短くしようよー台彪会・工房見学会

 4/24に、「台彪会(たいひょうかい)」の工房見学会がありました。日程は以下のように盛りだくさんでした。1:江戸町火消し錦絵の第一人者・岡田親さんの工房⇒2:ご存知!カリスマ靴職人・末光宏さんの工房⇒3: スーパー「シマダヤ」さんのバックヤード見学⇒沖縄サミットにコーヒーを提供した、超有名喫茶店「バッハ」で小休止、のつもりが満員で入れず通過⇒4:打ち上げ&懇親会は、創業139年の老舗「川松」さん と充実しすぎの内容でした。訪問先の内、末光さん・「シマダヤ」さん・「川松」さんが台彪会の仲間です。

  台東区の若手サポートセミナー(二条彪先生のゼミ)は、9月開講⇒翌2月閉講というサイクルなので、今の時期は「夏休み」にあたります。それで、セミナー受講者のグループである「台彪会」が自主的に勉強会をしています。

 自主勉強会の一つ・工房見学会は、昨年に引き続き2回目です。今年は、さらに充実の日程となりました。皆、とても仲が良く、冗談を言い合ったり、情報交換をしたりする時間が楽しくて仕方ない様子です。そういった次第で、自然と日程も昨年以上に長時間になりました。

 見学先の皆さんは、どなたも腕のたつ方・目利きの方ばかりですが、御口の方も滑らかで、品物や人生にかける思いを熱く語って下さいました。勉強になります。関係者の皆さん、本当にありがとうございました。

 見学を終え後は、「川松」さんで美味な鰻をいただきました。大満足の宴会でしたが、そこで撤収となることはありません。夜が更けても、場所を変えつつ、談論が尽きることはありませんでした。

  ああ、今日は面白かった。でも、疲れたなあ。

  そう言えば、打ち合わせの時「昨年のは、スゴク勉強になったけど、チョッと時間が長かったから、今年は少し短くしようよ。」と、台彪会会長たる私・住吉史彦が提案したのに、あっさり無視されたっけ。

  来年は、もっと長くなるのかなあ。途中に昼寝の時間を入れてもらうか。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

*台彪会については、こちらです。

賑やかな法事

 4月も後半に入り、「三社祭はいつですか?」という問い合わせの電話がかかってくるようになりました。一般の方は、浅草神社や浅草観光連盟の電話番号をご存じないことが多く、自分が電話番号を知っている、「ちんや」に日程を確認するのだと思います。

 と、書くと「その日はさぞかし、浅草は忙しいのだろう。「ちんや」へ行くのは他の日にしようかな」と思われてしまうかもしれません。ところが、です。皆さんがそう考えるせいか、例年、三社祭当日「ちんや」は、それほどの込み具合ではないのです。お彼岸の方が忙しいくらいです。

 まず、この日はとても賑やかですから、ご法事をやりにくいです。まれには祭りでも気にせず法事を敢行される方もおいでです。「仏が賑やかなのが好きだったんで、いいんです、三社の日の法事で。」という酔狂な方もおいではおいでですが、まあ、一般的には、ご法事はやりにくいでしょう。

 それから、交通規制のため、車で移動がしにくいです。ご法事の場合は、年配の方が参加されることが多く、当然車で移動したいわけですが、規制で「ちんや」へ近づけません。

 そこで、予約の電話がかかってきた時に、「念のため申し上げますが、その日は浅草で三社祭が開催されますが、ご存じでしょうか。」と確認することにしています。そう申すと、「え、そうなの? それは困ったな、考え直して他の日に変えるから、いったん電話切りますね。」となってしまうことも結構あります。でも、「当日来てみてビックリ!」ではお客様がお気の毒なので、事前にお教えしないわけにもいきません。

 そういうわけで、三社祭の日も「ちんや」は普通に営業しています。窓の外から聞こえてくる、祭りのかけ声やお囃子はBGMと思っていただけばオツなものです。「ちんや」がある、浅草中央町会のお囃子隊(=「あやめ連」と言う)は上手ですよ。

 どうぞ、お出かけ下さい。5月14日(金)、15日(土)、16日(日)が三社です。賑やかな御法事も承ります。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

*浅草神社(=三社さま)の公式ホームページは、こちらです。

Filed under: 浅草インサイダー情報 — F.Sumiyoshi 9:29 AM  Comments (0)

はい、ポーズ!

