猪吊れば

読売新聞都内版に連載されている「波郷再訪」というコーナーを興味深く読んでいます。 

「波郷」とは勿論「昭和の俳聖」石田波郷(はきょう)のことで、その波郷が1957年から読売新聞に連載した『江東歳時記』の故地を、現代の記者さんが再訪する、というのが、この企画です。

さて旧臘のことですが、この企画の33回目として、両国橋畔の「ももんじや」さんが出ていました。

「ももんじや(百獣屋)」とは、猪・熊などの獣肉の鍋料理を出した店のことで、これこそ牛鍋の前身です。

御一新まで江戸市中に200軒~300軒在ったと言われていますが、現在まで「ももんじや」と名乗っているのは、両国のこの1軒だけです。

私は「ちんや」従業員の全員研修で、ここをお訪ねしたことがあります。

その「ももんじや」さんも太平洋戦争の空襲で被災。八代目が再建した頃に波郷が訪ねて行ったようです。

1957年当時と現在の違うところは、

・当時は店先で獣の解体を行っていたのに対し、現在は丹波・岐阜などの産地でさばいて送ってくれること。

・店先に吊るされている獣が、現在は剥製で当時は本物だったこと。それも当時は夥しい数の獣が吊るしてあります。

今でも、この御店の前を通ると、剥製でもギョッとしますけれどね。

「猪吊れば夜風川風吹きさらす」

やはり猪鍋は冬の風物ですねえ。

寒さはこれからが本番です。お疲れ気味の方は、現在でも御盛業ですので、この御店を訪ねてみてはいかがでしょう。

追伸

新年2日より「ちんや」は通常営業いたしております。どうぞ、ご利用下さいませ。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.403日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

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淡島堂

新年あけましておめでとうございます。

さて、正月ですので、浅草寺にお参りする方もおいでと思いますが、その境内の、本堂のすぐ西側に「淡島堂」という御堂が在るのをご存知でしょうか。

「淡島堂」は毎年2月8日に「針供養」が開催され、裁縫を職業になさっている皆さんが集う場所として知られています。

また太平洋戦争の空襲で本堂が焼けてしまった後、再建される迄しばらくの間「仮本堂」として使われていたことでも知られています。

でも、そもそも「淡島様」って、何?

ということにあまり注意が払われていないように思います。少なくとも私はそうでした。

「淡島様」は、和歌山市の淡島神社のことで、その神様を元禄年間に勧請して御堂を建立したのが、そもそもだそうです。

その祭神が何かは諸説あるらしいのですが、神功皇后も入っていて、女性ですから安産や女性の病気平癒の御利益があるそうです。

また少彦名神とする伝承もあるそうです。少彦名神は、日本の国に薬や酒、裁縫の術をひろめた神様とされています。

・・・・っていうことを私が受け売りしているネタ元をここで明かしちゃいますが、それは「豊島屋本店」さんの社史です。

「淡島様」について不勉強だった私は、この社史で初めて、酒の神様であられたことを知りました。

「金婚」のブランド名で知られる、神田猿楽町の「豊島屋本店」さんは、去年の秋に大変立派な社史を刊行されましたが、その御店の起源に淡島様が関係あるのだそうです。

ある夜、創業者・豊島屋十右衛門の夢枕に、淡島様が立って、白酒のつくりかたを伝授し、その通りに醸ってみますと美味しい白酒が出来た、というのです。

十右衛門がそれを売り出したところ、大いに江戸中の評判になり、

「山なれば富士、白酒なれば豊島屋」と詠われるまでになったとか。

その御酒「金婚」を弊店でも販売しております。新年の、「淡島堂」御参詣のおりに、お召し上がり下さい。

「ちんや」は元日だけお休みをいただき、明日2日より通常営業いたします。

本年も、よろしくお願い申し上げます。

 

 

