東京都

日本地図を広げると東京都は小さいです。

しかし、すごく巨大な感じがするのは何故でしょう。

私は東京都台東区民ですから、台東区役所や議会を身近に感じるのが第一ですが、次に身近に感じるのは、都よりも国ですね、実際。

衆議院の小選挙区は小さく、そこから選ばれる方は身近に感じますが、都知事を身近に感じたことは、これまで一度もありません。

都民から遠い感じがするので、選挙もどうしても人気投票になってしまうのだと思います。

と、思っていたら、多摩ってもともと東京じゃなかったんですね。

1872年から1892年まで三多摩は神奈川県だったそうです。

1872年当時横浜にあった外国人居留地の外国人が「遊歩」して良いと定められた区域が多摩に及んでいたため、三多摩は神奈川県に編入されたそうです。

弊ブログの3/4に書きました通り、当時の横浜から八王子、群馬は「日本の絹の道」でつながっていましたから、つながりが深かったわけです。

この件を発案したのは、後の外務大臣で当時神奈川県知事の陸奥宗光だったそうですが、陸奥の構想力をうかがわせる一件ですね。

その多摩が東京に編入されたのは1892年。理由は、玉川上水の水利権や奥多摩地域の水源確保のためとされています。

三多摩の各首長は反対して辞表を提出したのに、内務省が法案を強行して→東京に編入されたそうな。

以来東京は膨張する一方。

いっそのこと高校野球みたいに、多摩は独立して武蔵県に成ったら、どうでしょうかね?

追伸

拙著は好評(?)販売中です。どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

題名:『浅草はなぜ日本一の繁華街なのか』

浅草の九人の旦那衆と私が、九軒のバーで語り合った対談集でして、「浅草ならではの商人論」を目指しています。

東京23区の、全ての区立図書館に収蔵されています。

四六判240頁

価格:本体1600円+税

978-4-7949-6920-0 C0095

2016年2月25日発売

株式会社晶文社 刊行

 

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.347連続更新を達成しました。

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私の浅草②

編集者をしている知人が、

『私の浅草』の新版を出しました!

と言ってきましたので、読んでいます。

『私の浅草』についての説明は、弊ブログの6/24号をお読みいただくとして、今日は『私の浅草』に出てくる戦前の浅草の洋食屋の様子について、です。

「春のお彼岸」によれば、

沢村家の墓参りの後の「精進おとし」は決まって洋食で、子供の「おていちゃん」は、それがとっても楽しみだったと言います。

お寺は中野でしたが、「宮戸座」の座つき作家だった父が、「浅草以外のたべもの屋には入らない」ため、浅草へ戻って来てから、「比良恵軒」という店に行くのが恒例だったとか。今は無い店です。

沢村家では「てんやもの」の洋食を取ることがたまにあって、父や兄はそれを食べていたのに、女はその数に入れてもらっていなかったので、洋食を食べるのは、こういう場合だけ。

おていちゃんは、トンカツを食べては、

「世界中どこに行っても、こんなにおいしい洋食はないに決まっている」

「早くまた次のお彼岸がくればいいのに・・・」

と思っていたそうです。

「洋食」が日本でフランスの料理であることから抜け出して、既に下町の庶民の食べ物に成っていたことが分かります。

巻末エッセイは千社札が有名な橘右之吉さん。

是非ご購読を。

平凡社ライブラリー841

ISBN9784582768411

 

追伸、

拙著は好評(?)販売中です。どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

題名:『浅草はなぜ日本一の繁華街なのか』

浅草の九人の旦那衆と私が、九軒のバーで語り合った対談集でして、「浅草ならではの商人論」を目指しています。

東京23区の、全ての区立図書館に収蔵されています。

四六判240

価格:本体1600円+税

978-4-7949-6920-0 C0095

2016225日発売

株式会社晶文社 刊行

 

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ホテル旅館組合

「台東区民新聞」を読んでいて、

おや!