 今日は写真撮影がありました。すき焼きの写真ではなく、「ちんや」の宴会場の写真でもなく、私・住吉史彦の写真を撮りました。それも最高に笑える・・・ポーズで。

 このブログの3/23号に書きましたが、今、私・住吉史彦個人の名刺を新しくする計画を進めていまして、それに載せる写真を今日撮ったのです。肖像写真なら以前から無いわけではないのですが、今回はそれではダメなのです。

 今回は「メッセージ性を前面に打ち出した、名刺を作ろう」ということなのです。つまり、自分がどういう仕事をしたい人間なのか、どういう店をやりたい人間なのか、名刺の上にキョーレツに、表現していこう、と考えています。ですから、普通の肖像写真では不足なのです。

 なるべく、インパクトのある格好・インパクトのあるポーズにしよう、と㈱ミッションのM社長と何度も(!)打ち合わせしてきました。小道具もM社長が、あれやこれやと奔走して、たくさん取り揃えてくれました。

 そして写真と文をあわせた、全体の表現方法については、パロデイー仕立てにしようと考えています。ご存じの方はご存じと思いますが、私は大真面目なことを、正面きって宣言するのが、恥ずかしくて仕方ない性格なので、ストレートに書くのでなく、可笑しいものにしよう、と考えています。

 でも、ちょっとノリすぎて、「可笑しい」を通り越して、爆笑級のものができてしまいそうです。

 その結果、今日は生まれてきてから、3番目くらいに恥ずかしい思いをしました。―あの格好で、あのポーズで、あんな人通りの多い場所で、撮るとは。

 カメラのSさんも、「この企画はあまりに笑えますね」「こんなアホらしい仕事させてもらって最高っす!」とノって下さり、丁寧に何カットも撮って下さいました。

 丁寧は良いのだけど、恥ずかしいから、はやく撮り終わってくれないかなあ。 あ! マズいぞ、和菓子の老舗「西むら」の女将さんが接近して来た! チョッと逃げ出していいですか?

  本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

「あとご飯」論争

 このブログの4/20の号にも書きましたが、カリスマ靴職人・末光宏さんを講師として「ちんや」に迎えて、靴の勉強会を開催し、その後で末光さんを囲んで、すき焼き懇親会をしました。桜鍋「中江」のN社長、「駒形どぜう」の若旦那W君、料亭「きよし」(墨田区向嶋)のA子女史などが参加してくれました。

  なごやかに靴談義をしつつ、鍋を食べ進めていく内、「ではそろそろご飯を」ということになりましたが、桜鍋「中江」のN社長だけは、出されたご飯に手をつけません。「?」と思ってみていると、「住吉さん、タマゴもらえませんか?」とN社長。

「え?すき焼き終わったのに、まだタマゴ要るんですか?」「ええ、だって「あとご飯」やりたくなっちゃったもんですから。」とN社長ニヤリ。

 「あとご飯」とは、「中江」さんのホームページによると、以下の通りです。⇒「鍋の残り汁に玉子を入れ、ふんわりと仕上げ、その玉子をご飯にのせて玉子丼のように食べるのが「あとご飯」です。肉や野菜のうまみたっぷりの玉子は、桜なべを食べた後にしか味わえない格別な味です。「中江で一番美味しいのは、あとご飯」という評判も立つほど・・・(後略)」

  なるほど、「中江」名物の「あとご飯」を「ちんや」でも試そうという作戦でしたか。

「ちんや」では、ご飯は、自家製の牛佃煮とみそ椀と共に召し上がっていただくことにしているのですが、そう言えば、「ちんや」でも「あとご飯」を試みるお客様がたまにおいでです。「中江」さんの影響でしょう。

 私としては、ずっとすき焼きを食べ続けた後は、何か食い味の違うものの方がよかろう、と思って、ご飯は上記の方式にしていますが、お客様が、「同じ食い味でも良いから是非」というのなら、それはそれで、その方の味覚ですので、まあ、やっていただけば結構、と思っています。

  そう話すと、今度は「駒形どぜう」君が、「ウチにも、そういうお客様がたまにおいでですね。でも、ウチの鍋は、「ちんや」さんより、ずっと小さいから焦げ付きやすくて往生するんです。今日のNさんみたいに、そろそろ鍋に入れて、丁寧に溶いてくれれば良いんですけど、タマゴを勢いよくドバっと入れて、噴きこぼす方がいらして、あれは困りますね。」

