浅草広小路

 『100年の味 店100選』なる御本が毎日新聞社から出るそうです。

 「ちんや」も、そこにお採り上げいただくことになり、取材のライターさんが見えました。

 そういう題の御本ですから、取材内容も昔の話しです。そこで明治末から大正の頃の、「ちんや」の写真をご覧にいれました。

 この写真は、元々モノクロで、その上に着色するという手法で加採した写真です。当時は、東京土産として売られていたようです。

 ご覧にいれて、ライターさんの目にとまったのは、その写真のタイトルです。

 「(帝都名所)浅草広小路雷門通り」

というのが、その写真のタイトルです。

 現在は、この、「ちんや」の前の広い通りは、「浅草雷門通り」と称していますから、ライターさんとしては、現在の通りとどこがどう違うのか、当然気になったご様子です。

 で、正解ですが・・・

 「浅草広小路」というのは、この通りの、江戸時代以来の古い名前で、その旧称と近代的な名前の「雷門通り」を合体させたのが、この写真のタイトルなのです。

 現在でも、「上野広小路」という古い名前が地下鉄の駅名として残っていますが、通りの名前は「中央通り」ですね。だから、この通りのことを「上野広小路中央通り」と呼べば、「浅草広小路雷門通り」と言うのと同じです。

 おそらく写真を撮った当時、新しい「浅草雷門通り」という名前がつけられたものの、古く慣れ親しんだ名前も捨てがたくて、合体させてしまったものと思われます。

 ちなみに「広小路」が、どの位古いかと申しますと、明暦(1657年)の大火の後に、幕府の防火政策の一環で出来たものです。

 この大火で、江戸の市街の大半は焼失し、10万人以上の死者を出したそうです。そこで幕府は広い通りを作り、火事が延焼するのを防ごうと考えました。それが「火除け地」としての「広小路」です。

 浅草、上野の他に両国にも作られ、この三箇所が「江戸三大広小路」と言われたそうで、その近辺は人の往来が増えて、盛り場となった次第です。結果的には、火事が町の発展に貢献しわけですから、皮肉なものです。

 私個人は、「浅草雷門通り」という名前は、なんとなく、普通っぽ過ぎて愛着がわいてきません。

 「浅草広小路」という言い方を復活させたら、粋で、なおかつ瞬時に歴史に思いをはせることができるように思います。

 「浅草広小路の ちんや」とか「浅草広小路の住吉史彦」とか名乗ろうかと思案しています。

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Filed under: 憧れの明治時代,浅草インサイダー情報 — F.Sumiyoshi 12:01 AM  Comments (0)

誕生日

 フェイスブックが「友達」の誕生日を通知してきます。

 ご丁寧に予告まであります。前の週に「来週誕生日を迎えるお友達は、○さんと×さんです」と通知してきます。

 うーん。

 どうしたら良いものか悩みますよね。

 当然、誕生会を企画してあげればベストですが、なかなかその時間もありません。都合よく、その近辺のタイミングでその方と飲む機会があればラッキーですが、そう上手くもいきませんね。

 そうする内に、当日になってしまい、今度は「何かコメントを書き込まねば・・・」とまた悩みます。人の誕生日を祝うのに、形式的な言葉になってはマズいですが、そうカンタンに気のきいた言葉なんて出てきません。

 うーん、です。

 それ以上に心配なのは、接近しつつある自分の誕生日です。

 お願いですので、コメントをして下さる場合は、

⇒なるべく形式的な言葉を、お書き込み下さい!!

 自分の誕生日が「スルー」だったら、寂しい気がするだろうとは思うのですが、返信に悩んでしまうようなコメントは、困ってしまいますので、ご遠慮下さい。例えば・・・

 「とりあえずおめでとう」

(私が自分で)「いいね!」

 「一応おめでとう」

(私が自分で)「いいね!」

 「軽くおめでとう」

(私が自分で)「いいね!」

 「微妙におめでとう」

(私が自分で)「いいね!」

 こんな要領で、よろしくお願い申し上げます。

 12/3です。

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Filed under: ぼやき部屋 — F.Sumiyoshi 12:01 AM  Comments (0)

