2013年ワイン・オブ・ザ・イヤー

知人が編集長をしている、ワイン専門雑誌に出演させていただきました。

季刊の『wi-not?』という、ムック本でして、その創刊第7号に出演させていただきました。

出させていただいたのは「2013年ワイン・オブ・ザ・イヤー」というコーナーでして、内容は・・・

・2013年に飲んだ中で、最もおいしかった、印象に残ったワインの名前、ヴィンテージ をお教え下さい。

・上記ワインを飲んだ時の状況(いつ、誰と、どこで、どんな機会に飲んだか)をお教え下さい。

・上記ワインの味わいについて、どんな味か、印象含めてをお教え下さい。

ということでした。

酒なら何でも美味しく戴く私には、あまりフィットしない企画だよなあ、と思いましたが、『wi-not?』さんには、浅草のメンバーがぞろぞろ出させていただいたことがあり、その時とても楽しかったので、勇気をふるってお引き請けしました。さてお答えですが、

・2013年に飲んだ中で、最もおいしかった、印象に残ったワインの名前、ヴィンテージ

⇒2011年産シャトー・メルシャン(山梨県甲州市)「甲州きいろ香」

・上記ワインを飲んだ時の状況(いつ、誰と、どこで、どんな機会に飲んだか)

⇒新橋の、すき焼き店「今朝」さんで料理業界の勉強会がありました。ご主人の藤森朗さんは私などよりよほどワインにお詳しく、一番力を入れておいでなのはドイツワインなのですが、この日は国産。業界の名店ばかりが集まる会合でしたので、特に吟味なさったのが、このワインでした。

・上記ワインの味わいについて、どんな味か、印象含めて

⇒実は私の店でも甲州種の白をお出ししているのですが、この「きいろ香」は、日本酒の吟醸酒のような優しい香りがして、しかし酸味も楽しめました。

この日組み合わせたのは、牛と亀戸大根の煮込みでしたが、こうした味わいある料理にとても良いなあ!

と思いながら頂きました。実に結構でした。

輸入ワインの関税が無くなるとかですから、ますます国産を応援したいですね。

皆様も、そういうことでヨロシクです。

発行は、㈱メデイアボーイ。

ご購入は、こちら(アマゾン)です。

追伸①

単行本『東京百年老舗』に載せていただきました。

21人のフォトグラファーたちが、歴史と伝統を現在に伝える「老舗」の魅力を余すことなく写しだした写真集です。

時代が変わっても、変わることのない老舗の魅力が、ここにあります。

くわしくはこちら↓です。

 追伸②

ビジネスマンの方を対象に、忘年会に関する意識調査を実施させていただました。
目的は、もちろん、日本の会社の忘年会を、もっとワクワクするもの、もっと意義あるものにしたいからです。
忘年会は毎年惰性でやっている…では悲しいですよね。
ビジネスマンの皆さんは、どんな忘年会なら出席したいのか、逆に、どういう忘年会はパスしたいのか、
その答えがここにあります。
この調査結果は、そのための参考にしていただきたいと思います。
会社の忘年会から、この国を元気にしていきたいと思います。
さてさて、大ショックの調査結果はこちら↓から。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.372日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

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お弁当がございます

路上弁当問題というのが在るのをご存知でしょうか。

都心のオフィス街に車を止め、大量の弁当を積み上げて売っている、あの行商人のことです。

日本の一極集中化が進み、都心でオフィスビル建設が進んだのに合わせて、この10年間で業者数が倍増、その他に無届け業者も多数参入しているようです。

その路上弁当業者に、このたび東京都が規制を強化することになったそうです。

私の知人で、飲食店を経営しながら、中央区議会議員をしている人がいますが、その方は最近ずっと路上弁当業者への規制強化を訴えてこられていて、私もFBで経過を拝見して来ました。

今回、一定の成果があがり良かったと思います。

え? サラリーマンのワンコインの楽しみを奪うなんて、ひどいじゃないか! って?

その問題は料理業者同士の縄張り争いでしかないのに、政治が強い者の味方をするなんて、ひどいじゃないか! って?

ああ、もう! 