  その程度のこと気にするんなんて、天下の名店が、ナニ小さいこと言ってんの? とお思いの方には、私よりキョーレツなダメ出しをさせていただきます。どぜう屋さんは、永年使い続けてきた、鍋をそれはそれは大事にしています。「蒸気機関車の動態保存」とか聞きますが、鍋屋の鍋も、言ってみれば、「動態保存」のようなものです。丁寧に洗って、焦げや汚れをとり除き、錆びないように処置します。この時焦げが完全にとれていないマズいのです。

  皆さま、どぜう屋さんで「あとご飯」をする時は、何卒、鍋にご高配を賜りたく、よろしくお願い申し上げます。

  「あとご飯」の正しい作り方は、こちらです。「中江」の女将さん(=N社長令夫人)が肖像権フリーの顔出しで教えてくれます。皆さん、このページを印出してから、どぜう屋へ向かいましょう(?)

  ちなみに私は、どぜう屋で鍋が終わった後、残った割り下でネギを煮て、それをご飯に載せて食べるのが好きです。ただし、代金フリーのネギを利用するわけなので、分量は遠慮して・・・注文します。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

「ザキ」の名店、「ザキ」の牛鍋

 4/20火曜日の休みを利用して、「ザキ」の牛鍋=横浜・伊勢佐木町の「じゃのめや」さんに行ってきました。伊勢佐木町(通称「ザキ」)と浅草(通称「エンコ」)は、街の雰囲気がなんとなく似ていて、すき焼き屋が集中していることも似ています。曙町に美人女将の「荒井屋牛鍋店」さん、末吉町にブツ切り肉の「太田なわのれん」さんがあり、町名こそ違うものの、徒歩5分圏内です。この界隈は浅草に次いで、すき焼き屋が密集している、と言って良いでしょう。

 ハマのすき焼き屋3軒の内「じゃのめや」さんだけは、これまで面識がなかったのですが、是非ともお近づきになりたいと、お訪ねすることにしました。「じゃのめや」さんへ入る前に、まず、3/3の「すきや連」で大変お世話になった、「太田なわのれん」の、ご主人・Aさんにご挨拶。

  ついで、「荒井屋牛鍋店」の美人女将にご挨拶、のはずが、げげっ、今日は第三火曜なので、休業! 今日って第三の火曜だったんだ。仕方ないな、浅草から連れてきたヨメで我慢するか。

 気を取り直して、「じゃのめや」さんへ。個室へ通され、Y社長自ら部屋へお越しいただき、また土産まで持たせて下さり、恐縮してしまいました。「太田なわのれん」のご主人Aさんが、事前にY社長に、私のことや「すきや連」のことを説明して下さっていたからです。今回もお世話下さり、Aさん、本当にありがとうございます。

 さて、食事ですが、最初の肴も、ひとつひとつ手のかかったものでしたし、もちろん、すき焼きの肉もさすがのクオリテイーでした。鍋のデザインが、面白い形でした。また器類も趣味が良くて感心します。

 なお、ハマの3軒は、20年くらい前に集まって協議して、料理名を「すき焼き」でなくて「牛鍋」に統一したそうです。浅草では「米久本店」さんだけが「牛鍋」を称していて、その他は「すき焼き」です。

 次回の「すきや連」に、Y社長もお誘いしたいと思っています。どんどん仲間が増えて嬉しいです。すき焼き談義、いや牛鍋談義が楽しみですね。

「おやあ、住吉、今日は久しぶりにすき焼きの話しだねえ。マジメに仕事してんのか、コイツ、と思ってたとこだったよ。」

 いやあ、実はですね、先週のある夜、仕事を終えて、いつもの店に出動しましたら、なじみの姐さんから「住吉さんのブログすごく面白いけど、すき焼きのことがあんまり書いてないわよねえ。」とダメ出しを食らっちゃいまして。

 と、いうわけ(?)で、今日は、すき焼きの話しでした。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 *「荒井屋牛鍋店」さん(曙町)については、こちらです。

*「太田なわのれん」さん(末吉町)については、こちらです。

*「じゃのめや」さん(伊勢佐木町)については、こちらです。

Filed under: すき焼きフル・トーク,飲食業界交遊録 — F.Sumiyoshi 9:15 AM  Comments (1)