と思いました。

普段この地モテイーな新聞は、

△△業組合が総会を開きました、とか、

〇〇N丁目町会が新年会を開きました、とか

××協会が忘年会を開きました、とかいう記事で埋め尽くされています。

♡♡副組合長の開会の辞で始まり、$$組合長の挨拶、δδ相談役の元気な乾杯・・・「三社〆」で賑やかに閉会した、といった感じの、基本的には毒にも薬にも成らない記事です。

しかし、6月5日号(通巻2781号)の上野ホテル旅館組合さんの記事は違いました。

「台東区議会は民泊規制を議決した。これは国の方針に反対していることになる」

「民泊に対抗する手段として見かけない外人などが出入りしている等々、町の怪しい動きを地元の区議に伝えること」

と至って政治的なことが語られているではないですか。

そう、台東区議会は普通に自公与党、区長も自民党ですが、民泊反対で旅館組合と足並みを揃えているのです。

東京一の観光区である台東区が「民泊反対区」であることを、私は声を大にして皆さんにお伝えしたいと思い、今日もこうしてまた書いています。

東京はパリの後を追ってはいけません。

今や、パリ市内の民泊物件は約6万件、ベッド数にして約20万床。11万床のホテルの倍近くなっているそうです。

貸し主が偽名で物件登録できるという仲介サイトの匿名性が、脱税の温床になり、それで安い宿賃を実現、既存ホテルを圧倒しているとか。

結果、ホテル業が衰退するばかりでなく、家賃上昇で→人が住みにくくなる、ということまで起きているとか。

「シェアエコノミー」なんて言葉は詭弁です。宿泊業界を、ルール無き無法の時代に戻すだけだと思います。

東京はパリの後を追ってはいけません。

頑張れ、ホテル旅館組合。

追伸、

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るろうに剣心

『るろうに剣心』には牛鍋屋のシーンがあります。明治初期の剣客の話しだからです。

この話しは和月伸宏原作の漫画が元々。シリーズ累計5900万部を超える大ヒットになったとかで、やがてアニメや実写映画になり、今度は宝塚にも成って、ただ今その宝塚劇場版が公演中です。

私は実写映画版をテレビで視て、牛鍋屋のシーンがあることを知りました。

さて簡単に筋を紹介しますと、

主人公の緋村剣心は、ある日夜盗の襲撃に遭ったところを飛天御剣流の師匠に助けられ、入門します。

やがて師匠と離れ長州藩の奇兵隊に入隊。桂小五郎の目に留まり人斬りとしての道を歩み出します。ついには幕末の京都で維新の大義のもと剣を振るい、「人斬り抜刀斎」として恐れられる存在になります。

このように剣心は、新しい世を創ることができると信じ、倒幕の志士として戦いますが、この戦いで新政府が成立すると私利私欲に走る者が出てくる・・・

こうして維新後「不殺」の誓いをたてて生きようとしていた剣心は、さまざまな色濃いキャラクターたちと巡り会って行きます。

例えば、東京下町にある神谷剣術道場を、父の死後一人で守ってきた娘の女剣士・神谷薫。医者一族の末裔で、成り上がりの悪党に加担している高荷恵。

その女二人と剣心が食べた料理が牛鍋でした。

さてさて、このブログは劇評ブログではなくて、すき焼きブログなので、筋そのものに興味のある方は東京宝塚劇場におはこびいただくとして、ここで問題なのは筋より、牛鍋です、当然。

残念ながら宝塚版では食べるシーンはなくて、牛鍋店の前で剣心と悪党が揉めるシーンだけらしいのですが、映画ではしっかり食べています。

味噌仕立ての牛鍋を。

当時は牛肉の質が悪く、屠殺も下手で、獣臭さがひどかったようで、その臭みを取るために桜鍋のように味噌煮込みにしていたそうです。

その後肉が臭くなくなるにつれて、鍋に味噌を入れる店は減ってきましたが、今でも横浜の「太田なわのれん」さんは味噌を入れています。

あれはあれで美味しいものですから、剣心の世界に浸りたい方は、どうぞお試し下さい。

追伸、

拙著が発売になりました。どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

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400字

料理業界の出版物の為に、文明開化の食について、400字に纏めて書いて欲しいと言われました。

よ、400字ですか、キビしいですねえ。

このブログの古くからの読者の方は、2010年7月4日号にそういうことを書いたのを覚えておいでかと思います。ですので、今回はそれを纏めに纏めて400字に致しました。

