すき焼き芸者

 向嶋の花街に「すき焼き芸者」として知られた、お姐さんがいます。名をCH姐さんと言い、私も旧知の女将AY子女史が経営する、料亭「きよし」の専属です。

 なんで「すき焼き芸者」って言うかって? それは芸者さんなのに、すき焼きを作れるからです。

 CH姐さんがすき焼きを作れるのは、若い頃、神田万世橋の肉料理店「M」に勤めていたことがあるからです。

 あっ、CHさん、失礼! 今も若いです、当然ですが。

 えー、話しを戻しますが、そういうわけでCH姐さんは、すき焼きを作れます。

 「きよし」のお客様が、すき焼きを所望すると、AY子女史は「ちんや」へ肉を買い出しにやってきます。その肉を使って、CH姐さんがすき焼きを作ります。完全予約制・完全指名制ですが、もちろん。

 某大手食肉企業のオーナーさんも、このコースがお好きだとか。

 先日、この話しを『すき焼き通』の著者・向笠千恵子先生が聞きつけて、ご対面。彼女をいたく気にいってしまわれたようです。

 先生がこのことをどこかに書いて、さらに彼女が有名になると、それはそれでチト困るなあ。

 我々が遊びに出かけた時、彼女にお目にかかりにくくなるかもしれないし、それに、「ちんや」のお客様が減っちゃいそうだし・・・

 でもこの話しはかなり面白いので、思わずここに書いちゃいました。失敗したかなあ。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

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女将さん・若女将・奥さん・お嬢さん昼食会

 10/25に、浅草料理飲食業組合の「女将さん・若女将・奥さん・お嬢さん昼食会」が「ちんや」で開催されました。

 20人以上の、女将さん・若女将が見えて、また取材の新聞社の方も見えて、盛況でした。

 この企画は、初めての試みでした。組合活動の活性化のため、女性経営者の皆さんの、知恵とパワーを活用しようと計画されました。まず最初の段階として、今回の研修会+昼食会が開催された次第です。

 皆さんが集まって来るや、一日ハーレムいや、一日大奥が実現して、組合長(=男)は上機嫌。

 随分と楽しそうな、昼食会になりました。

  あ、研修もありました、一応。

 アサヒビール吾妻橋支店長様による、ミニレクチャー①「料飲業界の最新トレンドについて」と②ミニレクチャー「今売れている商材について、有機ワイン・低アルコール飲料・シードルを中心に」もありました。

 また余興は、私の仕切りで、すき焼きクイズ。(ブログ読者の皆さんは内容をご存じですよね!)

  皆さん「また、会いましょう」と言い合って散会しました。

 それにしても、出席していたウチのヨメ、よその奥さん達と何を話していたのか・・・

 しかけておくんだった、盗聴機。

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肉の王者②

 10/23に、第0回「すき焼き三田会」を「ちんや」で開催しました。初めてのことなので、第0回というわけです。松阪の「和田金」のMさんと私が呼びかけて実現しました。

 慶応卒で、すき焼き店を経営している皆さんと、慶応卒で、すき焼きを愛好している皆さんが、史上初めて(?)大集結です。

 以下は当日書いていただいた、寄せ書きです。

・すき焼きに若き血燃やす夕べかな(食文化研究家・向笠千恵子先生)

・スキヤキ在味覚凧在風格(「たいめいけん」M先輩=料飲三田会会長)

・肉食人間です 特に牛肉は一番好きです(「スターゼン」U先輩=食肉三田会会長)

・すき焼き大好き人間です。すき焼きパワーで頑張ろう(「なだ万」T先輩)

・すき焼、好きや(「濱田屋」「明治座」M先輩)

・お肉大好き 生たまごも(「香味屋」K恵女史)

・すき焼は人の心を暖かくします。だから大好きです。(「馬渕商事」M君)

・スキヤキ三田会おめでとう(「ニューオータニ岡半」S先輩)

・食は人を幸せにします。(「野心満々」S先輩)

・肉も魚も沢山食べよう!(「綱八」C君)

・亡き父のおみやわいつも好きやきに笑顔たえない思い出の味

(「愛宕小西」KY子女史+K君)

・食べた時、思わず笑顔になる「ちんや」のスキヤキ(「松乃鮨」T君)

