イベント屋

世間にイベント屋という職業が在ります。

イベントを企画し、そのチケットを自社で売りさばいて、必要経費をペイすることがお出来になるなら、それは立派な職業だと私も思います。

ところが、です、それがお出来にならないイベント屋さんが、どうも多いように見えます。

イベントはやりたし、されども

券は売れず、

なので頼る先は、行政の補助金か商店街の予算になります。

その合わせ技もありますね。商店街から予算を引き出し、さらに商店街から区役所へ補助金を申請させるように仕向けるのです。

ここで必要なのは、弁舌です。

これは、浅草にこれまで来なかったような、新しい客層を呼び寄せられるイベントです♡

浅草の中で、こちらの商店街が先駆者になるのです♡

これから、どんどん伸びる市場です♡♡♡

いやいや、いやいや。

甘い言葉を信じてはいけません。

仮に、彼らの言う通り、その「新しい客層」とやらを呼び寄せられたとしても、そのお客様が買いたい商品が浅草になければ、何も買わずにお帰りになるでしょう。そのお客様が飲みたいような雰囲気の飲食店がなければ、他の街に移動してから飲むでしょう。

おそらく、そんなことはイベント屋さんは分かっているのです。

しかし、イベントやりたし・券売れず、

なので商店街を頼るしかないのです。

ここは商店街の側がしっかりマーケティングを考えないといけません。「新しい客層」を本気で自分の店のお客様にしたいのか、そうするには、どういう対応をしなければいけないのか。

区役所へネゴりに行くより、それを考えるのが先だと私は思いますよ。

追伸

拙著は好評(?)販売中です。どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

題名:『浅草はなぜ日本一の繁華街なのか』

浅草の九人の旦那衆と私が、九軒のバーで語り合った対談集でして、「浅草ならではの商人論」を目指しています。

東京23区の、全ての区立図書館に収蔵されています。

四六判240頁

価格:本体1600円+税

978-4-7949-6920-0 C0095

2016年2月25日発売

株式会社晶文社 刊行

 

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.626日連続更新を達成しました。

 

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カレーライスの起源

去年から、カレーオイル入りの溶き卵を売っております関係で、カレーのことが、どうも気になります。

だいたい、何故こんなにも日本人はカレーライスが好きなのか。

辻調グループによる2013年の調査では、国民の23%がカレーライスを「和食」と認知しているとか。

現在の日本のカレーは、インド人が「何これ、この日本料理ウマすぎィ!!」とビックリするほど独自の進化を遂げています。

しかし!

インド人は、「アナン」のバラッツさんによれば、カレーのことを「カレー」とは言わないそうです。

そして、日本人にカレーを伝えたのは、インド人ではないそうです。びっくりですね。

では、誰が伝えたのか?

弊ブログの2/3に書きました通り、カレーは福沢諭吉先生によって日本に紹介されました。

先生最初の単行本である『増訂華英通語』(1860年、万延元年)に「Curry コルリ」という表記があるそうです。アメリカに渡って買ってきた単語短文集に簡単な意味や片仮名の発音を付記した本だとか。

もっとも先生がアメリカ滞在中にカレーを召し上がった証拠は無いらしく、単に色々な料理名を紹介しただけかもしれません。しかし、少なくともこの本でカレーという語が紹介されていることは事実です。

もう少し本格的にカレーを紹介したのは、牛鍋を紹介した本『安愚楽鍋』を書いた仮名垣魯文による『西洋料理通』(1872年)です。

そう、カレーは西洋料理として日本に伝わったのです。そしてカレーを西洋に伝えたのは、もちろんインドを支配していたイギリスです。

イギリス人の船乗りは航海中にシチューを食べたかったが、当時は牛乳が長持ちしないとの理由で諦めるしかなく、牛乳のかわりに日持ちのする香辛料を使って、カレー味のシチューを考案したのが起源と言われているそうです。