<以下お読み下さいまし>

アメリカの初代駐日総領事ハリスが駐在を始めたのは1856年のこと。領事館が置かれた伊豆下田・玉泉寺には、牛を屠殺した場所つまり日本初の屠殺場に供養塔が設置されている。そのハリスの努力で函館・新潟・神奈川・兵庫・長崎が開港、外国人居留地が設置され、その周囲の日本人に欧米の食文化が伝えられた。居留地近辺に開業した西洋料理屋の中には今日まで営業を続けている店もある。また各国使節や要人を饗応するために西洋人の料理人が来日するようにもなった。一方、外国人が肉を食べる様子を見て、従来隠れて肉を食べてきた日本人も次第に肉を大胆に食するようになる。江戸時代日本人が食べられた肉は、彦根藩の牛肉味噌漬や「ももんじや」の猪鍋などに限られていたが、幕末には牛鍋屋が次々と開業し始めた。明治維新後は政府は文明開化政策を採り、福澤諭吉が『肉食之説』を唱えたように知識人が肉食を啓蒙した。また軍隊が西洋料理を採用して兵に食べさせたことで、西洋料理・肉食が国民の隅々まで拡がって行った。

<終わり>

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北海道新幹線

今年「もめそう」なことシリーズは、もう止めにして、目出度い方の話題です。

3月26日に北海道新幹線が開業します。報道によりますと、

「JR北海道は、東京―新函館北斗間を最速4時間2分で1日10往復するダイヤを発表した。青函トンネルを貨物列車と共用するため速度を落とし、4時間を切れなかったが、沿線や観光業界の期待は高まっている。」

結構と思います。

ところで函館には、明治34年ご創業の「阿佐利」さんという老舗すき焼き店が在ります。

すき焼き専門店が在る土地は、牛の産地か、明治初期に既に都市化していた所のどちらかですが、函館はもちろん後者です。横浜や神戸と似た事情ですね。函館もすき焼きフルな土地柄なのです。

が、私は不勉強なことに未だ「阿佐利」さんに行ったことがありません。

ですので、是が非でも行かねばならないわけですが、悔しいことに先方にコネクションがないんですよね・・・

阿佐利さんというからには秋田県ご出身の人が始めたんでしょうか・・・

どなたかお知り合いの方がいたら是非ご紹介下さい。

4月か5月辺りに行ってみたいと思っています。

あ、これが今年の抱負ですね、一応。

追伸

年始の営業案内です。

年始=1月1日のみ休業し、2日から11日まで休まず営業致します。

どうぞ御利用下さい。

 

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与謝野晶子と百選会

サラリーマン時代の上司から久しぶりに連絡があり、自分が関わった展覧会の図録を贈るから読んでくれとおっしゃいます。

なんだろう?と思いながら待っていますと届いたのは、

髙島屋史料館開館45周年記念「きもの讃歌 与謝野晶子と百選会」展の図録でした。

この展覧会は与謝野晶子と「高島屋百選会」の関わりをまとめたもので、図録は180ページにも及ぶ立派なもの。素晴らしいお仕事です。金字塔と言って良いのではないでしょうか。

「百選会」とは、呉服の新作を披露する催事で、1913(大正2)年か1996年まで戦時中をのぞき毎年続けて開催されていました。毎年趣意(テーマ)や流行色、標準図案(デザイン)を設定して、新機軸のきものデザインを公募・審査して、入選作を展示するというもので、単なるデパート催事を超えたファション発信運動とも言うべきものでした。

