つくられた異境

 先日、花巻へ行った時、電車乗り継ぎの待ち時間がありました。

 それで駅の本屋さんをひやかしていて「東北―つくられた異境」(河西英通著、中央公論新社刊行)を見つけ、帰りの新幹線で読もうと購入しました。

 この本の主題は・・・

=東北を辺境と位置づけ、後進性を強調し続けたのは、「国民国家たらんとした近代日本」である、ということです。つまり明治時代のことだ、というわけです。

 国をあげて近代化しようと進んでいる時に、その浸透が遅い地方=東北地方が存在すれば、疎ましいと思う気持ちは分からなくもありません。また明治維新の時に東北の諸藩は、ほとんど賊方だったため、その意味でも当時の統治者にとって、東北地方は疎ましく感じられたようです。

 それで、東北の人達を評する時に、今日の人権感覚では信じられない侮辱的な表現を使っていたようです。

 むしろ北海道の方が、近代化を強力に進めたので、明治人には親しみがあったようです。

 当時の都市人口ランキングでも、1876年に9位だった仙台は、1920年には12位に下がっています。逆に1876年に13位だった函館が1920年には9位に上がり、1876年にはランキング圏外だった小樽が1920年には13位に上がっています。仙台と小樽は、ほぼ並んでいますね。

 この数字から北海道の近代化ぶりがうかがえます。一方、東北地方の近代化には方言がネックになっていたようです。

 明治時代に起源のある店で働いている私としては、こうした事情もわきまえておかないといけないな、と、感じました。

 勿論現代に、こうした感覚のままで良いわけはありません。

 既に栁田國男が1926年に、東北の自律的で独自な歴史それ自体の探求をすること、その必要性を書いていたそうですが、今はそれが一層大事と思います。

 「実地の生活を自ら観察し考慮する者のために、大切な指導者たるべき歴史の科目が空であるゆえに、結局事情の大いに違った中央部日本の尻ばかり、追っていた」と書いていたそうな。

 うーん。

 そして、そうした探求は浅草のような街にも大事と思います。

 私自身も「大化の改新」とか「平安遷都」とか「応仁の乱」とか必死に覚えましたが、同じくらい必死に浅草の歴史を学んだことは無かったですね。

 あらためて、そのことを残念に思いました。

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大阪都

 大阪のダブル選挙で、「大阪都構想」の「維新の会」が勝ったと聞きました。

 「大阪都」なる、耳慣れない単語を持ち出して⇒新鮮味を醸し出し⇒旋風を起こしたハシモトさんの手腕には感心します。

 でも、「大阪都」って、私にはそんなに素晴らしく見えませんね。だってモデルの東京都自体が、そんなに素晴らしくないからです。

 公選区長と議会を備えた、23特別区の上に、東京都が乗っかる現体制って、やり安い体制とは思えません。一度でも区役所関係の仕事をした方なら、すぐそれに気がつくと思います。

 特に区境をまたぐ仕事がペケです。スカイツリー開業に合わせて、台東区=墨田区で連携するとか、谷根千(ヤネセン)地区を台東区=文京区で連携して盛り上げるとか、そういうのがペケです。

 それに都庁の方も、自分の領分はガッチリ守る、という役人スピリッツの豊かな所です。上野の街で上野公園と連携したいと考えた人は、これまで皆、この現実にブチ当たってきました。上野公園はバッチリ都庁の領分なので、台東区役所も口出しが難しいのです。

 だいたい「東京都」というのは、戦時中に東条内閣が、東京の税収とマンパワーを「国家総動員」に編入するために造ったものです。だから最初のトップは「東京都長官」と名乗っていたそうです。強そうですね。

 その体制を、戦後になって今度は逆に「分権」ということで、区ごとに選挙をするようになって、現在のような縄張りになったわけです。

 だから、どうせならハシモトさんは、弱くなった現在の都を真似るより、もっとスゴいものを造ったらどうだろう、と思います。

 東は京都、西は神戸、南は関西国際空港、北は伊丹空港まで、一人で独裁できる朝廷を開いて、帝位に就いた方が良いですね。グローバルな都市間競争が展開されている世界で、キタ区はどーで、ミナミ区はこーだ、とか言い出したら、笑われますよね。

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マナー

 仮定の質問ですが・・・

 あなたの御親戚に御不孝があって、それから1年がたち、喪主さんから一周忌の法要によばれたとします。墓参→法要の後には、高級料亭での食事が付いている模様です。

⇒それで「ほお、高級な店だ、楽しみだな」と思っていたところ、当日朝起きてみると、どしゃぶりの雨です。さて、あなたは次の靴の内どちらを履いて行きますか?