きんのと変わらぬけふの味

河治和香先生の歴史小説『どぜう屋助七』が、単行本に成りました。

で、その出版記念会がありまして、私も登場人物の子孫として御招待いただき、光栄にも鏡割りなどさせていただきました。

さて内容紹介です。ネタばれを避けるため、ほどほどに紹介しないといけませんが、この御本は、

浅草駒形にある、どぜう屋の主人・三代目越後屋助七を主人公にした小説です。(ちなみに当代は七代目)

三代目は料理屋の店主としては破天荒な人物で、剣の腕前がスゴく、趣味はと言うと粋な新内流しなので女にモテ、当初店の仕事は「ほったらかし」だったのですが、時代は幕末=御一新の激動期ですから、否応なく歴史の渦に巻き込まれて行きます。

政治の変動以外にも、火事・安政の地震・物価の騰貴と大変な時代でした。

そんな時代に、三代目も、店に集う人々も、江戸っ子の意地と持ち前の明るさで、暖簾を守ろうと頑張りぬく~そういう筋です。

ここに【目次】をコピペーしますと、

一、君は今駒形あたり どぜう汁

二、アメリカが来ても日本はつつがなし

三、恋は思案の外欲は分別の内

四、鯰もおごる神の留守事

五、鯨汁椀を重ねて叱られる

六、冥土の旅へコロリ欠け落ち

七、きゅうりごしんしんごしん

八、風の神雷門に居候

九、江戸の豚都の狆に追い出され

十、きんのと変わらぬけふの味

この話しの脇筋で私の祖先が登場します。

当家は、江戸時代から続いた狆の商いをやめて、牛鍋に転向したわけですから、実はやったことは、どぜう屋さんより大革新だったりしますが、この話しの年代は、それよりもう少し前のこと。狆屋をしていた最後の頃の話しです。

あんまり詳細に書けませんが、私の祖先はどじょうを狆に食べさせたり、狆をペリーに献上したりとユニークなエピソードが満載です。

やがて御一新、狆屋が「ちんや」と成ったのと前後して、駒形の三代目は亡くなり、この小説は終わります。その後のことは・・・このブログでも、まあ、お読み下さい!

ともあれ、なぜ浅草は昔も今も賑わっているのか、なぜ美味いものは昔も今も美味いのか、この話しに出て来るような人達がいたからだと私は思います。

「十、きんのと変わらぬけふの味」という最終章のタイトルに、その意味が込められています。

「きんの」とは今はもうあまり使われない下町方言で、昨日のことです。

河治先生が「変わらぬ今日の味」を評価して下さり、その為に生涯を捧げた浅草人のことを描いて下さったことが嬉しいです。

是非お読みください。 是非。

追伸①

 

クリスマス・イベントを開催します。

「イブすきの日に、指宿の焼酎を!」

とうことで、12/24に「ちんや」お座敷(=個室・大広間)で、すき焼きを頼んだ方に、指宿市の芋焼酎グラス一杯をサービスに致します!

堂々オヤジ・ギャグです。

サービス品だからと言って、質が悪いわけじゃあございません。

白露酒造さんの『岩いずみ』という品ですが、

指宿市山川地区の「黄金千貫」を主に使用。

また国土交通省「水の郷百撰」に認定された、開聞岳の麓より湧き出す天然水(軟水)を使用しています。

白麹仕込と黒麹仕込という製造方法の異なる焼酎を絶妙にブレンドしてありまして、実にマイルドです。

さらに1年熟成させることにより、味わいと甘い余韻を醸し出しています。このメーカーさんは熟成に重きを置いておいでなので、「ちんや」の味に合うと私は思っています。

と、いう次第で「イブすきの日に、指宿の焼酎を!」

お後がよろしいようで・・・

追伸②

ビジネスマンの方を対象に、忘年会に関する意識調査を実施させていただました。
目的は、もちろん、日本の会社の忘年会を、もっとワクワクするもの、もっと意義あるものにしたいからです。
忘年会は毎年惰性でやっている…では悲しいですよね。
ビジネスマンの皆さんは、どんな忘年会なら出席したいのか、逆に、どういう忘年会はパスしたいのか、
その答えがここにあります。
会社の忘年会から、この国を元気にしていきたいと思います。

