ハンバーグ通検定

ハンバーグについての記事を、このブログの6/23号にUPしましたら、

「すき焼き通検定」の合格者であるYS乃さんから、

ハンバーグ通検定が始まったら受けてみたい(笑)

というコメントが入りました。で、早速作ってみました(笑)

<ハンバーグ通検定第一問>

ハンバーグの起源は、馬肉を使った労働者向けの生肉料理「タルタルステーキ」とされていますが、その「タルタルステーキ」を考案したのは、

① トルコ人 ②モンゴル人 ③フィンランド人

正解は②です。

モンゴル帝国は13世紀頃に、ユーラシア大陸のほとんど全域を支配するほど膨張し、ついにはロシアをも征服しました。

モンゴル人は騎馬民族ですから、硬い馬肉を細かく刻むことで、食べやすくする、という方法を考案したのですね。

その方法が「タルタルステーキ」と成って西洋にも伝わり、私が子供の頃はホテルの洋食レストランなどでも注文できたものですが、今は衛生上の問題が指摘されて、あまり見かけなくなりました。

その「タルタルステーキ」が、何故かドイツのハンブルグで労働者向けの食事として流行し、それが移民によってアメリカに伝えられた時「ハンバーグ」と呼ばれるようになったのだそうです。

このように元々は馬肉でしたが、西洋には馬肉食を忌避する国もあり、やがて安価な合い挽き肉(たとえば鶏肉と豚肉)も、「ハンバーグ」と呼ばれるようになった模様です。

「ちんや」の場合は、牛=豚の合挽きです。

「つなぎ」として、みじん切りにしたタマネギを入れますが、「ちんや」の場合、炒めていないタマネギを入れるのが特徴です。

それからレストラン「ちんや亭」でハンバーグをお出しする場合は、ソースに牛脂を融かし込んでいるのも、もう一つの特徴です。

この脂は挽かれた牛肉と同じ牛から来ていますから、ソースとハンバーグ本体の橋渡しになります。

是非一度お試し下さい。

「ハンバーグ通検定」を目指すような、ハンバーグ好きな方も、「肉が苦手・・・」という方も、両方の方に食べていただきたいですね。

追伸①

「浅草法人会」さんの主催で講演会をさせていただくことになりました。

<演題>すき焼きを現代に活かす~商いは、楽しく・古風に・斬新に

<日時>7月2日(火曜)17時受付開始⇒17時30分~19時頃まで

<場所>浅草文化観光センター5階(台東区雷門2-18-9)

<定員>60名様

*おかげ様にて満員になりました。ありがとうございます。

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

現在の笑顔数は353人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.213日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

 

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新道の すき焼き

新潟県新発田市の、すき焼き店「八木」さんに行って来ました。

「八木」さんは、新発田の「新道(しんみち)」という、元の花街で現在は割烹・居酒屋・食堂・スナックなどが密集した一角に在ります。

市役所から、旧「三宜町遊廓」へ向かう途中と言っても良いでしょう。

江戸の中心から吉原へ向かう途中に、浅草はありますが、その浅草観音裏の花街と、新道は似た風情です。

いや、悔しいことながら「新道」の方が風情がありますねえ。

昭和の木造建築が多数残っているからです。昭和10年の「新発田の大火」の後に建てられた建物が多いそうですが、それに比べると、戦災・震災を経験した浅草は、風情という点では分が悪いです。

「八木」さん自身も、その当時の、木造の建物ですね。浅草ではこうは行きません。

ところで、新発田が肉食系なのは理由があります。

新発田はもともと溝口家6万石の城下町で、一度も転封が無かったので、濃厚な武家文化が発達しました。

酒蔵や和菓子店が在るのは、そういう次第でして、今回「八木」さんへ私を案内して下さったのも、旧知の「金升酒造」の御主人でした。

その新発田が、さて明治時代になりまして廃藩置県、新潟県に編入されました。

そして1873年に、廃城となった新発田城の跡地に陸軍歩兵第16連隊が置かれました。

で、以降、明治から終戦まで、この町は「軍隊の町」と成りました。今でも市のシンボルである新発田城址近辺の広い敷地は自衛隊が駐屯しているという状態です。

今でも、引き続き新発田は、自衛隊と武家文化が同居している、不思議な魅力の在る街になっています。

と、いうわけで新発田が肉食系なのは、歴史の当然なのです。「八木」さんの常連さんの中にも自衛隊関係の方がおいでだと、女将さんから聞きました・・・

と書いていると、「すき焼きを食べるのに、なんでそんなに能書きが要るんだ!」

と言われそうですので、いい加減にすき焼きそのもののことを書こうと思いますが、

おっと、この話しは長くなってしまいました。

続きは、後日の弊ブログで!