確かにマスコミは、そういう論調のようですが、安易に従わないでいただきたいです。

マスコミは庶民の味方=安いものの味方のふりをしてるだけです。

良く考えてみて下さいよ。

路上業者は、衛生上の規制を免れて、公道をタダで使っていますから、二重の意味で不公正です。

固定店舗の弁当業者なら、保健所のキチンとした御指導を守って営業しますが、路上は違います。だから不公正に安いんです。

弁当と言えば、色々な食品の中で一番食中毒が起こりやすいものなのに、真夏の炎天下で、保冷設備無しで売るなんて、在り得んテイーですよ、まったく。

それにですよ、道交法違反をしてますよね。

固定店舗なら負担している、家賃や固定資産税を負担してないんですから、単なる「飲食店同士の縄張り争い」ではなく、規制しても「自由競争の阻害」じゃあ、ないと思いますよ。

むしろ不公正を正すだけのことです。

庶民の味方ぶろうとするマスコミの悪癖がここに出ています。

だいたい、不公正に安いものは、結局必ず世に災いをもたらします。

この20年というもの、この国はその悪例の山を積み上げて来たというのに、いい加減、日本人は、そこから学ぶべきです。

たかがワンコイン弁当と言う勿れ。

値段は安くても不公正は不公正ですから。

おっと、私の誕生日だと言うのに、カタく成ってしまいました・・・

なんか、ジョークを言わねば。

誕生日お弁当ございます!

なんちって。

 

追伸①

単行本『東京百年老舗』に載せていただきました。

21人のフォトグラファーたちが、歴史と伝統を現在に伝える「老舗」の魅力を余すことなく写しだした写真集です。

時代が変わっても、変わることのない老舗の魅力が、ここにあります。

くわしくはこちら↓です。

 追伸②

ビジネスマンの方を対象に、忘年会に関する意識調査を実施させていただました。
目的は、もちろん、日本の会社の忘年会を、もっとワクワクするもの、もっと意義あるものにしたいからです。
忘年会は毎年惰性でやっている…では悲しいですよね。
ビジネスマンの皆さんは、どんな忘年会なら出席したいのか、逆に、どういう忘年会はパスしたいのか、
その答えがここにあります。
この調査結果は、そのための参考にしていただきたいと思います。
会社の忘年会から、この国を元気にしていきたいと思います。
さてさて、大ショックの調査結果はこちら↓から。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.370日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

 

 

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みなと横濱牛鍋処~第16回すきや連②

第16回「すきや連」を開催しました。

今回の会場は明治28年ご創業の、みなと横濱牛鍋処「荒井屋」さん。今回も50人以上のすき焼き関係者が集結して大盛況でした。

その時に参加者の皆さんに書いていただいた寄せ書きは、昨日の弊ブログに載せましたが、その中に、

「文明開化には私たち業界の御苦労があった・・・とても勉強になる卓話でした。」

というのがありましたね。今日は、その卓話の内容をご紹介しましょう。さて、

<卓話のテーマは>

 「幕末期の横浜居留地の外国人と牛肉―苦労した肉牛の仕入れと屠牛場の設置―」

 <講師の先生は>小林照夫先生

 関東学院大学名誉教授、日本大学大学院商学研究科非常勤講師、社会学博士

 <内容は↓>

「外国人居留地の開設後、牛肉を食べる文化習慣がなかった日本人(横浜人)は、色々と戸惑いを覚えた。特に屠牛後の骨等の廃棄が居留地の環境の悪化にもつながり、当時の社会問題にもなった。そんな当初の横浜の状況を踏まえながら、日本人にも牛肉が食されるようになった背景を語ります。」

この卓話の中で、私が初耳でしたのは、「生麦事件」と肉の関係のことです。

風が吹くと桶屋が儲かるように、「生麦事件」で薩摩藩士がイギリス人居留民を殺した結果、横浜の食肉産業が急速に発展したのです。

へええ!でしょう。

「生麦事件」についての詳細は、皆さんに自分で調べていただくことにして割愛しますが、とにかく、1862年(=文久2年)に起きた、この事件の結果、イギリス軍と日本は緊張状態に入り、居留地防衛のために多数の兵士が横浜へ入って来たのです。

