Ami川柳

昨日の話しの続きです。

私も出演させていただきました、フジTV【バイキング】の、「和の心を学ぶ旅―竹田式さんぽ道・浅草編」というコーナーの、「〆の川柳」は、

「幸之助凄いところに寄付してた」

でした。

このコーナーは、明治天皇の玄孫・竹田恒泰先生が、フットボールアワー岩尾さんとAmi(E-girls)さんを、「日本の魅力を再発見できる場所」へ案内する、という企画なのですが、コーナーの〆として、Amiさんが川柳を披露するのが恒例のようです。

その日の収録の最後が、弊店でのすき焼きの場面だったので、

できれば、すき焼きに関する川柳を作ってくれないかなあ、

すき焼きの川柳だったら、来年の「すき焼き川柳包装紙」に入れさせてもらおうかなあ、

と私は思ったのですが、残念ながら雷門の句でした。

しかし当然と言えば当然です。Amiさんは「松下の娘」ですから。

本当にお父さんがパナソニック社にお勤めなのだそうで、そのことを番組内で暴露して、最後の〆でまた、そのネタを使ったわけです。

この番組を視てAmiさんのファンに成った人が多いと聞きますが、たしかに、この川柳、自然な感じで共感しますね。

さて、このブログは教養ブログです(笑い)ので、「凄いところに寄付してた」の説明も以下に付けておきます。

「凄いところに寄付」とは、

昭和35年(1960年)に、現在の雷門を松下電器の松下幸之助氏が寄進したことを言っています。

実は雷門は、慶応元年(1865年)に火災に遭って以来、この年に再建されるまで95年もの間存在してなかったのですが、それを松下さんの寄付で再建したわけです。

パナソニック社の公式サイトによりますと、

「再び浅草に雷門を!こうした機運の高まった昭和33年(1958年)暮、時の浅草寺貫首・清水谷恭順大僧正は上京中の創業者を訪ね、「雷門を建ててください」と浅草の声を伝えた。創業者はしばし黙考の後、おもむろに口を開き、「寄進させていただきます。が、なるべく名は出さないでください」と返答した。」

と伝えられています。

以来、大提灯の10年に一度の改修工事も松下さんの御世話になっていて、最近では2013年に改修が行われました。

その時点では既に社名は「パナソニック」に変っていましたが、寄進者名は従来通り、

「松下電器」と表記されています。

たしかに、さほど目立たない大きさで掲示されていますが、このことを知らぬ者は浅草におりません。

南無観世音菩薩。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.561日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

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