起業家ゼミナール

 「えどがわ起業家ゼミナール」の懇親会に参加させていただきました。

 「台東区若手経営者サポートセミナー」の講師をされている、二条彪先生がやはりこのゼミでも講師をされているのですが、熱心な方が多く参加されていて、また起業を志しておられる皆さんだとかで、「台東区のメンバーと交流したら、とても面白いに違いない」という話しになり、仲間の社長5人と一緒に訪ねました。

 この日は、ゼミの前半部分が終了した日の打ち上げとかで、50人ほどの方が参加されていました。台東セミナーは「若手」対象ですが、こちらは起業を考えておいでなら、年配の方も良いらしく、勿論若手もいらして多士済々です。

 現在は「お勤め」の立場の方も多いのですが、休日の時間を削って、このゼミに参加しておられます。大したものです。

 さて会議室での、缶ビールとポテチでの一次会は意外に早く終了。

 あれ?もう終わり?と思っていると、最初から二次会へ行くのが前提だったらしく、そそくさと移動。二条先生も、お忙しい中見えました。

 印象的だったのは、ご自分の起業プランを披露して、こちらの意見を求めてくる皆さんの御姿です。当然ではありますが、真剣そのもの。

 でもねえ。意見を欲しておいでなのは良くわかるのですが、私なんぞ、ヘビー素人級のフィードバックしかできないんですよね。

 未開拓市場の「大きさ」「将来性」なんて、すき焼き屋には「???」です。

 二条先生が日頃教えておいでの通り、試してみて⇒修正しかないのだと思います、無責任なようですが。

 酒が進む内、皆さんもその辺りのことは、だんだん分かって来られたようで、次第に違う方向の「質問タイム」へ。こちらのプライベート事情に関する御質問です。

 先代さんとの間に葛藤はないの?とか。

 奥様とは恋愛なの?とか。

 東京郊外の宅地にお住まいの方には、私のような人種は、モノ珍しいのかもしれませんね。

⇒普通ですよ、浅草の人間も。

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Filed under: 台彪会 — F.Sumiyoshi 12:01 AM  Comments (0)

マミー之像

 先日「浅草雷門横丁」の皆さんと「一斉清掃」をしていた時、

 この猫ちゃんの像は何ですか?

と聞かれました。

 猫の像と言いましても、金属のプレートに浮き彫りにした像つまりレリーフなのですが、そのレリーフが「ちんや」ビルの、雷門横丁側の面に貼り付けてあるのです。

 「雷門横丁」は浅草のメイン通り「雷門通り」の一本北に平行して走る筋です。雷門広場の北西角の、「常盤堂」さんと「ホテル雷門」さんの間を、向かって左へ(=西へ)入っていただきますと、やがて「ちんや」の裏側へ回り込むことができ、レリーフは、そこに貼りつけてあります。

 さて、その猫は「マミー」と申しまして、私の生まれ代わりです。

 昭和26年に寿司屋さんに生まれて、「ちんや」へ貰われて来て、昭和40年に私が生まれる少し前に死にました。「マミー」というのは、アメリカのアイゼンハワー大統領の奥様の名前だそうで、超大国の令夫人の名をつけるとは、人を食ったことをしたものです。

 現在は、敷地いっぱいに「ちんや」の建物が立っていますが、その当時は、「雷門横丁」側に坪庭程度の庭があり、「マミー」が死んだ後、亡骸はそこに葬られました。

 その後、昭和50年に現在のビルを建てる時、敷地いっぱいに建物を建てることになり⇒結果、お墓も潰してしまうことになるので、猫の供養のために、私の父がレリーフを作りました。

 生前の「マミー」は寿司屋出身だけに、あなごが好物で、そのせいか元気が良かったらしく、生涯獲得鼠総数が325匹という偉大な記録を達成しました。その偉大な猫のお墓の上に、そのレリーフは貼ってあります。

 このレリーフのことは、「猫びより」という雑誌の取材を受けたこともあり、その記事を見た方が、すき焼きを食べに来店してくれたこともありました。死して尚、貢献してくれたわけですね。

 浅草へお越しの節は、是非「雷門横丁」へもお立ち寄り下さい。

 え? ネットで画像を見たいって?

