花一期

琵琶の友吉鶴心さんの公演「花一期」を拝聴して来ました。会場は国立能楽堂でした。

鶴心さん、いや、友吉君は私の浅草小学校の同級生で、「台東区アートアドバイザー」の同僚でもありますが、近年琵琶の演奏だけでなく、NHK大河ドラマの邦楽監修の仕事を何年も続けて引き受けていて、すっかり有名人に。今回の公演も大盛況。タメ口をきけなくなる日も近いと思われます(笑い)

「花一期」は、当初勉強会的な性格だったのが、次第に大きな会場に移り、25回も続いていて、大変なご努力だと思います。

さて今回は目玉が二つもありました。

まず昭和5年生まれで、日本芸術院会員、能楽界の御大である野村萬さんとの共演。演目は「文蔵」。

それから、デーモン小暮閣下を語り手として迎えた、「耳なし芳一」。

「耳なし芳一」は音響効果も練られていて、ド迫力。怪談が能楽堂を被う感覚でした。

ますますのご活躍を確信した一夜でした。お芽出とうございました。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.821日連続更新を達成しました。 すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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すき焼き川柳コンクール2017

「すき焼き川柳コンクール2017」の結果を発表したいと思います。

このコンクールは5回目なので、ご存知の方も多いかと思いますが、念のため再度ご説明しますと、このコンクールに当選しますと、「ちんや」の食事券が貰えるだけでなく、「すき焼き川柳包装紙」に句が刷り込まれるのです。

これから発表する分は、来年の5月の三社祭の日に出来上がる包装紙に刷り込まれます。

そもそも食事の思い出を記す方法として川柳は一番素敵ですね。それに、すき焼きほど川柳に合う料理は他にないとも思います。川柳は、日本人とすき焼きの繋がりの深さを、あらためて教えてくれます。

そして何より、この店で働く私達にとってはヤル気の源になります。ここに書かれている様な幸せの為に働いているんだということを、川柳は思い出させてくれます。在り難いことです。

こんな包装紙はなかなか無いと思いますよ・・・

おっと、前置きが長くなりました。

それでは、「すき焼き川柳コンクール2017」の結果を発表したいと思います。(作者敬称略)

 

<超ウケ賞(1句)>

合格祝い 我が子ほめずに 肉ほめる(ごんた)(練馬区、41歳)

 <大ウケ賞(3句)>

すき焼を 囲んで笑顔 七福神(菊間清二)(新宿区、78歳)

もみじ狩り まずは鍋の 紅葉を(モテキ)(群馬県前橋市、40歳)

あまいタレ お支払いも あまくして(ひろむし)(神奈川県横浜市、48歳)

 <ややウケ賞(5句)>

湯気立ちて 牛鍋囲みて 暑気払い(はじめ)(千葉県市原市、83歳)

わが夫は すき焼きもてなす 好好爺(糟糠の妻)(目黒区、82歳)

誕生日 すき焼き食べて 更に長生き(大島政次)(群馬県太田市、68歳)

歯もボロボロ 食べときゃよかった ちんやの牛鍋(眼もボロボロ)(台東区、68歳)

すき鍋に 煮込む家族の 祝い事(多芸岡)(足立区、79歳)

 

*入賞お芽出とうございました!

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語源

あるテレビ番組で「すき焼き」「割り下」「シラタキ」の語源を紹介するとかいうことで、弊店で収録がありました。

まず「すき焼き」については、弊ブログの2013513をご覧ください。

次に「割り下」です。

「割り下」は「割り下地(したぢ)」がつまったもの。料理のベースとなる下地を、調味料の割合を勘案しながら作ったものが「割り下地」です。

だから、すき焼きの割り下だけを「割り下」と言うのは変なのですが、なぜか、すき焼き以外には、あんまり言わないですね。

あまり言わないので、言葉としての認知度が低くなり、最近では「割り下」のことを「タレ」という人が多いです。

「タレ」は「垂れ」です。

調味料の製造過程で、もろみを布袋に入れ→それを搾りますが、その時袋から垂れ出てくる様を観て「タレ」と呼ばれるようになりました。だから、それをさらに何種類かまぜ合わせて鍋の中に溜めた場合は、やっぱり「割り下」だと私は思います。