①一張羅の、5万円も支払った革靴

② ビニール製の、非常にダサいが防水加工の長靴

 さあ、考えてみましょう。

 料理屋的には②です。是非②を履いて下さい。

 理由は、申すまでもないですが、店内を汚さなくて済むからです。

 高級な革靴は、ある程度水をはじきますが、それでもどしゃぶりの雨の中、墓地を歩けば、ズブズブに成りますね。靴の中の靴下まで浸水しますから、その靴下で料亭へ上がれば、結構な廊下や畳に足跡を印してしまいます。

 墓参用の靴下とは別に、もう一足靴下を用意しておいて→店内で履く、という手もありですが、どしゃぶりの場合は、たいていスーツの裾まで汚れますから、座敷に座った時に、やはり汚してしまいます。

 堂々と、ビニール製の長靴をお履き下さい。

・・・なんてことを言うと、老舗はマナーにうるさくてウザいなあ、とか言われたりしそうです。それで、店の側も、だんだん客にマナー上のリクエストを言わなくなりました。それで、ますますマナーをご存じない方が増えているようです。

 たしかに「マナー」「マナー」と言うと、楽しくないかもしれません。言う方も、言われる方も。

 そこで御提案ですが、それも含めて「食文化」と考えてみては、どうでしょう。

 例えば、クラシックのコンサートは客が静粛にし、演奏中は入場しないことが文化の一部です。歌舞伎では客が逆に、盛大に掛け声をかけるのが文化の一部です。

 だから美しくセットされた飲食店に入る時は、足跡を作らないようにするのが、客の為す文化と言えると思います。

 だいたいですが、文化とか申すものは、客が代金をしっかり支払い、かつ適切な態度で鑑賞しないと滅びます。

 靴などの革製品も文化ですので、普段はそちらにもご高配を賜りたいですが、どしゃぶりとなれば、ビニール靴ですね。

 「マナー」「マナー」と言われると、なんか、腹立たしくて守りたくなくなるかもしれませんが、「文化」と思ってみたらどうでしょう。

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あさ開

 「武士の商法」とか「殿様商売」とか言うと、悪い意味で使いますね、普通は。でも繁盛している会社もあります。

 弊店が最近御酒を仕入れさせていただいている、岩手県盛岡市の蔵元「あさ開(アサビラキ)」さんがそうです。南部藩士だった村井源三という人が明治4年(1871年)に武士を辞め、酒造りを始めたのが、この蔵の起源だそうで、侍から商人としての再出発と、明治という新しい時代の幕開けにかけて、「あさ開」と命名したとか。

 その後、現在のこの蔵は、全国新酒鑑評会で連続20回入賞、その内16回は金賞を受賞しています。スゴいことです。どんな作り方をしているか、気になりますね。盛岡は母の故郷でもありますし、先日火曜日の定休日を利用して見学させていただきました。

 さて、新青森行きの東北新幹線「はやて」号に乗りますと、速いですねえ。2時間20分で盛岡へ着。子供の頃夏休みに盛岡へ旅行した時は、6時間かかっていましたが、今では日帰りは可能です。

 着きますと、あいにく御主人様は東京出張とかでお留守でした。こちらは火曜日しか遠出できないので、それは仕方がないことです。

 でも、その代わり「現代の名工」に選出されている、杜氏の藤尾さんが案内して下さいました。この御方は、「南部杜氏の至宝」と言われる方でして、恐れ多いことです。

 敷地内にある、御酒の神様に拝礼した後、工場へ入れていただきますと、

 近代的!

