水郷

 国際観光日本レストラン協会の委員会が、大垣市の「天近別館ちかざわ」さんで開催されましたので、出席しました。

 ですので「ちかざわ」さんの御料理のことを最初にここに書くのが本来でしたが、昨日は血迷って、大垣駅ビルのことなどを書いてしまいました。今日は真面目に料理のことを書きましょう。

 さて大垣の周囲は「水郷」として知られています。木曽三川はじめ大小の河川が流れ、その地下には伏流水が流れています。

 自噴井戸の集中度合は全国有数だそうで、市は「自噴水の街」としてPRを展開しています。

 驚いたことに、「ちかざわ」さんで会議を待つ間に出された飲物は⇒名水。加賀野八幡神社の境内の井戸に湧く水ということでした。

 いやあ、これは美味いですねえ!と言っていると、近澤さんは会議の休憩時間に、神社までバスを出して下さいました。これは東京ではマネできません。

 もう一つ、「水郷」ならではの名物は川魚。

 特に郡上八幡の鮎です。

 木曽三川の一つ長良川は、全長136キロの大河でありながらダムのない川なので、鮎をはじめ色々な川魚が遡上します。餌は白山山系の火山岩に生える珪藻。この清流が、この辺りに独自の釣り文化・川魚食文化を育てているのです。

 特に長良川の鮎の中でも、その上流にあたる郡上八幡一帯の鮎は「郡上鮎(ぐじょうあゆ)」と別な名前でよばれており、一目おかれた存在です。

 今回は、その「郡上鮎」の「子持ち鮎」です。

 焼き方は「幽庵焼き」。鮎好きにはたまりません。

 さらにさらに、水が出るということは、酒も出来るわけで御酒も美味いです。

 名門「白扇酒造」の社長さんも会場に見えていて、ひとしきり酒談義。

 いやあ、酔っ払いました。

 うーい、ひっく。

追伸①

 9/30(日)に「すき焼き通検定試験」を実施します。

 この試験は「落とす試験」では勿論なく、すき焼きについて学ぶことを楽しんでいただく試験です。

 どなたでも受験できて、合格者には特典満載です。

 ただ今受験生募集中ですので、是非是非お受験を!詳しくはこちらです。

 申し込みは、明日まで、です。

追伸②

 藤井恵子さん著の単行本『浅草 老舗旦那のランチ』に登場させていただきました。
 不肖・住吉史彦が、「浅草演芸ホール」の席亭さんや、「音のヨーロー堂」の四代目とランチをしながら、浅草について対談する、という趣向です。

 他にも20人ほどの、浅草の旦那さんたちがリレー対談で形式で登場します。

 是非ご購読を! 平成24年6月3日、小学館発行。
 ご購入はこちらです。 (できればレビューも書いて下さいね!)

追伸③

  「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

 この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

 その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

 現在の笑顔数は300人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

 皆様も、是非御参加下さい!

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて939日連続更新を達成しました。毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

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両国広小路

 両国広小路で、軍鶏鍋を食べました。

 両国と言いますと現代では相撲をやっている所、というイメージだと思いますが、この辺りは、実はその昔江戸一の盛り場でした。

 その昔と言っても、かなり昔です。

 1657年の「明暦の大火」の後、両国橋両岸が幕府によって、「火除け地」とされました。「火除け」すなわち火事が延焼しない位、建物と建物の間の間隔を広げるわけですから、当然大通りができました。

 大通りですから「両国広小路」と言われるようになり、そこには見せ物小屋や商店、飲食店が軒を連ね賑わったと伝えられています。

 その名残りが老舗飲食店として、今も残っています。橋を渡って両国に参りますと、猪鍋の「ももんじや」さんとか、鶏鍋の「ぼうず志ゃも」さんなどがあります。「ももんじや」さんは、ビルの外壁に猪を吊るしていますから、知らない人が通るとビックリすると思います。