さて、「シラタキ」は「白滝」。

「シラタキ」を作るには、コンニャク芋の粉と石灰を混ぜ合わせ、固まらない内に、小さい穴から湯の中に押し出して→固めます。

押し出す時に、細い糸状の物なので「白滝」に見えるという次第です。オツなネーミングですね。

今度カノジョとすき焼きを食べる時、ウンチクたれてみてはいかがでしょう。

 

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長寿企業の知恵⑮

ネットTV番組『Story 〜長寿企業の知恵〜』に出演させていただきました。

この番組は、創業100年を超える老舗企業の経営者をゲストに招き、長寿企業の経営者が持つ知恵や理念、思いを語る、というものですが、思いがけず好評で嬉しく思っています。

こちらのURLで今でも視聴可能ですなのですが、全長50分と少々長いし、そもそも動画は音が出せる環境でないとダメなので、文字情報が欲しいというご要望をいただきました。以下に公開してまいります。

(長いので15日に分けてUPしています。今日は、その最終日です)

<ナレーション>

最後のテーマは…「NEXT100年」時代を超え、継承され続ける長い歴史とともに先代、そしてお客様から紡ぎ、語り継がれた「すき焼きちんや」の物語…6代目住吉史彦が次代へ届ける“長寿企業の知恵”とは?

石田「最後に、次の100年に向け、変えるべきモノ、変えないモノ、この先、会社にとって“コア”となる部分を教えてください。」

住吉「美味しいことを何よりも優先させること。安くすれば売れそうであっても美味しくなければ売らないこと。話題性があって、高く売れそうであっても美味しくなければ売らないこと。」

朝岡「その“思い”を継続するためには、何が重要?」

石田「飲食に関わらず長く愛され続ける企業には何が必要?」

住吉「美味しいには合理性が必要だと認識すること。同じことですが、老舗は零細な巨大企業だと認識すること。膨大な数を売って行くのだから、合理性が必要。安さで売るはNG。話題性で高く売るもNG。」

朝岡「『100年先の後継者』に伝えたい事は?」

住吉「顧客志向すなわちお客様の方を見なければ継続しない。そして、その顧客志向とは、安さでも利便性でもなく、お客様に「銭失い」をさせないこと」

朝岡「100年先の『すき焼き』は人々にとってどんな存在であって欲しいと考えている?」

住吉「その時点でも、日本人の思い出に一番登場する食べ物であって欲しいと思います。」

石田「『ちんや』が掲げる、今後の展望は?」「社長自身の、個人的な展望は?」「今後の『新しい構想』などは?」

住吉「実はですね、言いづらいんですけど、経営者はメデイアで構想・展望を語るなかれという教えがあるんですよ。公言してしまった手前、引っ込みがつかなくなって、無理な計画でも推進してしまうからですね。最近の若い社長さんって、皆さん壮大なことを言っていて、私は頼もしいという感じよりは恐ろしい感じがしています。」

「とりあえず「適サシ肉」が、業界のスタンダードに成って行くことを祈念しますが、私一人で強引に進められるものでもないです。最近在り難いことに講演に呼んでいただくことも増えてきたので、そういう機会を利用して、地道に時間をかけて普及させて行こうと思っています。「やり遂げて見せます」っている感じより「祈念します」っていう感じで丁度良いのかなあと思っています。」

石田「本日のゲストは、取締役社長・住吉史彦さん様でした。」

一同(ありがとうございました!)

