神戸ビーフの歴史と美味しさ」(「兵庫県立畜産技術センター」岡様)
第21回(2015年7月)今半本店(東京浅草)
浅草神社(三社さま)昇殿・参拝、浅草花街遊び
第22回(2015年10月)グルメプラザ金剛閣(米沢)
卓話「牛肉の美味しさ研究の現況」(米沢牛生産者・鈴木寿一様)
第23回(2016年3月)牛銀本店(松阪)
卓話「伊勢商人について」(「本居宣長記念館」吉田様)、「特産松阪牛」のすき焼き
第24回(2016年7月)坂福(八王子)
卓話「八王子地域史研究会」奥村様、八王子花街遊び
第25回(2016年11月)加茂川(熊本)
益城町被災地訪問、副知事(県庁)訪問・寄付金贈呈、あか牛のすき焼き
第26回(2017年3月)開花亭(福井)
卓話「敦賀の昆布について」(「奥井海生堂」奥井様)、浜町ツアー、浜町花街遊び
第27回(2017年7月)吉亭(米沢)
醤油蔵「平山孫兵衛商店」見学、酒蔵「東光」(小嶋総本店)見学
第28回(2017年11月)かとう(仙台)
鐘崎「笹かま館」蒲鉾作り体験、キリンビール工場見学、卓話「仙台牛」(「JA全農みやぎ」大友様)
第29回(2018年5月)はり重(大阪)
卓話「なにわ伝統野菜復活の会」難波りんご様、北新地遊び

追伸1
「ちんや」は下記の日程で、遅めの夏休みを頂戴します。ご不便をおかけしますが、ご諒解賜りたく、お願い申し上げます。
夏休み:9月3日(月)から9月6日(木)まで

追伸2
今夏8月4日より「ちんや」ビル地下1階の「ちんや亭」が、
「肉の食べくらべレストラン」として再スタートしました。
今回すべての肉メニューに「ちょい食べサイズ」(ハーフサイズのこと)をご用意することに致しました。
くわしくは、こちらです。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて3.111続更新を達成しました。
すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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チキン南蛮

7月8日は「チキン南蛮の日」だそうです。
が、7月8日という日の設定については、私はあまり書きたくありません。7=なん→8=ばん、という単なる語呂合わせだからです。宮崎県延岡市が、この料理を街興しのネタとして押し出し行く過程で、語呂合わせで設定したようです。
「すき焼き通の日」(10月15日)は、2008年に平凡社新書「すき焼き通」が刊行された日で、
「適サシ肉の日」(1月15日)は、私が2017年にこのブログで「適サシ肉宣言」をした日ですが、7月8日の方は語呂合わせに過ぎず、なんか他に知恵は無かったのかなあ・・・と思ってしまいますが、延岡観光協会さんは本気のようで、7月8日を「土用の丑」の日のようにしたいんだとか。
まあ、頑張ってみて下さいませ。
話しを戻します。記念日の話しをしたいわけではありません。
延岡の「チキン南蛮」については、私も少しだけご協力申しました、青木ゆり子さんの『日本の洋食』という本にも「南蛮漬けが進化した宮崎のチキン南蛮」という項で登場します。
考案されたのは、昭和30年代のようです。発祥は、大衆食堂の店「直ちゃん」の創業者・後藤直(なおし)さんが、修行中に食べていたこの料理をヒントに、お店のメニューに加えたという説が採られています。
思えば、ポルトガル人が種子島に漂着したのが1543年。そこからおよそ400年近い年月が経過しているというのに、日本人が南蛮人の味を受け継いでいて、さらに新展開を起こした、という事実は驚嘆するほかありません。こういう点を発掘しているのが、青木さんの本の面白いところで、実は22日(日曜)に弊店で、青木さんと私のトークショーを予定しているのですが、宣伝はそのくらいにして、延岡観光協会さんにおかれましては、そういう歴史を大切にした取り組みを考えて欲しいものだと思います。
もう1点、交通整理が必要かと思いますのは、タルタルソースを加えた「チキン南蛮」の存在です。どうも、そちらの方がウケているようです。
タルタルとは当然ながらタタール族あるいは韃靼族のこと。ヨーロッパへロシアから、つまり北西方向から入ってきたものでして、スペイン・ポルトガルを意味する「南蛮」の「南」の字を充てるのは、大きな違和感があります。
揚げ物に、酸味と辛みを加えるという点では似ていますし、実際美味しいので、押し出して行く方向性自体に異論はないのですが、北のものを南と言い募るのは文化的態度とは言えないと思います。
もう1種類の、別のものとして設定し直して、食べ比べするのが楽しいと思いますよ。
名前は、そう、
北南蛮!