追伸①

「浅草法人会」さんの主催で講演会をさせていただくことになりました。

<演題>すき焼きを現代に活かす~商いは、楽しく・古風に・斬新に

<日時>7月2日(火曜)17時受付開始⇒17時30分~19時頃まで

<場所>浅草文化観光センター5階(台東区雷門2-18-9)

<定員>60名様

*おかげ様にて満員になりました。ありがとうございます。

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

現在の笑顔数は353人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.212日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

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牛っとハート

♡「牛っとハート」という商品名を、商標登録出願中です♡

♡商品名と言っても、「ちんや」の、ハート型の牛脂の名前です♡

♡「ちんや」の社員が命名しました♡

♡記念日のすき焼きに、ご利用いただきたいと思います♡

♡お誕生日に、ご結婚記念日に、還暦・古希のお祝にご利用いただきたいと思います♡

♡不祝儀でも結構なんです、故人様のご命日にもご利用いただきたいと思います♡

この牛脂を使おうと考えた理由ですが、

大切な記念日の食事でも、そのことを店のスタッフには知らせない方が大勢おいでです。

まあ、他人に知られたくない気持ちは分かります。

でも、店の人間は知らせて欲しいんですよね。

この「牛っとハート」が欲しいが為に、

実は、今日がカノジョとの「おつきあい1周年」なんです・・・

とか教えてくれたら嬉しく、在り難く思いますよね。

そう、この牛脂を使う、本当の目的は、働く者のモチベーション向上です。

で、この牛脂のことは、本当は、商標が正式に登録されてから、大々的に宣伝しとうと思っていたのですが、どうも特許庁は官僚仕事で、出願から登録まで半年とかかかるらしく、待ちきれずにFBで紹介してみました。

そうしましたら、たくさん「いいね!」をいただき、またシェアして下さる方もいて嬉しくなりました。

中でも、おでん「大多福」の若旦那のコメントは、嬉しく、「そういう発想もあるか!」と思いました。そのコメントは・・・

これは皆さんに使って頂きたい。記念日でなくても、これで記念日になることでしょう^_^」

ほお! 「記念日でなくても、これで記念日になる」ですか。その発想は私には無かったです。とても良いことを言って下さいました。

という次第で、商標はまだですが、ハート型牛脂「牛っとハート」は、もうご利用いただけます。

♡料金:無料です♡

♡事前の予約:不要です♡

♡すき焼き2~4人前に1個の割合でご提供します♡

♡ただし持ち帰りは出来ません♡

♡是非どうぞ♡

♡うふん♡

追伸①

空調設備を更新しないといけなくなりました。

夏になる前に工事しないといけませんので、下記の日は休業いたします。御諒解賜りたく、お願い申し上げます。

平成25年6月24日(月)~27日(木)

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

現在の笑顔数は353人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.210日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

