Ami川柳

昨日の話しの続きです。

私も出演させていただきました、フジTV【バイキング】の、「和の心を学ぶ旅―竹田式さんぽ道・浅草編」というコーナーの、「〆の川柳」は、

「幸之助凄いところに寄付してた」

でした。

このコーナーは、明治天皇の玄孫・竹田恒泰先生が、フットボールアワー岩尾さんとAmi(E-girls)さんを、「日本の魅力を再発見できる場所」へ案内する、という企画なのですが、コーナーの〆として、Amiさんが川柳を披露するのが恒例のようです。

その日の収録の最後が、弊店でのすき焼きの場面だったので、

できれば、すき焼きに関する川柳を作ってくれないかなあ、

すき焼きの川柳だったら、来年の「すき焼き川柳包装紙」に入れさせてもらおうかなあ、

と私は思ったのですが、残念ながら雷門の句でした。

しかし当然と言えば当然です。Amiさんは「松下の娘」ですから。

本当にお父さんがパナソニック社にお勤めなのだそうで、そのことを番組内で暴露して、最後の〆でまた、そのネタを使ったわけです。

この番組を視てAmiさんのファンに成った人が多いと聞きますが、たしかに、この川柳、自然な感じで共感しますね。

さて、このブログは教養ブログです(笑い)ので、「凄いところに寄付してた」の説明も以下に付けておきます。

「凄いところに寄付」とは、

昭和35年(1960年)に、現在の雷門を松下電器の松下幸之助氏が寄進したことを言っています。

実は雷門は、慶応元年(1865年)に火災に遭って以来、この年に再建されるまで95年もの間存在してなかったのですが、それを松下さんの寄付で再建したわけです。

パナソニック社の公式サイトによりますと、

「再び浅草に雷門を!こうした機運の高まった昭和33年(1958年)暮、時の浅草寺貫首・清水谷恭順大僧正は上京中の創業者を訪ね、「雷門を建ててください」と浅草の声を伝えた。創業者はしばし黙考の後、おもむろに口を開き、「寄進させていただきます。が、なるべく名は出さないでください」と返答した。」

と伝えられています。

以来、大提灯の10年に一度の改修工事も松下さんの御世話になっていて、最近では2013年に改修が行われました。

その時点では既に社名は「パナソニック」に変っていましたが、寄進者名は従来通り、

「松下電器」と表記されています。

たしかに、さほど目立たない大きさで掲示されていますが、このことを知らぬ者は浅草におりません。

南無観世音菩薩。

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EDO style展

日本橋三越さんの「EDO style展」に出店していた時のことです。売り場におりましたら、

あら、あらあ! 住吉さんじゃないの! 住吉さんよね?!

そうですけど・・あ、あ~ YM口さん?25年ぶり位ですよね!

そうよ、そうよ、覚えててくれた? 嬉しいわあ。お婆ちゃんになったから分かんないかも、って思ったわよ。

そんな! お婆ちゃんじゃないですよ、お若いじゃないですか!

お世辞は嬉しいけど、本当にお婆ちゃんなのよ。孫が3人いるのよ。だって63だもん。

あ~YM口さん、63ですかあ、そりゃあ、あの頃22だったボクが今48なんだから、その位のトシには当然成りますよねえ。でもお若いですよ・・・

<「あの頃」とは、私が大学卒業直後、某TK屋百貨店に社員として働いていた頃のこと=25年以上前のことです。YM口さんは同じ売り場のパートさんでした。>

YM口さん、こんな所で何してるんですか?

私ね、TK屋はしばらく前に辞めたのよ。今は悠々とやってるの。住吉さんこそ、何してるのよ?! 三越に出しちゃ、ダメじゃないの。

あっ、これですか? これはね、「東都のれん会」っていう会でまとまって出てるんですよ。今年は「EDO style展」っていう名前の催事ですけど、昔は「東都のれんの会」っていう名前の催事だったんですよ。あ、肉買って下さるんですか? ありがとうございます。懐かしいから割り下をおまけしときますよ。またお会いしましょうね!

