逆転の発想=浅草寺平成本堂大営繕美観プロジェクト

 中学時代の友人が、このブログの5/17号に、こんな投稿をしてくれました、

 「浅草寺の葺き替え工事、あの防音幕というのでしょうか、あの幕の竜の絵、あれはあれで迫力があり、終わったら処分してしまうのか、もったいない と思ってしまいます。
だからと言って、「じゃぁ 持って行くか」と言われても、即答でお断りするしか。。。
11月末までですか…、完成する前に、カメラ持って行かないと。」

  この「幕」というのは、いま本堂周囲を覆っている工事壁のことですが、その工事壁に素晴らしい加彩がされているのです。以下、浅草寺のホームページから転載ですが、

  「この度の本堂大営繕では、ご参詣の皆様の安全を第一に考え、また建築上の必要性を満たすため本堂周囲を完全に工事壁で覆っております。
  当山といたしましてはこの外観に彩り(いろどり)を添えたく考え、この度「平成本堂大営繕美観プロジェクト」 としまして、多くの企業・団体のご奉納を受け、日本を代表するデザイナー山本寛斎氏率いる「株式会社寛斎スーパースタジオ」にご協力を依頼いたしましたところ、本堂外陣天井にあります、川端龍子画の「龍之図」 をモデルとした巨大な金龍の絵が山本寛斎氏のプロデュースにより本堂正面に掲げられることとなりました。」

 そういう次第で、本堂正面の工事壁に描かれた、金の龍は、縦:10.2m×横:32.7mもあって、それ自体が、かなり立派で見ごたえあります。(その写真は、浅草寺のホームページでも見ることができます。)

 実は、浅草に居る我々としては、「今年は観音様(=浅草寺のこと)が工事中だから、観光客が減るに違いない、当然営業的には寂しいだろうなあ。」と思っていたわけです。

 でも、発想を逆転すると、この龍は、この時期(=今年の秋まで)しか見られない、期間限定の、貴重なものです。本堂が完成してしまうと、なくなってしまいます。

 東京スカイツリーについても、「建設中の姿を見ておきたい」という方がたくさん見えていますから、建設中の、期間限定の龍を見ておきたい、と思う人がいても当然ですよね。

 そういう発想がなかったですね、浅草的には。

 このブログを読んだ方が、龍見物に、お越しいただけたら有り難いです。

 ところで一番気になる、本堂が完成した後、龍の命がどうなるのか、ですが、

  それはですねえ、

 「天空に舞いもどる」ということで、よろしくお願いいたします。

 正確にお答えすると夢を失っちゃいますからね。仲見世商店街のF会長に確認したところ、捨てるわけではないそうですので、ご安心を。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

*観音様(=浅草寺のこと)のホームページはこちらです。龍の写真も載っています。

このブログの5/17号も、お読み下さい。

修学旅行

 5/21は、月に1回の「雷門横丁一斉清掃」の日でしたので、朝から出動しました。先月とは違って、暑くも寒くもない陽気で、気分良く運動不足解消させてもらいました。

 ところで、5月の浅草は、修学旅行シーズンです。私たちが中高生の頃は、修学旅行と言えば、夏場の7月がお約束でしたが、昨今は5月です。教員をしている友人に聞いたところでは、4月にクラス変えをして、そのクラスの中に派閥ができない内に、つまり5月中には、修学旅行に連れていく必要があるんだとか。中高生も厄介になったものです。

  それと、もう一つの変化は、生徒全員が一箇所で食事するわけではないことです。生徒がグループにわかれて食事するようです。だから、食べる店は、大きな店でなくても良いわけで、雷門横丁(「ちんや」のすぐ北側)の、もんじゃ焼き「おすぎ」さんなどは、この時期大繁盛です。

  「おすぎ」さんと言えば、そうです、このブログの4/17号に書いた、浅草雷門横丁振興会会長の、U子ちゃんの御店です。修学旅行生の間では、なぜだか、もんじゃ焼きが大人気だそうで、出勤途中にチョイト覗くと、朝から大忙しの様子です。

  「食育」という意味でも、中高生は大事ですから、もんじゃ焼きに対抗して、すき焼きも頑張らねば、と思い、「ちんや」も「手作り工房マップ」に登録しました。「手作り工房マップ」のことは、3/13号にも書きましたが、台東区役所が作っている、見学・体験をできる区内の工房のリストのことです。