 この工場は、昭和63年に竣工した工場だとかで、ほとんど全ての工程をコンピュター制御できるようになっています。発酵タンクの温度が高すぎれば冷水を回し、低すぎればヒーターが付いて、温度を適切に維持します。

 全国新酒鑑評会は減点主義の傾向があるそうですので、こうした完璧な造りが高く評価されるのかもしれません。

 その近代的な酒蔵を、今年試練が襲いました。大震災による停電です。

 不幸中の幸いで、大震災は3月はじめの寒い時期で、もともと酒造りにちょうど良い季節でした。それで今回は電源を失っても、望ましい温度からわずかにズレただけで済んだそうですが、電気が来るまでの間、生きた心地がしなかったと「現代の名工」は話しておられました。

 機械化しても、そういうことがありますから、やはり最後にモノを言うのは、人間力ですね。

 で、御約束の、試飲。

 普通試飲した酒は吐き出して、酔わないようにして、試飲を進めて行きますが、この日は火曜日ですので、構うことはありません。搾りたての、加水も火入れもしていない酒、つまり蔵現地でしか飲めないお酒をいただきました。

 うまいです、当然ですが。

 しっかり頂戴しまして、すっかり気持ち良くなった頃には日も傾いてきました。次の訪問先=岩手県酒造組合さんの事務所に立ち寄って、帰路につきました。

追伸

 今日は私の誕生日ではありますが、皆さん、コメントには極力心を込めず、そっけなく、事務的にお願いします。

 一応おめでとう。

 とりあえずおめでとう。

などとお願い・・・します。

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わんこ蕎麦

 岩手県の花巻市へ行って来ました。

 花巻には、我々「台彪会」と同様に二条彪先生の経営セミナーを学ぶ「花巻 夢・企業家塾」という塾があり、「塾生会」を作っておいでですので、その皆さんにお目にかかってきました。

 その目的は、「ニッポン全国彪友会―台東万博!」のPRです。

 この企画は、壮大な企画です。

 全国の二条彪ファンが一同に集まり、勉強し交流し、また商売も広げていこうじゃないか!という大イベントです。24年4月20日に決行予定です。
 当日は、全国からお越しいただいた、社長さん方に、「台彪会」の会社何社かを、分散して見学をしていただいた後、浅草ビューホテルに集合し、先生の講演を聞き、その後に交流大パーティーとなる次第です。

 こうした形での、社長や後継者の皆さんとの広域交流は初めてで、どんな化学反応が起きるか、予想もつきません。

 その勧進元に「台彪会」がなるのです。

と、いうことは、その「台彪会」の会長である私が主催者という格好です。

 そうです、実は結構、エラいことなのです。

 で、「花巻 夢・企業家塾」さんを表敬訪問することになった次第です。他のグループを訪問するのは、滋賀県の「湖彪会」さん、「えどがわ起業家塾」さんに続いて、3回目です。

 さて、目的はそういうことですが、そのPR自体は10分もかかりません。 「詳しくはウェブをご覧下さい!」でおしまい。

 すぐに速攻で宴会へ。花巻信金のUさんがセットして下さったのは、「一見さんお断り」の、わんこ蕎麦。

 ほお、そんなわんこ蕎麦があるんだ!さすが花巻。

 まずは酒肴をいくつかつまみつつ、皆さんと熱いトーク。花巻の皆さんは大震災の被災地に近いため、惨状を身近に見知っておいでで、それだけに、この国をまた元気にさせたい、という意気込みがビシビシと伝わって来ます。こちらのテンションも上がりますね。

 そして、いよいよ「一見さんお断り」のわんこ蕎麦。

 どういうわんこ蕎麦かは、本当はナイショにしたいですが、カンタンに説明しますと、茹でたての、あたたかい状態のわんこ蕎麦でした。普通わんこ蕎麦というと、作り置きで、冷めた状態のものですが、この御店はホットわんこ蕎麦です。それを、どんどん茹でて出してきます。

 客の食べ具合にあわせて茹でて行くのですから、厨房は大変でしょう。

 これは大変そうだなあ、遠慮して食べようかな、とも思いましたが、結局食べてしまいましたね。ヒジョーに沢山。美味かったので。

 大ぶりの椀でしたが、20杯以上行ったと思います。薬味も、他の人の分まで使い尽くしました。

 御馳走様でした。おいしゅうございました。

 え? 要するに、宴会をしに行ったのか、って?