 それでは、今日の午前10時半に、私のFacebookにupロードいたしましょう。

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Filed under: すき焼きフル・トーク — F.Sumiyoshi 12:01 AM  Comments (0)

回想600日

 おかげ様にて、本日弊ブログは、600日連続更新を達成しました。皆様のご愛読に心より感謝申し上げます。

 さて、この機会に100日の頃、200日の頃・・・を思い出してみようと思います。

 弊ブログは昨年の3/1にスタートしまして、100日目は6/8でした。

 始めた当初の目標は「連続100日更新」でした。当時続けられるかどうか、まったく分からなかったので、100日に達した時は、ただそれが嬉しく、100日になったこと自体が、この日のテーマでした。お恥ずかしいことです。

 その後、平野正敏さんのコンサートへの出演、第六回「すきや連=日本短角牛を食す会」、「おいしい夏休みー親子体験食味学習会」・・・と行事が多く、それがそのままネタになったので、どんどん書けました。

 200日目は9/16でした。この頃になると、かなりペースが掴めてきました。ちょうど、「ちんや」創業130年の年で、関連事業が続いていましたので、ネタに困ることはありませんでした。

 ブログ200日のすぐ前には、第一回「住吉史彦の会」を開催し、翌日には「すき焼き思い出ストーリー」のサイトを開設しました。色々なことが好調な時期だったと思います。

 好調は、年末にかけても続きました。第7回「すきや連」(@伊勢重さん)、「チャリテイー宮崎牛の会」などを開催したりして、その顛末のことなどを書きつつ、昨年の12/25に連続更新300日に達しました。

 そして、その日にあわせて新発表もしました。それは・・・

⇒「ちんや すき焼き通検定」という検定試験でした。

 この検定は、すき焼き業界初だったでしょう、たぶん。すき焼き通検定は、創業130年の記念事業の最後を飾るものとして、スタートさせました。当然、ブログのネタです。

 年始からも、順調に更新が続き、2月末には、更新365日記念スペシャル・六夜連続興業「カリスマ受け売り師・住吉史彦の生涯の半分くらい」を書きました。第8回「すきや連」も京都・三嶋亭さんで開催しましたので、これも当然、ブログのネタです。

  このブログが絶好調だったのは、この頃でしょうか。

 しかし、です。この後すぐに日本は大震災に襲われます。

 もう何を書いていいのか分からず、毎日が辛かったのを思い出します。

 しかし更新は続きました。震災不景気で店がヒマになり、時間ができてしまったのが理由です。でも理由はもう一つ。

 この大震災という状況を生きた、自分の記録をつけたかったのが理由でした。

 でも当時書けることと言えば、ぼやきばかりでした。それで連日ぼやきばかりを書いていますと、激励やら応援やらをいただけるようになりました。

 実は、以前の私は、そういうことをまず言わない男でした。そういう可愛くない自分を少し改造しようと思い、ブログを始めたおりに「ぼやき部屋」というカテゴリーを設けました。

 でも、こんなにボヤくことになるとは、この頃まで、勿論思ってもみませんでした。

 しかしボヤき出しましたら、有り難いことに、多数の皆さんが激励やら応援やらをして下さるようになりました。以前の私なら、

「頑張って!」とか「応援してるよ!」などと言われた時には、

「いやあ、ポチポチやって行きますよ!」とか

「まあ、潰れない程度に頑張りますよ!」とか返していました。可愛くなかったですよね。

 しかし、この頃になって、この年にして初めて、激励・応援に心から素直に御礼が言える自分を見つけた、それがブログ400日目の頃でした。

 その後、日本の食の状況は良くなっているとは言いがたいですね。

 放射能の問題があるからです。特に、ブログは500日の頃には、牛の汚染エサの問題が浮上し、畜産の世界は3月頃にもまして厳しい状況になりました。

 そんな中でも連続更新は続きました。

 ちょうど7/26に第9回「すきや連」を「銀座吉澤」さんで開催した時、出席者の皆さんは、最初は悲壮な表情でしたが、やがて宴会が進むと口々に「なんとか頑張りぬこうよ」と言い合うようになりました。だから、弊ブログもやめられませんでした。意地でも続行です。

 そうは言っても、気分は晴れません。またしても「食の安全」が、問題になったからです。牛は全頭検査をしない限り、売ることが難しくなり、それが実現したのは、9月になってからのことです。