※収録終了

 

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.809日連続更新を達成しました。 すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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長寿企業の知恵⑭

ネットTV番組『Story 〜長寿企業の知恵〜』に出演させていただきました。

この番組は、創業100年を超える老舗企業の経営者をゲストに招き、長寿企業の経営者が持つ知恵や理念、思いを語る、というものですが、思いがけず好評で嬉しく思っています。

こちらのURLで今でも視聴可能ですなのですが、全長50分と少々長いし、そもそも動画は音が出せる環境でないとダメなので、文字情報が欲しいというご要望をいただきました。以下に公開してまいります。

(長いので15日に分けてUPしています。今日は、その14日目です)

石田「『すき焼き思い出ストーリーの本』で社長が特に印象的だったエピソードは?」

住吉「投稿の中に「親子五代」という題の、63歳の女性からいただいた一本がありました。タイトルの通り五代に渡って「ちんや」を利用して下さっている方からのご投稿でした。それは、こんな内容でした~「ちんやさん、創業135周年おめでとうございます。この記念すべき年の某月某日、私達家族は、ちんやさんに集合しました。娘が発案し、私達を招待してくれたのです。まず次男の誕生日祝、主人のための「父の日」感謝祝、娘の誕生日前夜祭、私の誕生日祝、そして私達夫婦の結婚31周年祝。何と一石五鳥?!」これを遡る31年前、私達の結納の儀を執り行わせて戴きました。昨日のことのように思い出されます。お陰様で三人の子供達に恵まれ、皆まじめな社会人に育ってくれました。有難いことです。」

「更に遡る事今から70数年前、母達四姉妹は、当時のグルメであった?らしい祖母と曾祖母に連れられて、ちんやさんに時折おじゃましていたそうです。135周年の歴史の中のほんのひとコマ。親子五代にわたっての、ちんやさんとわが家の、ささやかで不思議なご縁の思い出エピソードです。」(投稿以上)

この御投稿以外にも、投稿の多くが家族ですき焼きを食べに通った思い出話しでした。それで、この本を読んだ、私の同級生で琵琶奏者の友吉鶴心さんに「世の中には「何代も続いているお店」というのはたくさん在りますが、お客の方が「家族で何代も通えているお店」というのは、それこそ「老舗」なのかなぁということを、この投稿を読んでみて実感したわけです。」と言っていただきました。私は店主としては六代目ですが、自分が六代目だということより、お客様に五代目の方がいるということの方が、余程誇らしいことだと思っています。」

石田「現在もサイトではストーリーを募集されているんですよね?」「第二弾、第三弾…の出版予定は?」

住吉「はい、もちろん、これは永久事業です」

朝岡「本を作る過程で気付かされることなどはありましたか?」

住吉「五代目の御投稿以外にも、投稿の多くが家族ですき焼きを食べに通った思い出話しでした。そして、皆様の思い出ストーリーを全部読み終えた時、私は気づきました、牛の産地が出てこない。等級も出てこない。そうか、それらは皆、売り手側の都合だったんだ!この時、それがしみじみと分かりました。そして、自分たちが川上ばかりを意識するのを止めて、お客様の方を向かないといけない、ということを改めて教えられました。やがて、これは「適サシ肉宣言」につながっていきます。」

 <ナレーション>最後のテーマは・・・<この続きは、明日のこのブログで>

 

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.808日連続更新を達成しました。 すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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長寿企業の知恵⑬

ネットTV番組『Story 〜長寿企業の知恵〜』に出演させていただきました。

この番組は、創業100年を超える老舗企業の経営者をゲストに招き、長寿企業の経営者が持つ知恵や理念、思いを語る、というものですが、思いがけず好評で嬉しく思っています。

こちらのURLで今でも視聴可能ですなのですが、全長50分と少々長いし、そもそも動画は音が出せる環境でないとダメなので、文字情報が欲しいというご要望をいただきました。以下に公開してまいります。

(長いので15日に分けてUPしています。今日は、その13日目です)

田「同業を含めて、浅草には特に長寿企業が多いと思うが、その理由は?」

住吉「そのご質問にお答えするには、浅草の原点に立ち戻らないといけません。17世紀の話しになりますが、この頃浅草は食べ物商売をもとにして成立して、その後も食べ物が中心の街であり続けました。最初の商いは「水茶屋」です。貞享2年(1685年)に「仲見世」の前身である商店が設けられた、浅草寺が近隣住民に境内の清掃を役務として課す見返りに、参道での営業を許可した、という記録があるそうですが、その商売が「水茶屋」つまり参詣人に茶や団子を売る商いでした。それが、浅草の「そもそも」です。