<ということがあった翌日のこと・・・>

あ、ああ~ TK田さんですよね。お久しぶりです、住吉です。

おお~ 住吉君―ん、新聞のチラシでさあ、この催事に「ちんや」さんが出てるの見つけたから来たんだよ。

おやおや、まだまだ現役売り場感覚ですか、ゆっくりなされば良いのに!

あ、俺ね、復職したのよ。この名刺見て。「コンサルタント」なのよ。「コンサルタント」としてまた働いてるの。仕事で「ちんや」さんの前もよく通るよ。今後もよろしく頼むよ。

<「俺」とは私が入社した時の売り場の係長さん。二日連続で25年以上前にタイムスリップしてしまいました。そう言えば、あの頃は日々無我夢中でキツかったけど楽しかったなあ。バブルだったから、さんざん働いたけどブラックとか、そういう話しは一切無かったし。>

それにしても、ここはTK屋さんじゃないんだけどなあ。

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Marketing and Consumption in Modern Japan

薄井和夫先生(埼玉大学経済学部長)の、

Marketing and Consumption in Modern Japan

という新著に「ちんや」が所蔵する開化絵「東京府下第一大区尾張街通煉化石造商法繁盛之図」が載りました。明治6年の銀座煉瓦街を描いた作品です。

御本を在り難く戴いたのですが、拝見しますと、全部英語で字が多いこと・・・十年の歳月をかけた、という大著です。それが全部英語・・・

日本語版もあるのだろう、と思ったら無いのだとか。

この御本は日本の「アマゾン」でも売られているのですが、内容紹介がやはり英語・・・でした。

This book explores the development in Japan throughout the twentieth century of marketing and consumerism. It shows how Japan had a long established indigenous traditional approach to marketing, separate from Western approaches to marketing, and discusses how the Japanese approach to marketing was applied in the form of new marketing activities, which, responding to changing patterns of consumption, contributed considerably to Japan’s economic success. The book concludes with a discussion of how Japanese approach to marketing is likely to develop at a time when globalisation and international marketing are having an increasing impact in Japan.

この文を自動翻訳の「エクサイト」に入れてみましたら、

「この本はマーケティングと消費者保護の20世紀を通じての日本で開発を調査します。

それは、日本がマーケティングへの長い確立している固有の従来のアプローチをどのように持っていたか示します、マーケティングへの西洋のアプローチから分離する、またマーケティングへの日本のアプローチがどのように新しいマーケティング活動の形で適用されたか議論する、どれ、日本の経済的成功に相当に寄付された消費パターンの変更に応答すること。その本は、マーケティングへのアプローチがグローバル化と国際マーケティングが日本で増加するインパクトを持っている時でどんなに日本だろうかの議論で締めくくります。」

全然違うぞ!!!

って言うか、日本語に成ってないぞ!!!

って言うか、笑えるなあ。

これだけコンピューターが発達しても、あいかわらず翻訳って出来ないんですねえ。

仕方ないから、自分で訳すか・・な。

その開化絵の画像はこちらでご覧になれます。

追伸、

3/25と4/1は火曜日で通常なら休業日ですが、春休み中ですし、隅田公園桜祭りも開催されますし、臨時営業いたします。行楽のお帰りなどに、どうぞ御利用下さい。

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民族差別

ちょっとしたトラブルがありました。

外国人の御客様を満室でお断わりしたのですが、その方はマイノリテイー民族の方であったので、断られたことを「民族差別だ!」と受け取ったようでした。

その日、開店の時点で空いている部屋は1室しかなく、その方と前の方が続けて店に入ったため、当然前の方が入った時点で満室に成ったのですが、店の外に「満室!!」の掲示を出すのが一瞬遅れてしまいました。それで「満室!!」の掲示がされていないのにお断わりするという、マズい段取りになってしまいました。

単純にスピードが追いつかなかっただけなのですが、「差別だ!」となってしまい、往生しました。

レストランは国を代表する立場なのだから、レストランが差別をすれば国が差別をしたのと同然だ!