この調査結果は、そのための参考にしていただきたいと思います。
さてさて、大ショックの調査結果はこちら↓から。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.389日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

なんちゃって和食

和食がユネスコの無形文化遺産に登録されたそうです。目出度いです。

では、今後この影響はどういう形で出るでしょうか。

世間の論調は、

・日本国内の「和食離れ」にストップがかけられる。

・食材を海外へ輸出できる。

・日本を訪れる外国人観光客が増える。

・海外の「なんちゃって和食」レストランを、よりまともな方向へ変えられる。

この中で難しいのは、「食材を海外へ輸出」でしょう。

既に海外には、かなりの数の「なんちゃって和食」レストランがあります。

ある人は、味噌汁に「れんげ」が付いてくるかどうかが、見分けるポイントだ、と書いていました。付いて運ばれてきたときは大抵アウト。「ミソスープ」という感覚⇒出汁をとっていないことが多いそうな。

食材も現地の、似た食材を使っているようです。

経営者も中国系や韓国系が多いとか聞きます。彼らが、本物の日本の食材を真剣に求める日がすぐやって来るとは思えません。

だいたい、日本人だって、人のことはとやかく言えません。

ついこの間まで日本人はイタリア料理と言えば「ナポリタン」しか知らなかったんですから、イタリア人から見れば、当時の日本のレストランは「なんちゃって」に見えていたことでしょう。

食材だって日本の材料で「ナポリタン」でした。

でも、ことさらに嘆くのは良くないと私は思います。

本物への入り口は、やはりどうしても「なんちゃって」です。

今「すき焼きが好きだ」という方の、相当人数は牛丼チェーンの牛丼を入口にしていると思います。ああいうチェーンが世にひろまってから、もうだいぶ年月がたっていますからね。

一生チェーンの牛丼しか食べない人も多数いるでしょうが、「いつかもっと旨い肉を食べたい!」と思った人もいたわけです。「吉N家」さんの牛丼は、基本的には良く出来たものですから。

同じように「なんちゃって和食」に触れてガッカリする外人さんも沢山いるでしょうが、食べてみて、それが「なんちゃって」であることに気づき、「もっと・・・」と思う人も必ず大勢いると思います。

ミソ・スープのように基本から外したものは困りますけどね・・・

今度こそは本物を食べたい!

と日本を目指す人が増えたら良いと思っています。

追伸①

クリスマス・イベントを開催します。

「イブすきの日に、指宿の焼酎を!」

とうことで、12/24に「ちんや」お座敷(=個室・大広間)で、すき焼きを頼んだ方に、指宿市の芋焼酎グラス一杯をサービスに致します!

堂々オヤジ・ギャグです。

サービス品だからと言って、質が悪いわけじゃあございません。

白露酒造さんの『岩いずみ』という品ですが、

指宿市山川地区の「黄金千貫」を主に使用。

また国土交通省「水の郷百撰」に認定された、開聞岳の麓より湧き出す天然水(軟水)を使用しています。

白麹仕込と黒麹仕込という製造方法の異なる焼酎を絶妙にブレンドしてありまして、実にマイルドです。

さらに1年熟成させることにより、味わいと甘い余韻を醸し出しています。このメーカーさんは熟成に重きを置いておいでなので、「ちんや」の味に合うと私は思っています。

と、いう次第で「イブすきの日に、指宿の焼酎を!」

お後がよろしいようで・・・

 追伸②

ビジネスマンの方を対象に、忘年会に関する意識調査を実施させていただました。
目的は、もちろん、日本の会社の忘年会を、もっとワクワクするもの、もっと意義あるものにしたいからです。
忘年会は毎年惰性でやっている…では悲しいですよね。
ビジネスマンの皆さんは、どんな忘年会なら出席したいのか、逆に、どういう忘年会はパスしたいのか、
その答えがここにあります。
会社の忘年会から、この国を元気にしていきたいと思います。