 でも歴史的には、より栄えていたのは、現在の墨田区両国つまり両国橋を渡った東詰めより、むしろ手前の西詰め、つまり現在の中央区東日本橋の辺りだったようです。

 その賑わいを復活させよう、という試みが、今行われています。特に隅田川を利用して、夏場に涼をとりつつ楽しんで貰おう、というイベントが行われています。

 それが「両国広小路桟敷(さじき)」です。

 隅田川護岸テラスの上に櫓を組み上げて⇒高床を作り⇒そこに畳を敷いて⇒宴会をするわけです。いい感じですよね。

 しかも、そこで出される料理が軍鶏鍋の名店「玉ひで」さんの鍋だと言いますから、行かない手はないですね。国際観光日本レストラン協会の仲間と一緒に行きました。

 「玉ひで」さんは日本橋人形町ですから、両国橋西詰めとは少し距離がありますが、久松町料理飲食業組合のエリア内なので、頼まれて出店なさっているそうです。まあ、細かいことは流しておきましょう。

 で、参りますと、「玉ひで」の御主人Y田さんがおいでではないですか。

 あ、Y田さん、ご無沙汰ですね、「ちんや」です!

 なんだ!住吉さん、このメンバーに入ってたの!そういうことは先に言ってよ~

 いやあ、御主人がここにおいでとは思わなかったもんですから。

 ああ、桟敷ではね、本店と同じ料理じゃなくてね、池波正太郎先生の「五鉄鍋」を再現するってことを実験的にやっててね、実験だから、自分でやってるんですよ。

 ほお、なるほどですね、この暑い中、御主人自ら大変ですねえ。

と、いうことで再現「五鉄鍋」が、「両国広小路桟敷」で始まりました。

 夏だから暑いのか、鍋の火力で暑いのか、判然としませんでしたが、最初から暑いのを覚悟して来ていますから、まあ、気になりません。

 そして鍋は、御主人自ら作って下さるのですから、当然、美味。

 良い夏の経験をさせていただきました。

 ちなみに「ちんや」があります通りも、両国と同じ事情で、「浅草広小路」と言われていました。

 現在は「浅草雷門通り」と言っていますが、「広小路」の方が、由緒があって、しかも何故この通りがひらけているか、理由がすぐ分かるので、私はそっちの名前が好きですね。

 浅草広小路の「ちんや」と覚えていただけたら嬉しいです。

追伸①

 藤井恵子さん著の単行本『浅草 老舗旦那のランチ』に載せていただきました。
 不肖・住吉史彦が、「浅草演芸ホール」の席亭さんや、「音のヨーロー堂」の四代目とランチをしながら、浅草について対談する、という趣向です。

 他にも20人ほどの、浅草の旦那さんたちがリレー対談で形式で登場します。

 是非ご購読を! 平成24年6月3日、小学館発行。
 ご購入はこちらです。 (できればレビューも書いて下さいね!)

追伸②

 「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

 この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

 その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

 現在の笑顔数は270人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

 参加者の方には、特典も! 

 皆様も、是非御参加下さい!

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて902日連続更新を達成しました。毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

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開催しました、第十二回「すきや連」

 第十二回「すきや連」を米沢市の「登起波牛肉店」さんにて開催しました。

 もう十二回なんだなあ、とつくづく思います。

 向笠千恵子先生の御本『すき焼き通』の出版を祝うため、関係者の皆さんに「ちんや」へお集まりいただいたのが、2008年10月15日でした。それが、「すきや連」のそもそもですから、今年の10月で丸4年です。

 その間世間では色々なことがありました。

 リーマン・ショック、黄蹄疫、焼肉屋食中毒事件、放射線問題・・・

 4年も続いてきて、しかも毎回絶好調に盛況なことが、我ながら「スゴい!」と思います。

 今回も50名ほどの、すき焼き屋さんとすき焼き愛好家さんが全国から集結しました。北は帯広、南は熊本から見えて下さり、実に嬉しいです。

 有名店さんもゴロゴロと参加しています。

 松阪の「和田金」さん、「かめや」さん、伊勢の「豚捨」さん、京都の「三嶋亭」さん、仙台の「かとう」さん、郡山の「京香」さん、熊本の「加茂川」さん、東京の「岡半」さん、新橋の「今朝」さん、「銀座吉澤」さん、「人形町今半」さん、浅草の「今半本店」さん・・・そこへ地元・米沢の皆さんが合流!