 見学は大人数で一度にはできないのですが、このマップで「ちんや」を見つけて来た人は、修学旅行生はもちろん、歓迎したいと思っています。

  小さいうちから、すき焼きなんて贅沢は教えられない、という親御さんもおいでのようですが、お子さんが、変な味覚を身につけてしまってからでは遅いと思います。昨今では、いくらでもバケ学的に味を作り出せますから、そういう味を覚えていただいては困ります。

 是非、伝統的な調理方法の現場を、一度は見学していただきたいと思っています。

  先生が、キレイな女の先生なら、さらに大歓迎なんだけどなあ。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 *「手作り工房」マップについては、こちらです。 

*浅草雷門横丁振興会については、このブログの4/17号をご覧下さい。

アートアドバイザー会議

 5/20は、私の地元・東京都台東区の、「アートアドバイザー会議」があったので、出席しました。

  「台東区アートアドバイザー会議」は、区の文化施策の方向性や、芸術家の育成支援などについて検討し、区長へ助言を行うため、平成18年度に発足した会議です。

 会議のメンバーは、音楽・美術・舞台など異なる分野の芸術家や専門家であって、かつ台東区にゆかりのある人で構成されていて、活動内容は、主に「台東区芸術文化支援制度」が資金助成をする企画を選び、選ぶだけでなく、助成対象となった企画が、より魅力的に実施できるようサポートを行うことです。

  5/20の会議の内容も、「支援制度」が本年度に資金助成する企画を選ぶための、第一次審査でした。

 参加メンバーは、日経新聞文化部編集委員の池田卓夫さん、女優の観世葉子さん、芸大音楽学部准教授の熊倉純子さん、芸大BiOnの社長・鶴見俊一郎さん、薩摩琵琶の友吉鶴心さん、お能の坂真太郎さん、ヴィオラ・アルタの平野真敏さん、それに私です。

  ほとんどの方が、会議が発足する前の、制度設計の段階からの、おつきあいですから、かれこれ5年になります。お互い、気心知れてきていて、厳格であるべき審査の途中でも、冗談を飛ばしあって、話しが横へ逸れてしまいます。

 「スミマセンけど、そろそろ話しを戻していただけますか! 進めないと、5時までに審査終わりませんよ!」と言われながらの審査です。本年度は、50件の助成申請があり、1件ずつ丁寧に議論しますから、結構骨でした。

  ところで5時までに審査を終わらせたかった理由は、他でもありません。それは、歓送迎会!

  芸大BiOnの鶴見俊一郎さんは、最近アートアドバイザーに就任されたので、その歓迎会です。それから、区役所の方も人事異動があって、4月まで文化振興課長だった、IJ氏が他部署へ異動、代わってID女史が新課長として見えました。またIJ課長の下で、とても熱心に働いて下さった、K女史も他部署へ異動、替わってS氏が来られました。その歓送迎会というわけです。

 そうです、文化振興課長に就任したら、必ず、すき焼きを食べるのが、通過儀礼なのです。

 昼間の会議の進行は、少しだけ押してしまいましたが、なんとか50件の中から有望な8件を選び出し、ほぼ定刻で、歓送迎会の開会に漕ぎつけ(?)ました。

  この会議の特徴(?)は、頻繁に宴会があることです。この御時世なので、もちろん自腹ですが、いつも、会議の日取りが決まると「会議の後で、飲み会もあるんだよね!」という話しになり、自然と私が、そちらのセットの担当となります。だから、歓送迎会の仕切りは、私の当然の任務です。

 そういう次第で宴は始まり、今回も「台東区の文化」を肴に談論風発、楽しい会で、痛快に呑みました。

  おっと、そうだ、IJさん、Kさん、今までありがとうございました。IDさん、Sさん、今後よろしくお願いいたします。そういう趣旨でしたよね、たしか今回は。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

*台東区アートアドバイザー会議については、こちらです。

Filed under: 今日のお客様,浅草インサイダー情報 — F.Sumiyoshi 10:05 AM  Comments (0)

御手を拝借!