靴の 松・竹・梅

 このブログの3/11号に書いた、末光宏さんを講師に迎え、勉強会を「ちんや」で開催しました。もちろん、靴についての話しです。「ちんや」従業員向けの、勉強会ですが、貴重な話しなので、浅草の飲食店の人達にも「良かったら是非聞きに来て下さい」と声をかけましたら、桜鍋「中江」のN社長、「ときわ食堂」のM君、「駒形どぜう」のW君、料亭「きよし」(墨田区向嶋)のA子女史、それから飲食店ではないですが、地元の書家のS女史も参加してくれました。

 この講演会の趣旨を、重複になりますが、もう1回書いておきますと、実は「ちんや」では「ちょっと嬉しい褒め言葉作戦」を実行したいと思っています。お客様の、お靴・お着物・お洋服・お持ち物を従業員にどんどん褒めさせます。基本的にいつも褒めることにしたいと思っています。

 それは褒めない方がむしろ不自然だからです。お客様の立場になってみれば、せっかく靴や洋服を整えて「ちんや」を訪問したのに、誰も褒めてくれなかったら、がっかりしますよね。外食に出かける、ということは、お客様にとっては、そういう手間がかかるわけですから、こちらは是非とも反応してさしあげないといけません。

  褒めて差し上げれば、お客様のご機嫌が良くなって、接客が格段にやりやすくなりますから、お客様も店も双方がハッピーです。そして、さらに、その「モノ」を造った、造り手の人もハッピーになります。

  もちろん、やたらめったら何でも褒めるのはカッコが悪いですから、モノの良し悪しを少しは知った上で褒めたい所です。そこで造り手の人に「ちんや」に来てもらって、従業員向けに、靴を褒める場合のポイントを教えてもらおうと企画しました。

 それが今回の、講演「30分でわかる靴の 松・竹・梅」です。

  カリスマ靴職人の末光さんは、手だけでなく、結構御口も滑らかで、「絶対おススメのメーカー」「ピンキリのあるメーカー」も教えてくれました。講演の後は、末光さんを囲んで参加者で懇親すき焼き。1時間で終わる予定でしたが、靴談義で夜が更けました。

  今後飲み会がある時は、今日仕入れた薀蓄をガンガン受け売りして、得意がってやるぞ。ひひひひ。これだから、カリスマ受け売り師はやめられない。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

早計?レガッタ

 学生時代にボート部に所属していた友人が、4/18「ちんや」へ食事をしに来てくれました。この日に隅田川で開催された、「早慶レガッタ」(=ボートレースのこと)を奥様とお嬢様に見せて⇒その後で食事、という段取りだったとか。自分がかつて出場していたレースを家族に見せ、父として誇らしい気分だったに違いありません。お天気にも恵まれ、浅草の休日を満喫してくれたことと思います。

 「早慶レガッタ」と申しますのは、早慶両校ボート部が隅田川を借り切って開催する、二校だけの対抗レースでして、我が母校が、私の地元・浅草で開催する唯一の行事です。そういう行事が地元で開催される御縁で、学生時代の友人にも店へ来てもらえて、有り難いことです。

 とても経費がかかる、このレースの開催が永続できるよう、毎年、大会公式プログラムに協賛広告を出すことにしています。今年が第79回なので、来年は第80回です。歴史の一部に参加させていただけることを感謝しています。

 今年の勝負については、回漕中のザンネンなトラブルもあり、我が義塾の敗退でしたが、両校選手の健闘を讃えたいと思います。

 それにしても、ウチのパソ彦、「早慶」って変換しないから、不便だよなあ。なんで「総計」と「早計」だけなんだ? ゼッタイに「早計」より「早慶」の方が使われると思うけどなあ。

 ワセダ出て⇒NECに入った、早計なヤツが設計したに違いない、このパソコン。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

*「早慶レガッタ」については、こちらです。

Filed under: 今日のお客様,浅草インサイダー情報 — F.Sumiyoshi 9:16 AM  Comments (0)

南部ってどのあたりですか?

 このブログの4/7の号で、「ちんや」には「お客様に聞かれて困った質問」収集委員という委員がいると書きましたが、その委員の連中が収集した「困った質問」が提出されてきました。

 「ちんや」さんの、すき焼きの鍋は、どこで買えるんですか?