 「全頭検査」っていう言葉は、ちょうど10年前のBSE問題の再来のようでした。対策が後手にまわって、マズいことになり、最後に打つ手は全頭検査しかない状態になった状況は、BSEの時と同じ展開に見えました。デジャブーのようでした。

 思えば、過去10年間、食をめぐるニュースは、なにかと暗いものばかりでした。BSE、O-157、強毒性鳥インフルエンザ、口蹄疫、中国製毒ギョーザ、事故米転用事件、食品添加物、偽装表示、そして極めつけの放射能・・・・・そんな話題ばかりでしたね。

 実は、初めてBSEが国内で見つかった平成13年9月の前の月=平成13年8月に、私は「ちんや」の六代目を継ぎ、今年の8月で10周年だったのですが、その後10年間、食をめぐるニュースは、なにかと暗いものばかりでした。楽しい時間は、あまりに少なかったように感じます。

 それで、この日、私は以前にも書いたことを、また繰り返して書いています、

・・・そういう10年が過ぎ去って、皆さん、そろそろ、気分を変えたくありませんか!

 食は、もっと楽しい気分で語られて良いものに決まっています。

 今年、日本のお笑いの聖地である浅草から、食と笑いを同時に発信したいと思っています。浅草の知人の中には、お笑いの仕事にかかわっている人もいます。最高の立ち位置ではありませんか・・・

 私は、今年はそういう仕事をしたいと願っていました。

 もちろん仕事ですから「食の安全」の方にも取り組みますが、それは仕事の目的というより前提の話しで、その前提の上で「食と笑い」「食の楽しさ」をやりたかったわけです。 

 でも、今は原発のせいで、また前提であるはずの「食の安全」に、フォーカスが当ってしまいました。残念です。

 だいたい「安全」関係の用事って楽しくないんです。しかし暗いムードを変えることを諦めはしませんよ・・・

 その後、川柳で日本の食卓に笑いを!ということで「すき焼き川柳onツイッター」などを実施しつつ、更新は続きました。

 そして、今日が600日目。

 これから、いったい、どうなるのでしょう。

 日本は。日本の食は。すき焼きは。そして私は。

 まったく見当つきません。

 でも「このブログを続けよう」という気持ちは、100日の時より強くなっているような気がします。

 もちろん、不測の事故があって止まることは、あり得ます。

 でも、今ここで終わりたくはありません。

 今の状況を見届けて、思ったことを駄文に綴り続けたいと思います。

 どうぞ、今後も、お見捨てなく。

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お持ち込み

 突然ですが、お酒を、お客さまが「ちんや」へ持ち込んでいただけるようにしました。

 この所、いろいろ御酒のことを調べるにつけ、全国の素晴らしい地酒、世界のワインを「ちんや」で飲んでいただけないのは残念、と思うようになりました。

かと言って、全てを仕入れておくのは、実際問題として不可能です。

と、なるとお客さまに持ち込んでいただくのが実際的ですね。

 それにですよ、「持ち込み」が出来ると、お客さまがご自分で「もてなし」をすることが出来るようになります。

 ここで「もてなし」と申しますのは、お客様Aが、別のお客様Bを酒でもてなすことを言っています。ビジネスの御接待の場合は、当然A→Bの「もてなし」ですし、旦那様が奥様に、日頃の感謝を込めて外食へ連れていくのも、立派な「もてなし」と思います。

 こういう場合、お客様Aが、お忙しい中すき焼きの準備をするのはタイヘンなので、すき焼きは「ちんや」が代わりに用意して差し上げます。一方お客様A自身は、酒を用意してお客様Bをもてなすわけです。

 例えばビジネスの御接待の場合に、先方様の出身地の酒を用意して⇒「もてなし」をなされば、大変喜ばれることと思いますよ。

 「参加型」で、なかなか良いと思いませんか?!