という、その方の議論には賛成ですが、なにしろ誤解なんだから、そんなにワーワー言わないで下さいよ、まったく。

そう言えば先日京都の先斗町で遊んだ時も同じような話しになりました。

最近京都は景気が良いってねえ?と私。

そうどすなあ、外人はんが多くて困りますう、と芸妓さん。

ああ、そうだねえ、先斗町は観光客がドヤドヤ往来するような通りに会員制の店が直に面しているからねえ、そういうことになっちゃうよね。そういう時はなんて言って断るの?

それは~ノー、ノー、どすなあ。

ええ?! なんか他に言い方ないの? ウイー・アー・メンバーシップレストランどす、とか言わないの?

そうやなあ、やっぱりノー、ノーだけどすわあ。

うーん、これから大変ですな、京都も浅草も。

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暴風雪~本当の寒気

飲食店の天敵と言えば、雪と選挙とオリンピックです。

今年の2月は、この3つが揃いぶみでしたから、弱りました。

特に2月8日の「暴風雪」の日は、予約のキャンセル続出で、実に弱りました。

この日は雪だけでなく風も強くて、

「雪くらいでキャンセルする積りは毛頭なく、行く気満々で家を出たのだけれど、途中から進むことが出来なくなって、家に戻って来ました。ごめんなさい。」

というお客様もおいででした。

しかし選挙関係者だけは元気で、ざんざん降る雪の中、マスゾエ候補とイシバ幹事長がやって来て、「ちんや」の前で、しきりと「元気アピール」をなさっていました。

そこまで無理しなくても良いのにねえ。

そんな中でしたが、なんだかんだ、120名様のお客様にお越しいただけました。

浅草に泊まってしまい、「街歩きが出来ないから食事を楽しみたい」という方はいるわけで、どんなに酷い降りの日でも、お客様がゼロになることはなく、在り難いことです。

お足元の悪い中お越しいただいた御礼に燗酒を「サービス」させていただきました。

問題なのはスタッフの通勤経路です。表通りはアーケードがありますが、通用口の在る裏通りはアーケードが無いので、雪かきはマストです。

路面が凍結して転倒されては労災ですから、「早め」が肝心です。

いやはや良い運動になりました。

除雪をする内夜6時半~の、最終の予約の御客様が食事を終えてお帰りになり、それと同時に閉店させていただきました。

・・・と「ちんや」の寒い一日は暮れたのですが、本当の寒気は翌日やってきました。翌朝のニュース番組の中に。

そのニュースでは、雪の中奮闘する宅配P△ZA業者を採り上げていました。

その業者は通常営業を敢行していて、外食を諦めた客から注文が殺到。遅配を責めるクレームの電話に謝る様子や、遅れを取り戻そうと急発進したカートが転倒する様子が放送されました。

あの暴風雪の中、あの安普請のカートで出て行くなんて!

おそらく、この業者の経営者は、

雪にも負けず営業する「元気な会社」「元気な社長」であることを投資家にPR出来て、ほくそ笑んでいたことでしょう。

まさに当世日本のリヴァイアサン「ブラック企業」ですな。

雪の日に遅配を責める客もまた「ブラック消費者」ですが、こちらの方は、ひょっとするとテレビ局による「やらせ」かもしれませんね。カートの転倒も「やらせ」かも。

人様の苦しむ様子こそ、テレビというメデイアの、最強のコンテンツですからね。

それはともあれ、その宅配P△ZA業者が営業していたのは事実です。

そして、そのような「ブラック企業」と、食事の提供という事業分野で、弊社が競合しているのも事実です。本当に背筋の芯から寒気がしました。

さて、皆さんが投資家なら、この会社をどう観ますか。

「元気な会社」なのか、「やがて従業員に離反されるであろう会社」か。ご検討あれ。

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機内誌

オリンピック誘致が決まり、外人さんに対する対応法について尋ねられることが増えました。

先日も超大手航空会社さんの機内誌の取材がありました。やりとりは、こんな↓感じでした。

Q御店として、外国人客に対し、日本人客とは異なった特別な配慮ならびに接客スタイルなどがございましたらお教えください。

A英語ですき焼きを紹介するパンフレットを作成してあります。玄関にも常備してあり、外国の方がすき焼きについて良く分かっていただいた上で、ご入店いただくようにしています。

