暑気払い

 お暑うございます。

 「暑気払い」の季節ですね。

と書いてみたものの、 「暑気払い」って、いつからなんでやってるんでしょうか?

 現代では、単に夏場の暑さやストレスを発散する名目とした宴会・飲み会を言うことも多くなってますけど。

 調べてみますると、本来「暑気払い」とは「夏に薬や酒を飲んで体に溜まった熱気を取り除こうとすること。「暑さをうち払う」という意味がある。」そうな。

 「漢方などの考え方に基づき、「体を冷やす効果の有るもの」を摂るものであり、冷たいものとは限らない。むしろ薬湯のようなものが飲まれていた。」

「江戸期から明治にかけては、枇杷や桃の葉を煎じた「枇杷葉」というものが暑気払いとして江戸・大阪などで辻売りされていた。また、上方で「柳蔭」、関東で「直し」と称する本直し(味醂に焼酎を加えたもの)も暑気払いと称して飲用されていた。」

 ほお、薬湯を飲んでたんですね。

 冷たいものをお腹に入れ過ぎることの弊害が指摘されていますから、キンキンのビールを飲み続けるのは、実際、どうなんだろう、って思います。それより薬湯の方が良いですね。

 むしろ個人的意見ですけど、夏場に食欲が落ちることが問題のような気がします。暑いと食欲が落ちるのは事実ですからね。

 だから、体を冷やすことにあまりこだわらず、美味しいものを食べて食欲を増進するのが良いように思います。

 え? すき焼き屋だから、そういうことを言うんだろうって?

 まあ、そうですけどね。

 精をつける目的で、この暑い中にすき焼きを食べに見える方も、結構おいでですし、どぜう鍋なんて、むしろ夏場が旬です。

 どぜう鍋を食べれば、体温は上がっちゃいますけど、江戸時代と違ってシャワーがあるから、浴びれば涼しくなりますよね。

 夏こそ、美味しいものを、と思います。

追伸①

 7/23から7/27まで「ちんや」は夏休みをいただきます。悪しからず、御諒承下さいませ。弊ブログは予約投稿により、更新してまいります。御愛読をお願い申し上げます。

追伸②

 藤井恵子さん著の単行本『浅草 老舗旦那のランチ』に載せていただきました。
 不肖・住吉史彦が、「浅草演芸ホール」の席亭さんや、「音のヨーロー堂」の四代目とランチをしながら、浅草について対談する、という趣向です。

 他にも20人ほどの、浅草の旦那さんたちがリレー対談で形式で登場します。

 是非ご購読を! 平成24年6月3日、小学館発行。
 ご購入はこちらです。 (できればレビューも書いて下さいね!)

追伸③

 「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

 この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

 その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

 現在の笑顔数は270人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

 参加者の方には、特典も! 

 皆様も、是非御参加下さい!

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて877日連続更新を達成しました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 Twitterもやってます。こちらでつぶやいています。

 

Filed under: すき焼きフル・トーク,ぼやき部屋 — F.Sumiyoshi 12:01 AM  Comments (0)

イラッとくる若者ことば

 Yahooで「後輩に使われてイラッとくる若者ことば」というランキング情報を見つけました。

  1位 鬼〇〇(79票)

 2位 ウケるんですけど(72票)

 3位 あざぁーす(55票)

 4位 〇〇じゃね?(47票)

 5位 (逆でも何でもないのに)逆に言うと~(46票)

  「鬼〇〇」とは、例えば「駅前のカフェのカレーが「鬼美味(オニウマ)」で、マジヤバいっすよ!」という具合に使う、誇張言葉ですね。

 私は、まあ、そんなにイラッときませんけど。

 だって、年長の世代は年長の世代で、誇張言葉を使っていましたからね。

 「鬼〇〇」の前は「激〇〇」でしたし、「超〇〇」はもう普通の日本語ですね。「マジ〇〇」が導入されたのは、私が高校生の頃、つまり1980年代だったと思います。

 むしろ気になるのは、この情報の、もう少し後段に出て来る一文です・・・

「最近の言葉づかいの特徴として、下の世代になるほど、『なにげに~ですよね』や、『~な感じ』など、相手への気遣いを含んだ曖昧な表現を多用しています。」

 そう、若い人の過度な気遣い表現、これは気になっています。

 「鬼」「激」「やば」

といった歌劇なイヤ過激な言葉を使う一方で、全体のトーンは曖昧なのです。

 (それこそ)逆に言うと~我々が普通に話すと、厳し過ぎる話し方に聞こえる可能性があるわけです。

 実は、私も以前ネット上で、

 「人を見下した表現を使っているのを読んでガッカリ」と書かれたことがあります。

 その、私が使ってガッカリさせた言葉は、「連中」です。

 「長唄連中」「常盤津連中」と言うように、「連中」という言葉は英語で言えば、teamです。でも、その方の周りでは、何か悪いニュアンスを含んだ表現として使われていたのだと思います。