追伸1、青木ゆり子さんと私のトークショー(7/22)にご興味ある方は、コメント欄にご芳名とメルアドをお書き込み下さい。ご案内致します。

追伸2、夏季の「ちんや」の、臨時営業のご案内です。下記の日は火曜ですが、営業いたします。どうぞご利用下さいませ。
7月10日(火曜、浅草寺の「ほうずき市」)
8月14日(火曜、お盆)

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて3.053日連続更新を達成しました。
すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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長寿企業の知恵⑫

ネットTV番組『Story 〜長寿企業の知恵〜』に出演させていただきました。

この番組は、創業100年を超える老舗企業の経営者をゲストに招き、長寿企業の経営者が持つ知恵や理念、思いを語る、というものですが、思いがけず好評で嬉しく思っています。

こちらのURLで今でも視聴可能ですなのですが、全長50分と少々長いし、そもそも動画は音が出せる環境でないとダメなので、文字情報が欲しいというご要望をいただきました。以下に公開してまいります。

(長いので15日に分けてUPしています。今日は、その12日目です)

 

石田「地域での活動は本業にも大きな影響をもたらしている?」

住吉「プラスマイナスありますね。店の連中は、ウチの社長は忙しいなあ、留守にするのは困るなあ、と勿論思っていると思いますよ。でも逆に、その留守を守ることも浅草の御為ですから、責任感が芽生えてくると思います。」

朝岡「社長にとって“浅草”とはどんな街?」

住吉「この世の中で唯一無二の街だということは強く意識しています。」

浅草の全盛時代についておさらいしますと、

①浅草の中心には浅草寺(=宗教)があり、その北に、

②猿若町(=エンターテインメント産業)があり、さらにその北に、

③吉原(=セックス産業)が並んでいました。そして、

④浅草の南には米蔵(=経済力)が集中していました。

これほどのラッキーさの中で、浅草は成立したのだ、ということを忘れてはいけません。この世の中に2つとない土地であることがすぐわかると思います。」

 

石田「ほかにも、業界内での取り組みはございますか?」

住吉「『すきや連』という会、すき焼き屋の集まりを主催しています。

石田「この会がスタートしたきっかけは?」

住吉「200810月に平凡社新書『すき焼き通』が刊行された時、この本に載ったすき焼き屋が集まりました。すき焼き屋の集まりというのは、それまでなかったので、参加メンバーの中から、是非また集まりたいという話しになりました。以来年に3回のペースで集まっています。勉強会や見学会をした後、すき焼き大宴会をします。開催地は、北は米沢、南は熊本まで広がっています。最初の会場店が「ちんや」だったので、私が事務局長に成り、ずっと永久幹事を務めています。なお「すきや連」が発足した1015日は、日本記念日協会から「すき焼き通の日」として認定されています。」

朝岡「同じ業界だからこそ、有益な情報交換なども行える?」

住吉「実は正確に申しますと、同業団体ではないです。食材の生産者やメデイアの方、単なる愛好家もいますが、そこが良いのです。業界外の方は純粋に興味を持たれて色々質問して来られるので、すき焼き屋の方も、うっかり秘密を話してしまいます。それが有益なんです。それから、ほとんどの方が会社のオーナーさんで代理出席を認めないのも特徴です。やはり勤め人の方は、上司に気を遣って口が重いですからね。それでは忌憚のない意見が飛び交う雰囲気になりません。人から情報を獲るだけ獲っておいて、自分は出し渋るというような態度では、本当の意味で全体の進歩になりません。」