 ち、違いますよ。まったく、完全に。

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巨人軍

 ナベツネさんとキヨタケさんのバトルが話題になっていますね。皆さんは、この話しに興味がありますか。

 私も本当は、あまり興味が無いのですが、ブログのネタが足りないので書いてみることにします。

 さて、バトルの現状はと言うと、キヨタケさんの分が悪いように見えます。だいたいアメリカ風のGMとして、権限を握り・責任を負って仕事をしたければ、就任する時に、そのように決めて⇒契約しておかないといけません。

 役職名はアメリカと同じGMでも、実態は違っているわけで、巨人のGMというのは、実際、権限は無くて・責任だけ負う立場です。知れたことですよね。

 なにしろ巨人軍は、対外的に発表する文書の中で、GMの職務について規定は「定めていない」と言い放つ位ですから、堂々としたものです。その代わりに「高額の契約をする時は、読売新聞本社代表取締役の承認を得ること」と規定されているそうです。権限がハッキリしてます。

 だから最初から権限を握っていないのに、後になって、そもそも握っていない権限を侵害された、と主張しても難しいと思います。

 それにしても、マスコミの人というのは、自分がもめる時も、面白く揉めるものです。裁判するぞ、と言い合っているようですが、この話しって裁判するようなことですかね。

 キヨタケさんは解任されたので、その手続きに違法性があるかどうか、が焦点だと思いますが、どうなのでしょうね。

 一方、この話しを真面目な話しにすり替えようとしている方もいます。

 日本の球界に、GM制度は果たして育つのか?!

とか論争なさっていますが⇒無理だと思いますよ。

 だって、日本のプロ野球というのは、親会社の商品を売るための手段です。球団の成績が売れ行きを大きく左右するわけですから、親分は権限を現場に譲ったりしないと思いますね。

 それがイヤなら、まず球団の資本構成を変えないとダメでしょう。論争しても意味無いんじゃないでしょうか。

 そう言えば、最近「横浜ベイスターズ」が「モバゲー」の傘下に入りましたが、私的には、そっちの方が巨人より心配です。新オーナーのインタビュー記事を読みましたが、野球への愛情があるとは思えません。愛情ならナベツネさんの方があるんじゃないでしょうか。

 私は、その買収劇に横浜市も参加して欲しかった、と思っています。

 「ベイスターズ」球団株式の51%を、市がいったん取得して、その内の25%を市民に転売すれば良かったと思います。

 勿論、思いっ切り高く転売して、市の財政に貢献してもらいます。一方、購入した市民は球団オーナーの地位にあることを自慢できるようになります。スゴい誇りですよね。

 良いと思いませんか?

 え? 巨人の株は、今後も読売に持たせ続けて良いのか、って?

 そうですねえ、財務省で買ってもらってはどうでしょう?

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新党構想

 年の瀬ですね。年末恒例の行事と言えば、

 新党構想。

 今年は、国民新党のカメイ代表が、なにやら企画しておいでのようです。新党メンバーのリストなるものが、新聞紙上を賑わせています。

 秀逸だったのは、その構想について語った、コイズミ家四代目シンジロウ議員のコメントです。

=新党、新党って言ってるようですが、やってる人がちっとも新しくないですね!

 あっはっは。座布団1枚!

 お父上も良くジョークを言う方でしたが、四代目もジョークの効果を学習しておいでのようで頼もしいです。どうも、私がこの父子に好感を持つのは、こうした気の利いたことをポンポンと言うからかな、と思ったりします。

 勿論、笑いのツボは人によって違います。この「ちっとも新しくないですね!」というセリフにしても、年配の方から見れば「年寄り軽視」とも受け取られかねませんから、リスクのある発言です。そういうことを、ポーンと言ってしまえる所が、シンジロウ議員の人気の秘密なのだろうと思います。

 笑いのツボと言えば、私と父の笑いのツボは違いました。

 父も経営者ですから、会議や挨拶でジョークを言っていたような記憶がありますが、どうも面白く感じず、しかも何故かいつも復唱するので、無理にウケを狙っているような感じがして、イヤでした。

 そういうわけで、一度はジョークを言わなくなった私ですが、今は勿論違います。

 六代目を継いで以来、BSE問題・産地偽装事件・黄蹄疫問題・リーマンショック・大震災・エサの放射能問題・・・とたて続けに問題が起こり、そういう時期にも、なんとか気力を保つのに、ジョークが必要でした。

 だから、私のジョークは「帝王学的に継いだ」というより、辛い時代にやむを得ず始めたものです。まあ、旧ソ連時代の庶民のジョークみたいなものでしょうかね。

 私のジョークが面白くない、と思う方も多数おいででしょうが、そういう次第ですので、ご諒解賜りたいと存じます。

 さて、それではここで最近の作品を一つご紹介しておきましょう。

 実は先日、私の知人の「上野和裁」さんの主催で、「ちんや」で仁科亜季子さんのトークショーがありまして、私も冒頭に挨拶を頼まれました。

 最初に、仁科さんの肖像権について、主催者から参加者に注意があって、その次が私の出番です。

 女優である仁科さんの画像を勝手に撮ることは出来ず、特にスマフォ・写メなどデジタルなものは×ということでした。代わりに、仁科さんがポラロイド・カメラを用意して下さっていて、それを使った2ショット撮影は、OKとのことでした。へえ、なるほど。

 で、私の出番です。

 ええ、私が住吉史彦でございます。私も、ポラロイドなら構いません!