この調査結果は、そのための参考にしていただきたいと思います。
さてさて、大ショックの調査結果はこちら↓から。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.386日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

 

 

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キウイですき焼き興し

最近キウイに注目しています。

キウイにアクチニジンというタンパク質分解酵素の一種が含まれているからです。

キウイを食べるとアレルギーに成る、という人がたまにおいでですが、この物質がアレルゲンなのです。

「アレルゲン」というと聞こえが悪いですが、それほど強力な物質なので、便利な使い道もあります。肉のタンパク質を分解して、柔らかくすることが出来るのです。

このブログに何回も書いております通り、私は、肉の仕入れや管理に際して、消化が良い肉=モタレない肉であること、を最重要に考えています。

昨今、見栄え重視の発想や畜産経営上の都合で、世間に消化の悪い肉が実に多く、消費者の肉離れを招いていますが、是非その傾向をストップしたいと私は思っています。

また、特に「ちんや」が在る浅草という土地柄、ご家族連れで、お爺様・お婆様も交えて、大切な食事をしていただくのが、弊店の役割ですので、モタレないことが、とても大事です。

肉料理は色々ありますが、年配の方が一番召し上がるのは、すき焼きでしょう。だから、モタレてはいけないのです。

それで、肉自身がモタレないことが勿論一番重要ですが、さらに加えて消化酵素で消化を促進することも重要となってくる次第です。

その消化酵素が、キウイのアクチニジンなのです。

味の面でも、酸味のあるキウイは、すき焼きのサイドデイッシュとして一緒に食べますと、甘辛い味に飽きた舌をリフレッシュすることができますので、塩梅が良いです。今後注目して使って行こうと思っています。

さて、こう方法に最初に気づいた人は岐阜県にいました。岐阜県関市の洞戸(ほらど)の人達です。

洞戸は日本有数のキウイの生産地ですが、この町で、キウイを活かした町興しを展開しておいでの「NPO法人洞戸村ふるさと塾」の理事長さんと、最近私は知り合うことが出来まして、収穫したばかりのキウイを送って貰うことができました。

たまたま近江肉牛協会の人達の宴会が「ちんや」でありましたので、洞戸のアクチニジンをお試しいただきました。結果、

あれだけ食べたのに、まだ食べられる!というのが何よりの評価で、嬉しいことでした。

今回「すき焼きとキウイ」と最初に考えた方々と知り合うことが出来ましたのは実に有り難い御縁でした。

洞戸の方々は、今後も「すき焼き・肉料理にはキウイが御約束!」とPRして行くお考えのようですので、私もちゃっかり便乗させていただく考えです。

だいたい、すき焼きはアクチニジンと共に摂取すべきだ、という考え方は立派な知的財産なのであって、それを思いついた洞戸の人は先行利益を得るべきだと思います。

キウイとすき焼きで町興し!

キウイですき焼き興し! ドンドン行きましょう。

  追伸①

単行本『東京百年老舗』に載せていただきました。

21人のフォトグラファーたちが、歴史と伝統を現在に伝える「老舗」の魅力を余すことなく写しだした写真集です。

時代が変わっても、変わることのない老舗の魅力が、ここにあります。

くわしくはこちら↓です。

 追伸②

ビジネスマンの方を対象に、忘年会に関する意識調査を実施させていただました。
目的は、もちろん、日本の会社の忘年会を、もっとワクワクするもの、もっと意義あるものにしたいからです。
忘年会は毎年惰性でやっている…では悲しいですよね。
ビジネスマンの皆さんは、どんな忘年会なら出席したいのか、逆に、どういう忘年会はパスしたいのか、
その答えがここにあります。
この調査結果は、そのための参考にしていただきたいと思います。
会社の忘年会から、この国を元気にしていきたいと思います。
さてさて、大ショックの調査結果はこちら↓から。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.382日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

 