 さてさて、5/16は浅草神社例大祭(=三社祭)の3日目でした。

 「本社の神輿」の渡御があるのは、日曜日だけです。「本社の神輿」は3基ありまして、「一ノ宮」が西部各町を、「二ノ宮」が南部各町を、「三ノ宮」が東部各町を渡ります。渡ります、と言っても、ずうっと同じ担ぎ手が担ぎまわるわけではなく、各町会の領域の中では、その町会の人が担いで、次の町会まで行きましたら、そちらの町会の担ぎ手に引き渡すわけです。

  この「本社の神輿」の渡御ルートやスケジュールは、精密に定められていまして、事前に地図が配布されますので、神輿が何時にどこにあるかは、おおよそわかります。もちろん、予定と狂うこともなくはないのですが、近年は神輿にGPSが付いているので、浅草神社奉賛会のホームページで、神輿の現在地が、リアルタイムでわかるわけです。

 ですから、お客様から「今ごろ神輿はどの辺りですか?」というご質問があった場合も、すぐお答えできます。

  ところで今年は、浅草寺の、屋根の葺き替え工事(=「平成本堂大営繕」)が行われていて、そのための足場が、いつもの神輿の進行ルートをふさいでいました。そこに、大勢の人が殺到するわけですから、神社や警備当局の皆さんのご苦心は、例年の比ではなかったハズです。この場を借りまして、御礼申し上げたいと思います。

  この葺き替え工事は、本年11月末までの予定で、来年の年始には、足場も取れて、新装なった、本堂の御姿を拝むことができる予定です。

  手前どもも、ご利益にあずかれれば、と期待しております。

  「おやあ、どうも、祭の間は、住吉のブログが真面目だねえ。つまんないじゃん!」

  バレましたか。この3日間は、忙しいのがわかっていたので、事前に書いた原稿を、Word Pressの「予約投稿」機能を使い「予約投稿」しておいて、時間を指定して自動的にUPさせていたのです。今あなたがお読みになっている、この文章は、実は5/11の15:47に入稿したものです。ひひひひ。

 そういう次第でアドリブ展開が出来なかったわけです。

  それでは、これにて「三社祭=予約投稿」コーナーを終了させていただきます。御手を拝借!

 よーオ、しゃしゃしゃん、しゃしゃしゃん、しゃしゃしゃんしゃん。

 よっ、  しゃしゃしゃん、しゃしゃしゃん、しゃしゃしゃんしゃん。

 よっ、  しゃしゃしゃん、しゃしゃしゃん、しゃしゃしゃんしゃん。

 明日からまた、ひねりの利いたブログを展開しますので、ご期待下さい。

 本日も、何も知らずに、最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

* 浅草神社奉賛会のホームページは、こちらです。

Filed under: ぼやき部屋,浅草インサイダー情報 — F.Sumiyoshi 9:41 AM  Comments (4)

今ごろ神輿はどの辺りですか?

 昨日5/15は、浅草神社例大祭(=三社祭)の2日目でした。午前中に、例大祭式典が行われた後、この日のメイン行事は、午後の、各町神輿の連合渡御(れんごう・とぎょ)です。

 「氏子四十四ケ町」と申しまして、三社様の氏子の領域は広いのです。北は日本堤、西は合羽橋、南は寿町までの広い範囲が領域です。そして、この領域が細かい町会に分かれていまして、それぞれに神輿を持っています。連合渡御の際は、それらの神輿が浅草寺裏に、まさに連合して、集まって来ますので、壮観な景色となります。

  集まった神輿は、昼12時から町に繰り出しますので、その辺りから、浅草の町は喧騒に包まれます。祭囃子が熱くなり始めるのも、この頃です。

  ところで、お客様から、よく「今ごろ神輿はどの辺りですか?」というご質問があります。

 3日目の日曜日に担ぐ、「本社の神輿」なら、ルートが事前に公開されていて、位置がわかるのですが、土曜日は「各町会の神輿」ですので、町会ごとに担ぎまわっているわけで、「今ごろ神輿がどの辺りか」がわからないのです、土曜日は。

  でも、一般の御観光の方は、「本社の神輿」と「各町会の神輿」が別物だ、という細かいことは、おわかりにならず、

「え? 神輿にGPSがついていて、位置がわかるって、新聞に書いてあったわよ。なんでわかんないの? わかるハズでしょ!」

  それはですねえ、「本社の神輿」のことでして、「本社の神輿」は、土曜日は出ないんですよ。とお答えすると、すごくがっかりする方がいます。だから、「本社の神輿」と「各町会の神輿」が別物だ、ということは、土曜日に見えた方には、こちらからはなるべく、言わないのですが、質問されてしまった場合は仕方ありません。