 つまりですね、こうしてお客様自身が「もてなし」を実行した「達成感」を感じていただく(=そういう体験をしていただくこと)⇒そのことをご自分の思い出にしていただくこと、それがこの話しの主眼になるわけです。

 これによって「ちんや」の飲み物代の売上は、当然減るわけですが、損ばかりではありません。利益もありまして、それはお客さまの「リピート」です。

 酒好きなお客様は、たくさんの種類の酒を、あれこれ試してみたいもの。

 「今回は、この酒ですき焼きを」「次回は、また別の酒ですき焼きを」という具合に、リピートして来店していただけること、間違いありません。

 そこは期待してます、正直申して。

 では、実行してみたいと思う方は、恐縮ですが、少しのチャージはさせていただきますので、以下の規定を、ご覧下さい。

 それから食品衛生のことが「大丈夫なの?」と気になる方がおいでかもしれません。しかし、新品の、一定度数以上のアルコールが入っている酒なら、その中では食中毒菌は生きられませんので、大きなリスクはありません。ご安心下さい。それ以外の「問題在り」の酒は、お持ち込みいただけないので、そのことは以下に載せてあります。あわせてご覧下さい。

 (以下は「お持ち込み」の規定です。)

<料金>

・お持ち込み料 : 10mlにつき10円(空き瓶廃棄料を含む) 

 *持込みされても開栓しなかった瓶については、廃棄料はいただきません。

・グラス使用料 : 1個につき50円

・お燗手数料  : 1回300mlにつき50円

 

<持ち込み容量を制限させていただきます>

・お1人様当たり 750mlまでに限らせていただきます。

・一組で5本以上の酒を持ち込まれる場合は、グラス準備の都合上事前にお電話下さい。

・お飲み残しの「キープ」はいたしておりません。ご諒承下さい。

<持ち込めるのは、酒だけに限らせていただきます>

・アルコール度数が4%以下の酒、ソフトドリンク(水・茶・果汁など)、食べ物は、衛生上の理由で持ち込むことはできません。

<持ち込める酒の酒類を限らせていただきます>

・酒造免許を持つメーカーが醸造したものに限らせていただきます。個人醸造酒、密造酒を持ち込むことはできません。

・瓶が開栓されていないものに限らせていただきます。

<持ち込む方を限らせていただきます>

・酒を持ち込めるのは、お客様ご本人様または指定納品業者に限らせいただきます。

・指定納品業者で、事前に酒をご購入いただき、納品を代行させることができます。

 指定納品業者=㈱相模屋本店 電話03-3844-4195

   台東区浅草1-8-2(浅草雷門通り)(定休日:毎週水曜日

   http://www.sagamiya-honten.jp/

・指定納品業者へのご注文は、お食事予定日の前々日までにご用命下さい。

・代金の決済は、済ませていただいてから、「ちんや」へご来店下さい。

*指定納品業者によるサービス=すき焼きとお酒の、組み合わせ方について、アドバイスをさせていただきます。

<炭酸水の販売> 炭酸水(300ml):200円(税込)  

 蒸留酒を割るのにお使い下さい。(水・氷は無料です)

<お料理>すき焼きまたはしゃぶしゃぶ一人前を、必ずご注文願います。

(以上)

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ラムネとサイダー

 ラムネの話しの続篇です。

 ラムネとサイダーのどこが違うか、ご存じですか。

 中身は、だいたい一緒だそうです。

 違うのは瓶でして、ラムネは昨日ご説明しました通り「玉栓瓶」。サイダーの方は、普通の王冠を使用しています。

 「だいたい一緒」と申しましたわけは、ラムネもサイダーも、いろいろな御味の飲み物の総称だからです。ラムネもサイダーも、カテゴリーの名前なのです、現状では。だから、 「だいたい一緒」としか言いようがないのです。

 え? ラムネはレモネードという英語が訛ったものなんだから、レモン風味の炭酸水なんじゃないの?・・・と思った方→ご尤もです。

 本来、ラムネはレモネードですから、レモン味かせいぜい柑橘系の味の飲み物のはずですが、それがですね、日本に渡ってきて独自の発展を遂げてしまいました。

 イチゴ味やメロン味は、まだ許せますが、

 ワサビラムネとか、紫蘇ラムネとかも存在するようです。

 うーん、ですね。

と、いうわけで、「ラムネとは、日本で独自の発展を遂げた、独特の容器に封入されたフルーツ系の風味のついた炭酸飲料」としか定義できなくなっている模様です。

 ワサビラムネや紫蘇ラムネは、この定義では苦しいですけどね。

 サイダーは、さらに曖昧です。

 サイダーの語源はシードル(=発泡性のリンゴ酒)ですから、アップル風味でなければオカシいわけですが、現在のサイダーはシードルとは別物ですよね。サイダーはアップル風味に限る、なんて思っている日本人の方が少ないでしょうね。