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親孝行

知人から嬉しいメールが届きました。

実は、その知人の御父上が最近定年退職されました。そこで社会人3年目の彼が、父への慰労会を、ごく御身内の顔ぶれですが「ちんや」で開催した、という次第です。

「先日は、いろいろとご配慮頂き、誠にありがとうございました。

両親も非常に喜んでおりました。

初めて親孝行らしい親孝行ができました。

重ね重ね御礼申し上げます。」

在り難いですね。実に料理屋冥利に尽きます。

すき焼き屋のベネフィットの一つに「親孝行」が在るのだなあ、とあらためて気づかされます。

しかも「初めての、親孝行らしい親孝行」です。

「ちんや」は基本的には年配の方が支払いをなさるケースが大半ですが、若い方でも今回のようなケースで、会食の主催者に成ることは、ありえますね。

世間には「ウチの客層は〇歳代~△歳代で、年収は×百万円位」とか決めて営業している店が多いようですが、私は、そういう考え方を採りません。

「ちんやの客層」は「親孝行をしたい若い方」。

「親孝行をしたくない若い方」は「ちんやの客層」ではない。

それで結構と私は思っていますが、その話しは今日はさておきまして、

今年就職なさった皆さん、6月末はボーナスの支給日ですが、この日に皆さんは「人生初ボーナス」を受け取ることになりますね。

「初めての、親孝行らしい親孝行」のプランは出来てますか?

就職して3か月ですから当然少額でしょう。カノジョは、この際後まわしにしましょうね。

追伸①

空調設備を更新しないといけなくなりました。

夏になる前に工事しないといけませんので、下記の日は休業いたします。御諒解賜りたく、お願い申し上げます。

平成25年6月24日(月)~27日(木)

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

現在の笑顔数は353人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.209日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

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違いが分かる男

売店で販売しているハンバーグの販促方法を、あれこれ考えています。

実は「ちんや」のハンバーグは人気商品でして、毎日たいてい売り切れます。

では、それで良いのかと申しますと、そうではありません。

既存のお客さまは勿論何より有り難いのですが、そちらばかりを相手にしておりますと、商いがしぼんでしまいます。たまには、新規の方を呼びこまないといけません。

多少無理して、普段より多くの数を仕込んで⇒売り切れないようにして、新規の方を呼びこむ日を作ることにしました。

では、新規の方とは、どういう方でしょう。

当然日頃「ちんや」の肉を食べていない方です。

例えば「お肉が苦手な方」は、日頃「ちんや」の肉を食べていない方ですね。ご本人でなくても、お子さんが肉が苦手という場合もあります。そういう方を呼びこむことにしました。

「ちんや」のハンバーグは、メス牛だけで出来ていて、その肉を充分熟成させてありますから、肉の臭みがありません。

お肉が苦手な方が渡来する、いや、トライするにはベストと思いますので、お勧めして行きたいと思います。

「お肉が苦手な方がトライする肉」として「ちんや」のハンバーグを売ろうとするわけですから、それを聞いて、

随分間口を絞ったねえ!

と思った方もおいででしょうが、だいたい私は、

販促コピーを作る時、そのコピーを読んだ人が、

これって俺のことだ!

と思うようなコピーづくりを目指しています。そうでなくては今時モノは売れないと思うのです。

雷門通りをご通行中の皆様!に向けて訴えるのが良いのは、選挙演説くらいのもので、こだわった商品を、ごく少数の、ズバリ的中する方に向けて訴えるのが、今時の商いの在り方だと思っています。

で、今回は「肉が苦手な方」に加えて「ハンバーグ通を目指している方」にも、訴えて参りたいと思います。

そう、「ハンバーグ通を目指している方」「お肉が苦手な方」の両方が相手です。

そんな非常識な!って?

何をおっしゃいます! 両極端の人だけがモノの真価を分かるって在り得る話しですよ。

通=とても好きな方が分かるのは当然ですが、そのモノを嫌いな方も、非常に敏感にモノの良し悪しを感じとります。

昔「違いが分かる男!」っていうCMがありましたが、両極端の人こそ違いが分かる人だと思います。

そして、そういう方に支持されている、ということが知れ渡れば、何よりの販促になりますね。

自分が売っている商品が苦手な人、そういう人のことを考えてみるのも有益です。

そう言えば、今日は都議選でしたね。ご投票を!