接客スタイルは、外人さんだからと言って基本的には変えず、むしろ日本体験を楽しんでいただきます。

「日本の普通の姿に触れたい」という意識の方が多いですから、外人だというだけでナイフ・フォークをいきなり出すと、不快がられることすらあります。

注文も、なるべく外人さんに日本語を話していただいています。

日英対照表を作って配っていますが、そこには

Excuse me! とSumi-masen! を並べてありまして、

外人さんが、それを見ながらSumi-masen!と言うわけです。楽しいですよ。

 

Qすき焼きという料理に関して、外国人客からこんな反応、感想があったという例を、具体的に教えてください。味だけではなく、店(部屋)のしつらえ、などに関することでもかまいません。

A今では日本でも靴を脱いで店が減りましたから、まずそこを面白がって下さいます。靴を預かるためには人手もスペースも必要ですが、この形態は維持していきたいです。

すき焼きは、熱源が客席に在り、ライブ感が感じられるものですから、ハイテンションに喜んでいただける方がいらして嬉しいものです。

 

Q生卵を溶いて、それにくぐらせて食べるというスタイルに戸惑いを見せる外国人客や、逆に初めてそれを体験してトリコになるかたもいらっしゃると思います。そのあたりの面白い事例があれば、お教えください。

A英語のパンフレットで生卵を使うことをお知らせしてますので、戸惑ってしまうことはあまりないと思います。さらに現場で念のため生卵がOKか確認してから提供します。

醤油+砂糖+動物性の脂+卵というのは完璧な味覚ですので、初体験でも気にいっていただけます。

 

Qすき焼きに関して(あるいは接客に対しての反応で)国別に特徴があればお教えください。「アメリカ人はこうだけれど、フランス人はこうだ。なのでこんな対応を心掛けている」とか、そういったことがあれば。

A特に国別対応はしていませんね。

「国別」というほどではないですが、お帰りの時の「ありがとうございました」を色んな国の言葉で言うようにしています。

クレジットカードで国籍が分かる場合がありますので、その場合なるべくサンキューではなくダンケシェーンとかメルシーボクーとか申します。

予約の段階で国籍が事前に分かっている場合は、卓上にその国の小旗を用意しておきます。単純ですが、これは喜ばれますよ。

 

Q10年前、20年前と比べ、近年の外国人観光客は、こんな新しい傾向がみられるという事柄があればお教えください。具体的な事例があればありがたいです。

A箸が持てて、和食経験のある方が増えているのは間違いないと思います。

それから、日本人が観光地と考えていない所へ行きたがる方が増えているようです=回転寿司、銭湯、パチンコ、満員電車など。SNSやブログを使って個人が情報発信できるからでしょう。

 

Q今後、東京オリンピックを迎えるにあたり、ますます増えるであろう東京来訪の外国人客に対して、御店の対応プランがございましたら、お教えください。

Aオリンピックとなれば、色々な国の、色々の食習慣の方々が見えるのでしょうから、その方々の「御不便を取り除く」ことを、もっと進めないといけないでしょう。

禁煙・喫煙

禁忌対応

アレルギー対応などの、図解が必要ですね。

例えばアレルギー対応では、甲殻類とか蕎麦とか、そういう食材を絵にしたシートを玄関に備え付けておき、外人さんがチェックを入れてから、中へお通しするようにしようと思って、計画中です。