『浅草は何故・・・』の江戸前鮨の内田さんとの対談の時に強く感じたのですが、食べ物というものは、人間の生理にダイレクトにつながっていて、太古以来の悠久の歴史を持っています。だから、その歴史に想いを致しながら仕事をしていくと、その店は老舗化し易いと言えるかもしれません。食べ物の歴史に想いを致し続けますと、まず最初にその店は一流の店となり、その想いが二代目・三代目へと伝わって行き、さらにはお客さんへも伝わって行くと、ついにその店は老舗となるのだと思います。そういうことが起こり易いのが、食べ物商売だと私は思っています。舩大工さんのおでんが売れ続けたのは、煮物という仕事に真っ直ぐだったからであり、熊沢さんのお店が六区ドン底の時代にもお客様を引きつけたのは、なつかしい洋食を作り続けたからだと思います。被災したり、業界のピンチを経験したりした時に、その場凌ぎをせず、逆にピンチを契機に料理の本質に向かって行った人が結局老舗化しているということを、是非この本で読者の皆様にお伝えしたいと思いました。ご本人は「親父から習っただけ」とか「料理なんだから旨いのは当たり前」とか言っておいでの場合が多いですが、起きていたことは、実はそれでした。」

 

<書籍の画像=『すき焼き思い出ストーリーの本』>

朝岡「これはどのよう本ですか?」

住吉「ここに掲載されている物語は全て一般の皆様から投稿していただいたものです。思い起こすと『すき焼き』は文明開化の昔から、日本人の思い出の中に生きてきたものであり、料理は他にいくつもある中で、人々の思い出と一番つながっている料理は『すき焼き』だと私は思っています。しかし残念ながら、これまで「思い出を纏めて保存したもの」がなかったように思います。そこで私は、これを本にしよう!考えました。創業130年で集め始め、135年で本にしました。今後この本を、店の歴史の資料として、すき焼き文化の資料として、末永く保存させていただこうと考えています。」

石田「社長が特に印象的だったエピソードは?」

<この続きは、明日のこのブログで>

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.807日連続更新を達成しました。 すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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長寿企業の知恵⑫

ネットTV番組『Story 〜長寿企業の知恵〜』に出演させていただきました。

この番組は、創業100年を超える老舗企業の経営者をゲストに招き、長寿企業の経営者が持つ知恵や理念、思いを語る、というものですが、思いがけず好評で嬉しく思っています。

こちらのURLで今でも視聴可能ですなのですが、全長50分と少々長いし、そもそも動画は音が出せる環境でないとダメなので、文字情報が欲しいというご要望をいただきました。以下に公開してまいります。

(長いので15日に分けてUPしています。今日は、その12日目です)

 

石田「地域での活動は本業にも大きな影響をもたらしている?」

住吉「プラスマイナスありますね。店の連中は、ウチの社長は忙しいなあ、留守にするのは困るなあ、と勿論思っていると思いますよ。でも逆に、その留守を守ることも浅草の御為ですから、責任感が芽生えてくると思います。」

朝岡「社長にとって“浅草”とはどんな街?」

住吉「この世の中で唯一無二の街だということは強く意識しています。」

浅草の全盛時代についておさらいしますと、

①浅草の中心には浅草寺(=宗教)があり、その北に、

②猿若町(=エンターテインメント産業)があり、さらにその北に、

③吉原(=セックス産業)が並んでいました。そして、

④浅草の南には米蔵(=経済力)が集中していました。

これほどのラッキーさの中で、浅草は成立したのだ、ということを忘れてはいけません。この世の中に2つとない土地であることがすぐわかると思います。」

 