追伸①

1963年6月15日に「スキヤキ・ソング」(=「上を向いて歩こう」)が、全米ヒット・チャート第1位を獲得しました。それから50年。その後、全米第1位になった日本人はいません。

~「スキヤキ・ソング」50周年記念~ 「ちんや」で九ちゃんのCDが当たる週間 を開催しています。 平成25年6月15日(土)~23日(日)

1等:「上を向いて歩こう」CD 2等:世田谷文学館「上を向いて歩こう展」入場券 参加賞:「ちんや」金券133円 (参加賞は全員に差し上げます)

詳しくは、こちらをご覧ください。

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

現在の笑顔数は353人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.207日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

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変な夢を見ました。

自分が買い入れた牛さんと会話が出来る、という設定の夢です。

日頃生前の牛さんを買うことはないのですが、この夢では何故か生前の牛さんで、当然これから屠殺しなければいけません。

で、屠殺場へ私が自分で連れて行くのですが、道中その牛さんと会話しないといけません。

私は、必死で「浮かばれるようにする」と説明していました。

肉の取り扱い方法やら、経営の方針やらを説明していたような気がします。

内容は、日頃講演などで話している内容ですが、何しろ、相手がそういう牛さんなので、「嘘は許さない」という圧力を感じます。

講演会のお客さんより、申し訳ないですが、緊張します。

大汗をかいて、足がひどく緊張してきて、

イテテテ!

と本当に足がツッたところで、目が覚めました。

あ~あ、夕べ、チト飲み過ぎたなあ。

それに最近、暑くなって寝苦しくなってきたしなあ。

追伸①

1963年6月15日に「スキヤキ・ソング」(=「上を向いて歩こう」)が、全米ヒット・チャート第1位を獲得しました。それから50年。その後、全米第1位になった日本人はいません。

~「スキヤキ・ソング」50周年記念~
「ちんや」で九ちゃんのCDが当たる週間 を開催しています。
平成25年6月15日(土)~23日(日)

1等:「上を向いて歩こう」CD
2等:世田谷文学館「上を向いて歩こう展」入場券
参加賞:「ちんや」金券133円 (参加賞は全員に差し上げます)

詳しくは、こちらをご覧ください。

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

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現在の笑顔数は351人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.204日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 
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ステルベン

ネットの「ネタりか」に「知らないとソンする業界の隠語」という特集が載っていました。

この手のネタが好きなんですよね、私は。

で、早速クリックしてみますと・・・

■寿司屋

「山」ネタ切れ

「兄貴/弟」古いネタ/新しいネタ

山には魚がいないことからネタ切れの意味。

「山」は、寿司屋以外の飲食店でもよく使われているようです。使ってますねえ、「ちんや」でも。

■病院

「エッセン」食事休憩

「ステる」死亡すること

「エッセン」「ステる」ともに、ドイツ語のessen、sterbenに由来します。

医学界は、明治時代にドイツ医学を導入したことから、ドイツ語から来た隠語が多いようですが、「エッセン」じゃあ、そのまんまですから、ドイツ語の分かる人にはすぐバレますねえ。

「ステる」も既に一般人に知られていますから、隠語にならないかもしれません。

司馬遼太郎の長篇小説『胡蝶の夢』を読みますと、主人公・司馬凌海が勤務している医学校に、ドイツ医学を導入するため、ドイツ人教授が赴任して来る場面が描かれています。

凌海は、医師で語学の天才でもあり、ドイツ語に堪能でした。新教授は凌海と話した時に、あまりに上手に話すので「あなたはドイツに何年いましたか」と尋ねたそうですが、実際には日本から出たことはなかったそうです。

凌海は佐渡島の真野の出身で、千葉の佐倉と長崎で学んだ人でした。

先日、浅草の佐渡料理の「だっちゃ」さんに飲みに行った時、「佐渡出身の有名人は誰?」というクイズになり、私は「司馬ナントカっていう、名前は忘れたけど、『胡蝶の夢』に出てくる医者!」