 大宴会になりました。

 詳しい様子は、明日から弊ブログに書きますが、今日はとりあえず、参加された皆さんの「一言」をお読みください。

<以下「一言」>

・すき焼きの鍋をかこみてはや十二回、いついつまでも囲みたしすき焼きの鍋の輪(向笠千恵子)

・ごちそうさま。ダラス先生有り難う。すき焼の味おいしかった。米沢牛、バンザイ(松田武朗)

・主役は肉、脇役はザク、縁の下の力持ちは調味料、監督は鍋奉行、小屋は拘りの店主ご主人と「すき焼き」は全てに気づかいされた日本の代表食~拍手!!(川井秀晃)

・念願の米沢牛すき焼き美味しかったあ~!!4年間恋こがれ、やっと来れました。尾崎さん、ごちそうさまでした♪(清水祐子)

・尾崎仁さん、ありがとう。今日はとても楽しいすきやきパーテイーです。地元の方もとてもすてきです。(柴田進吉)

・すきやきは匂いが食欲増進につながる素晴らしい料理です。(津田暁夫)

・すき焼き食べて金メダルだ!!がんばれ日本(高岡慎一郎)

・すき焼きがつなぐ笑顔を人の和。美味しい味と人情です。(小室邦秀)

・一品の重み(渡辺秀次)

・米沢牛の牧場の苦労を知り、登起波で頂くすき焼は素晴らしいです。(藤森朗)

・アーク牧場でも牛を育てようかと思いました。(橋本晋栄)

・すき焼にゴールはないと思います。どこで食してもそれぞれの味、個性があります。日本人に生まれて良かったです。(森大亮)

・山形の食文化、自慢の文化、ここ米沢の地は、家庭の肉の主は牛。味わい深い食を大切にして参りたい。(近清剛)

・初めての米沢牛楽しみです。(高橋万太郎)

・すき焼きは一番笑顔になれる料理だと思います。(佐藤和俊)

・米沢牛また食べたくなる味を求めておいで下さい。(板垣勝夫)

・米沢牛と郷土料理。伝統の味を受けつぎます。(来次信彦)

・尾崎様、この度はありがとうございます。あまりに美味でたくさん頂きました。(西村委代)

・葱とこんにゃく下仁田名産 すき焼きの脇役(島崎進)

・本たのしみに読ませて頂きます。(坂本敬子)

・米沢牛を改めておいしくいただきました。生産者・部位のちがいをたのしませていただきました。(九鬼紋七)

・米沢牛の歴史を聞きもっと知りたくなりました。感謝!(和田政司)

・上杉文化と米沢牛は観光の目玉となっています。食文化を語る時、地域の生産者や料理屋が一緒になり、より良いものを作り続けたい。(古山裕喜)

 ・チャールズ・ヘンリー・ダグラス 登起波のすきやき(伊豆川嘉規)

・時代が変化しても変わっていけない「すきやき」大事にしたい。(黄木修太郎)

・すき焼を食べると笑顔になり元気が出ます。命に感謝しいただきます。(鈴木和枝)

・牧場見学で優しい目の牛に出会い、育成に携わっている方々の心意気に感服!美味しいお肉の源は、いつくしむ心にあり。(森脇政子)

・世界の食文化にすきやきあり。米澤牛あり。(吉澤彰浩)

・人に良い食べる(鈴木直登)

 ・わざわざ米沢にお越しいただきまして、ありがとうございます。(尾崎仁)

 <終わり>

追伸①

 藤井恵子さん著の単行本『浅草 老舗旦那のランチ』に載せていただきました。
 不肖・住吉史彦が、「浅草演芸ホール」の席亭さんや、「音のヨーロー堂」の四代目とランチをしながら、浅草について対談する、という趣向です。

 他にも20人ほどの、浅草の旦那さんたちがリレー対談で形式で登場します。

 是非ご購読を! 平成24年6月3日、小学館発行。
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追伸②

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 この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

 その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

 現在の笑顔数は270人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

 参加者の方には、特典も! 