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千住葱

11/25の「読売新聞」都民版の「東京の記憶」というコーナーに「千住葱」のことが載っていました。

「千住葱」については、現在チト分かりにくくなっています。二重の定義があるからです。ですので補足をしつつ、ご紹介します。さて、

定義①=品種としての千住ネギ。

定義②=ブランドとしての千住葱。

ネギの品種には「千住ネギ」と「加賀太ネギ」と「苦情ネギ」いや「九条ネギ」の3種がありまして、

有名な「深谷葱」は品種としては「千住ネギ」、

やはり有名な「下仁田葱」は品種としては「加賀太ネギ」に入ります。

「九条ネギ」は、京都のすき焼き屋さんに行くと出て来る、あの青ネギのことです。

定義①の「千住ネギ」の内で、東京都足立区に在る市場「山柏青果物市場」で取引されたものが、②のブランドとしての「千住葱」となります。この記事は実はそれについて書いてあるのです。引用しますと、

「足立区には全国唯一とされるネギ専門の市場がある。ネギは集散地にちなんで「千住葱」と呼ばれ、葱商と呼ばれる目利きの仲買人たちがブランドを守り続けてきた。」

「足立区千住河原町の住宅街の一角にある民営市場「山柏青果物市場」。6軒の葱商が毎朝、威勢のいい掛け声とともに埼玉県などから出荷されたネギを競り落としていく。ここで、葱商が太鼓判を押したものだけが「千住葱」となる。」

「千住河原町には現在「山柏」しかないが、かつては青果市場としてにぎわい、「やっちゃ場」と親しまれた。近くの稲荷神社にある、1906年に建てられた石碑には「市場創立三百三十年」と彫られている。計算すると、天正4年(1576年)という古さだ。」

へえ、そんなに旧かったんですねえ、知りませんでした。

現在その場所に行ってみると、どこにでも在る商店と住宅の雑居地で、築地のような市場はありません。

そう、市場は他へ移転してしまったのです、その経緯について記事は、

「太平洋戦争末期には近くの千住橋戸町にできた都の市場に多くの問屋が移り、1979年にはさらに青果部門が足立区北部にある入谷の市場へ移転した」

「入谷移転の際、山柏にも移転の打診があったが、千住葱商組合が反対した。戦前から葱商を営む「葱茂」2代目の安藤賢治(70)によると、反対の理由は「決まった時間に得意先に配達できなくなる」という単純なものだったが、「あのとき千住から離れなかったおかげで、名を残せた」と振り返る。」

ここがポイントです。葱商の人達だけが千住河原町に残って、高級葱に特化して取引きしてきた結果、だんだんにブランド化してきたのです。

品種としての千住ネギは各地で栽培されており、逆に千住では千住ネギは栽培されていないのですが、市場の名声がブランドに成っていった、という珍しい事例と思います。

「千住葱は白根の長い根深ネギで、「巻き」と呼ばれる白身の層の枚数が多く、太いものだと直径3センチほどにもなる。熱を通すと独特の甘みがあって軟らかい。プロの高い評価を受け、味にこだわるすき焼き屋やそば屋、焼き鳥屋などに重宝されている。」

「プロ」の筆頭にすき焼き屋が挙がっているのは嬉しいですね。「ちんや」も勿論千住葱です。

さてさて、それにつけても「産地偽装」が問題になった今後、このブランドはどうなるでしょうか。なにしろ、千住では栽培していないんですから。

そう言えば「アサクサノリ」も浅草では養殖していませんが、レッキとした品種名です。

葱組合の方々も議論をなさっているようなので、経過を見守りたいと思います。

追伸①

単行本『東京百年老舗』に載せていただきました。

21人のフォトグラファーたちが、歴史と伝統を現在に伝える「老舗」の魅力を余すことなく写しだした写真集です。

時代が変わっても、変わることのない老舗の魅力が、ここにあります。

くわしくはこちら↓です。

 追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

現在の笑顔数は373人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.374日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