 まずまずウケたことを、皆様に御報告申し上げます。

 お後がよろしいようですので、この辺で。

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いらっしゃいませ!

 「いらっしゃいませ!」の意味を考えたことはありますか?

 まず最後の「ませ」を考えてみましょう。

 この「ませ」は、助動詞「ます」の命令形「ませ」ですね。だから「いらっしゃいませ!」は人に命令している言葉です。

 では、その前の「いらっしゃい」を考えてみましょう。

 これは、「いらっしゃる」の連用形ですね。「いらっしゃる」は、不規則な変化をする言葉で、連用形の時に「り」の r が落ちて、「い」になります。それで「いらっしゃい」なのです。

 つまり「いらっしゃいませ!」とは「さあ、おこしになってください」の意味です。

 でも、客がもう来ているのに「来い」と命令するのは変ですよね。

 店の外に店員が立って、

 「いらっしゃいませ!いらっしゃいませ!いらっしゃいませ!」と呼び込みをする場合は、「おこしになってください」の意味ですから、言葉の意味通りの使い方ですが、普通我々は、そうではなく、既に見えたお客様に対する挨拶の意味で使っています。変ですね。

 その変な感じは、「いらっしゃいませ!」を英語に置き換えてみると、よくわかります。

 接客英語辞典などには、

 May I help you ? とか、

 Hello とか訳してあります。ゼンゼン意味が違いますね。

 では、なぜ既に見えたお客様に対して、「おこしになってください」と言うのでしょう?

 あくまで想像ですが、その昔、客は店に着いても、すぐ店に入らなかったのかもしれません。

 お頼み申ーーす! とか客が言ったのを受けて、

 店員が、「いらっしゃいませ!」つまり、「さあ、どうぞ、店の中へ来てください」と言って、それから店の中へ入ったのではないでしょうか。

 歌舞伎を見ていますと、昔の店の入口には、誰もいないことが良くあります。現代の店は、たいてい入口にレセプターという第一次応対の係員がいますが、歌舞伎の場合、店員は奥にしかいないので、客は奥へ向かって大声で「お頼み申ーーす!」と叫び、その声を聞いて、奥から丁稚さんが出て来るのです。

 丁稚さんが子供である場合も多く、その場合は奥から表へ甲高い声で、

おはーーーーーい!などと返事をして、それからやがて表に出てきます。客は、その丁稚さんに下足を預けないと中へ入れないのです。

 だから丁稚さんは、下足を預かりながら、客に「さあ、どうぞ、店の中へ来てください」と言ったわけです。

 要するに、「ちんや」の下足番が「いらっしゃいませ!」と言うのは理にかなっていますが、もう個室の中に入ってしまったお客様に対して、仲居が「いらっしゃいませ!」と言うのは、やはり変なのです。

 では、なんて言ったら良いのでしょう。

 その適当な言葉が無いから困るのです。

 いっそのこと、

 May I help you ? で行こうかな。

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親切

 今年の内に、「自称すき焼き通を、公認すき焼き通に!」

ということで、11/27に第五回「ちんや」すき焼き通検定試験を実施しました。年内最後の検定です。

 合格されたのは、

 上垣内伸一さま、柿本元大さま、遠藤栄一さま、緒方秀年さま、鈴木路子さまでした。誠におめでとうございました!さて、

  「予約の段階で、親切にして差し上げた御客様ほど、後でキャンセルしてくる。」

 これを名付けて「住吉史彦の、キャンセル第一法則」と申しまして、レッキとした事実です。

 そんな馬鹿な!とお思いの方のために、状況を補足説明しますと、こういうことになるのは、お客様の何かの御意向に、「ちんや」側が副えない場合です。例えば・・・

 御み足が痛くて、和室にお座りになれないのだが、椅子席の個室が、全部埋まってしまっている。あるいは、

 肉が召し上がれない方がおいでだ(!)

