昨日が明治150年の日でしたので、150年前の話しを、もう少し。
私が大学に入った時、京都出身の先輩がいて、その方は、
日本の首都は今でも京都だ!
と主張していました。もちろん随分変わった人がいるものだなあと思いました。ところが、調べてみるとたしかに明治政府は京都が日本の首都でなくなったと正式には言っていないのです。
明治天皇は、明治元年9月20日に京都を出発して東京に向かいますが、この時は「行幸」と言っていました。いずれ京都に「還幸」する前提なので「行幸」と言ったわけです。10月13日に江戸城へ到着、江戸城は「東京城」と改称されました。
この時天皇はまだ大嘗祭を行っていなかったことから京都に還幸しますが、政情不安や財政窮乏などから大嘗祭は延期され、結局、明治4年11月になってから、東京で行われました。
その後明治5年5月天皇が京都に行く際は、「還幸」ではなく「行幸」と言われましたので、この時点で、名称の上でも、京都は首都ではなくなっていましたが、それでも廃止が発表されたわけではありません。大正天皇、昭和天皇は即位の礼・大嘗祭とも逆に京都で行っています
昭和天皇の即位の礼の時は、日本中から有力者が京都に集まり、旅館や料理屋が大盛況だったと聞きます。
今上陛下が東京で即位された最初の天皇で、明治150年を経て、その陛下が今回退位されるという次第です。
天皇家は、肉食・断髪などはすぐ受け入れましたが、土地に関しては、ゆっくりだったということですね。興味深い話しです。