兵数はフランス軍も加わって2.300人、12年間横浜に駐屯したそうです。 

現在「港の見える丘公園」という名前でデートの名所になっている辺りが駐屯地で、当時は「トワンテ山」と呼ばれたそうです。イギリス軍第20連隊(トウェンティー)がなまって「トワンテ」に成ったわけです。

「生麦事件」の後も、長州藩と4か国連合艦隊の砲撃戦など外国との紛争が続いた結果、兵数は増強され、港に浮かぶ軍艦の乗組員を入れると、約8.000人もの外国軍隊が横浜に集結していたそうです。そう、当時横浜は一大軍事拠点と化していたのです。

さて、これから桶屋が儲かります。

この駐屯軍が地域にもたらした経済効果が大きかったのです。

軍は、肉・野菜・小麦粉・茶・砂糖・炭・油・酒類などの食料日用品を調達し、兵舎での寝具類の洗濯・繕いといった仕事を公募しました。入札に参加したのは外国人商人でしたが、実際には地元の日本人が、その下請けをしたことも多かったようです。

さて、ここで皆さんは軍需物資の筆頭に「肉」が挙げられていることに気づきましたね。

横浜の食肉産業が一気に発展した理由がこれです。

明治維新後、この駐屯軍について日本政府は、独立国である日本に他国の軍隊が存在することは国際法上問題だとして交渉を続け、1875年に完全撤退となりましたが、地元民は収入源を失うので撤退を大変惜しんだそうです。

いやいや、勉強になりました。

勿論その後は、歴史を噛みしめつつの牛鍋大宴会。

加えて、女将さんは美女。幸せな一夜でした。

 追伸①

NHK総合テレビ『月刊やさい通信』に出演します。

※なぜ、すき焼きにシュンギクを入れるのか?

※すき焼におけるシュンギクの役割

という内容です。是非ご覧ください。

11月24日(日)朝6:15~6:45

11月28日(木)昼12:20~12:43(短縮版)

http://www4.nhk.or.jp/P554/

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

現在の笑顔数は373人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.358日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

 

茨城の七五三

11/10の朝方、茨城県南部を震源とする大きい地震がありました。最大震度は5弱。

震源に近い、つくば市の「ホテルグランド東雲」さんのことが気になって、FBで連絡をとりますと、

「揺れはひどかったんですが、短い揺れだったのでなにごともありませんでした。当社も本日はご婚礼、七五三盛り沢山です。有難いかぎりです。」

そうですか、それは良かったです。しかも・・・

「七五三でも招待者50名様以上が4組頂いています。ご満足いただける様、一生懸命頑張ります。」

「七五三で50名様」と聞いて驚いた人は多いと思います。そう、茨城は七五三がド派手なんです。「七五三披露宴」といった感じなのだそうです。お子さんは高砂に座らせるとか。

この傾向は、飲食店にとっては良い傾向ですね。

「ちんや」でも、ここ何年か七五三の後の食事で弊店を御利用いただくことが増えてきて、大変在り難いことだと思っています。同じ日にこちらは3組。

しかし東京はやはり身内だけの少人数です。

茨城の傾向を全国に拡散させたら良いと思うんですよね。日本経済のために。

ホテル業界の方!「七五三」を「七五三披露宴」に進化させるプロジェクトを推進したらいかがでしょうか。偽装メニューの名前を考えているヒマがあったら、そっちを考えた方が格段に良いと思いますよ。

え? 余計な御世話だ? そう言う「ちんや」では七五三に何かしてるのか って?

そうですねえ、あいにく千歳飴はないので、お子様には食育パンフレット「すき焼き百科」を差しあげています。

ただ・・・七五三=すき焼きって、果たして本当にフィットしているのか、こちらがまだ良く分かっていない・・・

たぶん、元々おじい様・おばあ様がすき焼き好きで以前から「ちんや」へ来ている、というパターンが多いのだろうと思っていますが。

追伸①

NHK総合テレビ『月刊やさい通信』に出演します。

※なぜ、すき焼きにシュンギクを入れるのか?