 普通に使われて来て、しかし最近使用頻度が減っている言葉、つまり少し古風な言葉を使うと「上から目線だ」「人を見下している」とか感じさせてしまうことがあるようです。

 明治時代とつながる仕事をしている私は、結構古風な単語を使いますので、なんだか不自由を感じます。明治時代の言葉遣いって、非常に断定的で男性的で、「上から目線」の極地です。そこが魅力なわけですが、それが今時は使いにくくなっているのかもしれません。

 やたらと気遣いをする一方で、美しくない表現には鈍感な人が多いようです。

 「ぶっちゃけ~」は、私より上の世代の市民は使わなかったような気がしますが、今は楽しげに使われているのを聞きますね。「ぶっちゃけ~」の音はBu-Cha-Keですよ。品が無いと思いますけど。

 そういう単語を使い合うことでお互いの間に仲間意識ができ、その結果居心地の良い人間関係が造れるのでしょうね。その一方で、居心地の良くない人間関係に置かれた時は、気遣いに気遣いを重ねるのだと思います。

 う~ん、面倒臭っ。

 普通に話せないのかなあ

追伸①

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畑の鰻

 お暑うございます。

 暑い時期の滋養強壮と言えば、やまと芋ですね。ですので、この時期「ちんや」の「変りザク」にやまと芋を入れています。

 やまと芋の特徴と言えば、あのネバネバですよね。皆さんも、「浅草むぎとろ」さんで「とろろ飯」を召し上がったことがあると思います。

 そんなものを鍋に入れられるの、って?

 はい、それが出来るんです。

 ウチの板長がアイデイアを出しまして、

 やまと芋を摺って⇒団子状にして⇒その表面だけを茹でて固めて、「変りザク」に入れることにしました。それを鍋に入れるわけです。

 そうすると溶けずにうまく食べられます。箸で掴むのに、チト苦労しますけどね。

 だいたい芋は日本中で食べられていますが、やまと芋は生食するところが珍しいですね。まあ、生食と言いましても、摺りおろして食べるわけですけど。

 やまと芋が昔から「畑の鰻」とも呼ばれてきたのは、生食することで、有用な栄養素をそのまま摂りこめるからです。旧くは「山薬」とも言ったそうです。

 ネバネバを作っている「ムチン」という物質には、胃の粘膜を保護したり、腸内で糖質や脂質の吸収を遅らせたりする働きがあり、たんぱく質の消化・吸収を助け、血糖値の上昇を抑える効果が期待されるそうです。さらに、ビタミンBやカリウム、食物繊維等も多いため、疲労回復、免疫力アップ、高血圧や心臓病の予防といった優れた効能も期待されるそうな。

 夏場の滋養強壮と言えばやまと芋、と言われるのは、そういう次第です。で、各地で郷土料理の材料になってきました。「浅草むぎとろ」さんは、それを料理屋の料理に仕立て上げた、かなり珍しい事例と申せましょう。

 近年では群馬県太田市のように、街興しのネタ製品にする例もあるようですが、「ちんや」が使用しているのは、千葉県香取郡多古町のものです。

 夏バテ対策に、是非御賞味下さい。

 追伸①

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まあまあ、舐めるだけ

 集団で飲食する場合、つまり宴会でどれだけ個人の好みを言って良いものでしょうか?

 例えば、「とりあえずビール!」に参加せず、他のドリンクを注文しても構わないでしょうか?

 以前は「とりあえずビール!」は絶対でした。飲めない人も、

「まあまあ、舐めるだけ舐めて、乾杯した後でお茶を頼みましょう」

というのが一般的でした。一人だけ別の注文をすると、その分配膳に時間がかかり、早く乾杯したい皆さんが白けてしまうからですね。ビールを酌されながら、

「舐めるだけですから、3mmだけにして下さい!」

などと言っている人を良く見かけました。

 やがて時代は移り、飲めない方(=アセトアルデヒド分解酵素を体内にお持ちでない方)は、「とりあえずビール!」に参加することを免除されるようになりました。

 日本人の約10%は、そういう遺伝的体質の方で、この方々は少量でも酒を飲めば、吐き気・動悸・頭痛が起こってしまうので、まあ、たしかに3mmであっても気の毒と言えましょう。