カレーを「カレー」と名付けたのもイギリス人です。

その、イギリス式のカレーが日本に伝わった所までが第一段階。

そして、次の第二段階にはハッキリしない点が多いです。

ライスカレーが、明治20年代に登場したのです。

どこが発祥か分かりませんが、白米にカレーをぶっかける、丼ぶりのような食べ物が登場したのです。

これは急速に普及しましたが、どこが発祥か分かりません。

それまでは別々に器に盛るスタイルだったのが、一つの皿になったわけですから、想像しまするに、

調理時間を短縮したい、

洗い物の時間を短縮したい、

食べるスペースを小さくしたい、

という事情があって成立した食べ方だと思われます。

で、推測されるのは、

まず軍艦の食堂

つづいて洋食屋の賄い場

なんとなく海軍説を支持したい感じはします。

先日テレビで、カレーライスを発明したのは、かの東郷平八郎だと言っていて、その決め込みには驚きましたが、流石に証拠はないようで、下に小さくテロップで「諸説あります」と表示していました。

ともあれ、明治20年代にカレーライスが登場。瞬く間に国民食となりました。

こんなに以前から国民食なので、すき焼き用の溶き卵にカレーを入れた場合も、なんだか懐かしい感じがするのです。

どうぞ、お召し上がりくださいませ。

追伸

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題名:『浅草はなぜ日本一の繁華街なのか』

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建て替え

このたび浅草のおでんの名店「大多福」さんが店舗を建て替えされることになりました。

現在の、情緒ある店舗での営業は5月31日までだそうです。

「大多福」さんは、大正4年に大阪法善寺から浅草へ移転して、開業。その後、関東大震災・東京大空襲で焼失。カウンターから復活させて、少しずつ建て増して行き、約40年前にほぼ現在の姿になりました。

以来、多くのお客様に愛され続けて来ましたが、このたび次の世代へ繋げていくために、建物の見直しを行い、建て替えを決意されました。今の店舗の材料を取り外して、再利用するとかで、新築よりずっと大変な工事と思われます。

再開は平成31年の秋で、その間は仮店舗で営業なさると聞きます。

つきましては、大規模工事を決意された舩大工家の皆様を応援する気持ちも込めまして、私達・浅草料理飲食業組合では「大多福さんの、情緒あるお店とお別れする会」を開催することになりました。

皆様も、是非31日までにお出かけ下さい。

追伸

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題名:『浅草はなぜ日本一の繁華街なのか』

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2016年2月25日発売

株式会社晶文社 刊行

 

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4年目

群馬県庁が推進している「ぐんますき焼きアクション」について、産経新聞さんから意見を求められたので、お答えしましたところ、422日に記事になりました。

群馬県が平成26年9月に「すき焼き応援県」宣言をして今年は4年目です。

県庁では「ぐんまのすき焼き」PV(プロモーションビデオ)の長尺版(約3分)を3月末にインターネット上で公開したり、PRソングを作るなど新たな作戦で浸透を図っています。

PR動画は、バックに「スキスキスキスキ すき焼き グングン ぐんまのすき焼き~」という軽快な歌声が流れるもので、県庁は今後、歌と動画の入ったDVDを県内のスーパーなどに配布する予定だそうな。

まあ、食材が県内で揃うから、すき焼きを推すというのは、基本的に私は賛成です。

また過去に開催したコンテストで新しいすき焼きが出て来たのは、結構なことと思いました。

しかし「スキスキスキスキ」とかは「なんだかなあ」と思ってしまいます。

で、私のコメントは、

「地元産品振興のため行政が動画を作ったり、短期間に結果を出したがるのは理解できるが、まずは地道においしいすき焼きを宣伝すべきだろう」「コンテストですき焼きのおいしさを訴えるなど時間がかかっても続けていくことだ」

・・・なんか口調が自分でないようですが、内容的には、そういうことを申しました。

そもそもですが、ブランドの基礎はお客様への「お約束」であり、その裏返しとしての、お客様からの信用・信頼である筈です。

だからブランドづくりとは地道なものだと私は思うのですが、他県の動画でウケた事例があるためか、自治体が動画に走る例が後をたちません。

仮に動画がウケた事例があったとしても、それは、その動画がウケたのであって、その県がウケたわけではないと思います。その当たり前のことが分からないのは、どうしたことでしょうか。

さらに、何より気がかりなのは、群馬県民自体が肉を食べないことです。

「総務省家計調査(26~28年平均)では、県庁所在地と政令指定都市を合わせた全国52市で、前橋市の牛肉消費は金額で年1万261円の50位、数量で年3582グラムの51位(最下位はいずれも新潟)。すき焼きプロジェクトが牛肉消費につながっているとは思えない。」

