新道の すき焼き
新潟県新発田市の、すき焼き店「八木」さんに行って来ました。
「八木」さんは、新発田の「新道(しんみち)」という、元の花街で現在は割烹・居酒屋・食堂・スナックなどが密集した一角に在ります。
市役所から、旧「三宜町遊廓」へ向かう途中と言っても良いでしょう。
江戸の中心から吉原へ向かう途中に、浅草はありますが、その浅草観音裏の花街と、新道は似た風情です。
いや、悔しいことながら「新道」の方が風情がありますねえ。
昭和の木造建築が多数残っているからです。昭和10年の「新発田の大火」の後に建てられた建物が多いそうですが、それに比べると、戦災・震災を経験した浅草は、風情という点では分が悪いです。
「八木」さん自身も、その当時の、木造の建物ですね。浅草ではこうは行きません。
ところで、新発田が肉食系なのは理由があります。
新発田はもともと溝口家6万石の城下町で、一度も転封が無かったので、濃厚な武家文化が発達しました。
酒蔵や和菓子店が在るのは、そういう次第でして、今回「八木」さんへ私を案内して下さったのも、旧知の「金升酒造」の御主人でした。
その新発田が、さて明治時代になりまして廃藩置県、新潟県に編入されました。
そして1873年に、廃城となった新発田城の跡地に陸軍歩兵第16連隊が置かれました。
で、以降、明治から終戦まで、この町は「軍隊の町」と成りました。今でも市のシンボルである新発田城址近辺の広い敷地は自衛隊が駐屯しているという状態です。
今でも、引き続き新発田は、自衛隊と武家文化が同居している、不思議な魅力の在る街になっています。
と、いうわけで新発田が肉食系なのは、歴史の当然なのです。「八木」さんの常連さんの中にも自衛隊関係の方がおいでだと、女将さんから聞きました・・・
と書いていると、「すき焼きを食べるのに、なんでそんなに能書きが要るんだ!」
と言われそうですので、いい加減にすき焼きそのもののことを書こうと思いますが、
おっと、この話しは長くなってしまいました。
続きは、後日の弊ブログで!
追伸①
「浅草法人会」さんの主催で講演会をさせていただくことになりました。
<演題>すき焼きを現代に活かす~商いは、楽しく・古風に・斬新に
<日時>7月2日(火曜)17時受付開始⇒17時30分~19時頃まで
<場所>浅草文化観光センター5階(台東区雷門2-18-9)
<定員>60名様
*おかげ様にて満員になりました。ありがとうございます。
追伸②
「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。
この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。
その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。
現在の笑顔数は353人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。
皆様も、是非御参加下さい!
本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.212日連続更新を達成しました。
毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。
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