・子供のころから「すき焼き」は大大大のごちそうで大好物です。今後とも宜しくお願い申し上げます。(「美味サライ」O先輩)

・「トップになるにはすきやき食べよう!」〜宝塚歌劇『愛と青春の宝塚』(大石静原作)より(「慶應大学出版会」M子女史)

・とても美味しいお肉ありがとうございました。今後とも宜しくお願いいたします。(「JTBパブリッシング」Ⅰ先輩)

・祝 すき焼き三田会 やはり日本酒!と思うが今日のワインは素晴らしい (「アサヒ商会」H先輩)

・縁を大切に 良い出会いを有り難うございました。(「小桜」Ⅰ先輩)

・学生時代より肉は大好き すきや連の益々の発展祈ります。

(「常盤堂雷おこし本舗」H先輩)

・下町の三田会楽しきすき焼きで(「伊豆安」H先輩)(台東三田会幹事長)

  最後に、お約束の応援歌『若き血』を熱唱!ただし変え歌で・・・

 ♪慶応〜慶応〜肉の王者〜慶応〜♪

 

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肉の王者

 10/23に、第0回「すき焼き三田会」を「ちんや」で開催しました。初めてのことなので、第0回というわけです。松阪の「和田金」のMさんと私が呼びかけて実現しました。

 慶応卒で、すき焼き店を経営している皆さんと、慶応卒で、すき焼きを愛好している皆さんが、史上初めて(?)大集結です。

 「すき焼き通」の著者・向笠千恵子先生も来て下さいました。

 献立は以下の通りですが、この内、

デザートの砂糖を提供して下さった、「沖縄さとうきび機能研究所」のTさんは同窓、またワインを選定して下さった、「愛宕小西」のKさんも同窓で、この日もご出席下さいました。

 また、やはり同窓の、橘倉酒造のⅠさんが銘酒「若き血」をご寄贈下さいました。

 今回「変わりザク」を生野菜でなく、温野菜にして、「鍋に入れるも良し・キュウイドレッシングを付けるも良し」、ということにしたのが新工夫です。

<以下、献立>

先付け①  柿と牛モモ肉 みぞれ和え

先付け②  ホウレン草と帆立、なめこのお浸し

すき焼き肉①黒毛和種、雌、尾花沢市「スカイファーム尾崎」産(ロース)

         平成20年1月23日生まれ⇒22年9月24日と畜

      ②黒毛和種、雌、中津川市・大山経平牧場産(赤身)

         平成20年5月11日生まれ⇒22年9月24日と畜

 ザク   葱(千住「葱雅」)、豆腐(「市川食品」浅草)、シラタキ(同)

      春菊(宮城県産)、椎茸(岩手県産)、卵(「浜屋食品」浅草)

変りザク <温野菜> 牛蒡、蕪、チンゲン菜、マッシュルーム、

       大黒シメジ、トマト

      *変りザクは、鍋に入れるも良し。

       キュウイドレッシングを付けるも良し。

お食事   ご飯(「塚原米店」文京区、福島県湯川町産コシヒカリ)、

味噌(「万久太田味噌店」浅草)、牛佃煮(自家製)

デザート  栗ムース、栗煮(自家製)

*生なり糖(粟国島産「沖縄さとうきび機能研究所」製)使用

ワイン   「愛宕小西」選

日本酒 銘酒「若き血」(橘倉酒造)

日本茶 「増田園総本店」(浅草)

  福沢先生の「福翁自伝」の、適塾のくだりには、牛鍋を食べたと書かれていて、先生とすき焼きとは御縁が浅くありません。その御縁をしのびつつ、卒業生が集って鍋を囲み、すき焼き談義に花を咲かせた・・・

ハズが、どうも中途から、学生時代のバカ話しに移行。先輩方はさすが武勇伝がスゴイです。すき焼き談義はどこへやら。

 でも、それでOKと、私は思います。「美味しかった」より「楽しかった」が、すき焼き屋の本懐と思っていますから。

 〆は、天麩羅「綱八」Cさんのエールで、お約束の応援歌『若き血』を、一部変え歌で(!)熱唱して散会しました。

♪慶応〜慶応〜肉の王者〜慶応〜♪

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群馬のすき焼き

 向笠千恵子先生の連載『続すき焼き ものがたり』が掲載されている、月刊「百味」11月号が届きました。5月号より連載が始まりましたので、今回で第7回です。

 今回、先生は群馬県前橋市まで出かけ、「牛や清(ギュウヤキヨシ)」さんのすき焼きを取材してこられたようです。

 「牛や清」の女将F女史は、「すきや連」にたびたび見えていて、またお嬢様が私の知人に日本舞踊を習っておいでで、私も存じ上げています。群馬県内を走り回って、地産地消の、すき焼きを実現されている方です。