石田「ほかにも、業界内での取り組みはございますか?」

住吉「『すきや連』という会、すき焼き屋の集まりを主催しています。

石田「この会がスタートしたきっかけは?」

住吉「200810月に平凡社新書『すき焼き通』が刊行された時、この本に載ったすき焼き屋が集まりました。すき焼き屋の集まりというのは、それまでなかったので、参加メンバーの中から、是非また集まりたいという話しになりました。以来年に3回のペースで集まっています。勉強会や見学会をした後、すき焼き大宴会をします。開催地は、北は米沢、南は熊本まで広がっています。最初の会場店が「ちんや」だったので、私が事務局長に成り、ずっと永久幹事を務めています。なお「すきや連」が発足した1015日は、日本記念日協会から「すき焼き通の日」として認定されています。」

朝岡「同じ業界だからこそ、有益な情報交換なども行える?」

住吉「実は正確に申しますと、同業団体ではないです。食材の生産者やメデイアの方、単なる愛好家もいますが、そこが良いのです。業界外の方は純粋に興味を持たれて色々質問して来られるので、すき焼き屋の方も、うっかり秘密を話してしまいます。それが有益なんです。それから、ほとんどの方が会社のオーナーさんで代理出席を認めないのも特徴です。やはり勤め人の方は、上司に気を遣って口が重いですからね。それでは忌憚のない意見が飛び交う雰囲気になりません。人から情報を獲るだけ獲っておいて、自分は出し渋るというような態度では、本当の意味で全体の進歩になりません。」

 

石田「同業を含めて、浅草には特に長寿企業が多いと思うが、その理由は?」

<この続きは、明日のこのブログで>

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.806日連続更新を達成しました。 すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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長寿企業の知恵⑪

ネットTV番組『Story 〜長寿企業の知恵〜』に出演させていただきました。

この番組は、創業100年を超える老舗企業の経営者をゲストに招き、長寿企業の経営者が持つ知恵や理念、思いを語る、というものですが、思いがけず好評で嬉しく思っています。

こちらのURLで今でも視聴可能ですなのですが、全長50分と少々長いし、そもそも動画は音が出せる環境でないとダメなので、文字情報が欲しいというご要望をいただきました。以下に公開してまいります。

(長いので15日に分けてUPしています。今日は、その11日目です)

 

<業界での取り組み。長寿企業と地元地域>

石田「現在、地域での活動や同業者との取り組みなど行っていることは?」

住吉「ウチの裏通りである「雷門横丁」の「一斉清掃」を、平成18年から毎月一回行っています。毎月第三金曜日の朝10時から、通り会員が総出で道の清掃をします。連続10年を達成した時には台東区役所から表彰されました。」

朝岡「この活動はどのようなきっかけで始めた?」

住吉 「一斉清掃が、暑い日も寒い日もめげずに続けてきたわけは、「この横丁をなんとしても清潔な通りにしたい」という共通の願いがあったからです。雷門横丁というのは、雷門通りのすじ一本北、つまり「ちんや」の裏の、細い通りなのですが、通りと通りの間の距離がさほどないので、雷門通りから雷門横丁まで敷地が続いている店が多く、そうした店は雷門通りに面して表口を、雷門横丁に面して通用口を設けています。で、平成18年当時問題だったのは、その通用口近辺、つまり雷門横丁に面した口の、ゴミの始末が、とてもだらしない店があったことでした。ゴミの始末がだらしない店の中に飲食店がありました。「ちんや」も飲食店ですが、飲食店は生ゴミを出しますから、始末をよほどキチンとしないと近隣にご迷惑をかけます。生ゴミにネズミやハエ、ゴキブリが寄ってくるからです。そして悪いことに、その店にはホームレスまで寄ってきてしまいました。ヤツが連日出没するので、とても困りました。もちろん、その店には何度も、個人的に申し入れをしましたが、口約束ばかりで、キチンとしたゴミ処理が実行されません。従業員に外国人が多く、オーナーが店をコントロールできていない様子でした。このザンネンな状態を解決すべく、一人の女子が立ち上がりました。ウチの裏の、もんじゃ焼き「O」のU子さんです。「雷門横丁に「通り会」を作って、組織の力でゴミ問題に取り組もう」という彼女の音頭とりで、浅草雷門横丁振興会が結成された時、私は副会長となり、生まれて初めて、年下の女性の上官をかつぐことになりました。以来彼女の音頭取り+私の段取りで今日まで、10年以上続いています。後日談ですが、あの汚かった店は倒産し、今のテナントさんに代わりました。今のテナントさんはキレいにしてくれているので、以前のような問題はなくなりました。毎月清掃することで、他の御店もゴミ処理に気を使うようになりました。また、会の共有でダストボックスを購入したので、さらに清潔になりました。」