  明日もお越しいただければ、有り難いのですけどね。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

Filed under: 困った質問,浅草インサイダー情報 — F.Sumiyoshi 9:36 AM  Comments (0)

宵宮

  昨日5/14より、浅草神社例大祭(=三社祭)が始まりました。

  祭礼期間3日間の内、初日の金曜日には、昼すぎから「大行列」が、浅草の町を練り歩きます。「大行列」には氏子代表、各町会役員、びんざさら舞の皆さん、白鷺の舞の皆さん、鳶の皆さん、芸者衆が参加します。この「大行列」は毎年、「ちんや」の前の、雷門通りも通ります。

  夕刻になって、各町会の神輿(みこし)の、「神霊入れ(みたまいれ)」の儀式が行われます。これにより、神輿には神が宿ることになり、神事として神輿を担ぐことになるわけです。夕刻から担ぎ始めますので、「宵宮(よいみや)」と言います。

  個人的には、この「宵宮」の日が、一番風情を感じます。各町神輿の連合渡御(れんごう・とぎょ)がある土曜日や、本社神輿の渡御がある日曜日に比べると観光客も少なく、落ち着いた日です。初夏の夕方の風が涼しく、祭囃子の音も、気のせいかこの日は、のどかです。

  「ちんや」の商売の方も金曜日は、のどか?なものでしたが、まあ、それも例年のことです。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

Filed under: 浅草インサイダー情報 — F.Sumiyoshi 9:32 AM  Comments (2)

鍋の洗い方

 このブログの4/7の号で、「ちんや」には「お客様に聞かれて困った質問」収集委員という委員がいると書きました。この委員は何をする委員か、と申しますと、お客様から聞かれて、答えられずに困った質問をメモしておき、週に1回月曜日に提出するのが仕事です。その委員の連中が収集した「困った質問」はブログネタの宝庫でして、今日は、その第3弾です。

  「すき焼き鍋を使った後の、取り扱いはどうしたら良いんですか?」というご質問があったようです。ご家庭で、すき焼きをした後、鍋の後始末でお困りの方は多いかもしれません。鉄は重いし、管理が悪いと錆が出てしまうので、敬遠されがちのようですが、やはり、すき焼きには鉄鍋です。このブログを借りて、扱い方法をお教えしましょう。

 ①まず脂はなるべく溶かしましょう。牛脂の融点はさほど高くないので、お湯で、ある程度は溶けます。

②脂が溶けたら、洗剤で落とします。普通の中性洗剤でOKです。

③すき焼きをしている最中に、固形化してしまったものは、洗剤で落ちない場合がありますので、実力で落とす他ありません。クレンザーをつけて、ナイロンたわしで、こすります。それでも落ちない場合は「焦げ落とし」(スクレイパー)も使います。

④水分を良く切り、さらにペーパータオルなどで完全に拭き取ります。

⑤鍋に食用油を塗りつけ、なじませます。保管中に塗りつけるのには牛脂は使いません。すぐに油を塗らないと、鍋が酸化し、変色が始まりますので注意しましょう。

⑥保管する時は、油が流れ出ないよう、上向きにします。

<鍋の裏や側面に、焦げがこびりついてしまった時は、>

・鍋をそのまま、直に火にかけ、焦げを焼き落とすことができます。ただし、その後は油を塗りつけても、鍋になじみにくい状態になりますので、塗りつけ作業を、時間を置いて2〜3回繰り返します。

  牛鍋屋、桜鍋屋、どぜう鍋屋などは、上記のような作業を日々繰り返しています。このブログの4/22号にも書きましたが、鍋屋は鍋を「動態保存」しているのです。この作業をキッチリできる「洗い場さん」がいないと、成立しないのが鍋屋です。お客様がお帰りになった後の深夜に、とっとと家に帰りたい気分の中で、この作業をキッチリできる「洗い場さん」がいないと、成立しないわけです。

  ですから、ご家庭で、すき焼きをする場合は、是非とも旦那様が、この「洗い場さん」を買って出るのが良いでしょう。簡単に奥様に感謝され、さらに、ここに書いてあることを受け売りで語りながら作業すれば、チョッと見直されちゃう可能性すらあります。おススメしておきます。