 「とりあえずビールとウーロン茶!」体制の成立です。

 ウーロン茶の分配膳に時間がかかり、早く乾杯したい皆さんが少し白けはしますが、ビールと冷たいウーロン茶の2種類だけで、その人数も、全体が30人なら確率的に3人位ですから、まあ、さほどの時間もかからないと思います。

 さて問題は、さらに細かい個別注文が可能か、です。

 冷たいウーロン茶じゃなくで、暖かい茶が良い方もおいででしょう。でも、湯で茶を煎じたら時間がかかりますね。瓶詰のウーロン茶を電子レンジでチンする方法もありますが、どうしてもその間全員が乾杯を待つことになります。

 そして「来るべきものが来ました・・・」

と、先日お訪ねした、すき焼き屋さんがボヤいておられました。

 そのすき焼き屋さん、30人ほどの、PTAのお母さん方の会合を受注したようなのですが、女将さんが、

 とりあえずビールとウーロン茶でよろしいですか。

と幹事さんに尋ねると、

 いえ!皆さん、ひとりずつ注文を決められます!

と言われてしまったそうなのです。

 で、女将さん、仕方なく注文を聞いてまわると、私はチューハイ、私はコーラとバラバラ。

 注文をすぐ決めてくれれば、まだ良いのですが、なかなか決められない人がいたり、決めた後で変更する人がいたりして、どうにも往生したそうです。

 この場合、どのドリンクがどの机の左からN番目の方か、キチンとメモして間違わないようにしないといけません。

 やっとこさ配膳して、結局、乾杯まで20分を費やしたそうです。

 その間、お母さん方は楽しそうに御歓談。

 ただ一人の男性客である、PTA会長だけが豊前としたイヤ憮然とした表情で、乾杯をするべく立ち尽くしていたそうな。

 末法の世ですな。

 南無観世音菩薩。

追伸①

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墓参り

 もう終わってしまいましたけど、皆さん、お盆って何の日でしたっけ?

 お釈迦様の弟子・目蓮(もくれん)の母親が餓鬼道に落ちて苦しんでいたところ、お釈迦様の教えに従って七月十五日に供養を行ったら救う事ができた、という故事に由来しているようです。

 こうして七月十五日に行われるようになったのが、「盂蘭盆(うらぼん)」なのだそうで、「盆」というのは、供養に用いた仏具が盆だったから、この呼び名がきているそうな。請け瓜イヤ請け売りですけどね、勿論。

 もともと存在した祖先信仰と、この、仏教の七月十五日の故事が合体し⇒この日に祖先を供養するようになった、とネットに書いてありました。

 じゃあ、お彼岸ってなんでしたっけ?

 どこが違うんでしたっけ?

 お盆はというと、自宅の仏壇を拝むのがメイン行事ですね。祖先の霊が家に帰って来る日ですので、住吉家にも御寺から御住職様が来てくださり、ウチの仏壇に経をあげて下さいます。仏壇の周りには色々とお供えものをセットしておきます。

 お彼岸はというと、お墓へお参りに行くのがメイン行事ですよね。祖先の供養という意味では一緒ですが、スタイルが違います。

 じゃあ、お彼岸ってもともと何の日だったんでしょう。

 そりゃあ、年に二回太陽が真西に沈む日ですね。だから自然な太陽崇拝の日だったはずですが、やはりここへも仏教が入り込んで来ました。

 仏教では極楽浄土は西方にあるわけで、その方角を、この日に拝むことになったわけです。迷いの多い現世から、川の向こうの悟りの世界(=彼岸)に渡ることを祈願する日になりました。

 でも、結局ご先祖のお墓に参っていますよね。この日信者は、悟り祈願の名目で御寺に呼び集められて、その足でお墓にお参りするようになったのだと思われます。

 どうも、仏教の教義は真面目に研究すると、コ難しいです。ですのでメンド臭がりの信者には、悟りとかを説明するより、「ご先祖を拝みましょう」と教えるようになっていったのでしょうね。

 話しは戻ってお盆ですが、今時はお盆にお墓へ行く人も多いようです。祖先の霊が家に帰って来る日のはずなんですけど・・・

 浅草と上野の間には御寺が多いので、お盆の期間、「ちんや」は墓参り帰りのご家族づれで賑わいます。今年のお盆にはラムネが良く売れました。お爺ちゃんが元気だった頃を、ラムネが思い出させてくれるからでしょうか。

 と、なると、そういうご家庭の場合、お盆もお彼岸もやることがほとんど一緒ですね。これじゃあ、お盆とお彼岸の区別がつきません。

 それでも、まあ、いいんじゃないですかね。

 帰りに美味しいものでも食べて⇒それぞれのご家族の絆が深まれば。

 南無観世音菩薩。

追伸①

 藤井恵子さん著の単行本『浅草 老舗旦那のランチ』に載せていただきました。
 不肖・住吉史彦が、「浅草演芸ホール」の席亭さんや、「音のヨーロー堂」の四代目とランチをしながら、浅草について対談する、という趣向です。