 皆様も、是非御参加下さい!

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて898日連続更新を達成しました。900日まであと2日です。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

またまた、カレーすき焼きの話し

 「茅ヶ崎館」さんの、カレーすき焼きの話しの続編です。

 小津安二郎監督所縁のカレーすき焼きは、「すきや連」の仲間の、松阪「かめや」さんとも御縁があることが判明しました。

 監督が 「茅ヶ崎館」さんで映画の仕事をしていた、昭和10年代~20年代は物資の乏しい時代でした。当時高級食材だった肉を手に入れるのは簡単ではなく、それでも映画の仲間に肉を食べさせたかった監督が頼ったのが、ご自分の郷里の仕入れルートだったようです。

 監督は、東京市の出身、ということになっていますが、それは実は、父上が転勤して来ていたからです。

 父・寅之助は、伊勢商人「小津三家」の縁戚で、本家から東京日本橋の海産物問屋「湯浅屋」と深川の海産物肥料問屋「小津商店」の両方を番頭として任されていたそうです。その時、監督が生まれたのです。

 のち一家が郷里である松阪に移ったため、監督は松阪町立第二尋常小学校に編入、中学校も地元、やがて映画を志して上京しますが、青春時代は松阪で過ごしたのでした。

 先日「茅ヶ崎館」さんをお訪ねした時、若旦那からこの話しを聞いた私は、早速、松阪「かめや」の若女将T代さんに確認してみました。

 そうしますと、メールが来て、

 「正解です。道先案内人が当時いまして、その方々のお陰です。現在でも小津家縁のお客様が、たまに、来店されてます。(中略)その旅館で、手前どもがお話に出るなんて嬉しいです。」ということでした。

 なるほど、「かめや」さんのルートで肉を手に入れていたんですね。

 「かめや」の若女将と、次回「すきや連」例会で映画談議をするのも一興ですね。

 楽しみです。

 追伸①

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ワイノット?

 『ワイノット?』という雑誌が創刊され、編集長が知人なので頂戴いたしました。

 この雑誌の編集長のY田さんとは偶然の知人です。

 5月の、「レストラン香味屋」のマダムの誕生会の時に席が向かいだったので、そこで知り合ったのですが、そもそも、その席割りはマダムK恵さんの勘違いでした。

 実はY田編集長は、浅草の有名履き物店の若旦那の知り合いだったのですが、K恵さんは私の知り合いと思っていたようでした。

 席割り表を見て、向かいの席に存じ上げない方の御名前があるので、私は、

 K恵さん、Y田さんって、どういう方?

と聞きに行くと、

 あら!ワインの雑誌をやってる方なんですけど、住吉さんのお知り合いじゃなかったかしら!

と気づいたのが開宴5分前。Y田さんも、もう到着されたので、その席割りのままで行くことになりました。

 ここで皆さんは、ようやく『ワイノット?』が、why-notでなくてwi-notだ、ということに気付かれたと思います。そう、『ワイノット?』はワインの雑誌です。

 5月の当時Y田初代編集長は、7月の創刊を目指して、追い込みの準備中でした。

 で、その内容は「ワインはニッポン!」

 つまり国産ワインを中心に編集する、という方針でした。それは、まさに私の日頃の考えと合致していましたので、色々とつっこんでお話しする内、

 御本が出来たら、是非買わせていただきます!

 いやいや、お贈りしますよ!