 地産地消のことは存じていましたが、今回、おやっと思ったのは、すき焼きの締めくくりの、うどんのやり方です。

 「これは邪道なのかもしれませんが、とにかくおいしいから・・・」との女将さんのオススメで出されたのは、

 キムチ!

 キムチを鍋に入れ、それに割り下と水、うどんを加えて食べるのだそうです。

 「これが、あっとおどろく爽やかな味。キムチの香りも辛味もマイルドになり、すき焼きのだしとうまくからんでいるし、うどんがこれまたおいしい。(後略)」そうです。

 うーん、私には味の想像がつきませんが、しかし、このニッポンに色々なすき焼きが在るのは良いことです。

 一人のお客様が、何軒ものすき焼き屋をまわり、それぞれの個性を楽しんで下されば良い、と思っています。

  対抗して「ちんや」は、すき焼きに納豆でも入れるかな、いや、それじゃあ、インパクトがイマイチだな、チーズの方が良いのかもな。

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創業85周年記念晩餐会

 10/19に、「料飲三田会」「台東三田会」で旧知の、K恵女史が経営されている、老舗洋食店「香味屋(かみや)」さんで「創業85周年記念晩餐会」がありました。お招きいただいたので、参加させていただきました。

 御店の場所は、台東区の反対側・根岸ですが、この界隈は、その昔花街のあった、粋な所です。

 K恵さんのご先祖は、最初この土地でハイカラな輸入品を並べて売る店を始めたそうですが、その売り物の中にコーヒー豆などの食料品がありました。やがて、そうした物を飲ませたり・食べさせたりする座席ができ、ついには本格的洋食店になってしまったそうです。K恵さんは、その4代目です。

 私は、味覚が完全に下町味覚なので、ニッポンの洋食は大好きです。目が無い、と言っても良いでしょう。

 そんな私も、この日の一皿目がフライなのには驚きました。オードブルがなかなか出て来ないなあ、と待っていると、松茸と牡蠣とカニクリームのフライ盛り合わせがオードブルでした。洋食好きには、こういうモノはたまりません。

 その後も、コキールとかローストビーフとか続きましたが、味付けが微妙に下町で極楽です。お仏蘭西人には分からないだろうなあ、この味、と思う内、あっという間に完食しました。

 洋食は、すき焼き同様味が濃かったり、脂肪分が多かったりするので、イマドキとは言いがたいのですが、是非90年〜95年〜100年と、この味を守ってほしいものです。

 90年になったら、また「晩餐会」によんでくれたら嬉しいですね。あ、その前に88周年も結構目出度いと思いますよ。楽しみだなあ。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。 

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技能向上全国大会

 10/19に第30回日本料理技能向上全国大会が「アルカデイア市ヶ谷」(旧の私学会館)で開催されました。「ちんや」の和食調理長の吉田も出品したので見てきました。

 料理業界以外の方は、料理のコンクールってどうやるんだろう、審査員は何十人前もの料理を食べらるんだろうか、どういうキッチンを使うんだろう、と不思議に思っておいででしょう。

 そこで、お教えします。

 このコンクールは、料理を食べない・・・んです。見るだけです。

 だから、いきおいデコレーション合戦・小細工合戦になります。

 そのための各出品者の苦心は大変なものです。朝10時30分からの展示に間にあわせるため、前夜は徹夜で細工してきた人がほとんどでしょう。ご苦労なことです。

 ウチの板長も全8品、細かいアイテムも数えれば20点以上を作って出品しました。肉づくしの献立で、もちろん「ちんや」の肉を使っているのですが、食べられません。肉の部位ごとに、焼き物にしたり揚げ物にしたりと工夫していますが、しかし、やはり食べられません。

 展示終了間際の午後には、乾いてきてザンネンな状態になっていきますので、もうムリで食べられません。

 うーん、どうなんだろう、この方式!