 こういう御質問は結構多いようです。で、答えですが、ザンネンながら、買える店はありません。「ちんや」向けの特別仕様の鍋ですので、よそにはないのです。現在使っているのは、昭和50年に現在の店舗を建てた時に、岩手県の、南部鉄器のメーカーさんに発注したものがほとんどで、それ以降は新規発注せずに、その当時のものを大切に使っています。

 と教えたら、収集委員は「?」という様子。「岩手県の南部ってどのあたりですか?」

 うーん、そうか、「南部」を教える必要があったか。南部というのは、南の部分じゃないんだなあ。

 収集委員は皆、最近入社したメンバーなのです。ゆとり教育では、南部氏が岩手県を永いこと治めてきたことを教えてないのかしら? 困るなあ。伝統工芸の存続にもさし障りますよね・・・

 ところで、ひょっとして、気づいた人もおいでかもしれませんが、この「困った質問」はブログのネタの宝庫なのです。

「やっぱりそうか、住吉、情報の社内共有化とか言っちゃって、実はブログのネタ集めしてたのか!」

 ひひひひ。

 全国のブロガーの皆さん、この方法をマネっ子する時は、ウチに挨拶しに来てくださいね。ついでに、すき焼きも食べてくれると嬉しいなあ。

  本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

討ち入り

 4/16は月に1度の、雷門横丁一斉清掃の日でしたので、参加しました。と申しますか、私は、「浅草雷門横丁振興会」の副会長でして、会が区役所から借り受けた、清掃用具や、「大江戸清掃隊」の揃いの法被は皆、「ちんや」でお預かりしていますので、この行事を主宰しないといけません。

 路面を皆で清掃するわけですから、雨がひどければ延期です。朝から冷たい霧雨が降っていたので、判断に迷いましたが、決行と判断。やると決めた以上は、ハリキッて、隊のツワモノ?どもを率いて奮戦しました。

  この行事は、平成18年に、「浅草雷門横丁振興会」が結成されて以来、欠かさずに月に1度行われています。暑い日も寒い日もめげずに続けてきたわけは、「この横丁をなんとしても清潔な通りにしたい」という共通の願いがあったからです。

  雷門横丁というのは、雷門通りのすじ一本北、つまり「ちんや」の裏の、細い通りなのですが、通りと通りの間の距離がさほどないので、雷門通りから雷門横丁まで敷地が続いている店が多く、そうした店は雷門通りに面して表口を、雷門横丁に面して通用口を設けています。で、平成18年当時問題だったのは、その通用口近辺、つまり雷門横丁に面した口の、ゴミの始末が、とてもだらしない店があったことでした。

  ゴミの始末がだらしない店の中に飲食店がありました。「ちんや」も飲食店ですが、飲食店は生ゴミを出しますから、始末をよほどキチンとしないと近隣にご迷惑をかけます。生ゴミにネズミやハエ、ゴキブリが寄ってくるからです。そして悪いことに、その店にはホームレスまで寄ってきてしまいました。ヤツが連日出没するので、とても困りました。

 もちろん、その店には何度も、個人的に申し入れをしましたが、口約束ばかりで、キチンとしたゴミ処理が実行されません。従業員に外国人が多く、オーナーが店をコントロールできていない様子でした。

  このザンネンな状態を解決すべく、一人の女子が立ち上がりました。ウチの裏の、もんじゃ焼き「O」のU子ちゃんです。ちゃん付けなのはずっと年下だからです。「雷門横丁に「通り会」を作って、組織の力でゴミ問題に取り組もう」という彼女の音頭とりで、浅草雷門横丁振興会が結成された時、私は副会長となり、生まれて初めて、年下の女性の上官をかつぐことになりました。 

 そういう次第ですので、私の役どころはさしずめ参謀長といったところです。会の規約の起草、設立総会の準備を進め、平行して「大江戸清掃隊」として区役所に公式登録をしました。「大江戸清掃隊」に登録すると、清掃用具が借りられ、また揃いの法被も借りられるのです。横丁のメンバーが徒党を組んで、汚い店(つまり、他人の敷地)に入り込むには、揃いの法被がどうしても必要でした。その法被が届いた時は、「これでやっと、あの汚い店に立ち入って掃除できるぞ」と興奮したものでした。

  やがて設立総会を経て、浅草雷門横丁振興会が無事結成され、最初の「一斉清掃」の日がやってきました。待ちに待った、討ち入り、じゃなくて立ち入りの日です。揃いの法被を着込んで、他人の土地に侵入し、当の店の人間が驚くのを無視して、ガンガンと掃除してやることができます。

  気分が高揚した私は、集まったメンバーを前にさけびました。

「おのおの方、積年の憂さをはらす日がまいった。今宵めいめいが本懐を遂げるべし!」

「エイ、エイ、オー」

  後日談ですが、あの汚かった店は倒産し、今のテナントさんに代わりました。今のテナントさんはキレいにしてくれているので、以前のような問題はなくなりました。毎月清掃することで、他の御店もゴミ処理に気を使うようになりました。また、会の共有でダストボックスを購入したので、さらに清潔になりました。 あーあ、興奮しないなあ、最近。