 他にも20人ほどの、浅草の旦那さんたちがリレー対談で形式で登場します。

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 この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

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ベンチャースピリット

 福島県酒造組合さんが運営する学校「県清酒アカデミー」で1時間ほどの講演をしました。

 震災以来応援している「福島の酒」ですし、聞き手は醸造を志している若い方ばかりと聞き、一生懸命お話ししよう、と思つつ参りました。

 で、その翌日ですが、郡山市のすき焼​き屋さんに立ち寄ることにしました。

 8月に開催予定の第12回「すきや連」に、郡山の「京香」の御主人が参加して下さるものですから、事前にご挨拶にうかがった次第です。

 セミナーがあった会津若松から郡山に入り、地元の「笹の川酒造」さんとまず合流しました。「京香」の御主人のことは、「ちんや」と取引がある、「笹の川」さんが紹介して下さったのです。

 で、向かいますと、御店は駅から5分ほどの、町の中心部に在りました。

 ご創業は明治17年だとか。土壁の塀がまわり、かなり立派な店構えです。

 ここで「!」と思いますのは、明治17年に創業なさっていることです。

 だいたい、古いすき焼き専門店というのは、明治初期に既に都市化していた所(=東京・横浜・京都・大阪・神戸など)か、牛の産地(=松阪・米沢など)にしかないものです。

 ところが郡山は違います。

 江戸時代に宿場町ではあったものの、お城は無く、明治12年(1879年)に始まった、安積野原野開墾事業と安積疏水工事で発展が始まった町なのです。

 この工事のために、全国から失業士族が集められて、ようやく人が集まり始めたのです。だから明治初期には、大した町ではなかったのです。

 やがて明治16年に安積疏水が完成して灌漑開始、さらに今度は、その疎水の高低差を利用した沼上水力発電所が明治32年に発電開始、これで産業が発展します。一方明治20年に鉄道が開通したことで、郡山は発展の軌道にのります。

 明治維新の時点で郡山より都会だった会津若松や福島を抜いて、郡山が福島県下第一の都市・東北圏全体でも第二位の都市にのし上がったのは、そういう経緯です。

 会津と郡山で食文化が違うのも、こうした事情があるからです。

 会津では「赤ベコ」を尊重していて伝統的に牛肉をあまり食べませんが、郡山では食べます。で、その「食べます」の先駆者が「京香」さんの御先祖なのです。

 郡山で最初の肉屋さんがこの御店で、自前の食肉処理場まで持っていた時代もあったと言いますから、スゴいです。やがて、すき焼き部門が発展して今日至っています。

 ここで明治17年に「京香」さんが創業なさった時のことを想像してみましょう。郡山の、その後の発展を確実に見通せていたでしょうか。まず、かなりの冒険だったと思います。

 ここに明治のベンチャースピリットを観ることが出来ます。

 震災の時は、食器がたくさん割れるなどの被害があったそうですが、去年の4月にはもう再開されたとか。

 牛の放射線の全頭検査の体制も整って、復興を感じせてくれました。

 なお「京香」さんのすき焼きの「タレ」(=われわれが割り下と言っているもの)は、調味料だけでなく複雑な出汁スープを合わせるのが特徴。

 ザクのネギを他のザクとは別に盛って運んで来て、そのネギと肉を最初に焼くのが「ちんや」式と似ています。「ちんや」以外でこのやり方を見るのは、八王子の「坂福」さんに次いで2回目です。

 地のもの中心のザクには白菜も入っていて、〆はうどんを鍋で煮るのが決まりだそうです。

 御主人、「笹の川」さん、御馳走様でした!

追伸①

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金賞祝い

 「ちんや」の取引先であります「白菊酒造」さんが、平成​23酒造年度「全国新酒鑑評会」で金賞を受賞されました​。目出度いです。

ということで、当然やりました、「祝う会」を。

 当日は「白菊」の若旦那・K之助専務も勿論弊店へお越し下さり、​金賞受賞酒をご持参下さいました。さらに!今年の金賞受賞酒のみならず歴代の大吟醸を持ち込み、「飲み比べ」というから何とも贅沢でした。​

 実は浅草料飲組合のメンバーで、2月の終わりに「白菊」さんの蔵を見学させていただいたのですが、その時のメンバーが再度集まりました。

 プラス!金賞酒の酒米(=山田錦)を生産しておいで農家さんのご子息で、今は東京で働いておいでのナゴヤさんも御参加。料理屋は蔵元さんとの御付き合いは結構ありますが、酒米を作っている人と御一緒する機会はあまり多くはなく、有り難いことです。

 では、始めましょうか!

