つくられた異境
先日、花巻へ行った時、電車乗り継ぎの待ち時間がありました。
それで駅の本屋さんをひやかしていて「東北―つくられた異境」(河西英通著、中央公論新社刊行)を見つけ、帰りの新幹線で読もうと購入しました。
この本の主題は・・・
=東北を辺境と位置づけ、後進性を強調し続けたのは、「国民国家たらんとした近代日本」である、ということです。つまり明治時代のことだ、というわけです。
国をあげて近代化しようと進んでいる時に、その浸透が遅い地方=東北地方が存在すれば、疎ましいと思う気持ちは分からなくもありません。また明治維新の時に東北の諸藩は、ほとんど賊方だったため、その意味でも当時の統治者にとって、東北地方は疎ましく感じられたようです。
それで、東北の人達を評する時に、今日の人権感覚では信じられない侮辱的な表現を使っていたようです。
むしろ北海道の方が、近代化を強力に進めたので、明治人には親しみがあったようです。
当時の都市人口ランキングでも、1876年に9位だった仙台は、1920年には12位に下がっています。逆に1876年に13位だった函館が1920年には9位に上がり、1876年にはランキング圏外だった小樽が1920年には13位に上がっています。仙台と小樽は、ほぼ並んでいますね。
この数字から北海道の近代化ぶりがうかがえます。一方、東北地方の近代化には方言がネックになっていたようです。
明治時代に起源のある店で働いている私としては、こうした事情もわきまえておかないといけないな、と、感じました。
勿論現代に、こうした感覚のままで良いわけはありません。
既に栁田國男が1926年に、東北の自律的で独自な歴史それ自体の探求をすること、その必要性を書いていたそうですが、今はそれが一層大事と思います。
「実地の生活を自ら観察し考慮する者のために、大切な指導者たるべき歴史の科目が空であるゆえに、結局事情の大いに違った中央部日本の尻ばかり、追っていた」と書いていたそうな。
うーん。
そして、そうした探求は浅草のような街にも大事と思います。
私自身も「大化の改新」とか「平安遷都」とか「応仁の乱」とか必死に覚えましたが、同じくらい必死に浅草の歴史を学んだことは無かったですね。
あらためて、そのことを残念に思いました。
本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて643日連続更新を達成しました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。
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