ということで、新刊本を頂戴することになりました。

 拝見して、内容だけでなく、体裁も立派。

 うーん、やっぱりワイン業界はリッチだなあ。

 Y田さん、ご創刊誠におめでとうございます。K恵さん、有り難うございました。

 皆さんも是非、ご購読を。

 ㈱メデイアボーイ醗酵イヤ発行。

 ISBN978-4-86388-116-7 

 追伸①

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カレーすき焼き

 料理雑誌『ダンチュウ』のカレー特集を読みました。

 『ダンチュウ』のMch田編集長は「すきや連」のメンバーで応援して下さるので、いつも購読しています。

 さて、今回の特集の中に、

 小津安二郎監督が愛した「カレーすき焼き」が紹介されていましたね。

 私は以前に、このメニューをツイッターで発見して気になっていました。そのツイートは映画関係者らしき方のツイートだったのですが、リツイートされて回って来たもので、直接ツイ主さんを存じあげなかったため、気になったまま放置していました。そうしましたら、今回の特集です。

 記事によりますと・・・

 小津監督が脚本執筆のために長逗留した『茅ヶ崎館』のメニューにあったそうで、小津はスタッフや俳優にも振舞ったといいます。

 田中絹代は絶賛し、池部良は憤慨。

 そのためか、池部はそれ以降小津映画には出演していないそうな。

 内容は、と申しますと、カレー鍋風かと思いきや、カレー粉が脇役程度に参加するような感じですかね。

 この方法を、実験してみないといけませんね。

 また、この話しの舞台『茅ヶ崎館』さんもステキな所のようです。

 創業明治32年(1899年)の老舗日本旅館で、その建物は国指定「有形文化財」として認定されており、明治・大正・昭和の風情を今に伝えています。

 是非一度訪ねないといけませんね。

 楽しみが増えました。

追伸①

 7/23から7/27まで「ちんや」は夏休みをいただきます。悪しからず、御諒承下さいませ。弊ブログは予約投稿により、更新してまいります。御愛読をお願い申し上げます。

追伸②

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 不肖・住吉史彦が、「浅草演芸ホール」の席亭さんや、「音のヨーロー堂」の四代目とランチをしながら、浅草について対談する、という趣向です。

 他にも20人ほどの、浅草の旦那さんたちがリレー対談で形式で登場します。

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 この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

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 現在の笑顔数は270人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

 参加者の方には、特典も! 

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まあまあ、舐めるだけ

 集団で飲食する場合、つまり宴会でどれだけ個人の好みを言って良いものでしょうか?

 例えば、「とりあえずビール!」に参加せず、他のドリンクを注文しても構わないでしょうか?

 以前は「とりあえずビール!」は絶対でした。飲めない人も、

「まあまあ、舐めるだけ舐めて、乾杯した後でお茶を頼みましょう」

というのが一般的でした。一人だけ別の注文をすると、その分配膳に時間がかかり、早く乾杯したい皆さんが白けてしまうからですね。ビールを酌されながら、

「舐めるだけですから、3mmだけにして下さい!」

などと言っている人を良く見かけました。

 やがて時代は移り、飲めない方(=アセトアルデヒド分解酵素を体内にお持ちでない方)は、「とりあえずビール!」に参加することを免除されるようになりました。

 日本人の約10%は、そういう遺伝的体質の方で、この方々は少量でも酒を飲めば、吐き気・動悸・頭痛が起こってしまうので、まあ、たしかに3mmであっても気の毒と言えましょう。

 「とりあえずビールとウーロン茶!」体制の成立です。

 ウーロン茶の分配膳に時間がかかり、早く乾杯したい皆さんが少し白けはしますが、ビールと冷たいウーロン茶の2種類だけで、その人数も、全体が30人なら確率的に3人位ですから、まあ、さほどの時間もかからないと思います。

 さて問題は、さらに細かい個別注文が可能か、です。

 冷たいウーロン茶じゃなくで、暖かい茶が良い方もおいででしょう。でも、湯で茶を煎じたら時間がかかりますね。瓶詰のウーロン茶を電子レンジでチンする方法もありますが、どうしてもその間全員が乾杯を待つことになります。

 そして「来るべきものが来ました・・・」

と、先日お訪ねした、すき焼き屋さんがボヤいておられました。

 そのすき焼き屋さん、30人ほどの、PTAのお母さん方の会合を受注したようなのですが、女将さんが、

 とりあえずビールとウーロン茶でよろしいですか。

と幹事さんに尋ねると、

 いえ!皆さん、ひとりずつ注文を決められます!