※すき焼におけるシュンギクの役割

という内容です。是非ご覧ください。

11月24日(日)朝6:15~6:45

11月28日(木)昼12:20~12:43(短縮版)

http://www4.nhk.or.jp/P554/

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

現在の笑顔数は370人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.348日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 
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媒酌人

その御方が御媒酌人だと知って、本当にびっくりしました。

浅草の、神輿・太鼓製造の老舗・宮本卯之助商店の若旦那の結婚披露宴に出席しましたら、以前弊ブログの2012年10月22号で書かせていただいた、春日大社の権宮司様が見えていました。

で、その権宮司様が、その日の御媒酌人だと言うのです。

へええ、です。

ちょうど一年前「国際観光日本レストラン協会」の研修会で権宮司様から神様への供物の説明を聞いていまして、その中に「浅草海苔」が入っていると知って驚いた私は、講演が終わった後の懇親会の時間に権宮司様に、この件を質問してみました。

その回答は・・・

奈良の酒を関東に送った後、その帰りの船に積んで来たんだと思いますよ。

という御返事でした。

実は17世紀の中頃まで、日本の酒造りの中心は奈良で「奈良酒」と言っていました。醸造技術は先進技術なので関東では発達しておらず、それで奈良から関東へ酒を送っていたのです。 

その頃には既に江戸湾で海苔が生産されるようになっていたので、奈良へ戻る船に積まれたのだろう、という権宮司様の説明でした。

その、一年前のやりとりを御記憶いただいているだろうか・・・

と少し心細く思いながらも、高砂に御挨拶にうかがいまして、

ちょうど一年前に浅草海苔のことをお尋ねした者ですが・・・

と名乗りますと、

ああ、「ちんや」さんでしょう、覚えてますよ。だって私は以前にオタクさんに行ったことがありますもん!

と在り難いことに覚えていて下さり、宮本さんの御縁で再会できまして、実に在り難いことでした。

「ちんや」の精肉売店ではアサクサノリの「浅草海苔」を売っていますが、これだけ有り難い御縁があるなら、ますます頑張らないといけませんね。

さらに申しますと、新婦の父上は「すきや連」メンバーで帯広の「六花亭」さんの御主人。これも奇遇でした。

末筆ながら、宮本家・小田家御両家の、ますますの繁栄を祈念申し上げます。

おめでとうございました。

追伸①

単行本『東京百年老舗』に載せていただきました。

21人のフォトグラファーたちが、歴史と伝統を現在に伝える「老舗」の魅力を余すことなく写しだした写真集です。

時代が変わっても、変わることのない老舗の魅力が、ここにあります。

くわしくはこちら↓です。

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

現在の笑顔数は370人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.338日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

 

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支配人さんの被災体験

「料飲三田会」の旅行で「スパリゾートハワイアンズ」に行ってきました。

フラガールがあまりに有名な「ハワイアンズ」ですが、そのショーを観る前に統括支配人さんの被災体験を拝聴しました。

大震災の発生時「ハワイアンズ」には1.000人以上の客がいたそうです。3.11宿泊予定の客はどんどん到着する最中でしたし、3.10に泊まってチェックアウトした後にプールなどで遊んでいる客もまだ居たからです。

あいにく東京出張中のオーナーからは、

とにかくお客様と従業員の安全を守れ!

