大阪会議
10/14に国際観光日本レストラン協会のセミナーと食事会が大阪・北浜の「花外楼(かがいろう)」さんでありましたので、出席しました。
「花外楼」のご主人Tさんが協会の関西支部長で、今回のセミナーと食事をとり仕切られました。全国屈指の格式ある料亭さんでの開催なので、大勢の方が見えていて盛況でした。
「花外楼」さんと言えば、明治8年の「大阪会議」の会場であったことで有名です。「花外楼」という屋号も、その時に元勲・木戸孝允からもらったそうです。御店のロビーに孝允の揮毫が掲げられていて歴史を感じさせます。
昨今NHKでは坂本龍馬をやっていて、また某総理大臣が高杉晋作を目指しているそうで、明治時代にフォーカスが当たっているようですが、フォーカスが当たっているのは、明治維新と言っても幕末であって明治元年以降ではないような気がします。
筋書きに酔うあまり、倒幕・王政復古=ハッピーエンドと思っていただくと大間違いで、その後にこそ本当の苦心の時代があった、と言えると思います。
おや、住吉、随分偉そうに語るじゃないかって?
そりゃ、私は明治時代を生業にしているので、それなりに詳しいのです。以下、上から目線で、「大阪会議で有名」の「大阪会議」について、語らせてもらいます。東西東西!
倒幕・王政復古によって、新政府が成立しますが、明治10年に西南戦争に勝つまで、その威権は確立せず、政情不安が続きました。
明治6年の征韓論の問題で、薩摩の西郷隆盛、土佐の板垣退助、肥前の江藤新平が下野し、さらに7年の台湾征討問題で、木戸孝允まで辞職してしまい、新政府は窮地に陥ります。
この時政府に残っていた実力者は、公卿の三条実美・岩倉具視と薩摩の大久保利通くらいで、しかも薩摩派の多くの人材が征韓論問題の時に西郷に従って下野してしまっていますから、随分心細い状態です。
後に元老とよばれる伊藤博文らは居ましたが、まだ若く中堅レベルで、新政府を背負って立つ状況ではありません。
内乱や暗殺事件も頻発する状態になってしまったので、大久保・伊藤らは、木戸・板垣をなんとしても政府に復帰させようと考えました。そして復帰を口説く場所として、「花外楼」さんを選びました。それが「大阪会議」です。
接待付きの会議とイメージしていただくと近いかもしれません、あくまでイメージですが。
結局、木戸・板垣が復帰を承諾したのは、大久保が自説を相当曲げて、木戸・板垣の政見を採り入れたからですが、「花外楼」さんの御料理でご機嫌を良くしたのも、もう一つの理由でしょう。
これにより新政府は体制を建て直し、その後の内乱を乗り切ります。これほど歴史に貢献した料理は、あまり無いかもしれませんね。
今回私たちも135年遅れて、その御料理のご相伴にあずかりました。激動の時代を乗り切るための気合が入ったことは申すまでもありません。
これからリアルに私に会う方は、その御料理のパワーにお気づきになることでしょう。ひひひひ。
本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。
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