  「ふーん、そうかい、ということは、住吉家でも、洗い物はダンナがするわけ?」

  そりゃしてますよ。鮮明な意識が、その時点であれば、ですけどね。

 良く言われてるのは、「アナタは、もう寝ていいから! ヨッパライは邪魔だし!」ですけどね。

  ところで、この原稿がUPされる頃=5/14は、浅草神社例大祭(=三社祭)の初日です。

 例年、祭礼期間3日間(5/14〜5/16)の内、1日は必ず雨が降りますが、今年はどうでしょう。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

本物に会えるまちー台東区新観光ビジョン

  私の地元・東京都台東区の「新観光ビジョン」が制定され、区の「新観光ビジョン策定委員会専門部会」の委員をしていた、私の許へも届けられました。100ページを越す厚みのある本で、その他に概要版も付いていて、立派です。さしたる貢献もできませんでしたが、本が届くと、ひと仕事させていただいた感慨があります。

  この「ビジョン」の中で、台東区の目標とする姿は、「本物に会えるまち」と表現されています。いわく、

 「本物とは、心が作りだすものである。(中略)台東区には、心がある。だから台東区には、本物がある。台東区は、本物に会えるまちである。」と書かれています。

 行政のつくるペーパーとしては、結構つっこんだモノ言いですが、私はこれで良いのでは、と思っています。専門部会の席上でも、「ほんもの」という、厳密に定義しがたい表現を使って大丈夫なの?というご意見がありましたが、私は「ほんもの」という表現を入れることに賛成いたしました。

  ネット上にはあまり詳しく書けませんが、食べ物の世界には、「贋物」と言って構わないものが横行しています。人々が、「ほんもの」を求めて旅に出る(=観光をする)という風になったら良いな、と思います。いや、このままで行けば、そういう風になるのが必然かもしれません。  

  その時、良心的な職人さんが今でも多数住む台東区は、きっと訪ねてみたい土地の候補の、上位に入ると思います。他の委員の皆さんに、そう申し上げたところ、おおむねご賛同いただけたようでした。

  ところで話しは逸れますが、専門部会の部会長だった、東京工業大学准教授のS先生と雑談をしている中で、奇縁が判明しました。S先生のお父上と、湯島のすき焼き屋「江知勝」さんの先代が、とても親しく、先代の生前は家族ぐるみのおつきあいをしていたので、先生自身何度も「江知勝」のすき焼きを召し上がった、というのです。

  「先代が亡くなってから、かれこれ8年くらいたちますけど、その後女将さんやご家族がお元気か、住吉さん、ご存じですかね?」と先生からお尋ねがあったので、

 ええ、まったくお元気でいらっしゃいますよ。しばらく会っておられないのなら、先生、是非今度一緒に、「江知勝」さんへ食べに行きましょう、ということになりました。

  そう言って、お別れした後、S先生との「江知勝」行きは、まだ実現していませんが、「ビジョン」発表を機に、是非先生をお誘いしないといけません。「ほんもの」を訪ねて「江知勝」へ!

  あ、そうか、「江知勝」さんは文京区だったか。 マズイぞ、それは。

 「ほんもの」に会えるかなあ?  

  本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

*台東区の「新観光ビジョン」については、こちらです。

*「江知勝」さんついては、こちらです。

BSイレブンードタバタ制作

 BSイレブンで、「3D挑戦!三社祭生TV」という番組が放送されます。5/16の午前5時から夜22時まで、ぶっ通しで三社祭を生中継する番組だそうです。サザンの桑田が所属している、あのアミューズ社の企画・製作です。アミューズさんは、最近二天門の近くに「布ギャラリー」を開設するなど、浅草に随分興味をお持ちのようです。

 なんでも、これが日本初の3DでのTV生中継だそうで、パナソニックさんも「特別協賛」についています。 この番組のスポンサーになってほしい、という商談が来ましたので、乗らせていただくことにしました。

 商談が済んだら、是非もなく制作ですが、4/28に下打ち合わせをした翌日4/29には⇒即ビデオ撮り、という慌しさです。そうです、25時間と少々で、コマーシャル1本を作ってしまう、という段取りなのです。どうも、この業界のドタバタぶりに、我々・旧世界人はついていけません。