というような場合です。

 和室にお座りになれない方のためには、背の低い腰掛を用意したり、その腰掛けが足りなくなれば、座布団を重ねたりと対応します。そう説明して、OKしていただくのですが、電話を切った後、お客様同士で相談なさって、それで結局キャンセルと成ります。

 肉が召し上がれない場合、ザクの分量を増やし、鍋をもう一台別に用意したりと対応いたします。そう説明して、OKしていただくのですが、電話を切った後、お客様同士で相談なさって、それで結局キャンセルと成ります。

 この話しは、要するには、自分の要望が全部通らない場合に、人がどういう洗濯イヤ選択をするのか、という話しです。

 御み足が痛くて、和室にお座りになれない、というのが動かしがたい事実で、「椅子席でなければ食事できない」ということであれば、「ちんや」の椅子席個室が、全部埋まっていると分かった時点で、もう予約は入れられません。即座に他の店を探さないといけないですね。

 でも、その方は店に予約を入れてしまってから、相談なさって、それで結局キャンセルと成ります。

 肉が召し上がれない方がおいでとわかっているなら、他の皆さんがすき焼きをしている間に、「一人だけ野菜すき焼き」で良いのか、電話をする前に検討しておけば良さそうものですが、その方は店に予約を入れてしまってから、相談なさって、それで結局キャンセルと成ります。

 「・・・」でしょう!

 むしろ親切にして差し上げない方が良いのかあな、と思ったりもしますが、そうもいきませんね。

 だから、この法則は有意に成立します、永遠に。

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前夜祭

 「三の酉」の日の前日に、新宿の懐石料理「柿傳」さんで、国際観光日本レストラン協会の理事会がありましたので出席しました。

 理事会の後は、当然のように結構な御料理と東北・茨城の御酒をいただき、司会者だったにも係わらず、ご機嫌になってしまいました。

 で、食事が終わりますと、御主人のYさんが「皆で酉の市へ行きましょう!」とおっしゃいます。

 え? 夜中の十二時までは、まだまだ時間がありますけど・・・

 新宿の花園神社でも、浅草の鷲神社に似た「酉の市」が開かれるのは知っていました。当然時間も同じで、24時から0時と思っておりましたら・・・

 ああ、「前夜祭」があるんですよ!

 ぜ、「前夜祭」ねえ、なんか名前が洋風ですが、そういうことなら参りましょう。

ということで、生まれて初めて浅草以外の「酉の市」へ出かけました。

 参りますと、既にスゴい人出です。金曜の夜ですからね。

 しかも、既に熊手を売っているではありませんか。

 「前夜祭」どころか、バリバリの本格営業です。うーん、融通きかしてるなあ。

 浅草でも「酉の市」の前日には、屋台や露天商が出て、「前夜祭」っぽくなっていますが、開門はあくまで0時で、皆さんは行列して待っています。熊手もまだ売っていません。神社の神事でありますから、それが当然なのですが、「利便性」という意味では、新宿の方が便利ですねえ。

 それに熊手商の皆さんにとっては、商売できる時間が長い、というメリットがありますね。

 「酉の市」は酉の日に開催されるので、年によって曜日が変わってしまいます。今回のように金曜の24時から土曜の0時までなら大賑わいですが、日曜の24時から月曜の0時までとなると、とたんに寂しくなります。日曜の夜中に出かける人は少ないですからね。

 その点、「前夜祭」をして、日曜の夕方から営業すれば、少しは売上を作れます。

 でもねえ、なんだかなあ。神事らしさが薄れますよね。

 まあ、浅草の「三社祭」も交通規制の関係で、本来の縁日ではなくて土日にやっているので、人のことを言えませんけどね。

 皆さん、どう思われます?

 神事らしいのが良いに決まってる!とお思いの方は、是非不便な日の夜中にお出かけ下さい。

 あ、今年はもう終わってしまったので、来年の話しですけどね。

 来年は、

「一の酉」が、7日(水曜)の24時から8日(木曜)の0時まで、

「二の酉」が、19日(月曜)の24時から20日(火曜)の0時までです。当然「二の酉」が不便でオススメです。

 来年は「三の酉」はありませんので、是非、「二の酉」へ。

 追伸

 本日11/27は、「すき焼き通検定」の試験日です。受験生の皆さん、頑張って下さいね。

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