 

Q日本食は世界文化遺産に選定されました。この点について、住吉さんからのご提言、思うところがあればお聞かせください。

A「和食が・・・」という以前に、「食」は世界の文化遺産なのだ、という点を噛みしめないといけないと思います。登録は目出度いは目出度いですが、楽観はできないと思いますよ。

・一般家庭の日本人は、どんどん味覚や調理技術を失っている。それを世界から指定されて、果たして本当に大丈夫なのか、と思う。

・素晴らしい料理屋さんの、素晴らしい料理だけを指定して貰った方が良かったのでは・・・とすら思う。

(今回遺産登録されたのは、日本人の四季の暮らしに根差した和食なのであって、料理屋の料理じゃありません、念のため。登録を推進したのが京都の料理屋さん達だったので誤解している人がいるかもしれませんが、違いますのでね。)

・日本人が「安さ」「利便性」(=いつでもいくつでも買えること)という価値を、「正しい味覚」や和食の特徴より、価値として上位に置いている限り、世界遺産登録されたからと言って、にわかに状況が良くなるとは思えない。

・食が文化であるどころか、ヒトの餌と化しているのが日本の現状でしょう。

あ、外国人受け入れの話しに関係ないですね、これは。

食を文化として継承するには教え方も変えないといけないでしょう。単なる技能として教える時代は終わらせないといけません。

工芸科や染織科が東京芸大に在るように、食の教育も変るべき時です。

 

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最後の正月

正月になりますと思い出しますのは、とある会社のOB会のことです。

毎年正月3日の昼11時半から「ちんや」で開かれていました。

しかし、です。そのOB会の予約が弊店に入ったことはありませんでした。そう、毎回予約無しで「フリーで」集合して見えるのです。人数は12~13人ほどでした。

この方式は店側としては、実に困る方式でした。何故って、正月の浅草で13人ものまとまった席を確保するなんて至難の業だからです。

え? 人数? 集まってみないと分からないけど、そうねえ、たぶん12~3人じゃないのかあ。

と簡単におっしゃるので、私は、

予約無しで、そんなに簡単に13人の席なんか造れませんよ!

とキレないよう堪えるのに必死でした。

しかし年を経るにしたがい、席を確保するのは楽に成っていきました。

13人⇒10人⇒7人⇒5人⇒3人と人数が減っていったからです。

そして、ある年ついに、お一人に成ってしまいました。

最後のお一人様は、「ちんや」の前の路上で、11時半から1時間ほど立ち尽くしておいででしたが、やがて諦め、

誰も来ないから帰るね・・・

とおっしゃいました。私は、

お一人でも結構ですから、召し上がったらいかがですか?

と申しましたが、

いやあ、悪いから帰るよ。

と言って帰っていかれました。こんな忙しい日に一人で席を使っては悪い、という意味でしょう。「お一人様ブーム」が起こるだいぶ前のことでしたから。

だんだん人数が減っていたのは、こちらも分かっていました。事前に出欠を採らなかったのは、御病気とかお互いの事情を知るのが辛かったからでしょう。

だから、あの時もっと強くお勧めすれば良かった、強引にでも店の中へ入れてしまえば良かった、そう思います。

結局、その方との御縁は、その日が最後でした。毎年正月が来ると思い出します。

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大正10年からの物語

旧臘のことですが、「すき焼き思い出ストーリー」のサイトに投稿がありました。

題して「大正10年からの物語」。

ある御家族と「ちんや」との三代に渡る御縁の物語です。

<以下に転載しますので、是非お読みください。>

先日お店に、両親 娘を連れて始めて伺った者です。P.Cで見つけ投稿させていただきました。

明治39年生まれの祖父が102歳で大往生したのは、2008年6月。その直前におじいちゃんの家の棚から、日記をみつけました。

ずっと読んでいくと、16歳の頃 東京に上京し 修業時代に 涙が出るほど修業先の祖母が無情で悲しかった時 そこの主人が上野の銭湯と帰りに当時有名の肉料理ちんやへ寄り食事を戴いた所、今日の労をねぎらい東京の修業は総て忍耐だと言われ、気持ちを取り戻し、今後如何なる事も耐えるのを心に誓った。と書いてありました。