と言われてしまったそうなのです。

 で、女将さん、仕方なく注文を聞いてまわると、私はチューハイ、私はコーラとバラバラ。

 注文をすぐ決めてくれれば、まだ良いのですが、なかなか決められない人がいたり、決めた後で変更する人がいたりして、どうにも往生したそうです。

 この場合、どのドリンクがどの机の左からN番目の方か、キチンとメモして間違わないようにしないといけません。

 やっとこさ配膳して、結局、乾杯まで20分を費やしたそうです。

 その間、お母さん方は楽しそうに御歓談。

 ただ一人の男性客である、PTA会長だけが豊前としたイヤ憮然とした表情で、乾杯をするべく立ち尽くしていたそうな。

 末法の世ですな。

 南無観世音菩薩。

追伸①

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 他にも20人ほどの、浅草の旦那さんたちがリレー対談で形式で登場します。

 是非ご購読を! 平成24年6月3日、小学館発行。
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追伸②

 「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

 この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

 その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

 現在の笑顔数は270人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

 参加者の方には、特典も! 

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ベンチャースピリット

 福島県酒造組合さんが運営する学校「県清酒アカデミー」で1時間ほどの講演をしました。

 震災以来応援している「福島の酒」ですし、聞き手は醸造を志している若い方ばかりと聞き、一生懸命お話ししよう、と思つつ参りました。

 で、その翌日ですが、郡山市のすき焼​き屋さんに立ち寄ることにしました。

 8月に開催予定の第12回「すきや連」に、郡山の「京香」の御主人が参加して下さるものですから、事前にご挨拶にうかがった次第です。

 セミナーがあった会津若松から郡山に入り、地元の「笹の川酒造」さんとまず合流しました。「京香」の御主人のことは、「ちんや」と取引がある、「笹の川」さんが紹介して下さったのです。

 で、向かいますと、御店は駅から5分ほどの、町の中心部に在りました。

 ご創業は明治17年だとか。土壁の塀がまわり、かなり立派な店構えです。

 ここで「!」と思いますのは、明治17年に創業なさっていることです。

 だいたい、古いすき焼き専門店というのは、明治初期に既に都市化していた所(=東京・横浜・京都・大阪・神戸など)か、牛の産地(=松阪・米沢など)にしかないものです。

 ところが郡山は違います。

 江戸時代に宿場町ではあったものの、お城は無く、明治12年(1879年)に始まった、安積野原野開墾事業と安積疏水工事で発展が始まった町なのです。

 この工事のために、全国から失業士族が集められて、ようやく人が集まり始めたのです。だから明治初期には、大した町ではなかったのです。

 やがて明治16年に安積疏水が完成して灌漑開始、さらに今度は、その疎水の高低差を利用した沼上水力発電所が明治32年に発電開始、これで産業が発展します。一方明治20年に鉄道が開通したことで、郡山は発展の軌道にのります。

 明治維新の時点で郡山より都会だった会津若松や福島を抜いて、郡山が福島県下第一の都市・東北圏全体でも第二位の都市にのし上がったのは、そういう経緯です。

 会津と郡山で食文化が違うのも、こうした事情があるからです。

 会津では「赤ベコ」を尊重していて伝統的に牛肉をあまり食べませんが、郡山では食べます。で、その「食べます」の先駆者が「京香」さんの御先祖なのです。

 郡山で最初の肉屋さんがこの御店で、自前の食肉処理場まで持っていた時代もあったと言いますから、スゴいです。やがて、すき焼き部門が発展して今日至っています。

 ここで明治17年に「京香」さんが創業なさった時のことを想像してみましょう。郡山の、その後の発展を確実に見通せていたでしょうか。まず、かなりの冒険だったと思います。