と答えましたが、皆さん「???」という反応でした。佐渡ではあまり有名でないようです。

で、ネットで検索してみましたが、たしかに「佐渡出身の有名人」に凌海は載っておらず、

・宮田亮平=金属工芸家、東京藝術大学学長

・益田孝=戦前の三井物産の実業家、茶人でもあり茶器の収集が有名

・北一輝=戦前の右翼思想家、2.26事件に関与

・土田麦僊=戦前の日本画家、国画創作協会を設立

といった方々だけが出ていました。

でも、たしかに凌海は佐渡島の出身です。天才でありながらアル中だったので、忘れられたんでしょうかね。

凌海は通訳する時、日本語にない単語はその場で即座に造語した、というからスゴいです。漢文にも精通していたため、的確な訳語を促成できたのです。

蛋白質(Eiweiss)も凌海の促成語と言いますから、我々も普通にお世話になっていますね。佐渡の皆さん、やっぱり有名人に加えた方が良いと思いますよ。

さて、隠語の話しがいつの間にか、ドイツ語の話しに成ったので戻りますが、

■旅館・ホテル

「ノーショウ」予約している客が来ないこと

「幽霊」予約の入っていない客が来ること

ノーショウは、no show。

幽霊はノーショウの逆でゴーショウと呼ぶことも。

「ノーショウ」は隠語というより普通の言葉として使ってますねえ、「ちんや」でも。

「幽霊」は使いませんよねえ。

たしかに何かの間違いで、予約リストに載っていない人が、

「予約しました〇〇です!」

と名乗って店に入って来ることはあります。

どういうケースかと申しますと・・・

幹事さんが「ちんやに集合!」と人を呼び集めたのに予約を入れておらず、

しかし呼ばれた側は、当然予約が入っていると信じ込んでいて「予約しました〇〇です!」と言ってしまう場合です。

幹事さんが先に店に入れば、問題には成らないんですが、後から見えると混乱の元になります。実に困るんですが、たまにこういうことがあります。

その時、その件を目の前においでの御本人に知られないよう社内で連絡するのに、隠語が必要です。

でも「〇〇番の方は「幽霊」です!」なんて、おかしくて使えませんよ。

こういう場合、Sterbenが良いんじゃないですかね!

病院で「ステる」は既に有名過ぎて使えませんから、飲食業界に譲ってくれませんか?

例えば、

社長、大変です、ステった御客様が見えてます!とか・・・

追伸①

1963年6月15日に「スキヤキ・ソング」(=「上を向いて歩こう」)が、全米ヒット・チャート第1位を獲得しました。それから50年。その後、全米第1位になった日本人はいません。

~「スキヤキ・ソング」50周年記念~
「ちんや」で九ちゃんのCDが当たる週間 を開催しています。
平成25年6月15日(土)~23日(日)

1等:「上を向いて歩こう」CD
2等:世田谷文学館「上を向いて歩こう展」入場券
参加賞:「ちんや」金券133円 (参加賞は全員に差し上げます)

詳しくは、こちらをご覧ください。

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

 この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

 その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

 現在の笑顔数は351人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.202日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

 

 

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彦根から広まった江戸時代の牛肉文化

次回「すきや連」例会は彦根市の「せんなり亭」さんで御世話になることに決まっています。

その彦根の「彦根城博物館」学芸員・野田浩子さんが、以前雑誌『食生活』2011年5月号に「彦根から広まった江戸時代の牛肉文化」と題して寄稿されていたのを思い出しましたので、探し出して読んでみました。

彦根が江戸時代には牛肉文化の先進地であったことは、広く知られています。その経緯のポイントを整理しますと、

・軍需産業としての皮革産業が中世から湖東地帯に発達していて、やがて井伊家がそれを傘下に収めた。

・皮を獲る為に牛を屠殺した時に出る肉を、薬として食した。医師が管理していた。

・食べ方は、干し肉・味噌漬け・酒煎り肉であった。

・干し肉の効能が評判になり、将軍家から請求されて献上した。水戸家にも献上した。

・江戸後期には大名や医師だけでなく、藩士や豪商も肉を食べるようになった。

・幕末には店舗をかまえて肉を売る店が登場した。

という感じです。

この文中にある、

「安政年間(1854-60年)には彦根城下の町人が江戸で「彦根牛肉」の看板を掲げて商売していたという。」

という一文には、へええ!と思いました。

この一文に証拠は添付されていませんが、文久3年(1863年)に来日したアメリカ人が撮影した厚木宿の写真には、彦根牛肉を商う店が写っていて、それが掲載されているのです。