と思ったら、一つ問題点が。

 酒が多過ぎる・・ので・す。

 専務は 720ml瓶を手配した積りが、蔵の人が間違えて1.800ml瓶が何本も!

 の、飲み切らないですねえ・・・

 しかもテイステイングですから、飲み方がチビチビ、です。

 テストしてみると新しい年度の酒の方が、古酒化が進んでいるように感じたりして、その原因は、あーだこーだ、と話していると、あまり酒が進みません。

 ここで「ちんや」での一次会は終了。でも、まだまだ酒があるので終わりにするわけに行きません。

 で、当日出席していた、MZ口さんの御店へ。なんと、この日は定休日だったのに、裏口から入って、ストックしていた酒肴をつまみつつ二次会です。

 だって、普通の店に大量の酒を運び込むことはできませんから、団扇のイヤ内輪の店で飲むしかありません。

 ここでさらに、浅草の仲間を呼び出して人数を増強です。ここから、やっと酒呑みモードに入りました。

 いやあ、飲んじゃったなあ。

 旨かったなあ。

 御馳走様でした。

 追伸①

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老舗の生き抜き方⑧

 福島県酒造組合さんが運営する学校「県清酒アカデミー」で1時間ほどの講演をすることになりました。

 震災以来応援している「福島の酒」ですし、聞き手は醸造を志している若い方ばかりだそうですので、一生懸命お話ししてきたいと思っています。

 その原稿が準備できましたので、弊ブログでも公開して行きたいと思います。長いので8回に分けてUPしています。

 御題は、老舗の生き抜き方というものをお話しせよ、ということしたので、そういう方面の話しをさせていただきます。

 本来自分で「老舗」と自称するのは僭越な話しではあるのですが、他に適当な日本語がありませんので、使うことにいたしまして、つまりは浅草の、すき焼き屋ですとか、天麩羅屋ですとか、鰻屋ですとか、蕎麦屋ですとか、そういう仕事を永年して来た店が、時代の変化や危機をどのように乗り切ってきたか、をお話ししてみたいと思います。

 本日は、ついにその第8回です。おつきあいいただけましたら、幸いです。

<以下講話本文>

(店にとっての、本当の財産とは)

 さて、私どもの話しばかりいたしましたが、御酒に関しても、事例をあげてみましょう。かなりイヤな事例かもしれませんが、一つあげてみます。

 福島第一原発が起動した時に、目出度いですから、技術者の皆さんが乾杯しますね、。何で乾杯したか、ニュースフィルムを視た方はいますか。私は視ましたが、日本酒でした、ビールじゃなくて。アメリカから派遣されて来た人も、結構おおぶりの白磁の猪口を手にして乾杯していました。

 酒がどこなのか、わかりません、地元の鈴木さんなのか、会津なのか、はたまた国家プロジェクトでしたから灘から運ばせたかもしれませんが、なにしろ日本酒でした。

 ここで申し上げたいのは、原発稼働の是非の話では勿論なくて、ブランド・ロイヤリテイーの話しです。

 この日の乾杯は、工事に関わった皆さんにとっては、人生に何度とない、栄光の瞬間・勝利の瞬間です。この日の酒の旨さは一生忘れられないでしょう。ですので多分、自分は「酒と言えば誰が何と言おうと、この銘柄なんだ!」と決めつけて、一生変えないでしょう。この位その方の人生と関わりを持てば、ここで客と酒の間に絆が生まれた、と言っても良いと思います。

 ここで話しはやっと技術の話しになります。そうしたお目出度い乾杯に使う酒、として相応しい酒質の酒を造ること、それを全ての仕事の入口にしていただきたいと思います。

 今時は酒造りだけでなくて、会社全体としての姿勢を見られている可能性もありますね。ですから、酒造りプラス会社造りです。

 私がやめていただきたい、と思いますのは、全ての入口を技術に置くことです。技術の追求はキリがないですし、しかも皆が競争心を持っていますから、技術競争だけがエスカレートすると大変です。

 技術競争は勿論やっていただきたいのですが、是非是非想像力を働かせて、あなたが造った酒を噛みしめて飲む人の姿をイメージしながら、競争していただきたい、そう思います。

 私の店でも近年料理のレベルを上げて参りましたが、そのやり方は、下のレベルのものをだんだん廃止して行きました。まず下を切って、次に上を上げ、次はまた下を切る、という段取りですね。上をグイッと上げても、下がそのままですと、御客様は混乱しますから、結局良いものが売れていきません。そこはお気をつけいただきたいと思います。