その「百選会」に、与謝野晶子は顧問として長期間関わり、審査をするだけでなく、多数の短歌を詠みましたが、その短歌は、これまで与謝野の過去の全集などにほとんど掲載されず、忘れられた存在だったそうです。与謝野研究の方面から観ても新発見だというのですから、さらに素晴らしいことです。

私の上司は、この「百選会」を運営する「本社業務部」に在籍して、のち「本社美術部」に移って私と一緒になりました。定年後、昔の「百選会」の資料を整理しておられたとは知りませんでした。

図録を拝読して、これだけ熱を帯びた仕事が、これだけ長期間に渡って続いて来たことに圧倒されましたが、しかし残念なことに私が辞めた年に「百選会」は中止になっていたようです。知りませんでした。

それから20年以上たちますから、きっと現役の社員さんでもこのことを知らない人が多くなっているのでしょうね。

この展覧会を機会に、多くの人が知ってくれたら良いですね。

追伸

肉の情報ポータルサイト「肉メディア」で、私の連載が始まりました。

題して、「大人のすき焼き教科書」。

弊店でリアルなイベントも企画しています。

こちらから、どうぞ、ご覧下さい。

 

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昭和史

半藤一利さんの『昭和史』を読みました。

「今こそ読み直すべき一冊」という宣伝文句に惹かれて購入したものの、戦前篇、戦後篇を合わせると1.100ページ以上もある長大な御本です。はたして読めるかなあ、と心配しましたが、その心配は杞憂でした。

この御本の元は授業形式の「語りおろし」でして、口語体で語られているのです。講談みたいと言っても良いくらいです。

例えば終戦時のアメリカ大統領トルーマンについては、

「・・・トルーマンはミズーリ州出身の田舎のとっつぁんです。戦争中、副大統領の時にルーズベルトが突然死んでそのまま大統領になったものの、実は日本のことなど何も知らず、関心もなかったのです。まして愛情など少しもなく、だから原爆を落としたと言えるところもあるような・・・」

といった調子でして、実に面白く一気に読み切ってしまいました。

読了して、うーむ、と思いましたのは、日本四十年周期説です。

明治維新(1867年)から日露戦争の勝利(1905年)までがおよそ四十年。

日本人特に軍部がこれで慢心して、

日露戦争の勝利(1905年)から太平洋戦争の敗北(1945年)までがまた四十年。

戦後、独立回復(1952年)からバブル経済の絶頂(1992年)までがまたまた四十年。

またまたこれで日本人は慢心して「日本の失われた時代」の現在へ。

この説に従えば、2032年あたりまで日本は浮かばれないということになります。

うーむ。

ちなみに、この本に浅草が登場したのは、

1945.3.10の大空襲の件と、

戦後1947年に六区のロック座がストリップ・ショウを始めた件の2件でした。

 

追伸

慶應義塾の機関誌『三田評論』の10月号に出演させていただきました。

『三田評論』には毎月「三人閑談」といって、三人の卒業生が対談するコーナーがあるのですが、今月のテーマが「和牛を食す」で、そこに入れていただいた次第です。

『三田評論』は基本的には定期購読者のみが読む本ですが、紀伊國屋書店の新宿本店で小売りしているそうですから、ご興味のある方はどうぞお求めください。

 

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文豪とすき焼き

すき焼きに関する連載の依頼を頂戴しまして、色々調べています。

その中に「文豪とすき焼き」という御題がありました。

浅草に縁のある文豪と言えば、永井荷風と川端康成ですが、荷風についてはあまりに有名で今更なので川端康成について調べてみましょう。

川端康成は、

・父親の虚弱体質を受け継いだ上、月足らずで生れたため、生育の見込みがないほど病弱で食が細く・・・

・食が細く、しかし食に対してのこだわりは鬼気迫るものがあったそうだ。弁当を食べる時は、一度に食べてしまわずに、箸で4つくらいの筋をつけ、何度かに分けて楽しそうに食べていたという・・・