この話しはおじいちゃんが生前 私の両親に何度も話をしていたようで、美味しいお料理と温かいお店に励まされたと。そして平成6年の敬老の日 (88歳の時)友人を国技館へ招待した時に、16歳で上京したとき 修業先の主人の教訓と温かい思いちんやさんの話しをしたら、その思い出の記念にとちんやさんに案内してくれて最高のすき焼きを戴きその味の甘さ、昔を思い出し忘れられない記念の一日であったと友人に感謝して記事にした。と書いてありました。

それを読んでから2008年7月 ミクシーの私の日記にこんなことを書いていました。

あれから時間を見つけては、打ち続けているおじいちゃんの日記

やっと4分の1ぐらいまできました。

何気なくパソコンでちんやっと引いてみた。

 

16才の頃上野の帰りにっと・・・ あれっ ある。

明治時代から店を構えていたちんやっというお店

これは是非今度行ってみたい・・・

なんて感激。

 

そして2~3年ぐらい前だったか? 浅草に用事があって来たとき、雷門に近づき、ふっと顔を上げたとき

あった~ここにあった~っとちんやさんの看板を偶然みつけ もしかしたらここかもしれないっと。お店を見に行ったら、すき焼き屋さんだったので間違いないと。それから、両親にその話をして、いつか行こうね。と心に決めていた。なかなかタイミングが合わず、そして今年になって 浅草にあるご縁ができ、やっとそれを実現できる日がやってきました。

それが2013、12、21 

日記をコピーして記念にとお店の方にお渡しすると、しばらくして、女将さんがいらしてくださり、丁寧に丁寧にご挨拶していただき、両親、特に母は涙ぐんで 喜んでくれました。

100年近く前におじいちゃんが訪れたところに来られて、とても不思議な気持ちになりました。おじいちゃんを支えてくださった温かいお店のおもてなしに感謝します。父は来年80歳になります。またちんやさんを訪れることを楽しみに、頑張ってくれることでしょう。そして娘もこのお店に来て こんな瞬間を一緒に経験でき、おじいちゃんのこと語り繋いで行ってくれるんではないかと・・私もとても温かい気持ちになれました。きっとおじいちゃんも天国で喜んでくれているんじゃないかと。

ありがとうございました。

<転載終わり>

その他の「すき焼き思い出ストーリー」40話は、こちらです。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.405日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

 

 

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住吉史彦の十大ニュース2013

お待たせしました!

今年も「住吉史彦の十大ニュース」の時間がやってまいりました。

え? 誰も待っていないって?

そういう声は無視して、どんどん行きましょう。

今日はポイントだけを書きますので、詳しい内容を知りたい方は、アンダーラインのある所をクリックして下さいね。さて、

 1月 母校・慶應義塾中等部(=慶應大学の付属中学校)の「キャリア講座」に出講しました。演題は「会社を継ぐ、という人生」でした。

2月 第14回「すきや連」を「ニューオータニ岡半」さんで開催しました。今回も募集開始後すぐ満員の盛況でした。

 5月 全国料理業組合「芽生会」関東甲信ブロック研修会で講演しました。演題は「すき焼きの歴史と現在」でした。

 5月 国際観光日本レストラン協会関東支部・副支部長に就任いたしました。

 5月 料飲三田会・総会を「ちんや」で開催しました。会員の佐渡の蔵元「尾畑酒造」さんの御酒を土鍋で湯煎して飲んでいただきました。

 6月 「すき焼きを食べて、九ちゃんのCDが当たる週間」を開催しました。歌曲「上を向いて歩こう」(=スキヤキソング)が1963年に全米チャートで第1位を獲得してから50周年を記念したイベントでした。