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春菊の役割

春菊についてのテレビ取材がありました。

NHK総合テレビの、『月刊やさい通信』という番組で、日曜の朝にやっている、野菜専門の情報番組です。

夜が遅い私は、ほとんど見逃していますが、2005年から続いていると言いますから、大した長寿番組です。

さて撮影項目としましては、

・店の外観、内観

・厨房で材料を用意する様子

・座敷に運ぶ様子

・テーブルの上の肉とザク

・仲居さんにすき焼を作って頂く様子

・私のインタビュー

※なぜ、すき焼きにシュンギクを入れるのか

※すき焼におけるシュンギクの役割 

です。

悩むんですよねえ、こういう御取材は。ハッキリしたことは分かりませんから、推測で行くしかないからです。

でも、まあ、最近はヘンに度胸が付いてきて、こういうことにも慣れ始めています。

放送をお楽しみに!!

11月24日(日)朝6:15~6:45

11月28日(木)昼12:20~12:43(短縮版)

http://www4.nhk.or.jp/P554/

 追伸①

単行本『東京百年老舗』に載せていただきました。

21人のフォトグラファーたちが、歴史と伝統を現在に伝える「老舗」の魅力を余すことなく写しだした写真集です。

時代が変わっても、変わることのない老舗の魅力が、ここにあります。

くわしくはこちら↓です。

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

現在の笑顔数は370人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.344日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

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大鰐温泉もやし

「変わりザク」のメニューとして、1年ぶりに「大鰐温泉もやし」が帰って来ます。

このもやしは、もやしを栽培する土の周囲に温泉を循環させ、その熱を利用して育てるもやしです。だから「温泉もやし」なんです。

その歴史は大変古く津軽藩三代藩主・津軽信義侯の頃から、少なくとも300年以上、大鰐(おおわに)の特産品として、町民はもちろん青森県人なら皆知っている特産品であり続けて来た、と聞いています。

しかし、実は近年生産者が5軒まで減ってしまいました。そこで地元では協議会を設立し、これまで栽培技術を一子相伝で伝えてきたのを改めて生産の復活を目指しておられます。

その他にも、まだまだ特徴がありまして、

・非常に珍しい土耕栽培(他のもやしは水耕栽培)

・無農薬、無化学肥料栽培

・豆の種類は、門外不出の「小八豆」 

そういう次第で、値段も結構な良いお値段なのですが、「ちんや」では昨年の冬からメニューに取り入れています。

お客様の反響も悪くなく、高いお値段にも御理解を示して下さる方が多かったように思います。

で、1年ぶりに「大鰐温泉もやし」が帰って来ます。

これを、すき焼きに入れていただきます。売店で小売りもします。   

とにかく、びっくりするほど立派です!

とにかく、一度お試しいただいたいと思います。

追伸①

単行本『東京百年老舗』に載せていただきました。

21人のフォトグラファーたちが、歴史と伝統を現在に伝える「老舗」の魅力を余すことなく写しだした写真集です。

時代が変わっても、変わることのない老舗の魅力が、ここにあります。

くわしくはこちら↓です。

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

現在の笑顔数は370人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.340日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

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60年に一度

出雲大社に行って参りました。

が、とにかく混んでいました。

観光客が多くて神聖な気分に浸るのが難しいです。悪いのは「60年に一度」の年にノコノコ出かけて行った、こちら側なのですが、とにかく予想以上の混み方でした。

往復の飛行機は早朝の便なのに満員。宿が島根県内ではとれず、隣県の皆生温泉にとったのですが、なんと、7人部屋。普通は3人か、せいぜい4人位しか入れない部屋だと思うのですけど、7人も入って部活の合宿みたいでした。