   お読み下さり、かたじけない。住吉由良之助でござった。

 *「ちんや」については、こちらです。

*「大江戸清掃隊」については、こちらです。

Filed under: 浅草インサイダー情報,飲食業界交遊録 — F.Sumiyoshi 9:44 AM  Comments (0)

ビールより なんとか

 4/15、浅草料理飲食業組合の研修会で、アサヒビールの守谷工場を訪ねました。この工場は、平成3年に竣工したのですが、私は竣工直後に訪問したことがありまして、2度目の訪問です。ですから、実は、行く前には全くワクワク感がなくて、「業界のおつきあいだから」というだけで参加を決めました。

  守谷工場はアサヒビールの工場の中では、3番目に新しく、本格的な見学コースを備えた最初の工場です。ホテルのロビーのように快適な見学コースがあって、赤い制帽が可愛い、ガイド嬢もいます。でも、実は、だからこそ私にとっては、再度訪問する意欲がわかない工場でした。立派すぎて、同じ敷地内にいるのに、見学者が造り手の人間からとても遠い感じがするのです。我々中小企業人にとって、こういう工場は「ひゃあ、スゴい近代的ですね、恐れ入りました、へへー。」で終わってしまうのです。造りの現場にいるリアリテイーがほとんど感じられなかったのが、前回の見学でした。

  今回の見学も、どうせそのような次第だろうと思って守谷(茨城県)へ向かいましたが、そういうこっちの思いを知ってか、アサヒの吾妻橋支店さんは特別プログラムをご用意くださりました。

  ホテルのような見学コースが終了した後、「それでは、これから従業員用スペースにお入りいただきます(!)」と声がかかりました。これが、本当に従業員用スペースでして、本日の出勤者シフト表(もちろん従業員さん方の実名!)を掲示したパネルの横を通過して進んでいきます。その間副工場長氏がつきっきりで、説明してくださいます。正規の見学コースは静かで快適ですが、こちらは稼動している機械のすぐ横を歩くので、轟音が響きます。副工場長氏、説明を絶叫。

  やがて進む内、アルコールチェック機というのを発見。ビールのアルコールをチェックする機械はありません。出勤してきた従業員の、体内のアルコールをチェックする機です。前夜に深酒した者を検知するのだそうです。ひえー。ごくたまに、本当に検知されて、作業に加われない人もいるとか。「そんなの検査されたら、俺なんか、週に1回くらいはひっかかるな」と浅草のK社長。「嘘つけ! キミは3日に1回はひっかかるよ!」と別の社長。まだ飲んでないのに、楽しくなってきました。

  従業員用スペースを見学させていただいた後は、醸造部長氏も参加しての、質疑応答タイムです。いろいろお尋ねする中で感心したのは、国内に何箇所もある、各工場のスーパードライを相互に点検して、評価しあっているというところです。もちろん、人間が自分の舌で点検するわけです。「味覚だけで、そのスーパードライがどこの工場の産かわかるんですか?」とお尋ねすると、「そりゃ、たいていわかります。でも、一番判別に迷うのは、実は、自分の工場で作ったドライなんですよ。よそが作ったのは、簡単に判別できるんですけどね。」

  うーん、大工場・大メーカーでも、最後の最後は人間なんだね。とても有り難く、勉強になりました。

  さてさて、見学の後にやることはもちろん、決まっています。それは、宴会!じゃなくて試飲会です。醸造部長氏が選んだビールを、「樽生・注ぎ方インストラクター」氏が注ぐのですから、マズかろうハズはありません。いざいざ、と勇んでいると、さきほど来、我々を案内してくれた、赤いお帽子のガイド嬢が、「それでは、私はこちらで失礼いたします。」と帰ろうとするではありませんか。

 「あれ、お姐さん、なんでもう上がっちゃうの? 一緒に飲もうよ!」と声をかけると、

浅草からずっと同行して来て下さった、吾妻橋支店長氏が、

「チョ、チョッと、住吉さん、彼女はまだ勤務時間中なんですよ。」そう言う支店長氏の目が笑っていなかったので、それ以上しつこくするのはやめにしました。

  やだなあ、支店長、冗談ですよ、冗談。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。