 ここに明治のベンチャースピリットを観ることが出来ます。

 震災の時は、食器がたくさん割れるなどの被害があったそうですが、去年の4月にはもう再開されたとか。

 牛の放射線の全頭検査の体制も整って、復興を感じせてくれました。

 なお「京香」さんのすき焼きの「タレ」(=われわれが割り下と言っているもの)は、調味料だけでなく複雑な出汁スープを合わせるのが特徴。

 ザクのネギを他のザクとは別に盛って運んで来て、そのネギと肉を最初に焼くのが「ちんや」式と似ています。「ちんや」以外でこのやり方を見るのは、八王子の「坂福」さんに次いで2回目です。

 地のもの中心のザクには白菜も入っていて、〆はうどんを鍋で煮るのが決まりだそうです。

 御主人、「笹の川」さん、御馳走様でした!

追伸①

 藤井恵子さん著の単行本『浅草 老舗旦那のランチ』に載せていただきました。
 不肖・住吉史彦が、「浅草演芸ホール」の席亭さんや、「音のヨーロー堂」の四代目とランチをしながら、浅草について対談する、という趣向です。

 他にも20人ほどの、浅草の旦那さんたちがリレー対談で形式で登場します。

 是非ご購読を! 平成24年6月3日、小学館発行。
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追伸②

 「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

 この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

 その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

 現在の笑顔数は270人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

 参加者の方には、特典も! 

 皆様も、是非御参加下さい!

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて869日連続更新を達成しました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 Twitterもやってます。こちらでつぶやいています。

 

 

東山温泉の夜

 福島県酒造組合さんが運営する学校「県清酒アカデミー」で1時間ほどの講演をしました。

 震災以来応援している「福島の酒」ですし、聞き手は醸造を志している若い方ばかりと聞き、一生懸命お話ししよう、と思つつ参りました。

 さて「福島の酒」と申しましても、酒蔵さんは会津地方に多く、今回のセミナー会場は、県庁のある福島市ではなく、会津若松市の市内にある東山温泉街の旅館でした。

 以前は上野から直通の特急が走っていたのですが、今はなくなり、郡山から快速に乗ること1時間、着きますと、酒造組合の新城会長が出迎えて下さいました。事前に、

 大先輩の出迎えとかは、おやめ下さいね。

と申しておりましたのに、実に恐縮なことでした。

 会長さんは、震災以来獅子奮迅の御活躍で、お忙しく、お疲れでもありましょうに、相変わらずパワフルで、こちらが元気をいただく始末です。

 昼食の名物「ソースカツ丼」を御一緒した後、私の出番。

 内容は7/3~7/10まで、このブログに先行公開しましたので、皆さんお読みいただいたかと思います。若い生徒さん達も真剣に聞いて下さり、有り難いことでした。

 今年の「全国新酒鑑評会」で福島県は震災にも関わらず、新潟県に次いで全国2位の金賞数を獲得しました。金賞蔵数÷出品蔵数の金賞率は新潟より上です。

 この日の生徒さん達が、その後をしっかり継いでくれたら、と思わずにおれません。

 さて、これでようやっと肩の荷がおり、会長さんの蔵を見学させたいただいた後、東山温泉で、受講生の皆さんプラス組合役員の皆さん総勢80人の大宴会です。

 この宴会は、覚悟して臨んだ宴会です。

 何を覚悟って、御酌攻勢を、です。

 皆さん、自分の蔵の自慢の御酒を持って見えていますから、それを酌されて飲まないわけに参りません。

 水をペットボトル2本、宴会場に持ち込み、それを飲みつつ御酒をいただきましたが、やはり翌朝まで残ってしまった次第です。迂闊にも、二次会の用の水を用意するのを忘れたもんですから・・・