 さて、さっきの事例は不愉快であったかもしれませんので、もう一つ事例をあげましょう。拝見しますると、皆さん、お若いですね。これからカノジョが出来、二人の間に信頼関係が出来て、さあ結婚という話しに成り、プロポーズをしてOKしてもらったら、嬉しいですね。

 嬉しかったら、どうしますか。酒を飲みますね。どういう酒を飲みますか。皆さんなら、自分の蔵から、とっておきのを出してもらって飲むでしょうね。当然、一生で一番美味いと思います。

 では、皆さんの友達はどうでしょうか。高校の陸上部で一緒だったアイツから、久しぶりに電話があって、どうしたのかと思ったら、プロポーズをしてOKもらって嬉しくて酒飲んでるんだ、酔っ払って電話して悪いな!と言ってます。

 いいんだ、いいんだ、そういうことなら構わないさ!おめでとう!

 で、ところでさあ、酒は何を飲んでるの?

 そりゃあ、モエ・シャンドンだよ!

ってなことにならないようにするのが、皆さんのこれからの御仕事であり、これからの人生ではないのか、ということを指摘させていただきました所で、お後がよろしいようですから、この話しを終わらせていただきます。

 御参考になりましたなら嬉しいです。

 本当に有り難うございました。

<この話しは、長いので8回に分けてUPしてきました。これにて終わりです。ご愛読ありがとうございました。>

追伸①

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 その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

 現在の笑顔数は270人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

 参加者の方には、特典も! 

 皆様も、是非御参加下さい!

追伸③

 「朝顔市」は入谷の鬼子母神にて、7/6-7/8開催済み。

 「ほおずき市」は浅草寺にて、7/9-7/10開催中です。

 お間違えのないよう御注意下さい。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて863日連続更新を達成しました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 Twitterもやってます。こちらでつぶやいています

老舗の生き抜き方⑦

 福島県酒造組合さんが運営する学校「県清酒アカデミー」で1時間ほどの講演をすることになりました。

 震災以来応援している「福島の酒」ですし、聞き手は醸造を志している若い方ばかりだそうですので、一生懸命お話ししてきたいと思っています。

 その原稿が準備できましたので、弊ブログでも公開して行きたいと思います。長いので8回に分けてUPしています。

 御題は、老舗の生き抜き方というものをお話しせよ、ということしたので、そういう方面の話しをさせていただきます。

 本来自分で「老舗」と自称するのは僭越な話しではあるのですが、他に適当な日本語がありませんので、使うことにいたしまして、つまりは浅草の、すき焼き屋ですとか、天麩羅屋ですとか、鰻屋ですとか、蕎麦屋ですとか、そういう仕事を永年して来た店が、時代の変化や危機をどのように乗り切ってきたか、をお話ししてみたいと思います。

 本日は、その第7回です。おつきあいいただけましたら、幸いです。

<以下講話本文>

(店にとっての、本当の財産とは)

 さて、チトぼやきが入ってきてしまったので、話しをブランド・ロイヤリテイーの話しに戻します。

 そうした御客様との絆は、日頃どうしたら出来ていくのでしょう。さきほど御客様の人生の喜びや場合によっては悲しみに、その店が関わった時に、初めてつながりができます、と申しました。

 一つ事例をあげます。実は、私の知人に、とある酒蔵の若旦那さんがいまして、その彼が今年全国新酒鑑評会で金賞を獲りました。今まで普通酒中心の蔵だったのですが、山田錦の生産者の方との出会いがあって、今年ついに金賞に入りました。

 そのお祝いの会が先週手前どもの店でありました。そういう、人生に何度とない目出度い瞬間にお使い下さるわけですから、きっと彼は手前どもの店に対してロイヤリテイーを感じて下さり、今後も何かの機会で使っていただけると思うのですが、問題は、そういうお目出度さに、手前どものスタッフが、心底共感して、その場に臨んでくれるか、です。そこが鍵だと思っています。

 つまり問題は蔵元の息子でもない人が、金賞受賞の気持ちなんてわかるか、という点ですね、要するに。どうでしょう。結論から申しますと、分からないといけませんし、分かります。私の経営の方面の師匠の二条彪先生は「経営者は小説を読め」とおっしゃいます。人の気持ちをわかれるようになるためです。まさに、その通りでありまして、人間は想像ということができるのです。

 私個人は、この教えを少し変形して、芝居のようなものかな、と思っています。1958年に、さきほどご紹介した淡島堂が役割を終え、浅草寺本堂落慶を迎えた日の、浅草の人の喜びを、私は想像することが出来ます。だから弊店のスタッフも、俳優さんのように、自分が金賞を獲った場面を想像することが出来るはずです。是非そうして欲しい、と思っています。

 話しは多少逸れますが、ちょっと思い出していただきたいのですが、地震の後に、家族の絆・友人の絆・地域社会の絆というものが語られることが多いと思いますが、店と客の絆は、ほとんど語られませんね。皆さんも御商売の方ですが、残念じゃありませんか?