 ありとあらゆる、炭酸入りの飲料が、「サイダー」というカテゴリーに、ブチこまれています。

 私が子供の頃お世話になった、7up、チェリオ、スプライト、ファンタ、スカッシュ・・みんな「サイダー」類です。最近では「地サイダー」「ご当地サイダー」もいろいろありますね。

 王冠のついた炭酸飲料なら、なんでもOK、という感じです。

 そう言えば「トンカツ」も、元々の西洋料理とは違っています。

 輸入したものを日本風にするだけでなく、さらに自由に変えてしまうー日本人のやることには驚かされますね。私は、日本人の得意技は、自分の国の伝統をビシりと継承するばかりではないと思っています。

 IT時代の日本人も、頑張って、外人の創ったモデルをゆるゆるに変えてやったら、どうなんでしょう。

 元々の名前が「アップル」でも、ワサビ風味のiPhoneとか、紫蘇風味のiPadとかに変えちゃっても良いんじゃないですかね。

  スティーブ・ジョブズ氏の御逝去を、心よりお悔やみ申し上げます。

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飲み物世界遺産

 実は最近弊店の、ドリンクの品揃えを再検討しております。

 従来より地元志向を強化して、「どこにでもある物」より、「地元だけにある物」を売っていこうと考えつつあります。

で、思いつきましたのが、ラムネ。

 あの懐かしくも、スパークリングな飲み物です。

 残念ながら、三ノ輪のメーカーさんは廃業してしまいましたが、浅草から隅田川を渡ってすぐの所に、「興水舎」さんという、大正13年創業の老舗メーカーさんがあり、仕入れさせていただくことになりました。

 ところで、ラムネって何語か、ご存じでしたか。

 英語です。レモネードという英語が訛ったものです。

 ですので、当然ラムネは英国生まれです。「興水社」のK社長が見せて下さった、「日本清涼飲料業界史」なる、厚さが8センチもある御本をひもときますと、1843年に英国人のハイラム・コッドという人が「玉栓瓶」を開発し、その瓶にレモネードつまり炭酸水にレモン味を付けたものを詰めたのが起源だそうです。

 この「玉栓瓶」に詰められていることが、ラムネの大きな特徴です。

 ラムネ瓶には、上から5分の2ほどの位置にくびれが設けられており、口とくびれの間に「ラムネ玉」と呼ばれるガラス球が入れてあります。

 この瓶にラムネ液を詰めて、すぐさま瓶をひっくり返すと、内部の炭酸ガスの圧力で「ラムネ玉」が口まわりのゴムパッキンに押し付けられ、瓶が密閉されます。つまり炭酸飲料の中の圧力だけを利用して密封する仕組みなのです。

 ラムネ瓶が、あのようにユニークな形をしているのは、この瓶詰め方法を採用しているからだったのです。

 でも英国人は、このユニークな形の瓶を見捨ててしまい、今は日本人だけが使っています。

 見捨てられた理由は、その後に、王冠で炭酸水に栓をする方法が開発されたからです。そちらの方は瓶の形がシンプルです。一方のラムネは、瓶の形がユニークですから、当然造るのにコストがかかりますし、また洗浄も面倒です。

 しかし、なぜか、下町の日本人はラムネを造り続けています。しかも、瓶をリサイクルさせて造り続けています。ちょっと感動します。

 ラムネ瓶は、王冠を使う普通の瓶と異なり、栓(=玉)まで含めてリサイクルが可能です。カンペキな「リターナブル容器」と言えます。

 この厄介な瓶を使い続けていることは、日本人のmottai-nai精神の一つの現われ、と言って良いのではないでしょうか。

 いや、「飲み物世界遺産!」と言っても良いと思います。

 まもなく「ちんや」に登場です。請う御期待。

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電話の切り方

 一般常識の問題です。

 電話を切るのは、架けた人ですか、受けた人ですか?