 東山温泉の芸者衆も頑張っておられて、感心しました。やはり風評被害の影響はゼロではないようですが、どうしてどうして、我々の他にも結構宿泊されている方がたくさんおいでで結構なことでした。

 いやあ、飲んだなあ。

 うーい、ひっく。

追伸①

 藤井恵子さん著の単行本『浅草 老舗旦那のランチ』に載せていただきました。
 不肖・住吉史彦が、「浅草演芸ホール」の席亭さんや、「音のヨーロー堂」の四代目とランチをしながら、浅草について対談する、という趣向です。

 他にも20人ほどの、浅草の旦那さんたちがリレー対談で形式で登場します。

 是非ご購読を! 平成24年6月3日、小学館発行。
 ご購入はこちらです。 (できればレビューも書いて下さいね!)

追伸②

 「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

 この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

 その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

 現在の笑顔数は270人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

 参加者の方には、特典も! 

 皆様も、是非御参加下さい!

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて868日連続更新を達成しました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 Twitterもやってます。こちらでつぶやいています。

 

 

 

 

 

Filed under: 飲食業界交遊録 — F.Sumiyoshi 12:01 AM  Comments (0)

金賞祝い

 「ちんや」の取引先であります「白菊酒造」さんが、平成​23酒造年度「全国新酒鑑評会」で金賞を受賞されました​。目出度いです。

ということで、当然やりました、「祝う会」を。

 当日は「白菊」の若旦那・K之助専務も勿論弊店へお越し下さり、​金賞受賞酒をご持参下さいました。さらに!今年の金賞受賞酒のみならず歴代の大吟醸を持ち込み、「飲み比べ」というから何とも贅沢でした。​

 実は浅草料飲組合のメンバーで、2月の終わりに「白菊」さんの蔵を見学させていただいたのですが、その時のメンバーが再度集まりました。

 プラス!金賞酒の酒米(=山田錦)を生産しておいで農家さんのご子息で、今は東京で働いておいでのナゴヤさんも御参加。料理屋は蔵元さんとの御付き合いは結構ありますが、酒米を作っている人と御一緒する機会はあまり多くはなく、有り難いことです。

 では、始めましょうか!

と思ったら、一つ問題点が。

 酒が多過ぎる・・ので・す。

 専務は 720ml瓶を手配した積りが、蔵の人が間違えて1.800ml瓶が何本も!

 の、飲み切らないですねえ・・・

 しかもテイステイングですから、飲み方がチビチビ、です。

 テストしてみると新しい年度の酒の方が、古酒化が進んでいるように感じたりして、その原因は、あーだこーだ、と話していると、あまり酒が進みません。

 ここで「ちんや」での一次会は終了。でも、まだまだ酒があるので終わりにするわけに行きません。

 で、当日出席していた、MZ口さんの御店へ。なんと、この日は定休日だったのに、裏口から入って、ストックしていた酒肴をつまみつつ二次会です。

 だって、普通の店に大量の酒を運び込むことはできませんから、団扇のイヤ内輪の店で飲むしかありません。

 ここでさらに、浅草の仲間を呼び出して人数を増強です。ここから、やっと酒呑みモードに入りました。

 いやあ、飲んじゃったなあ。

 旨かったなあ。

 御馳走様でした。

 追伸①

 藤井恵子さん著の単行本『浅草 老舗旦那のランチ』に載せていただきました。
 不肖・住吉史彦が、「浅草演芸ホール」の席亭さんや、「音のヨーロー堂」の四代目とランチをしながら、浅草について対談する、という趣向です。

 他にも20人ほどの、浅草の旦那さんたちがリレー対談で形式で登場します。

 是非ご購読を! 平成24年6月3日、小学館発行。
 ご購入はこちらです。 (できればレビューも書いて下さいね!)

追伸②

 「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

 この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

 その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

 現在の笑顔数は270人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

 参加者の方には、特典も! 

 皆様も、是非御参加下さい!

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて866日連続更新を達成しました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

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