と指示が来て、支配人は、そこに居た全員が帰れるまで宿泊させ、東京=いわきの道中の安全を確認しようとしました。

さいわい「ハワイアンズ」のライフラインは維持されていたので、とりあえず問題なかったものの、情報は大混乱。まったく状況が見えません。

そこで3.12なんと、支配人はスタッフに特命を与え、常磐道と郡山経由の東北道の2ルートを実際に東京まで走らせたそうです。

走ること12時間。東北道が比較的安全と判明。

これをうけて3.13、なんとか調達した計18台のバスの車列が、客を満載して東京へ出発しました。

道中の休憩地やトイレを精査。緊急事態に備えて車列の前後にはスタッフの乗り込んだ車を配置、非常食として土産物売り場の土産物をや山と積み込んで、一行は出発しました。

所要時間は13時間。

深夜に無事到着したとの報告が入った時、支配人さんは本当に「ほっとした」そうです。

さて、ここまででも大変なことなのに、その後も異常事態は続きます。

まずスタッフは自分自身が被災者なのに、自身の家は放置して客の対応に当たっていましたから、この後皆さん、ようやくそちらの対応にまわります。

ところが原発の事故があって、ホテルは避難民の避難所に。

その間4.11にはホテルのすぐ近くで非常に大きい余震=活断層のズレが起こり、ホテルの被害はむしろ、この4.11の方が大きかったそうです。

ホテルが営業を全面的に再開したのは、震災の翌年の2月でした。

そして今、2011.3.11から2年半がたちましたが、「ハワイアンズ」は満員の盛況です。

当日ホテルで震災に遭った客からは後日感謝と復興を願う手紙、メールが多数届き、従業員達を感激させ、奮い立たせているそうです。

あの日、ここにも英雄的な日本人がいたのだと知りました。

  追伸①

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追伸②

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この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

現在の笑顔数は366人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

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ハワイ

「料飲三田会」の旅行で「スパリゾートハワイアンズ」に行ってきました。

フラガールがあまりに有名な「ハワイアンズ」ですが、私は実は初めてです。

いわき市役所が手配して下さったバスで被災地訪問。「語りべ」さんの津波体験を拝聴した後、「ハワイアンズ」統括支配人さんお話しをうかがって⇒フラのショーという流れでした。

さて、そもそもこの地が「ハワイ」なのは、何の根拠も無いわけではなく温泉が湧いているからで、湧きますのは、この地の地下深くでユーラシア大陸プレートと太平洋プレートがぶつかっているからです。

そう言えば、先日、有馬温泉に行きました時、何故こんな所に温泉が在るんですかね?

と「御所坊」の御主人に尋ねましたら、その答えは「ハワイ」と同じでした。

有馬の地下深くで、ユーラシア大陸プレートとフィリピン海プレートがぶつかっているからでした。

「いわきは古代、海の中にあり、地盤や地殻の変動により海と陸を繰り返していました。そのため、水陸の生き物の化石が多数出土しています。そのころの海水が地中に閉じ込められ、現在、太平洋の海水や雨水などの循環水と混合され、ユーラシア大陸プレートと太平洋プレートのプレート運動の摩擦を熱源として温泉となり、湧出しています。」

なのだとか。

最近開発された温泉は人間が掘り出したものですが、古代から知られている温泉は、自然に湧き出ていたもので、有馬は「日本書紀」に、いわき湯本は平安時代の「延喜式神名帳」に載っているそうです。この二箇所に道後温泉を加えて「日本三古泉」と称するそうです。

なるほど、有り難や。

プレートは震災を引き起こす一方、温泉という形で人に恵みも与えるのですね。

「ハワイアンズ」は「現代版湯治体験」というプログラムを勧めていて、温泉利用方法について安全で適切な指導ができる「バルネオセラピスト[温泉保養士]」(日本温泉保養士協会認定)の資格を有しているスタッフが多数いるのだそうです。

ふむふむ、で、ここの温泉の適応症は何なのですかね・・・

神経痛

筋肉痛

関節痛

五十肩

運動麻痺

関節のこわばり

うちみ

くじき

慢性消化器病

痔疾

冷え症

病後回復期

疲労回復

健康増進

なーんだ! 気管支炎は治らないのか! ちぇ。

  追伸①

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皆様も、是非御参加下さい!