 

石田「同業を含めて、浅草には特に長寿企業が多いと思うが、その理由は?」

<この続きは、明日のこのブログで>

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.806日連続更新を達成しました。 すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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日本酒の日、コーヒーの日

日本酒VSコーヒーの紙上対決は、パッと見ではコーヒーの勝利に終わったようでした。

毎年10月1日は、「日本酒の日」でもあり「コーヒーの日」でもあるので、両者が新聞広告を出したのですが、少なくとも読売新聞ではコーヒーの圧勝でした。

日本酒のスペースは紙面の下六分の一。地味にその日が「日本酒の日」であることを伝えていましたが、コーヒーは全面×2ページ。

コーヒーが好きだったという、故・松田優作さんの大きい写真で読者の目を引いて、プレゼント企画も付いていました。コーヒーの圧勝でした。

時に、なんで10月1日は「日本酒の日」でもあって「コーヒーの日」でもあるんですかねえ?

全日本コーヒー協会によりますと・・・

「国際協定によって、コーヒーの新年度が始まるのが10月で、この日がコーヒーの年度始めとなります。さらに、日本では、秋冬期にコーヒーの需要が高くなることから、1983年に、全日本コーヒー協会によって、10月1日が「コーヒーの日」と定められました。」

・・・だそうで、今市、目出度い感じはないですね。

対する日本酒造組合中央会の説明は、やや長いです。

「通常日本酒づくりは、晩秋から厳冬、早春にかけて仕込みが行われ、並行複発酵(糖化とアルコール発酵が同時に進行する発酵技術で、世界の発酵法の中でもっとも高度な技術といわれている)という日本酒固有の醸造法によって、新酒が誕生します。さらに新酒を火入れ(低温殺菌)して貯蔵タンクに囲い、涼しい酒蔵の中で夏を越させます。酒蔵で静かに息づいている酒は、ゆっくりと熟成して秋口には、香り、味とともに芳醇な酒となります。」

「このように日本酒は、冬から春、夏から秋へと日本の四季の移ろいとともに生まれ育つ酒で、日本独特の気候風土が生み出した酒です。豊かな自然の恵みと日本人の知恵の結晶が日本酒であると言えます。わけても、10月は全国各地に海の幸、山の幸があふれ、日本酒が本当においしくなる月です。」

「日本の文化遺産ともいえるこの日本酒を正しく引き継ぎ、後世に伝えるという想いを新たにするとともに、一層の愛情とご理解を、という願いをこめて、日本酒業界では、1978年(昭和53年)に「10月1日は日本酒の日」と定めました。」

まとめますと、日本酒は伝統的に「寒造り」で寒い時期に酒を造り、それをすぐ飲まずに夏の間寝かせておいて、涼しくなったら売り始める、そのサイクル(=「酒造年度」)の初日が10月1日だから「日本酒の日」の日なのです。

業界では涼しくなったら売り始めることを「ひやおろし」と言います。

「日本酒の日」を盛り上げたかったら、「ひやおろし」の解禁日を10月1日にして、絶対フライングを許さない体制を築けば良いと思うのですが、難しいんですかねえ。

ボジョレーに出来て、日本に出来ない理由が分かりませんが、まあ、現実は出来ていないわけで、一般人にとっては特段盛り上がらない「日本酒の日」と「コーヒーの日」が毎年やってきます。

あ、実は私も「〇〇の日」を制定したことがあります。

10月15日の、「すき焼き通の日」です。日本記念日協会に登録してあります。

これはね、根拠が在るんですよ。

2008年10月15日に、すき焼きに関する本『すき焼き通』が刊行されたのです。平凡社新書で、著者は向笠千恵子先生です。

これをきっかけに、すき焼き店とすき焼き愛好者による「すきや連」が誕生しました。だから「すき焼き通の日」なんです。

「すき焼きの日」にしなかったところが奥ゆかしいでしょう。僕ちゃん。

是非、お祝いして下さいね、10月15日。

 

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.678日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

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