 そりゃあ、架けた人ですよね、普通の電話は。

 でも「ちんや」内の業務用の電話は、受けた人が切ることにしました。最近そう決めました。受けた人が用件を復唱して、それから切ります。

 架けた人が、相手に頼みたい用件を早口で言って、すぐさまブチっと切ってしまうと、受けた人が、間違えて聞いてしまった時に困ったことになりますね。受けた連絡内容に疑問を持って「確認したいな」と思っても、ブチっと切られた後だと、もう一回電話を架け直すのが面倒です。

 浅草にある店ですから、当然忙しい日は忙しいのですが、忙しい日こそ、一個一個の仕事を丁寧にやらないと×です。

 間違いがあると、手間が数倍増えますので、間違いを減らすことこそ、最大のスピードUPですよね。

 例えば、こんな感じです・・・

(架けた人)お願いします! ○○コースの、ご飯・みそ碗・時雨が2、4階です!

(受けた人)はい、○○コースの、ご飯・みそ碗・しぐれが2、4階へ。OKです!(通話を切る)

 最初に「お願いします!」と言うのは、話し出しを統一しておかないと、受けた人が聞き取りづらいからです。

 また受けた人は「お願いします!」の間に、相手の声を聞いて、誰が担当かを耳で判別します。ここで判別してしまうので、後でわざわざ「誰が担当ですか」と尋ねる手間が要りません。

 時雨とは、牛の時雨煮つまり佃煮のことで、弊店ではご飯と一緒に召し上がっていただいていますが、シグレニが2!では早口言葉のようなので、こう略しています。

 皆さんも、いろんな状況でお試しあれ。

 お願いします! お八つの、コーヒーと茶うけが1、パソコン部屋です!

 お願いします! 夜食の、酒とつまみが1、キッチンです!

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すき家強盗

 大手牛丼チェーン「すき家」について、私はこれまで一切関心を持ったことがありませんでした。しかし、今回ばかりは関心を持たざるを得ませんね。

 なにしろ強盗被害が相い次いでいて、2011年に報告されている被害件数は、なんと一社で71件! 5日に一度は、全国どこかしらの店舗が被害に遭っているペースなのだそうです。

 9月上旬には埼玉の店舗で「恒例の『すき家強盗』だ。金を出せ!」と言いながら押し入った強盗がいたとか。これは、チト面白すぎるので創作かもしれませんが。

 結果、「すき家」の運営を行っている会社「ゼンショー」は、警察庁から指導を受けたそうな。特定企業の防犯体制について、警察庁が指導なんて聞いたことないですね。

 夜間はバイト一人の体制で、レジが必ず出口付近にあるのが良くないそうです。それも、従来交番から注意を受けていたのに、それを無視していたため、「指導」→「公表」ということになってしまった模様です。

 さらに、読売新聞が報じたところでは、この件について、「ゼンショー」の広報室長は「経営を度外視してまで防犯に取り組む必要があるのか考えたい」と発言したとか。もっとも、この「発言」については、「読売」と「ゼンショー」は、言ったじゃないか=言ってないぞ、で揉めているようです。

 その、言った・言わないで揉めている最中の読売新聞に、19世紀イギリスの評論家ジョン・ラスキンの経済思想についての記事が載っていました。

 18世紀アダム・スミスに始まった経済学は、やがて人間を単なる経済的な利益を求める機械のように想定するようになりましたが、ラスキンは、その流れの経済学を批判しています。曰く・・・

 経済学者の誤りは、生きるとは快楽を追求することであり、労働は苦痛以外の何ものでもなく、冨とは苦痛を補い快楽を増す手段だと教えたところにある。

 あくなき冨=快楽の追求は、自然環境を含めた他者への配慮を二次的なものにし、共同体や地球の生活圏を脅かすことになろう・・・

 まさに今回「すき家」では、他者=アルバイトの体や、周辺の治安への配慮が「二次的」なものになっていたようですね。ラスキンから100年以上たってますけど。

 ところで今頃関心を持ったんですけど、美味いんですか、「すき家」の牛丼って?

 食いに行ってみようかな、夜中に。

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Filed under: すき焼きフル・トーク,ぼやき部屋 — F.Sumiyoshi 12:01 AM  Comments (0)