この頃には、一般人が街で普通に肉を購入できるようになっていたのですね。

その肉は、どんな肉だったのでしょう。

興味が湧きますね。

彦根行きが楽しみです。

追伸①

「浅草法人会」さんの主催で講演会をさせていただくことになりました。

<演題>すき焼きを現代に活かす~商いは、楽しく・古風に・斬新に

<日時>7月2日(火曜)17時受付開始⇒17時30分~19時頃まで

<場所>浅草文化観光センター5階(台東区雷門2-18-9)

<定員>60名様(早めにお申し込み下さい)

<参加資格>どなたでも(=浅草法人会会員でなくても)参加できます。

<参加費>なんと、無料。

*参加の手続きはこちらです。

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

 この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

 その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

 現在の笑顔数は351人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.196日連続更新を達成しました。

1.200日が近づいてまいりました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 
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マズ飯嫁

私は、どちらかと言うと音痴です。

耳で聞いた歌を記憶して、そのまますぐ歌おうとすると、その歌唱は、たいてい人様に不快感を与える歌唱に成ってしまいます。

しかし普通に皆さんとカラオケに行くことはできます。

それどころか、カラオケ判定機で100点を獲ったことがあります。

さらにそれどころか、知人の結婚披露宴で100人ほどの来客を前に「上を向いて歩こう」を歌い切ったことがあります。

こういうことが可能なのは、私が、

・楽理を学んだことがある

・事前に楽譜を入手して読み込んでいる

からです。披露宴の時は、

・事前に歌のレッスンに通いました。

当然したがって自分の「持ち歌」以外は歌いません。この方法で歌というものに対処しています。

では、最近世間で話題の「マズ飯嫁(まずめしよめ)」の皆さんは、料理というものにどう対処したら良いのでしょう。これが、今日のテーマです。

夫婦二人の内で、料理が得意の方が家で料理をし、そうでない方が外で働くのがベストですが、そうも行かないでしょうね。

料理音痴の奥様が、どうしても料理を作らないといけない場合は、やはり、

料理の基本は必修です。本屋に行って調理師試験の対策本を買って読み込みましょう。

・味を付けるとはどういうことなのか。

・火を通すとはどういうことなのか。

そこはまず、論理的に押さえましょう。

勿論サラっと読んだだけではダメなのであって、腑に落ちるまで理解して、決して忘れないほど読み込みましょう。

もし理解できない部分があったとしたら、それは中学校卒業程度の理科を忘れてしまっていることが原因かもしれません。そこから学び直しましょう。

一方、諦めた方が良いこともあります。

・手先がどうしても不器用な方は、美しい盛り付けは諦めて、ザックリした盛り付けにしましょう。味の大勢に影響ないですからね。

切り口の良し悪しが重要となる料理=例えば刺身はやめましょう。

・それから料理屋のマネはやめましょう。

料理屋には、厨房の中にもホールにも何人もの人がいます。そのマンパワーが在ってはじめて成り立つこと~例えば、テーブル設営は「ほどほど」にしましょう。

レストランのような素敵な御自宅を持っていて、それを雑誌に取材させている奥様~例えばハトヤマ元総理の奥様もおいでですが、そうしたければ、まずご主人様にハトヤマ家の御曹司に成って貰いましょう。それが先決ですな。

それから最後に、

・ネットのレシピ投稿サイトを利用するのはやめましょう。

世の中には、相当確率で味覚音痴・味覚障害の方がおいでです。だからレシピ・サイトは玉石混淆ですし、まともなレシピであったとしても、御主人様の味覚に合うかどうか分かりません。結局当てにするべきではないと思います。

御主人様とレストランに行って、御主人様が「旨い」と言ったら、その店のシェフのレシピ本を使いましょう。

そうそう、それから、

・「持ちレシピ」をあまり増やさずに、出来るレシピを改善することに注力しましょう。私なんか「持ち歌」は、

「上を向いて歩こう」

「明日があるさ」

「お嫁においで」

「花」

「鉄腕アトム」

「宇宙戦艦ヤマト」

「真夏の果実」

「島唄」

「ランナー」

「ギンギラパラダイス」

だけですが、これだけで何とかなりますね。ジャンルの構成としては、

・昭和戦後歌謡3

・小学校唱歌1

・アニメソング2

・バブル以降の歌3

・おふざけ1

という構成で、バランスは良いと思いますよ。

「マズ飯嫁」の皆さんも頑張って下さいね。

 