 でも、今回なんとか・かんとか、こなせたのは、ちょうど今、「ちんや」創業130年を記念して、「ちんや」のマーケテイングを見直していたからです。

 IMC社のI社長と、何度もミーテイングをして、「ちんや」のどこを、どうPRしていくか、さんざん議論している最中でした。コピーなども大量作って、パソコンに貯めてあったので、ナレーションも、私の「語り」の部分も簡単に造れました。パソコンに貯めてあったフレーズをコピペーするだけなので、カンタンなのです。15分もかかりませんでした。「爆笑名刺」用に、ミッション社のM社長と考えたフレーズも一部使えました。それさえやっておけば、撮影そのものは、カメラマンが料理や店内を撮る様子を、眺めているだけのことです。

 あー、チョロかった。仕事はこうでなけりゃあなあ。 ふん!(鼻息噴出音)

 と、いうわけで、5/16にお時間があって、BSイレブンを見れる方は、是非「ちんや」のCMをご覧下さい。出番は17時間の内の30秒ですから、瞬きしていると見逃します。もちろん、トイレも禁止です。よろしくお願い申し上げます。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

*創業130年マーケテイングについては、このブログの3/15号をご覧下さい。

*「爆笑名刺」については、このブログの、3/23号4/23号をご覧下さい。

VIP?の八王子訪問

 4/27は火曜日で休みでしたので、八王子の料亭「坂福(さかふく)」さんを訪ねました。「坂福」さんは、すき焼きをメイン料理にしている、料亭さんでして、かねて興味を持っておりましたが、その話しを、国際観光日本レストラン協会の総会で御一緒した、「八王子エルシイ」のO会長にしましたところ、「坂福さんは、良く知っているから、是非ご紹介しましょう。」と有り難いお言葉。善は急げ、で早速お訪ねすることにしました。

 八王子は、明治時代後半・大正・昭和の頃、織物業が盛んで繁栄したそうです。それで財を成した旦那衆が遊ぶ花柳界が出来たり、牛鍋屋ができたりしました。明治45年創業の「坂福」さんも、その内の1軒だそうで、ホームページを見たところ、歴史の風情を感じられそうな御店です。

 そういうわけでの今回の訪問です。まずは「坂福」さんを訪ねる前に、Oさんご経営の御店「八王子エルシイ」にご挨拶にうかがいました。Oさんは、八王子観光協会の会長を務めておいでで、八王子の、重鎮中の重鎮なのですが、さすがに、そういう方の御店は、立派な構えです。

 「エルシイ」さんで、コーヒーをご馳走になり⇒館内を見学させていただき、「坂福」さんへ向かおうとすると、Oさんが「では、「坂福」さんまでご案内しましょう!」とおっしゃいます。

 いやいや、そんな恐れおおいです。連絡をとって下さっただけで有り難いのに、同行して下さるなんて。世話焼きの方とはうかがっていましたが、それは恐縮です、と申すと、

 「いいんです。「坂福」のD君も、頑張っている、元気な社長で、きっと仲間になれるから、是非直にご紹介しますよ。」

 と、いうわけで、地元の重鎮・業界の大先輩にエスコートしていだいて、鳴り物入りで、現地入りし、結構なすき焼きをいただきました。牛は「いわて南牛」、ザクに玉ねぎが入っていて、麩が細長い焼き麩でした。

 食後にコーヒーをいただきながら、D社長から、八王子のこと、すき焼きのこと、向笠千恵子先生の「すき焼き通」は端から端まで熟読して、そこに載っているすき焼き屋は、のきなみ訪問したことなどをうかがいました。

 怒涛の勢いで語る、D社長の語り口は、講釈のように切れ味があります。そのわけを聞くと、なんと「講談人力車」として有名な、浅草の車夫・O氏に弟子入りして、やり方を伝授されたのだそうです。そして、さらに驚きなのは、D社長自らが講釈しながら、客を乗せて曳く、人力車が店にある、というのです。

「 住吉さん、お帰りの時は、車夫の装束に着替える間チョッとだけ待っていていただければ、駅まで人力でお送りしますよ!」

 いやいや、それは遠慮しておきます。住吉風情は、ゼンゼン、VIPじゃありませんから、駅まで歩いて行きます。それと、次回の「すきや連」には、Dさんも是非お誘いしたいと思っていますが、是非気楽におつきあいいただければ、と思ってます。

 ええ、本当に結構です、恥ずかしいですから、じゃなくて、時間がなくなってきましたので。長居いたしまして、スミマセン、もう帰ります。すたこらさっさ。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

*「坂福」さんについては、こちらです。

*「八王子エルシイ」さんについては、こちらです。