自分達が食べないと、商品の本当の魅力がブランド化の過程に反映されず、ブランドづくりが空回りすることがあるから気になります。

産経新聞さんも「すき焼きの主役となる上州和牛のブランド力向上という思惑がある」と「思惑」という言葉を使って、警戒感をにじませています。

一段のご努力をお願いしたいものです。

追伸

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いわき民報

単行本『浅草文芸ハンドブック』については弊ブログの2016919に書きましたが、その著者・能地克宜先生(いわき明星大学准教授)が拙著『浅草はなぜ日本一の繁華街なのか』について、「いわき民報」に書評を書いて下さいました。やや長いですが引用しますと・・・

 「出版時評」

2013年から3年近くもの間、東京・浅草について調査してきた。この間、数多くの浅草にまつわる文献をあさり、何度も浅草に足を運んで歩き続けたのである。いつ浅草を訪れても街は人であふれ、活気に満ちているのだ。

浅草の魅力はどこにあるのか、浅草を歩くということはどのような意味があるのか。このことについて主に文学を通して考察し、筆者も編著者として携わった書物が刊行されることとなった(『浅草文芸ハンドブック』勉誠出版)。この『ハンドブック』は、専ら浅草を訪れて歩く者の視点に立って編んでいるが、その編集過程で出会った住吉史彦『浅草はなぜ日本一の繁華街なのか』(晶文社、20162月)は、浅草に人々を訪れさせ、人々を歩かせる側の視点でその魅力を追求している点で、好対照をなしていると言える。

『浅草はなぜ日本一の繁華街なのか』は、すき焼き「ちんや」六代目の店主である著者が、9人の浅草の老舗店主と対談し、著者のコメントをまとめるという構成をとっている。「まえがき」にも記されているように、浅草はこれまで天災、人災と何度も衰退の時期を経験しながら、それらを乗り越えて現在に至っている。そうした再興に向けてどのようなことをしてきたのか、あるいはどのようなことをしてこなかったのかについて、それぞれの店主が、自らの経験を語っている。

以下、筆者の関心に沿ってその一部を紹介してみたい。

終戦後の闇市で同業者が次々に生活に必要な物資を売る店へと転じる中で、先代が「不器用で融通が利かなかった」と語る木村吉隆氏(江戸趣味小玩具「助六」五代目)は、それによって職人を手放さなかったことが、かえって現在浅草に唯一江戸趣味小玩具店として残っている目的の一つだという(「第一話・世界に唯一の「江戸趣味小玩具」の店」)。

江戸前鮨「弁天山美家古寿司」五代目内田正氏もまた、先代の「時流に逆らって忍の一字で凌ぐ」という選択が老舗の維持につながったと言う。1960年代に冷蔵庫が普及し生鮮食品の流通が広がる中、「うちは仕事をした鮨ネタを売る店だから、よその店のようにする必要はないという姿勢」を貫いてきたのだ(「第二話・江戸前鮨に徹した仕事」)。

著者は洋食「ヨシカミ」二代目熊澤永行氏に「六区の興行街が寂れた最悪の70年代に、なぜ浅草にとどまろうとされたんでしょうか」と質問する。熊澤氏は以下のように答える~外食産業がばーっと広がった時期だったので、「一緒になってほかの店と同じことをやったら、資本力でうちは絶対負ける。対抗するには、平行線で頑張ってやろう。あっちが多店舗展開するなら、うちはここ浅草でずっと頑張ってやろう」と性根を変えたんです。「浅草に行けばヨシカミがある」っていうのを特色にしようと。「ヨシカミ」もまた人々が現在浅草を訪れる理由の一つになっていることは周知の通りであろう(「第八話・ごはんにも日本酒にも合うのが洋食」)。

これらの店主の発言は、「被災したりピンチを経験した時に、その場凌ぎをせず、逆にピンチを契機に料理の本質に向かって行った店が、結果として老舗となっている」という著者あとがきに記された言葉に集約される。もちろんこれだけが浅草の街全体の再興に寄与したわけではない。だが、「浅草というところは、昔からいろんなどん底を経験したひとたちがやって来ては、また立ち上がって行った街です」という松倉久幸氏(落語定席「浅草演芸ホール」会長)の指摘に見られるように、何度も危機から立ち上がる力を浅草という街とそこに生きる人々は持っている。

そしてそれが浅草の繁栄の一つの理由であるだけでなく、今も浅草を訪れ、そこを歩く人々にとって一つの魅力になっているのだ。浅草を歩くことは、私たちが学ぶべきものを発見できる機会にもつながるのである。(終わり)

 『浅草文芸ハンドブック』については、こちら↓です。

追伸

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題名:『浅草はなぜ日本一の繁華街なのか』

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カレー蕎麦

蕎麦屋さんに、何故「カレー蕎麦」や「カレー南蛮」が在ると思いますか?