と書かれています。

しかし、その一方で「食通として名高い」と言われたりしています。山の上ホテル内の天麩羅屋「山の上」には頻繁に行っていたようで、モタレなかったのでしょうか、不思議です。

『浅草紅団』という作品には、

「浅草公園でただ一軒の夜明し店の、あづま総本店で牛鍋の朝飯を食べているうちに、ラヂオ体操の号令が聞えて来た」

というくだりがあります。朝からすき焼きOKだったのですねえ。

また一方の森鴎外には『牛鍋』という短篇があります。

「鍋なべはぐつぐつ煮える。

牛肉の紅くれないは男のすばしこい箸はしで反かえされる。白くなった方が上になる。

斜に薄く切られた、ざくと云う名の葱ねぎは、白い処が段々に黄いろくなって、褐色の汁の中へ沈む。

箸のすばしこい男は、三十前後であろう。晴着らしい印半纏しるしばんてんを着ている。傍そばに折鞄おりかばんが置いてある。

酒を飲んでは肉を反す。肉を反しては酒を飲む。

酒を注いで遣やる女がある。

男と同年位であろう。黒繻子くろじゅすの半衿はんえりの掛かった、縞しまの綿入に、余所行よそゆきの前掛をしている。

女の目は・・・」

という感じで続きます。

しばらくの間鍋を食べる光景が詳細に描写され、突如として、浅草の話しになります。

「浅草公園に何とかいう、動物をいろいろ見せる処がある。名高い狒々ひひのいた近辺に、母と子との猿を一しょに入れてある檻おりがあって、その前には例の輪切わぎりにした薩摩さつまいも芋が置いてある。見物がその芋を竿さおの尖さきに突き刺して檻の格子の前に出すと、猿の母と子との間に悲しい争奪が始まる。」

見せ物の動物がエサを取る様と牛鍋を比較して、人や獣の本性を語ろうとしています。

うーん、文学的。

私のブログのネタには合いませんな。生憎でした。

追伸、

すき焼き思い出ストーリーの投稿を募集しています。

すき焼きは文明開化の昔から、日本人の思い出の中に生きてきた料理です。でも残念ながら、その思い出話しをまとめて保存したことはなかったように思います。

ご投稿くださったものは、「ちんや」創業135周年を記念して本に纏め、今後店の歴史の資料として、すき焼き文化の資料として、末永く保存させていただきます。

どうぞ、世界に一つだけの、すき焼きストーリーを是非、私に教えて下さい。

投稿〆切は9月末日です。

既にご応募いただいた、50本のストーリーはこちらです。

 

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肉養生

うー、暑いですねえ。

今年も、私は寒暖差蕁麻疹と寒暖差喘息に悩まされています。

皆さんも、バテ気味と存じますから、弊店では、

「肉養生」をテーマに販売促進をさせていただいております。

手前味噌ですが、我が義塾の福沢先生は、

「今我国民肉食を欠いて不摂生を為し、其生力落す者すくなからず。即ち一国の損失なり」

と言っておいでです。

我々日本国民の中には肉を食べないで、体力気力を落としているものが少なくない。これは国の損失である、ということですね。

肉食をしないのは不摂生とまで言ったそうな。

いやいや、まず私から肉養生しないとなあ。

追伸、

すき焼き思い出ストーリーの投稿を募集しています。

すき焼きは文明開化の昔から、日本人の思い出の中に生きてきた料理です。でも残念ながら、その思い出話しをまとめて保存したことはなかったように思います。

ご投稿くださったものは、「ちんや」創業135周年を記念して本に纏め、今後店の歴史の資料として、すき焼き文化の資料として、末永く保存させていただきます。

どうぞ、世界に一つだけの、すき焼きストーリーを是非、私に教えて下さい。

投稿〆切は9月末日です。

既にご応募いただいた、50本のストーリーはこちらです。

 

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