7月 「浅草法人会」の研修会に出講しました。演題は「すき焼きを現代に活かす~商いは、楽しく・古風に・斬新に」でした。

7月 ハート型牛脂の名前『牛ゅっとハート』が、商標として正式に特許庁に登録されました♡登録第5599742号♡商品区分♡第29類♡牛脂♡商標権者♡株式会社ちんや♡登録日♡平成25年7月19日⇒記念日のお食事に是非ご注文下さい。

 7月 第15回すきや連を彦根市の「せんなり亭・伽羅」さんで開催、近江牛を堪能しました。中川畜産さんの畜舎を見学させていただきました。

 11月 第16回「すきや連」をみなと横濱牛鍋処「荒井屋」さんで開催しました。横浜の肉食の歴史について、小林照夫先生のご講演いただきました。

いよいよ2013年の弊ブログも残りわずかとなりました。まずは御礼だけを申し上げます。読者の皆様、ご愛読いただき誠にありがとうございました。

2014年もご愛顧を賜りたく、心よりお願い申し上げます。

東西、東〜西〜

 

 明日は「すき焼き川柳」の結果発表です。

 

<年末の、精肉の販売に関するお知らせです>

年内渡しの予約受注は12/28で終了いたしまして、12/29-12/31はフリー販売です。

12/29-12/31は大変混み合いますので、時間の余裕と防寒具をもってお越し下さい。

営業時間は10時~20時ですが遅い時間は品切れの心配がありますので、なるべく早めにお出かけ下さい。

 

 

女子会はすき焼きで!

すき焼き思い出ストーリー投稿サイトに久しぶりに御投稿がありました。

題して「女子会はすき焼きで!」

千葉県在住の、ちょこころね。 さんから頂いた投稿↓です。お読みください。

子供の頃、すき焼きっていうとお家で食べるご馳走の最高峰でした。
母にくっついてデパートでお肉を買うところからどきどきだったのを覚えています。
だって、普段のお肉と確実に1ケタ違う!んですもの。
大晦日、卒業祝い、入学祝。
節目節目にすきやきがあって、
湯気の向こうでみんなにこにこ笑っていました。
そういえば。
受験に失敗した時も、なぜかすき焼きでした。
元気出しなさいよ、と、母が、いいお肉を奮発してくれました。
悲しくて悔しかったけど、でもすき焼きは美味しかった。
これ食べてまたがんばろうって思いました。
すき焼きって、人に元気をくれるんですね。

そして。
近年は、お友達と連れ立って、外食ですきやきをいただいたりも、致します。。
先日、ちんやさんにお友達三人と伺いました。
女子会(女子と言っても大分薹が立っちゃってますけど。)
という名目で、フレンチとかイタリアンとか同じ面子であちこち行きますが、
一番もりあがったのがこの日のすき焼きです。
もちろん、お肉がとってもおいしかったから。
そして、同じお鍋をつついたり、シメの選択について相談する、
などなど、催し物として、非常に楽しかったから、といのもあります。
お皿に綺麗に盛られたお肉を見ると、テンションあがるんですね。
(太古の狩猟採集の記憶とかが、よびさまされるんでしょうか。)
個室にしていただけて、周囲を気にせず寛げた、というのもあって、
すき焼きの祝祭感を満喫できました。
今回は、私のお誕生会だったんですけれど、これからは毎年すき焼きにしよう!
と決議しました。
お赤飯を付けてくださったのも、うれしかったです。
楽しい時間をすごさせていただき、ありがとうございました。

(過去の御投稿はこちらから。)

追伸①

単行本『東京百年老舗』に載せていただきました。

21人のフォトグラファーたちが、歴史と伝統を現在に伝える「老舗」の魅力を余すことなく写しだした写真集です。

時代が変わっても、変わることのない老舗の魅力が、ここにあります。

くわしくはこちら↓です。

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

現在の笑顔数は370人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.332日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

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