カレーと混ぜたら、蕎麦の微妙な風味や香りが飛ばされてしまうというのに、いったいなんで、「カレー蕎麦」なんて料理が在るんだろう?

不思議に思ったことはありませんか?

私も不思議に思っていました、ごく最近まで。

最近私は、店の商品として、カレーオイル入りの溶きタマゴを出していますので、遅まきながらカレーについて学ぼう、それも和食化したカレーについて学ぼうと思いまして、カレー蕎麦やカレーうどんを食べ歩いているのですが、そこ過程で分かりました、蕎麦屋さんに「カレー蕎麦」が在る訳が。

実に意外な理由でした。

その理由は、

カレーライスが蕎麦にとって、かつて強力なライバルあるいは、深刻な脅威だったからです。

時は明治時代後半。

それまで蕎麦は東京の庶民が好むファースト・フードの筆頭で、その地位は、政権が徳川家から新政府にかわっても引き続き安泰なように見えました。

しかし!

そこにカレーライスという強力なライバルが現れたのです。カレー人気に押されて、蕎麦屋の客足が遠のき始めたのです。

カレーには軍隊という後ろ盾がありました。特に海軍は水上生活が長いため、兵士を慰めるために美味しい賄いを出そうと努めていました。で、「海軍カレー」です。

やがて兵役を経験してカレーの美味さを知った人達が郷に帰ってからもカレーを食べたがりました。それがカレー人気の背景にあったのです。

同じ市場の奪い合いですから、蕎麦屋さんにとっては深刻な事態です。そういう深刻さを背景として、カレー蕎麦が登場したのだと思えば、蕎麦屋にカレーが登場した理由が納得できると言うものです。

時に明治37年(1904年)のことと伝えられています。

商いの生死にかかわる状況に直面した時は、柔軟に!それも相手方を摂り込むくらい柔軟に!

実に恐れ入った立身術だと思います。

 

追伸①

52日は火曜日ですが、GW連休中なので、「ちんや」は臨時営業いたします。どうぞ、ご利用下さいませ。

追伸②

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一番の癌

発言に、もちろん私は賛同できませんし、発言した人の人間性すら疑ってしまうような言い方でしたが、観光と文化財の関係について重大な問題提起をした功績はあると思いますよ、ええ、皮肉ですけどね、当然。

その発言とは、

ヤマモト・コーゾー大臣の、

「一番の癌は学芸員」という発言です。

「一掃しないとだめだ」とも言ったとか。すぐに撤回したそうですけどね。

なぜ「癌」で「一掃する必要がある」のかと言うと、

学芸員に「観光マインドが全く無く」、

「インバウンドの興味を引くさまざまなアイデアについて「『文化財が大変なことになる』と全部、学芸員が反対する。観光立国として(日本が)生きていく時、そういう人たちのマインドを変えてもらわないと、うまくいかない」からだそうです。

想い起しますと、江戸の昔から観光の目玉は、「御開帳」などの文化財でした。

しかし当然ながらその文化財には、観光の目玉としての価値だけではなく、本来の文化財として価値があるわけで、その価値を深く識っている方もおいでです。その人達から見たら、群れを成して押し寄せる観光客など、イライラの対象でしかないでしょう。

だから「さまざまなアイデアについて全部、学芸員が反対する」は言い過ぎでしょうが、「反対する場合がある」なら事実でして、実際しばしば摩擦を産んでいます。例えば、ウチから近い所では、上野。

では学芸員とは別に接客専門職をおけば良いかと言うと、そう単純な話しでもなく、観光客も、その文化財の価値を一番良く分かっている人に説明して欲しいのです。そう、観光客とは実に貪欲で無遠慮なものなのです。わざわざ、取りにくい休みを取って、遠くから運賃をかけて来たのだから、普通の対応では納得いかないのです。

この話しは職人と販売員の関係に似ています。弊店では実は職人と販売員が同一人物なので、接客が不得意な人間も販売をしています。

不得意ではありますが、まさにその肉を仕込んだ、本人ですから、

この肉はなかり良いですよ。今朝ボクが仕込みましたけどね、包丁がスーっと入りましたから!