と毎年思いますが、他に妙案があるわけでも無し、展示されていた肉が本当においしいかは、「ちんや」へご来店いただくより他ありません。

 よろしくお願い申し上げます。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

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茨城の日本酒をたのしむ会

 10/15に、国際観光日本レストラン協会で御一緒する、つくば市のⅠさんが、茨城の日本酒をたのしむ会を開催されたので、お邪魔をさせていただきました。

 Ⅰさんが経営されているのは「ホテルグランド東雲」と言って、つくば市の帝国ホテルとも言うべき、大変立派な施設です。

 茨城の蔵元3社の人も見えるとかで、直に御酒の説明も聞けるようだし、説明を聞いた後は気楽に飲んで食っていれば、それで良いわけだし、それに、つくばエクスプレスに乗ると、浅草からつくば市までは、39分しかかからないし、参加しない手はないな、と思って向かいましたところ、着いてすぐ、慌ててしまいました。

 Ⅰさんが、乾杯の発声をやって欲しいとおっしゃるのです。

 浅草からやって来て、たしかに珍しいかもしれないけれど、どうも参加している方は、地元の名士らしき方ばかりで、筑波山神社の宮司さんも見えているというし、どうも自分が乾杯じゃあ役者不足じゃないの、と思いました。

 でも時間がもう開宴直前だから、今断ったら他の人に頼むのが大変だろうなあ、弱ったなあ、と思っている内に、会は始まり、Ⅰさんの挨拶、蔵元3社の挨拶が終わってしまい、壇上に立たされました。

 皆さんの挨拶を聞きながら、ここは一つ冗談を言いたいけど、何かネタはないかなあ、と思いつつ出番を待っていました。そうしますと、Ⅰさんが、前回の「たのしむ会」は美人女社長の蔵元3社で、今回は「イケメン蔵元」3社だと紹介していました。

 この発言は実は冗談で(スミマセン!蔵元の皆さん)、今回は全国新酒鑑評会で金賞を獲った3社なのですが、これを急遽冗談のネタにすることにしました。マイクを持ち、

 「大先輩・大先達の皆様を差し置き、高い所に上がりまして恐縮ですが、今日は「イケメンぞろいの会」だそうですので、発声の御役は私がまさに適任であります。どうぞ、僭越を御勘弁願います!」

と申しましたら、2割くらいの方に笑っていただきました。

 いいんです、全員にウケなくても。その場を楽しくしたい、というこちらの思いが伝われば良いわけで、その意味では、無事任務を果たせたのかな、と思っています。

 宴会が始まると、浅草のすき焼き屋はそんなに珍しいのか、地元の名士の方々が次々にやって来て、名刺交換。もちろん、それだけで済むハズもなく、酌をされるので、かなりの量をいただきました。

 「グランド東雲」さんの御料理は、とても工夫のある、結構なものでしたが、そういう次第で、途中から記憶が・・・曖昧・・・です。

 Ⅰさん、板長、スミマセン。

  なお今回参加されていた蔵元さんは、下記の3社です。

 月の井酒造店さん(大洗町)、愛友酒造さん(潮来市)、木内酒造さん(那珂市)

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大阪会議

 10/14に国際観光日本レストラン協会のセミナーと食事会が大阪・北浜の「花外楼(かがいろう)」さんでありましたので、出席しました。

 「花外楼」のご主人Tさんが協会の関西支部長で、今回のセミナーと食事をとり仕切られました。全国屈指の格式ある料亭さんでの開催なので、大勢の方が見えていて盛況でした。

 「花外楼」さんと言えば、明治8年の「大阪会議」の会場であったことで有名です。「花外楼」という屋号も、その時に元勲・木戸孝允からもらったそうです。御店のロビーに孝允の揮毫が掲げられていて歴史を感じさせます。

 昨今NHKでは坂本龍馬をやっていて、また某総理大臣が高杉晋作を目指しているそうで、明治時代にフォーカスが当たっているようですが、フォーカスが当たっているのは、明治維新と言っても幕末であって明治元年以降ではないような気がします。

 筋書きに酔うあまり、倒幕・王政復古=ハッピーエンドと思っていただくと大間違いで、その後にこそ本当の苦心の時代があった、と言えると思います。

 おや、住吉、随分偉そうに語るじゃないかって?