石田「浅草は地域と企業の交流が特に活発なのはなぜか?」

住吉「小さい頃から顔見知りで、そのまま自然に会に誘われて入っているので、「特に活発」という意識はないです。他所の人様に言われて、ああ、そうなのかなっていう感じです。銀座と違って皆浅草に住んでいますから、結果当然、幼稚園が皆「浅草寺幼稚園」卒園なんですよ。学歴の中で、そこが一番重要なんです(笑い)人の呼び方も「ふみちゃん」「しゅうちゃん」「たっちゃん」って、幼稚園時代の呼び方そのまんまですしね。」

石田「地域での活動は本業にも大きな影響をもたらしている?」

<この続きは、明日のこのブログで>

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.805日連続更新を達成しました。 すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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長寿企業の知恵⑩

ネットTV番組『Story 〜長寿企業の知恵〜』に出演させていただきました。

この番組は、創業100年を超える老舗企業の経営者をゲストに招き、長寿企業の経営者が持つ知恵や理念、思いを語る、というものですが、思いがけず好評で嬉しく思っています。

こちらのURLで今でも視聴可能ですなのですが、全長50分と少々長いし、そもそも動画は音が出せる環境でないとダメなので、文字情報が欲しいというご要望をいただきました。以下に公開してまいります。

(長いので15日に分けてUPしています。今日は、その10日目です)

 

<ナレーション>〜心に刻む、言葉と想い〜「言魂」3つ目のテーマは…「言魂」。心に刻んだ言葉、そして想い。現在、代表を務める住吉史彦が、先代や家族から受け取った“メッセージ”の裏に隠された思いに迫る。

石田「続いては『言魂』ということで、先代や家族から受け継いだ印象的な言葉やそこに隠された想いについて伺っていきたいと思います。」

住吉「本当の資産は財務諸表に載ってない」~これは、Antoine de Saint-Exupéry(サン=テグジュペリ)(1900-44年)の、What is essential is invisible to the eye.(「かんじんなことは、目に見えないんだよ。」)

をパクって、住吉史彦が考案した~気になっていますが、もしかしたら私より先に言った人がいるかもしれません。確認できていません。」

朝岡「その言葉を大切にするようになったきっかけは?」

住吉「この言葉を初めて学校で習った時はピンときませんでした。経営に当て嵌めて、さらに3.11の大震災と浅草対談本を経験してから、腑に落ちるようになりました。」

朝岡「その言葉はどのような影響を与えた?」

住吉「すべての人への接し方が根本的に変わります。お客さま、従業員、取引先、それから神様、仏様へもです。神様に御利益をお願いばかりしてはダメということです。」

石田「現在、社長自身が心に刻んでいる言葉は?」

住吉「カネカネ・ストーカーに成るな!」ですかね(笑い)大学の同期で落語家の立川談慶(タテカワ・ダンケイ)君の迷言ですが、上と似た意味です。「カネカネ言ってる奴ってさ、カネに対してストーカーになってるんじゃないのかなあ。カネも女もさ、追いかければ逃げるんだよ。」(『なぜ与太郎は頭のいい人よりうまくいくのか』(日本実業出版社)という本に出てきます。)