というような会話が出来て、それで売れるのです。

販売専門で仕込みにまったく関わらない人だけで売り場を造ると、今時のデパートのように売れなくなってしまうのです。

話しを戻しますが、観光と文化財の件は、おそらく永遠のテーマで白黒つけられません。塩梅をして行くしかないと思います。

で、あるにも関わらず、「癌」発言への反発心から、文化と観光の間に溝が拡がり、塩梅が出来なくなれば、大変寂しいことになって行くだろうと私は思います。

 

追伸①

52日は火曜日ですが、GW連休中なので、「ちんや」は臨時営業いたします。どうぞ、ご利用下さいませ。

追伸②

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パクチー料理ありません

新しい食が発見されるのは、もちろん基本的には結構なことと思います。

しかし「発見」を通り超してブームにまで仕立て上げようとするのには違和感を抱くことがありますね。

って申しますか、最近は、そういうのばっかり!

その代表が昨今のパクチー・ブームでしょう。

そして、とあるタイ料理店が、その異様なブームに異を唱えました。ツイッターで拡散しているのですが、京都のタイ料理店が以下↓のような貼り紙をドアに掲示したのです。

「当店ではパクチー(香草)だけのサラダ料理や、パクチーを大量に使用するような流行りもの系の料理は提供しておりません。パクチーの追加増量に関しましても大量に増量を希望されるお客様が増えますと通常の料理に使用する量を確保できなくなるため今後はパクチーの追加増量には対応しないことと致しました」

この掲示は意外に長文で、さらに、そもそもタイ料理とパクチーとの関係についての説明も書かれていたそうな。

「タイ・ラオス料理にはパクチーを使用していない料理も多数あり、あくまでもパクチーは薬味としての扱いが基本です。本来のタイ・ラオス料理ではパクチー(香草)そのものをサラダのようにして食べるという習慣はありませんので当店では過度なパクチーのみを強調して使用するような料理は提供いたしません」

「もしそのような料理をご希望される場合は他の店舗様をご利用ください。お客様のご理解ご協力お願い致します」

GJ.

このお店さんの姿勢を、私は断然支持します。

もっとも、貼り紙を良く読みますと、あくまで「流行りもの系」の、過度なパクチー料理はありません、と言っているだけで、ニュースのタイトルの「パクチー料理ありません」では言い過ぎであることが分かります。弊店の「適サシ肉宣言」が「霜降り肉ありません」と言い換えられて報道されたのと酷似していますね。ヒジョーに気になってしまいます。

もう一つ気になったのが、この件を世間がどう感じているのか、でしたので、ヤフコメも読んでみましたら、

「この店の対応は大正解。タイ料理に敬意を払おう。」

104258で多数支持。

「テレビで紹介されていた、芸能人が使っているなどの理由で、特に考えもなく食い付いている人達ばかり。別の物が紹介されれば、また同じ理由で食い付く。それはまるでイナゴのよう。自分もそうですが、日本人は熱しやすく冷めやすいですからね。」

1361118で多数支持。

「客は店を選べるのだから、店も客を選んでも良い。」

47837で多数支持。

まずは良かったです。

しかし食の「仕掛け人」と称する連中が懲りるという保証はないです。

ブームの結果、多くの農家さんが、他の作物からパクチー生産に転じたと思われますが、その転作バブルは、この掲示をきっかけに崩壊して→損失を負うでしょう。その頃「仕掛け人」は次なる「ブーム創り」に一生懸命・・・

まったくトホホな在り様ですねえ。

先進国なんでしょうか、この国は?