追伸①

「浅草法人会」さんの主催で講演会をさせていただくことになりました。

<演題>すき焼きを現代に活かす~商いは、楽しく・古風に・斬新に

<日時>7月2日(火曜)17時受付開始⇒17時30分~19時頃まで

<場所>浅草文化観光センター5階(台東区雷門2-18-9)

<定員>60名様(早めにお申し込み下さい)

<参加資格>どなたでも(=浅草法人会会員でなくても)参加できます。

<参加費>なんと、無料。

*参加の手続きはこちらです。

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

 この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

 その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

 現在の笑顔数は351人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.195日連続更新を達成しました。

1.200日が近づいてまいりました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

 

 

 

 

 

 

Filed under: すき焼きフル・トーク,食育ナウ — F.Sumiyoshi 12:01 AM  Comments (0)

GHQのすき焼きパーティ

その日もツイッターに「すき焼き」と入れて検索していました。で、発見しましたのは、

「昭和29年3月、GHQに接収されていたときに館内で撮られた写真。アメリカに帰国する将校のさよならパーティが地下食堂(現在はない)で開かれた。メニューはすき焼き。将校の後ろには三味線奏者の姿が。これは貴重な1枚。」

という@gakushikaikanさん(=神田錦町の学士会館)のツイートでした。

画像を開いてみますと、たしかに米軍将校とおぼしき人物が鍋を箸でつついています。写真の縁に「極東空軍士官クラブ」と印刷されていますから、空軍さんなのでしょう。

空軍さんは、着物の日本人女性たちに囲まれていますが、この人たちがすき焼きを作ったのでしょうか。

それとはまた別に、後ろの壁際に三味線をかまえた着物の女性が写っています。BGMのようです。

鍋は銀色で、鉄製には見えません。

たしかに貴重な写真ですね。

こういう写真が残っているのは、学士会館の建物が時代の風雪を乗り越えて来たからです。建造は昭和3年5月20日で、国の登録有形文化財だそうです。

GHQに接収される前にも、昭和11年(1936年)の2・26事件の時は東京警備隊司令部が置かれたり、昭和16年(1941年)に太平洋戦争が始まると、会館屋上に高射機関銃陣地が設けられたりと、なかなか苦労していますね。

しかし、その学士会館を、私のような私学出は親しんで利用してきませんでした。神田ですから、近いんですけどね。

だいたいですね、大正8年(1919年)に原敬・政友会内閣によって「大学令」が施行されるまで、慶應も早稲田も卒業生に学士号を授与できませんでした。

それ以前は、慶應も早稲田も大学ですらない「専門学校」扱いで、帝国大学つまり東京帝大と旧七帝大だけが「大学」でした。

学士様というのは、要するに帝国大学の出身者のことで、学士会館は、そう、その学士様の為の社交場だったのです。

そういう次第で学士会館は、帝国大学を出てない者にとっては、本来「お呼びでない」場所なのですが、今回すき焼きの写真を見て「久しぶりに行ってみようかな!」と思いました。今は勿論、誰でも利用できますからね。

早速、現在の学士会館の和食部門「二色」のメニューを調べてみますと・・・

寿司がメインで、天麩羅が少々と、何故かステーキ重だけが在ります。

すき焼きは、

無いですね・・・

けっ、これだから国立出はイヤなんだ!

追伸①

「浅草法人会」さんの主催で講演会をさせていただくことになりました。

<演題>すき焼きを現代に活かす~商いは、楽しく・古風に・斬新に

<日時>7月2日(火曜)17時受付開始⇒17時30分~19時頃まで

<場所>浅草文化観光センター5階(台東区雷門2-18-9)

<定員>60名様(早めにお申し込み下さい)

<参加資格>どなたでも(=浅草法人会会員でなくても)参加できます。

<参加費>なんと、無料。

*参加の手続きはこちらです。

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

 この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

 その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

 現在の笑顔数は351人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.194日連続更新を達成しました。

1.200日が近づいてまいりました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 
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