 そりゃ、私は明治時代を生業にしているので、それなりに詳しいのです。以下、上から目線で、「大阪会議で有名」の「大阪会議」について、語らせてもらいます。東西東西!

 倒幕・王政復古によって、新政府が成立しますが、明治10年に西南戦争に勝つまで、その威権は確立せず、政情不安が続きました。

 明治6年の征韓論の問題で、薩摩の西郷隆盛、土佐の板垣退助、肥前の江藤新平が下野し、さらに7年の台湾征討問題で、木戸孝允まで辞職してしまい、新政府は窮地に陥ります。

 この時政府に残っていた実力者は、公卿の三条実美・岩倉具視と薩摩の大久保利通くらいで、しかも薩摩派の多くの人材が征韓論問題の時に西郷に従って下野してしまっていますから、随分心細い状態です。

 後に元老とよばれる伊藤博文らは居ましたが、まだ若く中堅レベルで、新政府を背負って立つ状況ではありません。

 内乱や暗殺事件も頻発する状態になってしまったので、大久保・伊藤らは、木戸・板垣をなんとしても政府に復帰させようと考えました。そして復帰を口説く場所として、「花外楼」さんを選びました。それが「大阪会議」です。

 接待付きの会議とイメージしていただくと近いかもしれません、あくまでイメージですが。

 結局、木戸・板垣が復帰を承諾したのは、大久保が自説を相当曲げて、木戸・板垣の政見を採り入れたからですが、「花外楼」さんの御料理でご機嫌を良くしたのも、もう一つの理由でしょう。

 これにより新政府は体制を建て直し、その後の内乱を乗り切ります。これほど歴史に貢献した料理は、あまり無いかもしれませんね。

 今回私たちも135年遅れて、その御料理のご相伴にあずかりました。激動の時代を乗り切るための気合が入ったことは申すまでもありません。

 これからリアルに私に会う方は、その御料理のパワーにお気づきになることでしょう。ひひひひ。

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すき焼き通の日

 毎年10月15日は「すき焼き通の日」です。

   「そんなの聞いてないよ!」と言ってもダメです。日本記念日協会に正式に認定されている記念日なのです。

 それと「すきやきどおりの日」じゃあ、ありませんよ。そんな道路はないですね。「すきやきつうの日」です。

 では、なんで毎年10月15日が「すき焼き通の日」なのか、ですが、それをご説明するには、平成17年に話しを遡らせないといけません。

 その当時、すき焼きについてまとまった本がないことを残念に思っていた私が、どなたか高名な方が、すき焼きのことを書いて下さらないかなあ、と思っていたところ、それを聞いて書いて下さったのが向笠千恵子先生でした。

 最初発表されたのは、雑誌の連載『すき焼き ものがたり』で、その連載は、月刊「百味」誌上にて、平成18年3月から20年4月まで掲載されました。

   この連載がその後、加筆・修整されて、平凡社新書『すき焼き通』としてまとめられました。それが、平成20年10月15日のことです。

 そしてさらに、その日この御本の、出版のお祝いの会を私の店「ちんや」で開いたことが、「すき焼き通の日」正式認定につながり、またすき焼き屋とすき焼き愛好家のグループ「すきや連」の発足へとつながっていきます。

  このお祝いの会の時、初めて全国からすき焼き屋さんが集結し、せっかく面識が出来たのだから、1回コッキリで終わらせるのはモッタイない。「すき焼きを味わいながら、日本の食文化を語り合う会をつくりたい」との話しが期せずして盛り上がり、「すきや連」が発足しました。

  その後「すきや連」の活動は順調以上で、例会を、21年2月に新橋

「今朝」さんで、7月に「浅草今半」さんで、10月に湯島「江知勝」さんで、22年3月には横浜の「太田なわのれん」さんで、22年7月には「ちんや」へ戻って「日本短角牛の、すき焼きを食す会」という具合に続けて開催してきました。

 毎回50人くらいの方が参加され、定員オーバーでキャンセル待ちが出るくらいの勢いでした。

  以上が「すき焼き通の日」と「すきや連」の由来で、こうした活動のために、私はこの五年間を過ごしてきました。あっ、と言う間に過ぎたような気がします。

   世は不景気ですが、こうした活動で、すき焼き業界に少しでも良いことがあれば、と思います。

  この次は、本当に「すき焼きどおり」を作るのもいいかもしれませんね。

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