 

追伸①

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フェイク

近頃アメリカに流行るもの=フェイク・ニュース

近頃浅草に流行るもの=フェイク・キモノ

ちゃんとした着物をお召しになった方が通ると、

ハッ!としてしまいますが、

それって良く考えたら、トホホなこと。

どうも、フェイクの方に目が慣れてしまったらしいです。

悲しいね。

 

追伸①

52日は火曜日ですが、GW連休中なので、「ちんや」は臨時営業いたします。どうぞ、ご利用下さいませ。

追伸②

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第3回⑨

国際観光日本レストラン協会の「第3回青年後継者の集い」が開催され、不肖の私がセミナー講師を務めさせていただきました。

「適サシ肉」の話しを聞きたいということでしたので、以下のような内容になりました。長いので、4/21から8回に分けて公開していますが、本日が最終回です。さて、

<以下本文>

そして、ついでにもう一つだけ申し上げますと、世間の皆さんが内心やって欲しくて仕方なかったのに、誰もやってくれる業者がないことをパっとやってあげると、こんなにもウケるということです。

リアルな私の身の回りの体験でも、適サシ宣言、良かったです! 私も以前から、絶対そうだと思ってたんです!俺も同じこと思ってたんだけど、自分の年のせいだと思ってたんだよね。でも、違ったんだね。原因が分かって良かったよ!

皆さん、目を輝かせてそう言います。皆さん、内心、今の霜降りは行き過ぎて美味しくないと思っていたのに、言えなくて黙っていたのです。自分が少数派ではなく、多数派だと分かったことが嬉しくて仕方ないのです。そう、多数派に属していることはやたらと嬉しいことなのです。日本的ですけどね。

そして話しはまたまた膨らみますが、商いの歴史を調べてみましても、皆(多数派)が内心そう思っていたのに、言えなくて黙っていたこと、それを実現した人が結局成功しています。

最近「100年経営研究機構」という学者さんのグループと仕事をしているのですけど、そこで学んだことに、例えば「正札販売」というのがあります。

商品に、値段を書いた札(=正札と言う)を付けて販売することを正札販売と言い、今日では当たり前ですが、それが始まったのは1876年。アメリカ・フィラデルフィアの商人ジョン・ワナメーカーによって始められたそうです。それまでは客の様子を見て、値段を変動させていたのです。

現代でも「ぼったくり寿司屋」に行けば同じ目に遭います。またイスラム圏では正札販売が普及していないので、客は店員と駆け引きして買います。駆け引きは面倒だし、それに不公正ですよね。

そういう「ぼったくり」はイヤだと、それまで庶民は皆思っていたのに、言えなくて黙っていました。それが多数派でした。

そして、言えなくて黙っていたことを、アメリカ人より先に実現した日本人がいました。三越さんの前身の越後屋が1673年(延宝1)に実施しているのです。スゴいことです。

やや遅れて1726 (享保11)、大丸さんの前身も大阪心斎橋筋で現金正札販売を始めます。どんな人間にも現金正札販売する、この店の姿勢は支持されまして、どの位支持されたかと申しますと、1837 (天保8)に大塩平八郎の乱が起きた時に「大丸は義商なり、犯すなかれ」と、焼き討ちを免れたのです。

これはドラマティックです。他の商人は幕府と結託していたので、「義商」ではないと見做され焼き討ちされましたが、大丸さんだけが免れたのです。現金正札販売が、どれだけ人々に革命的なことで、支持されたか、良く分かります。今日でも通用する教訓だと思います。

さてさて、もう時間ですので、最後に「適サシ肉」に戻りますが、この大ブームを観て、嬉しい言葉を贈ってくれた方がおいででしたので、ご紹介します。

私は2008年から食文化研究家の向笠千恵子先生と一緒に「すきや連」という会を年に3回催しています。すき焼き屋とすき焼き関係者、すき焼き愛好家が全国から集う、美味しくも楽しい会で、レス協の、今日おいでの、藤森さんや荒井さん、藤本さんも参加してくれています。尾川会長にも参加していただいたことがあります。

その向笠先生も、今回の「適サシ肉宣言」に大変共感して下さいまして、こうおっしゃいました。先生の流石の文才を感じさせる言葉です。

「適サシ肉」は「素敵サシ肉」。

お後がよろしいようで。本日はご清聴誠に在り難うございました。(終わり)

追伸

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四六判240頁

価格:本体1600円+税

978-4-7949-6920-0 C0095

2016年2月25日発売

株式会社晶文社 刊行

 

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Filed under: すき焼きフル・トーク,飲食業界交遊録 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)