 だいたい「地域社会の絆」とか申しますが、その主役は、街の酒屋さんや、米屋さん、肉屋さんや、八百屋さん、魚屋さん、それから味噌屋さん、豆腐屋さんですよね。商売をする中で、住民の顔と名前を覚え、性格や家庭状況を覚えている人が地域の主役です。

 でも、商売している=営利企業=儲けているという、枠組みの中に居るので、絆話しには成りにくいんだと思います。

 これは実に残念な話しでして、実際問題、〇〇屋の皆さんは、知り合い相手の商売ですから、大して儲けてはおらず、所謂「三方良し」の関係の御店ばかりと思います。ですので、店と客の間にも、損得だけで無い一段上の、信頼関係を作ることは、必ず出来る話しだと思って続けています。

 そう考えて、さきほど紹介しました「すき焼き思い出ストーリー」とか「すき焼き川柳onツイッター」とか「記念日割引」とか、ネットを使って、いろいろやって参ったのですが、地震の後に、店と客の絆のことが、ほとんど語られないのを視まして、これは残念だ、もう一段頑張ろう!と思って始めましたのが、この「1千人の笑顔計画」であります。画面をご覧下さい。 

 このプロジェクトは、ややこしい所は一つもありません。まず「ちんや」で、東北の牛を食べていただき、食後に飛びっきりの笑顔を撮影させていただき、その笑顔画像を「ちんや」のサイトにUPします。また、その御客様が「ちんや」においでの間にプリントアウトも致しまして、その紙焼き写真を、次回持って来ていただくと、そのままクーポンに成って優待がある、という簡単なシステムです。現在の参加者の数は262人でして、それを1千人まで続けよう、という試みです。

 この企画は勿論、大震災という事態を受けまして、東北で牛を飼っている人達のためにやっているわけですが、それだけではありません。先ほど来申しておりますように、手前ども「ちんや」と御客様の間にも、損得勘定だけでない、もう一段の関係を作って行きたい、そういう願いも込めて推進しています。

 ポイントは写真のクーポンです。このクーポンは、我々サイドからしますと、優待させられて嬉しいクーポンです。普通のクーポンは優待させられて腹立たしいですから、違います。嬉しいという感情が産まれるところが、かなり違うと思います。

 こうした企画の中で、ネットは当然使いますが、今の世の中に「追いついて行く」「対応する」だけでは寂しいですね。「未来の歴史を作る」~今やっているのは、そういう作業なんだ、という認識を持つことが大事だと思います。

 25年後とか50年後から今を見れば、今は歴史ですね。そういう見方をしたときに、今やるべきこととは何なんだ?それを実行したい!私は、そう思わずにおれません。

 想像力があれば、たぶん出来ることです。50年後の自社を想像してみてみましょう。そして、2062年から見て、あの2011年に、あの2012年に、ああいうことをやっておいて良かった、後からそう言ってもらえるかどうか、それを今日の仕事の基準にするべきだ、そう思い詰めています。

 「時代に対応するには、時代に対応してるだけではNG」なんです。本日は、そう指摘させていただきます。

 さて、私どもの話しばかりいたしましたが、御酒に関しても、事例をあげてみましょう。かなりイヤな事例かもしれませんが、一つあげてみます。

<この話しは、長いので8回に分けてUPします。本日は、その第7回でした。>

追伸①

 藤井恵子さん著の単行本『浅草 老舗旦那のランチ』に載せていただきました。
 不肖・住吉史彦が、「浅草演芸ホール」の席亭さんや、「音のヨーロー堂」の四代目とランチをしながら、浅草について対談する、という趣向です。

 他にも20人ほどの、浅草の旦那さんたちがリレー対談で形式で登場します。

 是非ご購読を! 平成24年6月3日、小学館発行。
 ご購入はこちらです。 (できればレビューも書いて下さいね!)

追伸②

 「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

 この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

 その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

 現在の笑顔数は270人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

 参加者の方には、特典も! 

 皆様も、是非御参加下さい!