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摂津国有馬

その、有馬温泉の御方には3回驚かされました。

まず到着しまして、すぐ本が支給されたことです。

その本は、神戸に牛肉を普及させ「神戸ビーフ」の基礎を築いた外国人・キルビーとハンターの生涯に関する本「夜明けのハンター」でした。

キルビーとハンターは、青雲の志を抱いて開港直前の神戸にやって来ました。当時はまだ居留地も神戸港も建設が進んでいない状態でしたので、「兵庫にやって来た」というのが正確かもしれません。

で、キルビーとハンターは、最初のビジネスとして牛肉の販売を始めます。近隣の農村を回って牛を分けてもらい、それを屠畜して売ったのです。

その肉の評判を聞きつけた人物の中に、初代の兵庫県知事・伊藤博文=後の総理大臣がいて⇒博文の尽力もあって⇒「神戸ビーフ」が有名になって行った、という次第です。

その御方の旅館では、そういう経緯を踏まえ、「神戸ビーフ」を熱心に提供されていて、しかも伊藤博文が揮毫した書が客間にかけられているのです。

その書の文字は「高談娯心」。

「高い志の話をすれば、お互い気持ちが良くなる」という意味の言葉で、神戸の文化人たちはこの書の下で、すき焼きを食べることを習慣にしていた、と聞きます。

有り難いことに、その部屋に泊めていただき、すき焼きは現在は定番メニューにないそうですが、牛肉を食べさせていただきました。

こうして、支給された本を読み、博文の書の部屋で肉を食べた翌朝、その方=「御所坊」主人のKNIさんとお話しすることになりました。

そうしましたら、御主人は、こちらのブログやFBを調べていらして、

いやあ、実はお目にかかりたいと思ってたんですよ!

とおっしゃるので、二度目の驚き。

そして、三番目は、いただいたお名刺の住所が「摂津国有馬」となっていたことです。

この住所に関する事情は浅草と似ています。浅草は、江戸が出来る以前から存在していたのに江戸に吸収されて江戸の一部に成ってしまったのですが、有馬温泉も日本書紀の時代から在ったのに、戦後に神戸市に吸収されて、今は「神戸市北区」です。

しかし、御主人は歴史に誇りをもって、名刺の住所を「摂津国有馬」にしておられました。

へえ、有馬温泉が神戸市とは知りませんでした。

こちらも浅草が台東区とは知りませんでしたよ。

神戸ビーフを扱いながらも、土地の歴史はまた別なので正統に主張する、という方向は、まったく正しいことだと思います。

勉強になりました。

 

追伸①

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追伸②

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皆様も、是非御参加下さい!

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太神楽

太神楽を、初めて目の前で観ました。

太神楽(だいかぐら)とは傘の上で毬を回したりする、あの曲芸のことですね。

昔は正月のテレビ番組に必ず登場していましたし、浅草で商売しておりますと、正月に街を巡って来たりするのですが、まともに御座敷で観たのは初めてです。

太神楽についてこれまでは、正直、良い印象を持っていたわけではありません。正月の浅草の、殺人的に忙しい営業現場に入って見えると、業務が滞ること甚だしく、かと言って邪険にも出来ず、非常に往生するからです。

しかし、御座敷で酒を飲みながら観るとなると、話しは別儀でなかなか結構なものでした。

今回「料飲三田会」の通人UZHさんが、納涼会に太神楽師をポケットマネーで呼ぶとのこと、しかも女性で美人さんという前評判でしたので、私もノコノコと出かけてみました。

いや訂正。私は会の会計担当なので、欠席できないのです、はい。場所は向島の料亭「きよし」さんでした。

さて、宴も高輪プリンスいや宴もたけなわ、その方=鏡味味千代(かがみ・みちよ)さんが登場しました。

なるほど、クールな感じの美女。

しかし、いきなり「五階茶碗」。

台になる台茶碗を撥で顎の上に立て、その上にさらに板や茶碗、化粧房を積み上げていきます。後で聞きましたが、美神楽師、何か物体をみつけると、顎の上に立つか試してみたくなるそうな。

さらにです、撥をもう一本を付け足し、その撥の上に毬を載せ、そのまた上にさきほどの品物一切をまるごと載せてしまいます。「五階」というほどの、かなりの高さの物が顎の上に載ります。

曲芸!と言って良いと思うのですが、これは入門初期に覚える、若手の基本芸なのだとか。

定番の「傘の曲」も。

傘の上で回すものは毬だけでなく色々あるのですね。「何事も丸く治まる」鞠、「金回りがよくなる」金輪、「ますます繁盛」の枡など、みな縁起の良いものですね。

こういうものは、ホールでやるよりも御座敷で喜ばれそうです。

それから、「一つ鞠」。

またも顔の上に立てた撥の上から別の撥の上へ鞠を移します。派手さはないですが、少しずつ移していく辺りは辛抱が要るでしょうね。難度としては、これが太神楽曲芸の最高難度だそうな。

いやいや、Brava、大したものです。

しかし、皆さんの中の誰かに、傘をやって貰いましょう!