そうした混み方が今年いっぱい続く、というのですから、恐れいってしまいます。

島根県と隣の鳥取県は、「この千載一遇の機会を逃すな!」と観光誘致に血眼で、どこへ行っても観光スポットは大盛況でした。

いろいろな商品開発も進められて来たようで、土産物屋の店先には、カラフルな商品が山積み。その商品に団体さんが群がっています。

景気良いですねえ。

しかし、大丈夫なんでしょうか。

来年以降も、この人達は出雲に関心を持ち続けるでしょうか。

どうも、土産の商品のラインナップに「話題性先行」のものが多いような気がするのです。

典型的にはキャラクター商品。

「ゆるキャラ」を創って、中身の味よりパッケージの面白さで買わせようとする品物が実に多く並べられていました。まあ、でも、そうした土産物を自分で食ったわけでないので、それで批判するのは良くないですね。この位にしておきます。

土産として貰った人が、気にいって⇒次は自分で注文するようになればベストですけどねえ・・・

だいたいですね、土産と申しますものは、元々地元の名産品でしたよね。

名産だから、その土地を訪ねた人が、留守を守ってくれている身内のために買って来たものなのですが、今時はなんだか、そういう前提は崩れてしまい、とにかく話題性のあるもの=手渡した時に面白がって貰えるもの、にシフトしているように見えます。

だって名産なんて、いつでもネットで買えたり、東京駅で買えたりしますからねえ、現地に行って買う意味が希薄なのです。

あーあ

大丈夫なんでしょうか。

追伸①

単行本『東京百年老舗』に載せていただきました。

21人のフォトグラファーたちが、歴史と伝統を現在に伝える「老舗」の魅力を余すことなく写しだした写真集です。

時代が変わっても、変わることのない老舗の魅力が、ここにあります。

くわしくはこちら↓です。

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

現在の笑顔数は370人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.339日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

 

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媒酌人

その御方が御媒酌人だと知って、本当にびっくりしました。

浅草の、神輿・太鼓製造の老舗・宮本卯之助商店の若旦那の結婚披露宴に出席しましたら、以前弊ブログの2012年10月22号で書かせていただいた、春日大社の権宮司様が見えていました。

で、その権宮司様が、その日の御媒酌人だと言うのです。

へええ、です。

ちょうど一年前「国際観光日本レストラン協会」の研修会で権宮司様から神様への供物の説明を聞いていまして、その中に「浅草海苔」が入っていると知って驚いた私は、講演が終わった後の懇親会の時間に権宮司様に、この件を質問してみました。

その回答は・・・

奈良の酒を関東に送った後、その帰りの船に積んで来たんだと思いますよ。

という御返事でした。

実は17世紀の中頃まで、日本の酒造りの中心は奈良で「奈良酒」と言っていました。醸造技術は先進技術なので関東では発達しておらず、それで奈良から関東へ酒を送っていたのです。 

その頃には既に江戸湾で海苔が生産されるようになっていたので、奈良へ戻る船に積まれたのだろう、という権宮司様の説明でした。

その、一年前のやりとりを御記憶いただいているだろうか・・・

と少し心細く思いながらも、高砂に御挨拶にうかがいまして、

ちょうど一年前に浅草海苔のことをお尋ねした者ですが・・・

と名乗りますと、

ああ、「ちんや」さんでしょう、覚えてますよ。だって私は以前にオタクさんに行ったことがありますもん!

と在り難いことに覚えていて下さり、宮本さんの御縁で再会できまして、実に在り難いことでした。

「ちんや」の精肉売店ではアサクサノリの「浅草海苔」を売っていますが、これだけ有り難い御縁があるなら、ますます頑張らないといけませんね。

さらに申しますと、新婦の父上は「すきや連」メンバーで帯広の「六花亭」さんの御主人。これも奇遇でした。

末筆ながら、宮本家・小田家御両家の、ますますの繁栄を祈念申し上げます。

おめでとうございました。

追伸①

単行本『東京百年老舗』に載せていただきました。

21人のフォトグラファーたちが、歴史と伝統を現在に伝える「老舗」の魅力を余すことなく写しだした写真集です。

時代が変わっても、変わることのない老舗の魅力が、ここにあります。

くわしくはこちら↓です。

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

現在の笑顔数は370人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.338日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

 

Filed under: 色んな食べ物,飲食業界交遊録 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)