 石田「自身に、大きな影響を与えた方は?」

住吉「経営のご指導をいただいている、二条彪(にじょう・たけし)先生です。先ほどあげた言葉は自作ですが、同じ趣旨のことを指導しておられまして、それを自分なりに解釈したら、「本当の・・・」になりました。」

朝岡「自身が社長に就任することはいつ頃から考えていた?」

住吉「浅草寺幼稚園のお遊戯の時間に、そう言ったらしいです。だから5歳(笑い)」

 

<業界での取り組み。長寿企業と地元地域>

石田「現在、地域での活動や同業者との取り組みなど行っていることは?」

住吉「ウチの裏通りである「雷門横丁」の<この続きは、明日のこのブログで>

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長寿企業の知恵⑨

ネットTV番組『Story 〜長寿企業の知恵〜』に出演させていただきました。

この番組は、創業100年を超える老舗企業の経営者をゲストに招き、長寿企業の経営者が持つ知恵や理念、思いを語る、というものですが、思いがけず好評で嬉しく思っています。

こちらのURLで今でも視聴可能ですなのですが、全長50分と少々長いし、そもそも動画は音が出せる環境でないとダメなので、文字情報が欲しいというご要望をいただきました。以下に公開してまいります。

(長いので15日に分けてUPしています。今日は、その9日目です)

朝岡「『すきやき=家族』というイメージが強いですが、最近の『おひとりさま』のような新しい食のスタイルはどう考えますか?」

住吉「『おひとりさま』を既に受け入れています。個室を予約できます。しかしトレンドだから受けているのではなく、「心に残る思い出を!」という弊社の営業方針との間に、整合性をもたせる為に受け入れています。昨今世間の様子を観察いたしますと、長寿社会をむかえて、パートナーをなくされた高齢者の方が増えました。故人の思い出を噛みしめながら、お一人で食事をなさる場面も相当多かろうと想像します。

私は、そうした場面に是非弊店をお使いいただきたと考えて、今回お一人様のご予約を承ることに致しました。実際、私事になりますが、私の身内が、まさにそうしたケースに該当します。義父も、既に亡くなっていますが、50歳代に義母をなくし、その後かなり長期間「お一人様」でした。「ちんや」五代目の私の実父も、一昨年80歳の時に妻つまり私の実母をなくし、82歳の現在「お一人様」です。お一人様の予約を断ることは、そうした方からの予約を断ることになります。もちろん採算性の件は悩ましいことでした。「平日の昼に限って」とか、「祝祭日は除く」とかいう限定をつけた方が実際的であったと思います。しかし、そのご夫婦の「思い出の日」は大晦日であるかもしれません。除夜の鐘を二人で聞いた後でプロポーズをなさったかもしれません。そうしたお二人の思い出の大切さに比べれば、弊社の採算性は、その下に置かれるべきものだと私は考えます。そう考えて「限定」は付けないこととしました。大晦日でも、三社祭の日でも、ご利用いただきます。この件をさる7月9日に発表しましたのは、その日が母の三回忌の命日であったからです。この発表は、母が私にそうさせたとも言えます。」

 

朝岡「時代や業界の変化に対応する上で、常に心掛けていることは?」

住吉「自分の周りや、業界の川上ばかり観ず、お客様の方を向くこと。つまり顧客志向であること。ただしお客様の言うことをなんでも聞くのが顧客志向ではありません。お客様に「銭失い」をさせないことが、「ちんや」の顧客志向であって、「銭失い」かどうかを決めるのは、その道のプロである、店の側である、というのが前提です。」

 

<ナレーション>〜心に刻む、言葉と想い〜「言魂」3つ目のテーマは…「言魂」。心に刻んだ言葉、そして想い。現在、代表を務める住吉史彦が、先代や家族から受け取った“メッセージ”の裏に隠された思いに迫る。

石田「続いては『言魂』ということで、先代や家族から受け継いだ印象的な言葉やそこに隠された想いについて伺っていきたいと思います。」

住吉「本当の資産は財務諸表に載ってない」~これは<この続きは、明日のこのブログで>

 

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.803日連続更新を達成しました。 すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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