と言われたのには参りました。見惚れていたので、美神楽師と目が合ってしまったのです。

挑戦して、思いきり恥をかかせていただきました。

どうも冷や汗ですっかり涼しくなりました。結構な納涼会でした。

追伸①

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21人のフォトグラファーたちが、歴史と伝統を現在に伝える「老舗」の魅力を余すことなく写しだした写真集です。

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皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.282日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

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伊勢参り④

お伊勢様に参拝して参りました。

午前中の参拝でしたので、その前夜は鳥羽の旅館「戸田家」さんの御世話になりました。

「戸田家」さんは、国際観光日本レストラン協会の会員さんなので、遷宮でお忙しい最中なのに、協会の団体旅行を受け入れて下さいました。天保元年ご創業の歴史のある御宿で、お料理もお湯も、おもてなしも大変結構で、感心しながら過ごさせていただきました。

滞在中、色々なことが結構だったのですが、私が楽しかったのことの一つは、伊勢弁の鑑賞です。

特に深い理由はないのですが、私は女性が関西弁を話すのを聞くのが好きです。そう、深い理由は断じて無いのですが、好きなのです。

え、伊勢弁は関西弁なの って?

そうなんです、言葉は関西圏なんです。

伊勢は太平洋に面していて、現在は名古屋市と経済的繋がりが強いため、名古屋圏・中京圏という印象が強いですが、古い時代=名古屋が今ほど強大でなかった時代は関西圏の影響を強く受けていたようです。

「斎宮(いつきのひめみこ)」という女性皇族が伊勢に常駐していた時期もありました。天皇が代わるごとに、未婚の女性皇族の中から斎宮が指名されて伊勢に下っていたのです。

「伊勢弁は三重県北中部の旧伊勢国で話される日本語の方言で、近畿方言(=関西弁)の一種である。」

「伊勢弁は、概ね他の近畿方言と共通した特徴を持っており、発音やアクセントは京阪神のものに近い。」

ですので、みゃあみゃあ言わないのです。

二次会の席で、旅館が手配して下さった、接待係のコンパニオンのお姐さんが、一生懸命標準語を話そうとするので、

伊勢弁は話せないの?

と尋ねますと、

今日はチャンとしないとダメ!って、女将さんからクギ刺されてるんですう~

いいの、いいの、こっちは伊勢弁が聞きたいんだから!

伊勢弁は関西弁と同様に1拍の単語は殆ど無くて、

「蚊」は「かあ」、「毛」は「けえ」、「目」・「芽」は「めえ」と2拍になります。

「いえ」の音が動詞中に現れた場合に「ええ」に変化します。

例えば「見えへん」は「めえへん」に。

ほら、関西弁でしょう!

動詞の打ち消しは、「ん・やん」と「へん」の2種類を併用します。

例えば、書かん、書かへん、見やん、見やへん。

「〜ている」にあたる表現には「〜とる」を用います。

やっぱり、関西弁でしょう!

さて二次会が盛り上がってきました。勿論私は伊勢の食文化に興味があるのですが、こうした場合、ウカツにそういう話題を持ち出すのは気の毒なことになりかねません。今時はザンネンな食生活を送っている若い子が多いからです。

じゃあ、男にデートに誘われて行きたくない場合は、伊勢弁でなんて言うの?

ごめんなあ、やめとくわあ。

うう、気の毒な男。

追伸①

単行本『東京百年老舗』に載せていただきました。

21人のフォトグラファーたちが、歴史と伝統を現在に伝える「老舗」の魅力を余すことなく写しだした写真集です。

時代が変わっても、変わることのない老舗の魅力が、ここにあります。

くわしくはこちら↓です。

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

現在の笑顔数は361人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.278日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

 

 

 

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