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて862日連続更新を達成しました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 Twitterもやってます。こちらでつぶやいています。

老舗の生き抜き方⑥

 福島県酒造組合さんが運営する学校「県清酒アカデミー」で1時間ほどの講演をすることになりました。

 震災以来応援している「福島の酒」ですし、聞き手は醸造を志している若い方ばかりだそうですので、一生懸命お話ししてきたいと思っています。

 その原稿が準備できましたので、弊ブログでも公開して行きたいと思います。長いので8回に分けてUPしています。

 御題は、老舗の生き抜き方というものをお話しせよ、ということしたので、そういう方面の話しをさせていただきます。

 本来自分で「老舗」と自称するのは僭越な話しではあるのですが、他に適当な日本語がありませんので、使うことにいたしまして、つまりは浅草の、すき焼き屋ですとか、天麩羅屋ですとか、鰻屋ですとか、蕎麦屋ですとか、そういう仕事を永年して来た店が、時代の変化や危機をどのように乗り切ってきたか、をお話ししてみたいと思います。

 本日は、その第6回です。おつきあいいただけましたら、幸いです。

<以下講話本文>

(時代に対応するだけではなくて~未来の歴史を創る)

 やはり時代の変化に対応することは大事です。

 浅草は戦後の復興に当たって、「テレビの時代」が到来したことに対応しなかったため、最近までかなり長期の衰退期を経験しました。

 戦後人々は、もう一度芸能の殿堂・娯楽の殿堂を再建しようとしますが、それを果たせない内、時代が変わってしまいました。昭和30年代辺りから、浅草は寂れ始めます。テレビ時代を迎えているのに、まだ昔の浅草を追いかけていたから、です。

 私が子供の頃の話しですが、非常に苦しい時代がありました。「再建」「復興」では×で、新しい時代を創らないといけなかったわけです。そのことは、今日是非お伝えしておきたいと思います。

 衰退した説明として、①テレビと②東京の城南方向への拡大が挙げられています。戦後の若者のカルチャーは、浅草のような古い土地でなく、新宿・渋谷・六本木など城南方面の新鮮な繁華街で育ちましたので、テレビのせいでエンタメ産業が打撃を受けたのと合わせて、浅草は急激な地盤沈下の時代を迎えました。  

 この時代のことを思い返してみますと、私の直感では、①②の説明以上になんか、もっと加速度的に「場末化」した感覚がありました。貧すれば鈍するで、苦し紛れに馬券売り場を誘致したのも失敗でした。「ウインズ浅草」が出来た六区は、競馬目当ての客のみが集中する光景となりました。場末っぽい雰囲気が漂い、夜間は7時になると人通りも疎らになってしまう始末でした。私が子供の頃です。

 一度トップに昇って、その後でトップの座が揺らぐとかなりキビしい、そんな感じがですね、感覚だけで言って申し訳ないですが、いたします。時代に対応しないとダメですよ、ということと、もう1点、トップからいったん落ちますと、かなり苦しい思いをすることになりますよ、ということの2点を、ここで皆さんにお話ししておきたいと思います。

 ついでに現在の話しをいたしますと、浅草が「芸能の殿堂」「娯楽の殿堂」の地位に戻れていない、という意味では同じ状況です。今浅草は再生した、とは言いつつも、日本一の盛り場だった頃とは違って国際観光地としての再生です。たしかに再生は果たしましたが、問題は在ると、私は思っています。

 だって観光ってのは、しょせんは「スポット見物」で、名物・名所以外にお金の波及が少ないです。今は、あいかわらずのデフレの状況ですからね、ハッキリ申して。御客様は、ごく有名な限られたものにしか、お金を使われない、という状態がスカイツリーが出来ても続いています。本当に心から価値を感じるものにしかお金を使わない、単に美味いだけではダメ、というのが実際の現実であります。

 さて、チトぼやきが入ってきてしまったので、話しをブランド・ロイヤリテイーの話しに戻します・・・

<この話しは、長いので8回に分けてUPします。本日は、その第6回でした。>

追伸①

 藤井恵子さん著の単行本『浅草 老舗旦那のランチ』に載せていただきました。
 不肖・住吉史彦が、「浅草演芸ホール」の席亭さんや、「音のヨーロー堂」の四代目とランチをしながら、浅草について対談する、という趣向です。

 他にも20人ほどの、浅草の旦那さんたちがリレー対談で形式で登場します。

 是非ご購読を! 平成24年6月3日、小学館発行。
 ご購入はこちらです。 (できればレビューも書いて下さいね!)

追伸②

 「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

 この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

 その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

 現在の笑顔数は270人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

 参加者の方には、特典も! 

 皆様も、是非御参加下さい!

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて861日連続更新を達成しました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 Twitterもやってます。こちらでつぶやいています。